狂ったギャンブラーは異世界でも命を懸ける。

朝乃雨音

第1話 狂ったギャンブラー


「お前はそれを本気で言っているのか」


 薄暗い部屋。裸電球がぶら下がるその部屋で質素な木の机を四人の男が囲んでいた。机の上に敷かれた緑のシートと麻雀牌、そして中央に積まれた札束は、彼らが何かを行った後である事を示している。

 何か。

 彼らが行っていたのはギャンブルであり、非合法な賭博であった。2030年の現在、この日本で合法化されているギャンブルは国営カジノと三点方式を用いるパチンコ、パチスロのみであり、大金を掛けた勝負はその二つを除き違法として処罰される。

 しかし、規制が強まれば強まるほど非合法な賭博場が全国各地に生まれギャンブルに溺れる人が増えて行ったのであった。

 この場所もその一つであるが、ここは最深部に近しい場所でもあるのだ。

 ギャンブル依存者を超えるギャンブル狂の集まる場所。億単位の金が動き、命が動く場所であった。

 卓に着く四人。

 一人はスキンヘッドに龍の刺青が入った大柄の男であり、彼はこの賭博場を経営する親であった。大規模ヤクザの幹部であり背後にはスーツを着た二人の護衛が目を光らせている。

 そして先程声を上げたのもその男であった。その言葉を聞き、対面に座る別の男が口を開く。


「本気さ。ポーカーでもインディアンポーカーでも花札でも、ロシアンルーレット、チンチロ、バラカ、なんならじゃんけんでも良い。俺は胴元であるあんたにここで得た金の全てをベットして勝負を申し込む」


 ヤクザの男とは対照的な痩せ形で長髪の男。十代後半ほどの歳に見えるその男が提案した賭けは普通とは異なる物であった。この賭博場では親含め四人が席に着き勝負する事がルールであり、相手を選んで差し向かっての勝負というのは認められていない。

 しかし、ヤクザの男は対面の男の提案に対し長考を見せた。なぜなら、今この卓で最低レートの金額を賭けられるだけの資金を持った人間はその二人しかいなかったのだ。

 では何故他の二人は賭け金を持っていないのか。理由は単純明白だ。この場で最も勝ちを得た男、神束幽によって奪われたのである。

 現在、この賭博場で神束が勝ち得た金額は6億7000万であり、隣にいる参加者の二人は手持ちの金を全て無くした。また、親のヤクザは1億の負けを背負ってしまっている。そのため親を務めるヤクザ幹部、穴熊龍児は勝負するかどうかを考えていたのだ。

 対面に座る神束の実力はこの数時間で嫌というほど味わっていた。

 強者が揃うこの卓で、運も絡む麻雀を行い勝ち続ける神束は、確実に何かを行っているはずではあるのだが穴熊にはそれが見抜けないのだ。

 この裏の世界でギャンブルの親を務めるからには彼も相当数のイカサマを行う事ができ、また見破る事も出来る。それが自衛能力であり、この世界では欠かせない技術だ。しかし、その穴熊でも何一つとして、証拠どころか気配も掴めないのである。明らかに異常。

 そんな神束が穴熊に申し込んだ勝負もまた異常であった。

 競技自由のオールベット。相手に競技を任せるにも関わらず得た金額全てをベットするというのは普通ではあり得ない。賭博師である彼らの中にも得意不得意は存在し、得意ジャンルでは誰にも負けた事の無いという人物も存在する。穴熊龍児もその一人だ。穴熊の得意ジャンルはロシアンルーレットであり、この業界ではかなりの有名人であった。それを神束が知らない訳が無い。しかし、神束は勝負を挑んで来た。それも獲得した6億7000万全てを賭けて勝負すると言っているのだ。

 神束のその申し込みは絶妙であった。

 現在穴熊の負けは1億であり、賭博場を運営する穴熊にとってそれはさほど痛手では無い。他の二人も手持ちの全ての現金である三億前後負けているが、破産するほどの痛手ではなく、口座にある全財産の三分の一程度であった。そのためここで勝負を終わり、解散しようかという所での申し込み。

 1億ならまだしも、6億7000万の負けとなってしまえば穴熊も只ではすまない。だが、圧倒的に有利な条件での勝負の申し込みを蹴るという行為は穴熊のプライドが許さなかった。

 もちろん、先程までの神束の異質な強さを見れば、賭博師ならば手を引くのが当たり前であるが、穴熊は賭博師である前にヤクザであり、齢二十にも満たない子供を前にして引く訳にはいかなかったのである。


「そこまで挑発されれば勝負を受けざるを得ないが、お前は何が目的だ」


 穴熊は言いながらシャツの胸ポケットからタバコを取り出し口にくわえ、銀のジッポで火をつけた。


「目的も何も、金を得たからそれを賭ける。それがギャンブルってもんだろう。あんたも賭博師なら覚悟を決めなよ。どちらかの金が無くなるまで俺は賭け続けるぜ」


「小僧が図に乗るなよ。……おい、ロシアンルーレットだ。準備しろ」


 大きく煙を吐き、穴熊は後ろにいた部下二人に命令する。


「お前らも、金がないならこの卓にいる資格は無い。さっさと失せろ」


 両隣の二人に言い放つ神束の目は、鋭く冷たい。


「貴様、誰に向かって言っているか分かっているのか。こんな遊びで勝ったくらいで調子に乗るなよ」


 神束の左にいた男が勢い良く立ち上がり怒声を放つ。


「お前に言っているんだ伍頭誠。どれだけ賭博場を荒らしているのか知らないが、負けた人間に発言権は無い。対等に口を聞きたいなら金を持って来いよ」


「言わせておけば貴様……おい、穴熊。俺はお前が勝つ方に6億7000万ベットしてやる。支払いなら問題ないだろ。お前なら俺が幾ら稼いでいるか知っているはずだ。支払いが不安なら身柄を取り押さえてくれればいい」


「なるほど。俺は別に構わないがお前はどうなんだ小僧」


「ルールはあんたに任せてあるんだ。好きにすればいいさ。もし伍頭が参加するのならば俺も口座から6億7000万を足そう。合計13億4000万。良いじゃないか。これぞギャンブルだ。やってやるよ」


 その言葉に伍頭が笑った。


「おい聞いたか穴熊。馬鹿が釣れたぞ。お前みたいな若造は知らないかもしれないがな。穴熊はロシアンルーレットで成り上がった男だ。この業界最強と言っても過言ではない」


「知ってるぞ馬鹿。本当にお前はギャンブルが上手いのかと疑いたくなるな。どれだけ強くても必ず勝てるギャンブルなんかこの世には存在しない。それまでの勝率が100パーセントであったとしても、その時の勝負は勝つか負けるかのどちらかだ。確立は上げられても絶対は無い。そんな事も分からないのか」


「言うじゃねえか小僧。ならお前は俺に勝つ気でいる訳だ」


 横から言葉を挟んだのは穴熊である。


「ギャンブルに絶対はない。だから俺は賭けるだけだ。それに勝ちの可能性が低ければ低いほどギャンブルは面白いんじゃないか」


「いいだろう。格の違いを見せてやるよ。おい、準備出来たか」


 穴熊の部下はリボルバーの中に本物の銃弾一発とダミーの銃弾五発を入れ、弾倉を勢いよく回した。


「さて、それじゃ先攻を決めなきゃいけないが、神束、お前が先攻後攻を決めて良いぞ」


 リボルバーを受け取った穴熊は、吸っていたタバコを灰皿に押しつけながら神束を睨む。


「良いのか、俺が決めても」


「いいさ。勝手にしな。どうせどちらを選んでも勝つのは俺だ」


「自信過剰だな。それなら最初にやってもらおうかな」


「いいだろう。ルールは途中棄権無しの交代制だ。では勝負開始だ」


 穴熊はゆっくりとリボルバーの銃口をこめかみに持っていき、躊躇い無く引き金を引いたのであった。撃鉄が落ちると共にパチンッという乾いた音が静まり返った部屋に響く。


「さあ次はお前の番だぞ」


 差し出されたリボルバーを神束は受け取り、静かに眺めた。

「どうした怖じ気づいたか?」


 再びタバコを取り出し吸い始めた穴熊は神束に向かって煙を吹きかける。


「俺はロシアンルーレットが嫌いだ」


 ぽつりと零した神束の一言に穴熊は目を細める。穴熊は考えていた。神束が賭博師として異質であることは確かだ。しかし、神束は口で惑わすタイプの賭博師ではない。技で、力で、精神力で相手を圧倒するタイプの賭博師であると穴熊は先程の勝負で判断していたのである。その神束が意味のある言葉を、惑わすタイミングで放ったのだ。

 このロシアンルーレットという勝負に駆け引きは存在しない。銃弾が出るか出ないかのみであり、結局は相手と自分の精神力の勝負である。こちらが引けば相手は引くしか無い。その死の重圧を相手に押し付ける事こそがこの勝負の本質であるのだ。「次は玉が出るかもしれない」と、戯れ言を吐いた所で勝ちたければ引き金を引くしか無いのである。だからこそ穴熊は何も言わずに淡々と引き金を引くのだ。そうすることで相手は悩み、怖れ、迷う。さらに穴熊の部下が流した、ロシアンルーレットで穴熊は負けた事が無いという噂が彼を真の最強へと押し上げたのであった。

 もちろん、ロシアンルーレットはその性質上一発目や二発目に本物の銃弾が入っている事もあるため考え無しに引き金を引くだけでは死ぬ事もある。だが穴熊には秘策があり、技があったためここまで死ぬ事無く、裏社会を渡り歩いて来られたのである。


「今更嫌いだといってももう遅いぞガキが。穴熊にロシアンルーレットで勝負挑んだ時点でお前の負けは決まっているんだ」


 静かな部屋の中、神束の言葉に言葉を返したのは伍頭であった。


「……俺がロシアンルーレットを嫌いな理由は、この勝負が無意味だからだ。ロシアンルーレットは度胸試しに見えて実は技の勝負だ。目と耳がよく回転する弾倉の音と位置から当たりを判別する人物や、偽の銃弾と本物の銃弾の僅かな重さの違いを感じ、銃弾の場所が分かる人物。火薬の臭いを嗅ぎ分ける事が出来る人物など、その技を身につけていれば負ける事は無い賭博だ。だが、もし二人とも技を使えた場合、決着は永遠に着かない事となる。だから嫌いだ。そして穴熊、あんたは見えて聞こえている。瞬き一つせず弾倉を見ていたのはそう言う事だろう。同じ技を持っているから分かっちまうんだよ。このリボルバーは次の次に銃弾が出る」


 言いながら神束は自らのこめかみに向かってリボルバーの引き金を引いた。


「お前どうやってその技を」


 タバコのフィルターを噛み潰し穴熊は怒声を放つ。その矛先はもちろん神束であるが、彼は怯まず穴熊を睨み返した。


「前々からムカついていたんだよ。ロシアンルーレットの素人を狩って偉そうにしているあんたには。だから俺が狩りに来たんだ。ここからが真剣勝負だ」


 神束は懐から2枚の布を取り出した。


「目隠しといこうじゃ無いか。命を賭けたスリルを思い出させてやる」


「馬鹿げている。そんな勝負をやってやる義理が何処にある」


「これだけの大金を賭けているんだ。引き分けで終わらせられると思っているのかよ」


「そんな事は関係ない。なんなら俺は今ここでお前を消す事も出来るんだぞ」


 穴熊が言うと同時に後ろに控えていた部下が拳銃を取り出した。


「こんなガキを相手に実力行使か?」


「ただのガキがこんな所にいるかよ。この勝負は引き分けだ。良いな」


「……逃がしはしない。お前を狩る事が俺の任務だ」


 その言葉に場が凍る。


「まさかお前は政府の狩人なのか」


「そんな馬鹿な。こんなガキが政府に認められた合法の賭博師な訳が無いだろ」


 穴熊と伍頭は見合いながら額を汗で濡らす。


「こんなガキとは失礼だな。これでも10年以上ギャンブルの世界に身を置いて来たんだ。子供が勝ち残って来た事実を考えろ」


 神束が懐から取り出し、机の上に投げたプラスチックのカードは狩人の証明証であり、それを見た二人は生唾を飲む。


「……幾らだ。幾ら払えば見逃して貰えるんだ」


「見逃す? 俺の仕事は破滅だ。ギャンブルを続けるぞ」


「馬鹿な。お前の提案した方法ではお前も命を落とす可能性があるんだぞ」


「それが良いんだろう。命を賭けた勝負なんか一流は誰もやりたがらない。馬鹿な二流は自滅して行く。それなら一流とどうやって命懸けの勝負をすれば良いのか。簡単だ。狩人になれば、政府公認の賭博師になれば仕事として賭博を相手に強要する事が出来る。俺が金を持って帰れなければその対象は政府の排除対象となるのだからな。俺に仕事が回って来た時点でお前は終わっていたのさ。どれだけの金を渡されても、条件を出されても、俺は帰らねぇ。さあ、命を賭けた勝負をしようぜ穴熊。真剣勝負だ」


「狂ってやがる」


「それがギャンブラー、賭博師だ」


 神束は布とリボルバーを穴熊に向かって投げた。


「さあ、お前が先攻だ。早くやれ」


 穴熊は布を両手で持つ。しかし、その先に進む事が出来なかった。これまで穴熊は何百回とロシアンルーレットを行って来たが、本当に命を賭けた勝負は10代の頃に経験した数回だけであり、もう20年以上も真剣勝負と言われる物は行っていない。

 また、ロシアンルーレットの恐怖はヤクザが商売で経験する恐怖とまた違う。

 引き金を引く事により訪れる可能性がある死。自らの手によって不運の死を招く可能性がある行為を、簡単に出来る人間はそういない。何かミスをした訳でも無い。ただ不運だったというだけで死んでしまうのだ。そんな望まない死に方を、自分で実行出来る人間は明らかに狂っている。


「どうした出来ないのか。出来ないなら仕方が無いハンデをやる」


 身を机の上へ乗り出しリボルバーを穴熊から取った神束は自らの目に布を巻いた。


「……な、何をするつもりだ狩人」


 大きく息を吐き、穴熊は神束に目を向ける。


「こうするんだよ」


 そして神束は目隠ししたまま弾倉を回し、こめかみに向かって引き金を引いたのであった。乾いた撃鉄の音が部屋に響く。


「さあ、先攻は俺がやってやったぞ。次はお前だ穴熊。早く……引け」


 机の上を滑らせ渡されたリボルバーを凝視する穴熊の額からはじっとりとした汗が吹き出ていた。


「お前は何故そんな簡単に引き金を引ける! 何か仕掛けをしているだろう。そうだそうに違いない。出なければそんな簡単に引き金を引ける訳が無い。イカサマだ!」


「腑抜けが。賭博師ならば引いてみせろよ。命を賭け、生き抜いて見せろ。それが賭博師の生き様ってもんだろうが。さあ、引け! 引き金を!」


 詰め寄るように身を乗り出し言葉を投げる神束の声は、重く、力強く、穴熊の恐怖心を煽る。神束にその意思はなくとも、命のやり取りを前にして威圧の言葉は人を狂わす。そして穴熊の精神力は、本人の思っている以上に弱くなっていたのであった。


「お前が……お前が悪いんだ。……お前さえいなければ!」


 穴熊はリボルバーを神束に向け、引き金を引いた。

 撃鉄と共に小さな爆発音が響き、銃弾が神束の胸を貫く。

 そこに実弾が入っていた事は完全な偶然であった。神束はその場に倒れ込む。

 穴熊や伍頭の焦る声が意識の先で聞こえるが何を言っているのかはもう分からない。

 薄れ行く意識の中で神束は笑った。

 神束の強運が招いた不運なのか。引き金を引いた穴熊の不運が招いた強運なのか。はたまた神の悪戯か。もしかすると相手を追いつめギャンブルを強要した神束に対する罰なのかもしれない。


 しかし、

「今回も俺は勝負に勝っていた」と、呟き神束は笑いながら死に向かって、意識を落として行ったのである。


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