第3話

「事情はおおむね把握しました。とりあえず、その『罠にかけられて悲惨な末路』のくだりはなんとかしますから、失踪するのはご勘弁ください」

 大体白状し終わって疲れも出たのか、お嬢様は椅子の上でぐったりしている。

「逃げるのを手伝ってはくれない?」

「ダメです。職務に反するというのもありますが、そんな風に家出したご婦人がまっとうな人生を送れるとは思いませんから」

 女性の名誉というものは、一度失われると取り戻すことはほとんど不可能に近いのだ。

「とりあえず今日はもうおやすみください。そして今後どうするのか、私も一緒に考えます」

 お嬢様はまだ何か言いたげだったが、抜け出さないと約束してくれなくては、俺も休めないし、それでは体を壊してしまいそう、と脅すと、おとなしく部屋に戻ってくれた。

 ちょろ……じゃなくて、お優しい。


「お嬢様がそこまで思い詰めていらしたなんて。なぜご相談してくださらなかったのです」

 一夜明け、お嬢様と俺、マリフレイスは大型馬車ランドーの座席で、今後のことを話し合っていた。この馬車と、お嬢様を乗せて昨日は俺が手綱を取っていた四輪馬車クーペはあとの二人の男性使用人に御者を任せている。

「だってあまりに自分勝手でしょう?そんなことにあなたたちを巻き込むなんて」

「それをおっしゃるなら、お嬢様が失踪なさった段階で私どもは責任問題ですから。巻き込んでくださるほうがいくらかマシです」

「本当にそうね……浅はかだったわ」

 マリフレイスには、啓示がどうのという部分をうまく省き、俺から大体の事情を説明した。

 ひとまず今は、最初の予定通りシャウワに向かっている。

 なにしろ問題となる宮廷の謁見にはまだ数ヶ月も猶予があるのだ。保養地でのんびりなさったら、お嬢様のおかしな思い込みもどうにかなるかもしれないし。


「大体、謁見が不安なのでしたら、それこそ療養という口実でサンバーラン・ホールご領地に引きこもってしまわれたら良いのではありませんか。外聞が良いとは言えませんしデビューが一年遅れますけれども」

 ごもっともな意見を述べるマリフレイス。

「確かにその通りです。要はエミリア嬢とご一緒しなければいいのですから。シーズンを一回逃すことにはなりますが、お嬢様でしたら翌年でも、引く手数多でご結婚はすぐにお決まりになるでしょうし」

「仮病ということね。お父様がたがお許しくださるかしら……」

「そこは何をどこまで説明するかによりますが……何でしたら、ご家族にも気鬱の病とでも申し上げるのはいかがでしょう」

 さすがに、啓示がどうのという話をする気にはなれない。

「どちらにしても、旦那様がたは新年が明けたら大陸の避寒地に行かれますし、シーズン中は王都に滞在なさいますから。その間ならなんとでも誤魔化せます。皆様がご領地に戻る頃には回復したとおっしゃればよろしい」

 とにかく、単独で身分を捨てて失踪するのだけはやめていただきたいのである。

「シャウワ滞在の間に、お嬢様に対する謀略については私の方でお調べします。しばらくゆっくりなされば、お気持ちも晴れるでしょう」

「そうですとも。これまで学業でお忙しかったのですから、やりたいことなど我慢されていたのではありませんか?」

 マリフレイスは何気なく言ったつもりだったようなのだが、そう問われたお嬢様は真剣なお顔で思案なさる。

「そうね……あると言えばあるのよ。今までは成績を維持するので精一杯で、余裕がなかったのだけれど」

「まあ!なんでもおっしゃってくださいな!」

「危険なことでなければなんでも、ですよ」

 前科があるので釘を刺させていただきます。


 ……と、お嬢様も気を取り直されて、シャウワに到着したのだが。

「な、なんてこと……」

 お嬢様は青ざめて硬直している。

 原因は、通りの向こうから、満面の笑みでお嬢様に向かって両手をぶんぶん振っている若い女性だ。

 馬車通りが激しいわけでもないのにこちらに来ないところを見ると、知己ではあるが、お嬢様よりも身分が低いために、自分からは声をかけられない……そんなところだろう。

「もしやと思いますが、あの方がまさか」

「エミリア嬢よ……」

 背後から小声で尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。

「どうしたらいいの……」

 お嬢様はやや突発的事態に弱い傾向にある。ここは俺がお助けせねばならない場面だろう。

 まず、ああまで声をかけて欲しいアピールをしているエミリア嬢を無視するわけにはいかない。

 話しかけるのは確定として、立ち話で終わるかどうか。

 実は、到着したは良いが、先乗りしている使用人が別荘の準備を整え終わっているのかわからないので、馬車は別荘に行かせることにして、俺とお嬢様だけ街で降りたのだ。

 当初の予定だと、お嬢様にティールームでくつろいでいただいている間に、別荘の準備を急がせることになっていた。

「お声がけしましょう。そしてティールームにお誘いして、例の件について探りを入れるのです」

「そ、そうよね。ある意味チャンスだし、彼女に辛く当たるのは危険だもの」


 通りを渡り、エミリア嬢のそばまでやってきた。

「ごきげんよう、ミス・エミリア」

 エミリア嬢は金の巻毛に青い瞳、華奢な体型の可憐な女性だった。お嬢様を美女と呼ぶなら、こちらはまだ美少女といった面影を残している。

「レディ・イルシュドラ!お会いできて光栄です!」

「え、ええ……こちらこそ。ミス・エミリアも保養にいらっしゃったの?」

「はい!社交シーズンの前にのんびりしたいと思ったんです」

 まあそうなの、奇遇ね、といった感じで、ぎこちないながらも会話を続けて、お嬢様はなんとかエミリア嬢をティールームに誘うことに成功した。

 

「私、以前からレディ・イルシュドラとお話させていただきたくて、機会があったらと思っていたんです」

 席についたエミリア嬢は、無邪気そのものの笑顔だ。お嬢様を失脚させるような謀略を企んでいるようには、とても見えない。

「ま、まあ。そうなの。偶然、行動範囲が重ならなかったのかもしれないわね」

 実際には、相当な労力をかけて、エミリア嬢を避けていたと聞いている。

 一応、今お二人が向かい合ってお茶を楽しんでいらっしゃる(実際のお気持ちはさておいて)のは、ティールームの奥に用意させた個室だ。

 万が一何か企みがあっても、個室であればある程度対処もできるだろうとの読みである。


 その後、エミリア嬢がさりげなく話題を振ったり、屈託なく会話をリードしたりしているうちに、びくびくしていらしたお嬢様もお気持ちがほぐれてきたようだ。

 無邪気に見せて、このエミリア嬢はかなり。楽しそうな様子も全て芝居だとしたら、確かに相当危険な女性だ。

 現に、今の話題はお嬢様が学園時代に避けていらした数名の男性のことだ。

 俺はお嬢様の背後で何も聞いていないような顔で立っているのだが(それが仕事だ)、昨夜「核心をついた顔ぶれ」と言われた四名の名が上がった時は、さすがに眉が動きそうになった。

「あの方がたを、私が侍らせているなんて、あの頃は言われたのですけど……実情はそんな良いものではなかったんですよ!」

「そ、そうなの?」

「そうなんです!イルシュドラ様、聞いてくださいます?」

 きわどい展開だが、これはまさしく欲しかった情報だ。

 お嬢様によると、啓示では先の四名の中の一人がエミリア嬢と婚約なさるのだが、それが誰かによって、お嬢様の悲惨な末路が決まるのだとか。

 もし今、エミリア嬢が誰と婚約なさったのかわかれば、対策を練ることも可能になるだろう。

「皆様にとって私は、殿方同士のよくわからない見得とか、競争心のダシでしかなかったんです。こちらが学友として失礼にならない程度の関わりでいさせていただこうとしても、男同士で張り合うことの方に夢中になってしまって」

 ていのいい狩猟戦利品ハンティングトロフィーですよ、とぼやき口調で語るのだが、そんなことあり得るのだろうか?

「でも……最終的には、ミス・エミリアがお好きな方を選ばれてご婚約なさったのでしょう?」

「まさか!そんなお話になる前に、上手に身を引きましたから。だって大変ですよ、もし中途半端にご好意を受け入れたりしたら、あの卿なんて深夜の寮の一室で大変なことになってしまうの、ご存知でしょ?」

 ?デンバーハート伯爵令息ではなくて?

「あの方のことを、そのもじりで下心卿と呼ぶの、私はあまりうまいとは思えなかっ……あ、え……?」

「あは。やっとボロを出してくれましたね、イルシュドラ様」

 そう言って微笑むエミリア嬢が、この上なく不気味に見えるのは、俺だけではないはずだ。

 

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