第2話

 階下に降りると、夜番の若者が何事かとやって来たので、女性使用人を誰か起こして、お茶を入れるよう頼んだ。

 ひとけのないキッチンを借り、お茶を入れてくれた眠そうな小間使いに、多少居眠りしてもいいのでここにいて欲しいと言い付け、心付けを握らせる。

 ひとまずこれで、お嬢様の品位を損なわず、内密な話ができる最低限の状態にはなった。


 お嬢様は、意気消沈したご様子で、キッチンの粗末な椅子に腰掛けている。

「その服、一体どうしたんです?」

「ミヌレに、私の古いデイドレスと交換してもらったの」

「ミヌレはお嬢様のお下がりを自分に合うように治すのは苦労すると思いますよ」

 アイエンシー侯爵家のメイドのミヌレは、背丈こそお嬢様と同じくらいだが、全体的に起伏の足りないほっそりした娘だ。

 そんなミヌレの服を治しもせず着ているお嬢様の姿は眼福、じゃなかった目に毒だ。

「それで……どこへ行こうとなさっていたのですか?これを見れば、詳しく書いてある?」

 お嬢様がドアの下から差し込もうとしていた封筒をふってみせる。

「いいえ……」

「当てて見せましょう。この中には、探さないでください、心配しないで、旦那様と奥様に許してほしいと伝えてくれ……みたいなことが書いてある」

「読んだの?」

「いいえ。わかりやすすぎますよ、お嬢様」

 家出の置き手紙の常套句じゃないか。

「おかしいわ……ジェインはこうやってこっそり姿を消して、まったく発見されずにいたのに」

 顔を覆って嘆かれるので、あまりいじめるのも申し訳なくなってきた。

「ジェイン様?ご学友ですか?それとも家出のお師匠とか」

「強いて言えば参考文献よ」

 誰だそんな傍迷惑な文献を記したのは。ってジェイン様か。

「ねえフレド、このことお父様に報告する……?」

「私の立場上、しないわけには参りません。ただ--」

 あんまり絶望的なお顔をなさるので、つい甘やかす気持ちがわいてしまう。

「どうしてこういうことを企てたのか、事情をお聞かせ頂ければ、お助けするのにやぶさかではありませんよ」


 小間使いが船を漕いでいるのを確認しながら、声を潜めたお嬢様が語ってくださった話は、一言で言えば荒唐無稽で、理解するにも苦労する内容だった。


 曰く、お嬢様は幼い頃に、その後の人生で何が起きるのか、啓示のようなもので知ったのだという。

 ここだけでもかなり、お嬢様の心のご安定が不安視される状態だが、話はまだまだ続いた。


 その啓示のあらわすところによると、学園での三年の間に、お嬢様はご学友の大多数と敵対なさるらしい。

 最終的には、卒業後の宮廷での謁見の際に、それまで行ってきた悪行を追求される。

 女王陛下の裁定により、修道院での蟄居や、はるか南方の植民地での宣教を命じられるなどして、劣悪な環境で若くして命を落とす。

 あるいは、名誉を失って誰からも相手にされなくなった結果、かつての学友でもある、粗暴な男性に連れ去られ、駆け落ち結婚を強いられる。


「ええと……申し訳ありません、まず何から言うべきなのか」

 それは被害妄想というのです……いやちょっと直接的すぎるな。

「確認させていただきたいのですが、毎日私が学園にお送りして見聞きした範囲では、お嬢様はご学友との仲は良好だったはずでは?」

 そもそも侯爵令嬢であるだけで、ほとんどの学生よりもご身分は上なのだ。媚を売られこそすれど、ご学友の大多数が敵対なさるって、そんなことあり得るのか?

「そのつもりだったのよ……三年間、目立たないように尽くしてきたの。初めの頃は関わりを持たないようにしたのだけど、殿下に対しては不敬だとか、他の方には見下しているとか言われはじめてしまって。どうしても、ある程度の交流はせざるを得なくて」

「実際には敵対なさったわけではないのですよね?」

「私としてはそうだったはずと思ってたの」

「悪行をはたらいたりもしていらっしゃらないでしょ」

「していないわ」

 貴族同士、または郷紳ジェントリとの間で、下の身分の相手に対して厳格な考えを持ち、何かというと身分を弁えない態度だのと因縁をつけて、社交の場で噂を立てたり、時には忠告の名目で押しかけて侮辱するとか、そういうことを行う方が一定数いらっしゃるのは事実だ。

 俺たち使用人の間でも、高貴な人々のそういった振る舞いはすぐに噂になる。なぜなら彼らは、使用人がそこにいても、話を聞いて理解しているとは思っていないのだ。でも実際には、使用人はどこにでもいるし、耳と口があって、何より不満を抱え、娯楽にも飢えている。

 俺は少なくとも、お嬢様がそのような横暴な振る舞いをしたなんて全く聞いたこともないし、するとも思えない。


「行っていない悪事で裁かれることは普通あり得ませんし、仮に捏造されたとしたら、旦那様が黙ってはおられないでしょう」

 そもそも、悲惨な末路が何パターンもあるというのはどういう状況なのだろう。

 蟄居ののち宣教を命じられ、戻れたと思ったら拉致からの結婚強制で若くして亡くなるということか?さすがに忙しすぎないか?

「お嬢様の考えすぎでは?」

 被害妄想よりはまろやかな表現だが、つい思ったことをはっきり口にしてしまった。

「そうならばどんなに良かったか。でも卒業の式典で、あの方から声をかけられて……」

「どなたです?」

「ミス・エミリア・コードン。シュアゼル子爵のご令嬢で、ご本人が女相続人でもある方よ」

 俺の情報網では、お嬢様とはほとんど交流のなかった方だ。

「確か、ご学友の中でもご身分はさほど高くないながら、ルーフレン殿下やデンバーハート伯爵令息、富豪の郷紳の後継であるミスター・ライゼモン、メイウッド侯爵の弟君であられるジョーヘイン教授……他にも色々聞こえてきましたが、とにかく男性からの人気が高く、華やかな噂のある方でしたね」

「詳しすぎるわよフレド……今あげた核心をついた顔ぶれはどこからきているの?あなたもしかして何か知っているの?」

「何かと申されましても。お嬢様の身辺の情報の収集は私の職務でもありましたので」

 核心ってなんのことだ。

「そのエミリア様が何をおっしゃったのです?」

「女王陛下の謁見、楽しみですね、って」

「ほうほう。それで?」

「それだけよ」

 それだけ?

「至らぬ身で大変恐縮ですが、どうしてもわからないのでお尋ねします。それの何が、お嬢様をそこまで不安にさせるのです?」

「あぁ……前提が噛み合わないってつらいわ……さっき話した私の悲惨な未来は、全てそのエミリア嬢と、殿方を取り合った結果もたらされるものなの」

「殿方を取り合った?!」

 お嬢様が?

「馬鹿な。そんなことをなさっていて、私の耳に入らないわけが」

「ええ、していないわ」

 してないんかい!

 は、つい育った土地のなまりが。

「話の順序が悪かったわね。つまり、私の見た啓示では、殿方をエミリア嬢と取り合う過程で悪行を働いて敵を作ってしまうの。そして、女王陛下の謁見でエミリア嬢と婚約者の殿方から追求を受け、断罪されることになっていた」

「それで、『女王陛下の謁見、楽しみですね』?」

「それよ……この名に誓ってエミリア嬢に危害は加えていないけれど、どんな罠が待ち受けてるかと思うでしょう」

「デビュタントですから、単に言葉通りの意味で楽しみにしていらっしゃるだけでは」

「その確信が持てないから、姿を隠そうとしていたんじゃないの」

 ようやく話がつながってきた。


「お話も荒唐無稽ですが、発想も斜め上でいらっしゃいますね。女王陛下の謁見をすっぽかして、そのままシーズンの間中、雲隠れなさるおつもりだったのですか」

「そんなことをしでかしておいて社交界に戻れるとは思っていないわ。しばらく隠れたあと、どこか安住の地を見つけて慎ましく暮らそうかと」

「それって、先ほどおっしゃっていた悲惨な末路とあまり変わらないのでは」

「ジェインはそれなりにまともな殿方を見つけて求婚されていたし、なんとかなるかしらって……」

 だから誰だよジェイン様って。

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