CHU2ーいんぐーグミ~蘭蛇帝編~

飯沼孝行 ペンネーム 篁石碁

第1話  【亜无羅】


 その時、太平洋ハワイ諸島沖北東20㎞の洋上を飛行する、メゾン【アニエス=VE-DA】戦艦【斑鳩いかるが】の艦内に、非常警報が鳴り響いた。

「海賊メゾンですなぁ。九条様、恐らく狙いは【亜无羅アムラー】かと……」

と、前右大臣天時悠紀宗さきのうだいじんあまときのゆきむねがサブキャプテンシートに座る艦白(副艦長)の九条御息所に告げると、


「帝御不在の今、【亜无羅】は是が非でも我らで護らねばならぬっ!」

 九条は檄を飛ばした。    


「ハッ! 『灑音流の伍番』 散布急げっ! 香電磁結界形成後、直ちに蘭蛇帝発進っ!」

 艦白九条御息所の左に近侍している左大臣天時早紀宗の命令を、各員が復唱する。


〃非常警報発令! 全ての殿上人は速やかに第一戦闘態勢に移行してください!〃


 スピーカーから流れる菊乃少納言の透き通ったメゾソプラノが、格納甲板脇の右近衛府の一室で藤乃中将相手に将棋を指し、暇を持て余していた右近衛大将J・Jの耳朶を打つ。


「あ~あ。下界に降りてよ、この水着で男達の視線を奪い捲ってやりたいところだぜ」


 と、ブーたれていたJ・Jが、王将の最後の砦だった金を藤乃中将に奪われた、その矢先の事である。J・Jが着ているのは、アニエス=VE-DAの春・夏コレクションで発表された水着、『限りなく透明に近いブルー色』のアメリカンスリープタイプのワンピース。それも、とびきりハイレグのものだ。


「よっしゃあッ! 行くよ、藤乃!」  

     

「ったく、負けそうになるとこれだ・・・。今行きますよ!」


 星一徹よろしく将棋盤を引っ繰り返したJ・Jは、自慢の長い黒髪をポニーテールにしながら、藤乃中将と共に間髪入れずにデッキに飛び出す。そして、愛機スキュラッド・ヴァインの修理をする修理亮のR中D酎の頭を土台にしてコクピットまで跳躍した。


 蘭蛇帝。それは、全長30m程の人型、或いは獣型の機械化明王の事である。


 整備ロボットであるR中D酎が、天井に向かって振り上げた両手両指に付いているプラスマイナスのネジ回しを高速でグルグル回転させる。


「マダ、修理ガ終ワッテゴジャリマセ、ガピッ!」


 R中D酎の頭に、J・Jの投げたスパナがぶち当たる。

 J・Jが、部下の藤中将(♂)と勘解由少将(♀)が己の蘭蛇帝に搭乗したのを開いたハッチから視認した時、コクピットの通話モニター上に菊乃少納言の愛くるしい顔が映し出される。


「J・J。敵戦艦から蘭蛇帝が発進したわよ。計十機。よろしくね 」


「あいさっ!」


 左近衛府大将ギャッツビーの蘭蛇帝ファジーゲイルが一足先に大空に飛翔した。続いて、


「カタパルト接続! 右近衛大将J・J! 行くぅぅっ!」



「カラムージョ様ぁ~! 禁裏に手を出すなんて逆賊になってしまいますよぉ~!」

「ズコッ! 馬鹿をお云い! この《浅草橋やんやん歌う洋品屋》はのっぴきならないところまできてるんだ! 人間の服は全然売れず、作るのは亜人種、矮人種の着る服ばかり!」 


 ズッコイネンとゴクドエフスキーは、恐る恐る逃げ出す準備……。


「キーッ! ど、どおしてっ! どうしてこの美しいアタシがあんな、ブースカ、スカプラチンキな野郎共の服をデザインしなきゃならないのさっ!」

 カラムージョは、天井に向けた指先に思いっ切し力を入れて、ウネウネさせている。


「-それにオーナーの命令なんだよ! あのお人達に逆らったら、アタシラがお仕置きされちまうんだ! 【亜无羅】を手に入れ、伝説にあるこの世で最も美しいと云われるグミを捜し出したら、そいつを専属モデルにして、この浅草橋やんやん歌う洋品屋が世界のファッションモード界の頂点に君臨するんだよッ!」


「へいっ!」


「それにさ、此処だけの話、斑鳩に帝はおられないっていう情報を掴んでるんだよ」


 ズコとゴクドに内緒話のカラムージョ。


「だけど、あの女には決して知られるんじゃないよ。あの女、帝に大層な恨みがあるみたいだからね。斑鳩に今上帝アニエス=ヴェーダがいないとわかったら、仕事放り出してしまうだろうから」


「へい!」


 と、その時だ。

「カラムージョ様! アニエス=VE-DAから蘭蛇帝が出てきましたぜ!」 

 アイパッチをしている測量士の言葉に、三人は一斉にメインモニターに釘付けになった。


「カラムージョ様っ!」


「慌てるんじゃないよっ!」

 

 と叫び、カラムージョはゴクドエフスキーの頭をしこたまた叩くと、通信モニターを開いてヒステリー気味に怒鳴った。


「さぁ、出番だよ! 大枚はたいて雇ったんだ。しっかり働いとくれっ!」


 カラムージョが雇った傭兵。さぞやゴツイ男かと思えば、そのモニターに映し出されているのは可憐な少女であった。カタパルトデッキ上の蘭蛇帝のコクピットに座るその少女はニコリともせず、通話モニターからカラムージョの厚化粧の顔を消した。


(云われなくても働いてやるさ。あの男に復讐する為なら何だって……)





「……」


 その青年はただ瞑目し、斑鳩の紫宸殿の上部デッキで風に吹かれていた。そして、その青年の側には細面の初老の男が鼻をクンカクンカ鳴らしている。


「どうした、更紗? 何か匂うのか?」と尋ねたのは、カイゼル髭がおちゃめなジジイ、もとい、織部省創香寮創香頭である沈香である。そして、腰にまで達するワンレングスの髪を風にたなびかせている美青年が、創香助の更紗である。

 二人が此処で行っているのは索敵。つまり匂いを嗅ぎ分け、敵味方の識別、方位と位置を探るのだ。創香頭沈香に至っては、半径百㎞以内の全ての存在を感知する事が出来る。これは、類い稀な鋭い嗅覚力と、百万以上の匂いを全て覚えている記憶力がなければ出来ない事である。ただ、二つ彼ら創香寮の超人的嗅覚から逃れる方法がある。先ほど斑鳩が、『灑音流の伍番』を噴霧したように、別メゾンの香水を噴霧して敵に識別されるのを防ぐ方法。また、水中に艦を沈める方法。そして、想像を絶する程強い香りを全周域に散布する事によって、己の匂いを感知させないようにしたり、敵の創香頭の嗅覚を麻痺させたりする方法である。


「何じゃと?」


 沈香は更紗の方をギョッと振り返った。更紗という名の青年は一言も言葉を発してはいない。が、沈香は更紗の言葉を聞いた。

 香道の世界では香りを嗅ぐとは言わない。香りは聞くものなのである。

 また、天台大師(最澄)の法華玄義という仏典には、


『……衆香土の如きは香を以て仏事と為す、此れ偏に香を用って経と為す』


 とある。つまり香りが言葉となる世界の存在。 更紗と沈香は、汗の分泌量を調節、己の体臭を以て言葉とした意志疎通が出来るのだ。


「わかった!」


「敵メゾンより発進した蘭蛇帝拡大します! っ……! こ、これはっ!?」


「どうした?!」と、前右大臣天時悠紀宗がクレーン上の測量士を仰ぎ見ると、


「あ、あれは、あの蘭蛇帝はっ!」

 

 測量士は声を上ずらせながら、敵蘭蛇帝をズームアップ。正面モニターに拡大された敵蘭蛇帝の姿に、紫宸殿の全ての殿上人は戦慄を覚えた。


「ま、まさかレナウン娘かっ!」


 愕然とする左大臣天時早紀宗の耳に、更に追い打ちをかけるように、


「ミサイル第一波来ますッ!」


「麻宮! 回避運動! 面舵だっ!」


 操舵手の内大臣唐裁麻宮が、艦白九条御息所の言葉に従って操舵輪を回す。だが、


 ドウッ!


「右舷、襲芳舎すおうしゃ周辺に被弾ッ!」

  

「被害状況知らせ! 雷鳴壺かみなりつぼの更衣》は無事かっ?!」


 菊乃少納言に叫び、艦内チェックモニターで煙を上げる襲芳舎の状況を食い入るように 凝視している九条の目に、目ん玉丸くして頭にひよこ回転ピヨピヨ状態の梅壺うめつぼの更衣御法を引きずっている、顔中をススだらけにした雷鳴壺の更衣【あじゃら】の姿が映った。

 

 『更衣』。それは帝の専属モデル、即ち『魔奴宦まぬかん』の階級であり、中宮、女御の下に位置するモデル達である。


「無事かじゃねえぞ九条! 一体どうしたんだよ!」

「只今敵と交戦中……」と、言い掛けた九条の耳に、

「ドンパチかッ!」

 九条の耳、ツーン……。

「妾も出るぞッ!」

 九条は今度は耳を塞いでいる。

   

 その時である。後宮の庶務を管轄する尚侍司の汗衫が、桐壺きりつぼ更衣簾レン、梨壺の更衣簾レンを引き連れてやって来た。


「戯様! 我が儘を申されますな! さ、早く! 退避ブロックへ!」


「嫌じゃ、嫌じゃぁ~んっ! 妾も出る~ぅっ!」と腰をクネクネ。


「出る、出るとおっしゃられても、帝がおはしませぬのに、どうするおつもり……」

 

 と、汗衫かざみが言い掛けたところで、九条の声が飛んだ。


「汗衫ッ!」 


「あっ!」と、思わず口を押さえた汗衫に、


「帝がおられないとはどういう事ですか?」と、簾=歌が詰め寄った。


「そ、それは……」言句に詰まった汗衫の側で、戯がモニターの九条に眼光を光らせる。


「九条・……。一体どういう事だ、説明して貰おうじゃねえか……」


 ドスの効いた声と指を鳴らすポキポキ音が九条の前の通話モニターから聞こえてきた。そして、画面には戯に簾=歌、簾=能の顔がドアップで九条を睨めつけている。

 一瞬静まり返った紫宸殿に、外れたミサイルの爆音が轟き、咲かせた爆炎の赤い花の光が九条御息所の白磁のような肌を一瞬朱に染め、逓減消滅していった。


「……帝は、


……アニエス=ヴェーダ様は……」  





「アニエス=ヴェーダは何処だぁっ!」


 レナウン娘隊長、リョウの蘭蛇帝ルシェンテが、九機の蘭蛇帝を従えて斑鳩に上空から急速度で接近した。左近衛府醍醐中将のシャガールが、ルシェンテに斬りかかったが、触れる事すら出来ずにその香電磁結界に弾き飛ばされる。二つの結界が衝突した場合、より強くより多い量の香分子を持つ結界の方がその干渉を跳ね返す。ル

シェンテは、実に150万Pah《パーセクハイド》の香分子量を持つ香水『白夜の虹』を常に散布して香電磁結界を張っていた。それは、シャガールのそれより三倍を裕に越す数字である。

 蘭蛇帝ルシェンテが、両腕を前に突き出す。その機械の掌が唸りをあげて発光した。   


「……縛日羅 《ばさら》セロフィース 摩訶呂尼瑟闍 吽發咤まかろひにっしゃうんはった! 胎蔵界闇曼陀羅灑音流院に座する闇の明王に命ずる!」

 

  リョウの詠誦と共に増大する光が、虚空から紫電を纏った絲を紡ぎ出す。

    

「鳳雷怨咒ッ《ガジュライヴァー》!!!」


 周囲に突如颶風が起こった。ルシェンテの掌から紡がれた紫電の絲が、閃光のように煌きながらギャッツビー達左近衛府の各蘭蛇帝に襲いかかる!。


「いいじゃないかぁ~ん! もっと、もっと、打ちまくるんだよぉっ!」


 と、レナウン娘達が有利に戦闘を進めている状況をモニターで確認して上機嫌のカラムージョ。


「アラホラサッサーッ!」

(クーッ!懐かしいッ!)


「ミサイル第二波来ますッ! 距離2000ッ!」

 という測量兵の言葉に九条は指示を出さず、モニターを通して戯達五更衣と対峙していた。


「……帝は、……アニエス=ヴェーダ様は、……行方不明だ……」


「!!!!!!」


 ドサッ。


 その言葉に簾=歌と簾=能が卒倒した。


 ガシャンッ!


 その言葉に戯がキレタ。


 御法は以前パーチクリン。


 九条のモニターの方へ突き出てくるんじゃないかと思うくらいの勢いで、戯の鉄拳がモニターを破壊した。だが、九条はまるで何事もなかったかのようにインターカムを取って、


「機銃何をやっている! J・J! ギャッツビー! 敵蘭蛇帝を懐に入れさせるな!」


〃わぁってるよっ! ……そう、怒鳴りなさんなって。美容に悪ぃ、ぜっ!〃

 ああいう状況でも戦況を把握していて、直ぐさま的確な命令を下す九条御息所。流石、とも言えるし、当然、とも言える。そうでなけなければ、艦白としてメゾン《アニエス=

VE―DA》の全権を関り白す事は出来ないだろう。


「ママの敵だ! 死ねぇーっ! アニエス=ヴェーダァッ!」

 リョウのルシェンテが、左近衛府の各蘭蛇帝を退けながら、まるで特攻するかのようなスピードで斑鳩に迫る!


「カラムージョ様! あの女、まさか特攻する気じゃ 」


「馬鹿をお云い! あの中には《亜无羅》が眠ってるんだ! ズコ、サッサと呼び出すんだよ!」


「ダメでさぁ! 回線切ってます!」


「キーッ!」




 と、その時である。創香頭の沈香が紫宸殿に上がってきた。

「九条! アニエス様の居場所がわかったぞ!」

「沈香殿! それは真かッ?!」

「ああ、間違いない! 更紗がアニエス様の香りを聞く事が出来た!」

「な、何だってっ?」

 そう叫んだのは《雷鳴壺の更衣》の戯である。

「げ! 雷鳴壺! いつのまにっ!」

 と沈香が後ずさるが早いか、その襟を締め上げる戯。

「ど、何処だ! クソジジイ! さっさと吐きやがれッ!」

「く、苦ちい……」

「戯! 止めろ!」

 九条の言葉に戯は渋面を浮かべて従ったが、荒い息遣いで今にもまた襲いかからんとする状態である。そんな戯を前にして、沈香は九条の目をちらりと見てから、


「ゴホッハッ! と、東経60度、北緯47度、此処から北北西に1万5千㎞の場所、アラル海の辺りからバイカル湖方面へと向かっておる!」

「プレタポルテ自治共和国だというのか!?」

「だがそれだけじゃないんじゃ! 帝の香りのあとを追うように、新撰組が動いている!」

「何だと!」

「九条様! 一刻も早くお助けにいかなければ!」と左大臣天時早紀宗が叫ぶと同時に、

「来ます! 蘭蛇帝っ!」というオペレーターの絶叫! 

 リョウのルシェンテを先頭にするレナウン娘が、斑鳩防衛に回っていたJ・J、藤の中将、勘解由少将に迫り来る! だが九条は、顔色一つ変えずに厳かに呟いた。


「……源氏物語 N022 『玉鬘たまかづら』を散布せよ」


 源氏物語とは、勿論日本古典文学の至宝『源氏物語』をモチーフにした、メゾンアニエス=VE―DAの香水である。その『N022』、即ちナンバリング22『玉鬘』を散布するという事は、ある事を意味していた。


「き、危険ですっ! お止め下されっ!」ギョッとして振り向き、九条を制止しようとした前右大臣天時悠紀宗の前で、九条の座するクレーン上のシートが上昇していく。そして九条の躰は天井の三重ハッチから艦外に出て、紫宸殿の上、艦橋構造物の頂上にある『星見の庭園』と呼ばれる甲板に現れた。その背後で、創香助の更紗が跪いている。


「……!」


 リョウは、ルシェンテのモニターに映し出された、空火照りに染まりながら長い黒髪とその衣装を風に棚引かせる九条御息所の姿に瞠目した。


 その時、斑鳩の船首にある女神の船首像が、息吹を吹き込まれたかのように動き出し、まるで睦言を囁くような妖艶な仕草で、緩やかにその呼気を吐き出す。薄紫色をした甘い香を孕んだ禍禍しい息吹が、次第に斑鳩全体を覆い尽くていく。そして、紫宸殿の上に立つ九条御息所の口唇から音曲のような調べの和歌が流れ出る。


玉鬘 いや遠長とおながし 闇に


火水かみ曲霊まがつひ 来たりて従え

 

 九条御息所が神咒を詠誦し終わるや否や、「・・・怨怨怨怨~んッ!」という怨嗟の言霊が四方空間を雄走る。常永久の闇より生まれい出し邪霊の怨念が微玄子を振動させ、聞く者の肌を泡立たせた。玉鬘の香を媒体にして召還された羽衣を纏った妖艶なる女人のような冥府邪神が、斑鳩を中心とする空域をどす黒い邪気を撒き散らしながら飛び回る。


「クッ……! こ、これはッ?!」


 リョウの顔に驚愕の表情が浮かぶ。

 その曲霊が、レナウン娘の蘭蛇帝に巻き付きその動きを拘束する。内部まで入り込む曲霊の霊子により電気系統ショート、その動きは完全に沈黙し、次々とハワイ・カウアイ島に落下していった。キラウェア火山の火口から噴煙が立ち上っている。


「動けっ! 動けっ!」


 必死にレバーを上下させ、スロットルを踏み込むリョウのルシェンテ》から離れた曲霊は、更にメゾン浅草やんやん歌う洋品屋戦艦帝釈に襲いかかる。


「ヒーッ!」 

 カラムージョは、ブリッジの中を奇声を上げて走り回り、その後をズッコイネンとゴクドエフスキーが追いかけている。


「ドヒーッ! あのお方にお仕置きされるーッ!」

 ボカンッ!

 母艦が大音響を上げて轟沈する光景が映るモニターに、リョウは拳を叩きつけた。

 J・Jのスキュラッドヴァインが、止めを差そうと、冴え冴えと白銀に光る刀を刺突の構えにして上空から急降下したが、左大臣天時早紀宗の命令が飛ぶ。


〃J・J! 無益な殺生は止めろ! 直ちに帰投するんだ!〃


「チッ!」と舌打ちしたJ・Jは、ハワイ・カウアイ島の密林に巨体を横たえ関節部分から白煙と火花を上げたレナウン娘の蘭蛇帝すれすれまで降下し、急上昇をかける。

 ルシェンテの艙口が開き、姿を現したリョウ。闇に染まりつつある東の空へ現空域を離脱する《斑鳩》に帰投しようとする蘭蛇帝の航跡を見つめ、リョウは心で呟いた。


(……必ず、ママの敵を打ってやる!)


 御法 「ヤッター! ヤッター! ヤッター・・・っ! モガモガっ(それ以上は言うなとばかに、簾=歌に口を塞がれる御法ちゃん)」


 戯  「ざまあカンカン河童の屁だぜ! しっかしアタシが出てれば、レナウン娘だか何だか知らねえけどコテンパンのギッチョンギッチョンにしてやったのにさ!」


 紫宸殿では、敵を退けた事への歓声が沸いている。だが、

「フー……。しかし、玉鬘を散布した事で、帝の香りも消えてしまいましたな」

 沈香はカイゼル髭を撫でながら呟いた。

「!!!!!」一同の喜びのダンスがピタリと止まる。

「沈香! て、てめえ、そりゃ本当かッッッ!」

「グ、グルジィ……」

 またもや沈香を頭上に持ち上げ泡吹き状態にしている戯が、『星見の庭園』から降りてきた九条の姿を見るや否や、沈香を無造作にポイっと放ると、腕組みして九条に正体した。

「……九条。さぁ、説明して貰おうじゃねえか。帝が行方不明たぁどういう事なんだよ!」

 戯の怒声と、その他の更衣達の自分を睨む視線を背に受けながらシートから降りた九条は、フロントウィンドゥ越しに、既に晦晦となった東の空を見つめた。

「九条、てめえ聞いてんのか! オイッ!」

 九条に詰め寄ろうとした正にその時!

「それは私が説明いたしまする・……」

 絹擦れの音を淑やかに鳴らし、傾城の美貌の女性がお付きの女房を連れ紫宸殿に現れた。


「藤壺様!」


 声を上げたのは尚侍の汗衫である。


 藤壺。今上帝アニエス=ヴェーダ専属モデルであり、『飛香舎《ひきょうしゃ』』、つまり藤壺の間に住まわっている事から藤壺の更衣と呼ばれ、五更衣の中でリーダー的存在である。


「……帝は、先帝を捜しに行かれました……」


戯  「なッ?!」

簾=歌「せ、先帝を! それは一体?」

簾=能「せ、先帝を! それは一体?」


「今お話出来るのはここまでです。帝が単独で行動されている事は、太政官の方々と尚侍の汗衫殿しか知らぬ事。ですから、あなた達もこの事は内密にして貰わねばなりません」

「そうじゃ。特にあの方に知られるとちとまずいのでな」

 前右大臣天時悠紀宗が藤壺の言葉を次いだ。そんな会話を九条は黙って聞いている。

 一瞬、納得したような顔付きを見せた戯だったが、

「だが納得いかねえ・・・・・。何故アタシラには知らされなかったんだよ!」

 左大臣天時早紀宗がそれに答える。

「当然の事だ。戯、お前は必ず帝を捜しに行くと云って暴れだし―」


 ギクッ!


「簾=歌と簾=能は、寂しい、寂しい、と泣きながら艦内を歌い、能を舞い歩き―」


 ギクギクゥッ!


「御法は空気より軽いお喋りな口」


 ギクギクギクゥッ!


「帝が行方不明だという事は絶対に艦内に漏れてはまずいのだ。特にあの方の耳に入ってはまずいのだよ。中宮様のな」

 悠紀宗が言葉を求めるように九条の方を向く。 

 前右大臣天時悠紀宗、左大臣天時早紀宗、内大臣唐裁麻宮。そして、藤壺、簾=歌、簾=能、戯に御法の五更衣。創香頭の沈香、通信士の菊乃少納言や測量士達、紫宸殿の殿上人全ての視線が、艦白・太政大臣九条御息所に集まる。


「……先帝の将軍宣下を受け、聖衣大将軍となったカイル=ルガーフェルド。天下六十余メゾンがそれぞれ幕府を開き、武力をもってして己のメゾンのデザインした服を広めようとした戦国乱世の中、カイル=ルガーフェルドが、我がメゾンの聖衣大将軍として天下を統一したからこそ、我がメゾンが創り出した服を天下万民が着るようになった……」



「だが、帝は悩んでおられたのだ。果たしてこれでいいのだろうか。本来人は自分が着たいものを着るべきなのではないか、と。我々だってそうだ! デザインするからには喜んで着て貰いたい! しかしだ! カイル=ルガーフェルドは身分により着る服を法定化し、 それに従わない者を異端服改いたんふくあらためで取り締まる! カイル=ルガーフェルドのやろうとしている事は―」

 という左大臣天時早紀宗の言葉を継いで、彼の父である前大臣天時悠紀宗が声を荒げた。

「違うぞ、早紀宗よ。カイル=ルガーフェルドというよりも、今の幕政を取り仕切っているのは側用人の鷹宮家伊勢守信元だ。奴が新撰組を牛耳り、開服運動やノーブランド運動を行う志士を弾圧、彼らの思想的指導者を牢獄に送り込んでいる!」

 後世で言うところの『伊勢の大獄』である。 

 俄頃がけいの冷たい沈黙が、紫宸殿を支配した。重い空気が皆の肩にのしかかる。そして次の瞬間、九条御息所の薄紅を引いた口唇から思いがけない言葉が生まれた。

「……今世界各地では、聖衣大将軍ルガーフェルドに叛旗を翻した幾つかのメゾンが倒幕の為に動いている。そして、必ず彼ら倒幕勢力は帝から倒幕の密勅を得ようとする筈だ」



                  倒幕 


 

倒幕という九条の言葉が、此処にいる者達の心に衝撃を与えた。吸収出来ない程の衝撃をもって、その誰もの心悸を激しくさせている。確かに朝廷たるメゾンアニエス=VE-DAをないがしろにする幕府、カイル=ルガーフェルドに対する不平不満はある。が、カイル=ルガーフェルドに開幕させたのは自分達なのだ。もし、カイル=ルガーフェルドによって天下万民が苦しんでいるのなら、その責任は開幕させた自分達にあるのだ。ならば! 自分達で撒いた種は自分達で刈り取る! 此処にいる誰もが己の心の奥で倒幕を考えた。だが、それを口には出来ずにいた。しかし帝アニエスは、如実にそれを感じ取っていた。自分が帝としてどう決断すべきなのか、遅疑逡巡していた。そして、「先帝を捜す」とだけ言い残しての行方不明……。




「我々が、帝を追い詰めてしまったのかもしれぬ……」




 九条の、臓腑から吐き出すかのようなその呟きが、皆の心に罪悪感を感じさせた。


 佐幕か、倒幕か……。


(全ての鍵は、《亜无羅》と先帝、そして……あの子が握っている……か)



「《斑鳩》! 最大戦速で新撰組を追うッ!」



第一話 了

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