マコト 第5話

 興奮した状態でケガをしても、その時は痛みを感じないこともあると聞くが、心の傷も同じのようだ。


 いつもの職場なのに普段より暗い気がする。時々ポジティブな言葉が思い浮かんでくるけれども、すぐにネガティブな言葉が吹き飛ばしてしまう。


 やっぱり、オレって終わってるのかな。


 ダメだダメだ。いつまでも考えていたって仕方ない。今は仕事に集中しておこう。


 オレは美郷さんの部屋を訪れる。彼女は変わらず気品を感じさせる顔で座っていた。オレは美郷さんの髪をとかす。


 よし、髪は綺麗に整ったな。さて、今日はもう一つ用意してるんだよね。オレは手元のポーチを取り出す。中に入っているのは化粧品だ。


 この前、髪を整えた時に美郷さんから「ありがとう」だなんて言われたもんだから、もっと何かしてあげたいなと思って用意してみた。


 じゃあ、一丁やってみるか。


 オレは美郷さんの顔にメイクをはじめる。基本的に自分では化粧なんてしない。だが、以前ノリでやった時にメイクの先生から「いいセンスしてますね」ってほめられたので、ちょっと自信はある。


 とはいえ、慣れている訳じゃない。簡単なものだけにしたが、なんだかんだいって三十分くらいかかってしまった。


 女の子は毎朝これやってるんだよな。大変だ。でも、こんなに化けるんだったらする価値はある。うん、我ながら良い出来だ。元々の素材が良いっていうのもあるんだろうけど。こうして見たら、夜の街で美郷さんが活躍していたっていうのも納得だ。きっと女王様として君臨していたのだろう。


 でも、今はこんなところに一人放り込まれている。お付きの家来もオレみたいなのしかいない。明日は我が身。そんな言葉が胸に浮かぶ。若さを失いつつあるオレは身の程をわきまえて、妥協した方がいいのかもしれない。みんな若い子が好きだもんな。


「年齢なんて所詮数字。若さは時価に過ぎない。本物は年を重ねて一層輝くものよ。数字に惑わされる愚か者など捨てておきなさい」


 テレビでも付けてたっけ。周りを見回したが、この部屋にはテレビもラジオもない。いるのはオレと美郷さんだけだ。


 ん?もしかして美郷さんが言ったのだろうか。この前聞いた声を一生懸命に思い出す。うん。オレの記憶間違いじゃなければ、さっきの声は美郷さんだ。


 どういう意味だろう。うーん。若さは失われてしまうものであって、その人自身の価値じゃないってことか。いつかなくなってしまうものをありがたがるような奴は放っておけってことだよな。で、歳をとったからこそ出てくるような魅力を磨きなさいって言いたいんだろうか。


 でも、オレに歳相応の魅力なんてあるのかな。


「自分の魅力は自分自身ではわかりにくいものよ。歳を重ねてもなお求められるならば、それはあなたが本物を持っている証拠」


 さっきと同じ声だ。今度はちゃんと美郷さんが口を動かしているのを見た。オレは何も言っていないのに、今回も心を読んだようなセリフだ。


 まさか。ただの偶然だろう。


 あっ。もしかしたらお化粧がスイッチになって、従業員の女の子達に指導した頃に戻っているのかもしれない。


 ドアをノックする音がした。


「はぁい」


 オレが答えたら、チーフの高槻さんが入ってきた。


「マコトくん、そろそろ交代の時間よ」


「わかりました」


「あれ。美郷さん、今日はお化粧してるのね。これ、マコトくんがやったの?」


「そうです。まずかったですかね」


「うーん。サービスの中でそういうことをする施設もあるわよ。資格がいる内容でもないから問題ないとは思うけど」


 大丈夫なのかよくわからないが、見つかったのが話のわかる高槻さんで良かった。


「それにしても上手いわね。良かったら他の利用者さんにもやってみない?みんな、喜んでくれると思うわよ」


「そうですかね」


「メイクをしてる時に美郷さん、抵抗した?」


「特に何も」


「じゃあ、満足してる証拠だわ。ダメだったら凄い抵抗するもの。美郷さんを納得させられるなら、他の利用者さんもお願いできるわね」


 そっか、認めてもらえたのか。ちょっとしたことだけれども顔がニヤニヤしてしまう。


「そうですか。お化粧をした後に美郷さん、お話をしてくれたんですが感想じゃなかったので、どう思ってるのか心配だったんですよ」


「へぇ。美郷さんがお話してくれたんだったら、喜んでるわ。ちなみに、何を言われたの?」


「えーっと。あんまり脈絡のないことです。でも、丁度考えてたことのアドバイスみたいな内容でした」


「ふぅん。そういうことたまにあるのよね。あと予言っぽいことを言ってる時もあるけど」


「何なんですか、それ?」


「この前は'交差点では気をつけないさい'って言われたから、何かなと思ってたらその日の帰りにちょうど交差点で事故に巻き込まれそうになったのよね」


「マジですか」


「本当よ。あの時言われてもなかったら、私ここにいなかったかもしれない」


「そんなことってあるんですね」


「不思議よね。って、引き留めちゃってゴメンなさい。メイクは私が頃合いをみて落としておくわ」


「ありがとうございます。落とさなきゃいけないこと、あんまり考えてなかったです」


「後のシフトが私で良かったわね。他の女の子だったら、美郷さんに触るのに一苦労だし、暁くんはメイク落とし出来ないだろうから」


「本当ですね。今度から気をつけます」


「そうね。まあ、今日はいいわよ。お疲れ様」


「お疲れ様です」


 挨拶をして控え室に戻る。帰る準備を済ませ、外に出るとオレはスマートフォンをチェックする。一件、メッセージが入っていた。


 送信者はレオくんだ。旅先で知り合って、同世代のゲイということもあって仲良くなった。


 はじまりはたったそれだけの関係なのに、こうやって時々連絡をくれるなんて相変わらず律儀だな。内容は来月こっちに来るタイミングで飲もうというお誘いだった。前回会ったのはどのくらい前だっけ。久しぶりのチャンスだ。今からだったらスケジュールの調整も出来るだろう。オレは返事をする。


「レオ、久しぶり。予定多分大丈夫だと思う」


 帰りのバスが来た。乗って、席に座るとスマートフォンがメッセージの受信を報せる。


「オッケー。じゃあ、久しぶりに飲もうぜ」


「了解。こっちも楽しみにしてるよ」


「マコト、最近どんな感じ?」


「あんまり変わりはないかな。この前、コッチの合コンに行ったくらい」


「マジで。お前も合コンなんて行くんだな」


「友だちに真面目に相手を探すなら、そういうところの方がいいんじゃないかって言われてさ」


「そうなんだ。で、どうだった?」


「途中で帰って来ちゃった」


「マコトらしい」


「あんまりいい相手もいなくてさ。どっかに素敵な歳上が落ちてないかな」


「だな。でも、俺たちの歳になると、まともなヤツを探すのは難しくなってくるよ」


「なんで?」


「良いものから売れていくのが自然の摂理だろ。だから、残っているのはやっぱり何か問題があるんだよ。もちろん、そうじゃないレアキャラもいるけど」


「たとえば?」


「最近、長く付き合ってきた相手と別れたばっかりとか」


「ってことは、オレも問題あるから売れ残ってるってこと?」


「問題ありって言っても程度の差はあるだろ。マコト、安定よりも遊びたい感じじゃん」


「そっか」


「そそ。コミュニケーション能力が低めってだけでも余っちゃうから。逆にいうとその辺りにはお宝が眠ってることもあるけどね」


 頭の中にシュウジのことが思い浮かぶ。あいつも持ってるものは良いのにあんまりモテないよな。まだリョウマのことを引きずってるんだろうか。そういえば、この前も一緒にいた。アイツもああ見えて、恋愛ではしつこい奴だもんな。


「一人思い当たるヤツがいる。にしても、いろいろ考えてるんだな」


「元が良いヤツはあんまり考えなくてもいいんだろうけど、並みの男は戦略的に動かないとダメなの」


「ふぅん。ちなみに、レオは最近誰かいるの?」


「うん」


「どんな人?」


「十歳年下なんだけど、かわいいんだわ」


「かなり下じゃん。話、合う?」


「ああ。前は年下なんて無理だと思ってたけどさ。実際に付き合ってみたらむしろ良かった」


「そうなんだ。どの辺りがいいの?」


「年上だと足りないところが気になるけ

ど、年下だとむしろそれが可愛いって思えるんだよね。話だって、付き合えば二人の話題が中心になるだろ」


「そっか。オレも今度は年下で探してみよっかな」


「いいんじゃね。付き合ってみないとわからないものもあるからな」


「勉強になったわ。来月の件はまた確認しよ」


「おう」


 やり取りを終えて、オレはスマートフォンをカバンにしまう。そっか。年下を狙った方が良いのかもな。今度のユウキに紹介された恋活イベントで早速試してみるか。

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