マコト 第1話
グラスの水が身体の熱を沈めてくれる。電気はついていない。でも、外の明かりでうっすら部屋の様子がわかる。
部屋に入った時には気が付かなかったが、見慣れないモノトーンの机があった。海外製だろうか。凝った作りだ。ベッドの袖机にグラスを置いた時、ガチャリとドアが開く。
「タカヤ、これ新しく買ったの?」
オレはこの家の主、タカヤにたずねる。
「ああ?その机ね。そうそう。暇潰しがてらショールームでぶらぶらしてた時、一目惚れしちまって即決だよ。ちょっと高かったけどな」
「相変わらず金払いがいいね」
「誰かに財産を残す必要がある訳じゃないんだからいんじゃね」
「まあね」
タカヤはタバコを咥えながらソファに座り、持ってきたビンの中身をグラスに注いだ。赤い液体の中をシュワシュワと音をたてて、小さな泡が上がっていく。
「それ、何?」
オレはベッドを降りて、タカヤの隣に身体を沈み込ませる。
「マコト。お前さぁ、俺みたいにせめてパンツぐらい履けよ」
「いいじゃん。今更だろ」
「このソファ高いんだぞ」
「うん、知ってる。で、これ何?」
オレの言葉にタカヤはため息をつく。
「お前ってそういうヤツだよな。ビールだよ。サツマイモを使ってるから赤いの」
「へぇ。オレにもちょうだい」
「ああ」
タカヤは飲みかけのグラスをオレに差し出す。口をつければ、確かにサツマイモの風味を感じる。だが、癖はあまり強くないので飲みやすい。
「美味しいね。それにこの赤がいい」
「だろ。マコトなら気に入ると思ってた」
「ふぅん。もしかして、オレのために用意してくれた?」
「まあな」
「ありがとう」
オレはタカヤに寄りかかる。肌が触れ合い、直に体温を感じる。
「ふふふ。惚れた?」
「ちょっとね」
「じゃあ、俺と付き合う?趣味も合うし、お前とは上手くやっていけると思うんだよね」
オレはタカヤの顔を見る。
「うーん」
くるりとした巻き毛のセミロングにヒゲ。ルックスは合格点だ。知り合って十年経つが、未だに楽しめることを考えれば、身体の相性はバッチリと言っていいだろう。お互いに好きなものが似ていて、一緒に旅行へ行っても楽しめる。
「良いとは思うんだけどさ。タカヤ、遊び人だからな」
「お前もだろ」
「まあね。でも、お互いに束縛しないでこの付かず離れずの関係だから続いてる気もするんだよね」
「それはそうかもな」
タカヤはタバコの煙を吐き出す。
「だろぉ」
そう言いながら、オレは再びグラスを口につける。だが、手元が狂って少し胸元にビールをこぼしてしまった。
「何してるんだよ」
「ごめーん」
オレがグラスを机に置くと、タカヤはその辺にあったタオルを手渡してくれた。オレが自分の身体を拭いていたら、ヤツはオレを見てつぶやく。
「それにしても、四十とは思えない身体のエロさだよな」
「歳の話はすんなよ」
「いいじゃん。誉めてるんだから」
タカヤの舌はそのまま首もとまで上がってきた。思わず声が漏れる。
「ソファ汚したくないんじゃなかったっけ」
「今さら、だろ」
タカヤは首筋を通って、耳元でささやく。お互いの身体が熱を帯びているのを感じる。
「だな」
オレはそう答えて、タカヤの舌を捕まえた。
翌朝、目が覚めるとタカヤはワイシャツにスラックスと外出準備万端の姿だった。オレは目を擦りながら、ベッドから身体を起こす。
「おはよう」
「おはよう。起きてくれて良かったよ。俺、そろそろ出掛けなくちゃいけないんだ。カギ置いてくから家を出る時、いつものところに入れといてくれない?」
「わかった」
「サンキュ。朝飯は冷蔵庫のもの、好きに使ってくれていいから。じゃあ、よろしく」
タカヤは慌ただしく出ていった。見送った後に身体をぐっと伸ばす。眠気を追い出して、オレはベッドから抜け出した。
下着を履いて、キッチンへ足を運ぶ。テーブルの上には食パンの袋が出しっぱなしだ。冷蔵庫を開けたら、卵がある。よし、これでフレンチトーストでも作るとしよう。
さっと作ったフレンチトーストにサラダとヨーグルト、即席のコンソメスープを添えた。
タカヤの家はセンスの良い食器が揃っている。写真を撮ってSNSに上げたら、きっといいねがいっぱい付きそうだ。味も上手く出来た。
食事をしながら、昨日タカヤに「付き合わない?」と言われたことを思い出す。
つい流してしまったが、あれは本気だったんだろうか。以前、同じことを言われた時には「オレに一途だったらね」と伝えた。が、それ以降も男遊びはしているようだ。
もちろん、こちらも遊んでいるんだから文句を言えた筋合いではないことはわかっている。だが、恋人だというならばせめて別の相手と遊んでいることを繕うくらいのデリカシーは欲しい。
それにしても、タカヤは何であんなことを言ったんだろう。アイツも今年で四十二歳だから保険を確保したいのかもしれない。こちらも年齢が上がっていくにつれて、相手を見つけるのが難しくなっている。
二十代の頃は黙っていても向こうからいくらでも寄ってきた。あの頃は、外で遊ぶ時に自分の財布を出した覚えがない。そういえば、お小遣いをくれるお兄ちゃんもいたっけ。
三十歳を過ぎた時は少し焦ったが、二十代前半のニーズは減ったものの実際にはそれほどモテなくなった訳じゃない。
だが、三十五歳を過ぎた頃から徐々に声が掛かる頻度が下がっていった。最初はネットでの出会いの流行り廃りの問題かと思っていたが、同じ状況が続けば現実を受け止めざるを得ない。
見た目は若く見られるので、年齢を詐称すればまだまだいけるかもしれない。だが、それもいつか限界が来るだろう。
いつまでも花の盛りだと思っていたが、気が付いたら後戻りが出来ないところまで来てしまったのかもしれない。
ユウキみたいに程よいところで相手を見つけておいたら良かったんだろうか。むしろ、ユウキにしておけば良かったのかもしれない。八年前に出会った頃は頼りない雰囲気だったので「友だちでいよう」と言って今に至る。
しかし、ソウイチロウのことをきちんとリードしているのを見ていたら、自分の見込み違いだったのかもしれない。
ユウキとは趣味も合うし、アイツは他で遊ぶということもないだろう。しかも、長く恋人として付き合う才能があるヤツだということは証明されている。
とはいえ、ソウイチロウがいる以上はユウキと付き合うという選択肢はないだろう。ってオレは何を考えてるんだ。
ユウキはぽやんとしているように見えて、無神経なところがある。悪いヤツではないけれども、鼻につく発言も多い。だから、やめたんだ。そうだそうだ。ネガティブ思考にハマると、ろくでもないことを考えてしまう。
だが、上手くやっている相手にその秘訣を聞いてみるのは良いかもしれない。幸いにしてユウキは真面目な話もきちんと聞いてくれるタイプだ。借りていたマンガも返さないといけない。オレはユウキをご飯に誘うメールを送った。
朝ごはんを食べ終えると食器を洗って、簡単に掃除をしてから部屋を出る。カギはいつものところに置き、駅へ向かう。今日は遅めの出勤で良いとはいえ、午後から仕事だ。家に着いて、サッと準備を済ませたら職場へ直行する。
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