ユウキ 第8話

 見慣れた駅を一歩出たが、見慣れたハズのものがない。ここって昔は本屋だったと思うけど、目の前にあるのは弁当屋だ。


 高校時代、学校の帰りに出たばかりの雑誌を買っていたんだけどな。記憶のかけらをひとつなくしてしまった。そんな心地だ。


 そんなことを考えて歩いていたら、いつもの待ち合わせ場所のファーストフード店にたどり着く。店の中を見ても、人影はまばらだ。今日みたいな土曜日でも、昔はもっと人がいたような気がする。この店もいつかはなくなるんだろうか。


「ユウキ」


 僕を呼ぶ懐かしい声がする。恭介だ。高校時代はスラッとしたいい男だったが、今は良いパパといった風貌だ。


「久しぶり」僕はこたえる。


「一年ぶりか」


「そうだね。陽子ちゃんが結婚した頃だから」


 僕は頭の中で数えながら返事をする。


「何か時が経つのは早いな。お前は全然変わらないけど」


「恭介は随分貫禄が出てきたね」


「うるせぇ。オレは年相応なの」


「そうですね」


「なんだよ、その言い方。お前だって早かれ遅かれ見た目もおっさんになっていくんだからな」


 こうやって学生時代のようにじゃれあっていると見た目は変わっても中身は恭介のままだという実感が戻ってくる。僕も中身は立派なおっさんだ。外見もそのうち年相応に追い付くだろう。ただ、中身は変わらない。だったらいいかな。どうだろう。


「そういえば、駅前の本屋なくなっちゃったんだね」


「あぁ?そうだな。半年間くらいだけど。どうした?」


「お前と最初に会ったのもあそこだったよなと思って」


「だな。最後に一冊残ったマンガ雑誌を取りあった仲だもんな」


「僕がすぐに譲ったじゃん」


「ああ。で、読み終わったら買い取ってもらうって約束をして、オレんちに来たんだよな。お前が女だったら、恋がはじまったんだろうけど」


「バーカ、ねぇよ」


 言われてみれば恋がはじまってもおかしくないシチュエーションだ。けれども、恭介を恋愛対象として見たことはない。恭介のことは最初に友だちだと思ったからだろうか。元々、僕の好きなタイプから外れているというのもあるが。


「だよな。じゃあ、店に行こうぜ」


「いつものところだろ」


 二人ともお酒が飲めるようになってから、会う時は安さが売りのチェーン系の居酒屋に決まっている。


「ああ。お前みたいな独身貴族様と違って、オレはお小遣い制だからな」


「三万だっけ」


「今年もう一人生まれただろ。だから、二万」


「そっか」


 結婚する前の恭介はお洒落だった。着るものに給料の半分を使ったこともあるって聞いたことがある。二万じゃそれは出来ないよな。だとしたら、この現状は当然の結果だ。だが、それは自分以外に守るものがある印でもあるのだろう。


 店に着いて、僕たちはすぐ席に通された。恭介はビール、僕はウーロンハイと軽くつまめるものを選び、テーブルに備え付けの端末で注文する。


 飲み物が来るのを待っている間、恭介が学生時代の同級生の現状を話し始めた。


 恭介も含めて、高校の友だちは地元に残っているメンバーが多いので自然と話が入って来るのだろう。


 どうしてそんなことまで知ってるんだろうというような話もあった。来年、高校受験する息子さんがいる友だちの話を聞いた時には自分も歳をとったなと実感する。


 お酒も三杯目だろうか。もう少し飲もうかパネルを見ていたら、恭介が言う。


「お前、最近どうなの」


「どうなのってまた雜だな。変わらずだよ」


「結婚はしないのか。恋人はいるんだろ」


「そのうちな」


「早く結婚してやれよ」


「そうだな。僕も考えてるよ」


 この言い訳はかれこれ五年続けているが、いつまで通用するだろう。恭介は深くつっこんでこないが、もしかしたら気が付いているかもしれない。いい加減、本当のことを言っても良いんじゃないか。薄々、わかっているような素振りを見せることもある。白状すれば、この不毛なやり取りもなくなるだろう。


 だが、喉まで出掛かっても僕は言葉を飲み込む。本当のことを知った時に、恭介がどう反応するのかわからない。言った途端に今まで積み上げてきたものがなくなってしまうと考えたら怖い。拒絶をされたらどうしよう。そして、全く下心がない思い出を恭介にそう解釈されたらどうしよう。


 大体、話す必要なんてないことだ。知ったからと言ってプラスになることは何もない。むしろ、秘密を恭介に背負わせるだけだ。だから、僕は何も言わない。曖昧なままで良いこともあるから。とりあえず、話をそらそう。


「ところで、今年生まれた子の名前って決めたの?」


「ああ。和やかな樹で和樹だ」


「へぇ、そうなんだ」


「子どもはいいぞ。いくら相手にしてても疲れない」


「ふぅん。恭介も和樹くんの面倒見てるんだ」


「もちろん。けっこう協力してるぞ。オレ、どう育って欲しいか和樹に伝えてるんだ」


「まだ一歳になってないんでしょ。わかるものなの?」


「どうだろな。でも、赤ん坊って言っても一人の人間じゃん。きちんと向き合いたいんだよ」


「そっか」


 こういうところは高校の時から変わっていない。恭介らしい。


「上の大樹もわかってる感じだったし、実際にそういう風に育ってるからな」


「幼児英才教育って訳だね」


「まあな。でも、実際には子どもに教えられることも多いよ」


「例えば?」


「大樹が博物館に行きたいって言い出したことがあってさ。でも、確実に間に合わない時間だったんだよ。もう無理だと思ったんだけど、あんまりうるさいから連れていったんだ」


「ふんふん」


「やっぱり間に合わなくて、やってないのを確認して大人しく帰ったんだけどさ。そこでオレは思ったんだよ」


「何を?」


「大人になるとわかったふりをして諦めるじゃん。でも、本当に確認したのかって。結果として、ダメかもしれない。けど、行動してみなくちゃ本当のことはわからないだろ」


「なるほどね」


「子どもを育ててると強制的に自分が試される時がある。その中で親自身も成長出来るんだ。それに自分一人のためじゃなくて、他の誰かのためって視点で物事を見れるようになる」


 子どもがいる事で身に付くことはあるんだろう。それを恭介は持っているのに、僕にはない。僕も世間並みに結婚していたら得られる可能性があることだ。でも、今の僕には閉ざされている。世の中の男たちの多くがそれを得ている中で、得られない。そんな自分は欠陥品なんだろうか。


 ソウイチロウのことが頭に浮かぶ。ソウイチロウと一緒にいることで、僕自身が子どもを持てることはないだろう。


 じゃあ、ソウイチロウと過ごすことに意味はないのか。どうだろう。ソウイチロウに僕自身を捧げたならば、一瞬くらいは彼を癒すことが出来るかもしれない。たった一人の人かもしれない。けれども、目の前の自分にとって大切な人が幸せになる手伝いをする。そんな人生も悪くないんじゃないか。


 恭介には恭介の出来ることがある。僕には僕の出来ることがある。恭介はソウイチロウを幸せに出来ない。でも、僕には出来る可能性がある。だとしたら、僕の手が届くところに幸せを増やすのが僕の役割なんじゃないか。


 そう思ったら、その言葉が自分の中にスッと入った。腑に落ちるってこういうことなんだろうか。ならいいか。これが僕の進むべき道なんだろう。


 話をしているうちに遅い時間になったので、僕たちはお店を出ることにした。またタイミングが合う時に飲みに行く約束をして、僕は駅に向かう。


 スマートフォンを見るとソウイチロウからメッセージが来た。今日はソウイチロウの家へ行く日だ。多分、いつ頃着くかの確認だろう。ソウイチロウも外出していたようだ。やり取りをしていたら、駅に丁度同じくらいの時間に着くことがわかったので、待ち合わせをすることにした。



 駅の改札を出ると自動販売機を背に、本を読んでいるソウイチロウを見つける。


「お疲れ」


 僕が声をかけると、ソウイチロウは顔を上げた。


「お疲れ。帰る前にコンビニとか寄る?」


「大丈夫」


「オッケー。じゃあ、行こうか」


 僕たちはソウイチロウの家へ向かう。


「ユウキさん、今日は飲み会だっけ?」


「そう。高校の時の友だち」


「そっか。楽しかった?」


「楽しかったよ。ソウちゃんは今日何してたの?」


「ボクは今日も歌のレッスン」


 雑談をしているうちに人通りが少ない道に入った。今日もまだ寒い。それを理由に僕はソウイチロウと手をつなぐ。


「ボクは高校の友だちと会うってほとんどないな」


「恭介とは運命的な出会いだったからね」


「えっ?なにそれ。もしかして、ユウキさんその人のこと好きなの?」


「違うよ。全然タイプじゃないもん。それに恭介、結婚して子どもが二人もいるんだよ」


「でもさ」


 話をしながら歩いていたら、前から人が歩いてくるのが見える。まだ距離はある。さて、どうするか。


 僕はソウイチロウの手を強く握った。そして、ソウイチロウの方へ身体を寄せて、前から来る人とすれ違えるスペースを作る。その人は特にこちらを気にする素振りも見せず、通り過ぎた。


「それにさ。僕はソウちゃんと一緒にいたいんだもん。そういえば、住むとしたら、ソウちゃんはどんなところがいい?」


「ユウキさん」


 ソウイチロウは嬉しそうな顔をしている。そう。僕が見たいのはこの顔だ。


 さて、もうそろそろ家だ。さあ、帰ろう。

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