ユウキ 第7話
目の前に木製のドアがある。僕は中の様子を伺えない状況が苦手だ。内側にいる人が自分を受け入れてくれるのか、そうではないのかわからないからだ。
場所は確認出来たから今日はいいかな。
弱気な言葉が心の中に浮かんでくる。
ゲイカップルの日常をブログに載せられる人はきっと輝かしい人種で、僕と同じ世界の住人には思えない。
入ったはいいけれども、冷たくあしらわれたら。
そんな想像が僕の足に足枷をつける。
ソウイチロウとのケンカだって次の日に彼から「昨日は言い過ぎた」と謝りのメールはもらった上で仲直りは出来ているのだ。無理をする事はない。
でも。
今回は上手く乗り越えられたけれども、ケンカはまたあるだろう。そんな時にまたシュウジが都合よく助けてくれるとも限らない。その場で対処しなくちゃいけないこともあるだろう。
後悔をしないためにも、長く付き合うコツを知っておく必要はある。ソウイチロウとの幸せな関係のためだろ。弱気な自分を説得して、僕はドアを開ける。
店の中は穏やかな気分になれるくらいの明るさだ。席は十席くらい。半分くらいが男性で埋まっている。僕と同じようなブログの読者さんなのだろうか。
「いらっしゃーい」
カウンターの中にいる男性は白が混じる髪をちょんまげのように後ろで結わいている。口ひげにTシャツとダンディな風貌だ。
「こっちに座ってもらっていいかな」
男性は真ん中辺りの席に座るように促す。僕は客と客の境目にあるその席に腰をおろした。
「はじめましてだよね。リキっていいます」
「はじめまして。ユウキです」
やっぱりこの人がブログを書いているリキさんなんだ。画面越しでしか知らない人を目の前にして、ちょっとうれしい。
リキさんは僕にメニューを手渡してくれる。
「飲み物はどうする?」
「じゃあ、ジントニックで」
「了解」
リキさんは僕の前にコースターを置き、後ろに並んでいるカラフルなボトルの中からジンを取り出す。グラスに氷を入れて、ジンとトニックウォーターを注いで混ぜ合わせる。そして、ライムシロップを垂らす。
「はい」
リキさんはグラスと一緒にナッツが入った小皿を差し出した。
「ありがとうございます」
「このお店はどうやって知ったんだい」
「いつもブログを拝見していて」
「そっか。いつもありがとうございます」
「いえいえ。今、彼氏がいるんですが、どんな風に付き合っていったらいいのか参考にさせてもらってます」
「そうなんだ。付き合って何年くらい?」
「五年です」
「へぇ、長いなぁ。確かにユウキくんは安定感ありそうだよね」
リキさんにソウイチロウとの話、相談するべきだろうか。とはいえ、リキさんとは会ってまだ五分も話していない。初対面に近い相手へそんな話をするべきだろうか。でも、この前のブログでも若いゲイカップルの相談に乗った記事が載っていたっけ。そもそも僕が今日来た目的もそこにある。話の流れ的にも切り出しやすい状況だ。とりあえず聞いてみよう。
「そうですね。彼とはこれからも一緒にいられるんじゃないかなとは思ってます。この前ケンカしちゃいましたが」
「ふぅん。ちなみに、どんなことでケンカしたんだい」
「彼はすぐにでも同棲したいっていうんだけど、僕はもっと慎重に進めたいなと思っていて」
「うんうん。ちなみに、最終的にはユウキくんも彼と一緒に住みたいとは思っているのかい」
「自分でもよくわかんないんです。だから、実際同棲している人に話を聞いた方がいいかなって思ったので今日来ました」
「なるほどね。うちは付き合ってすぐ同棲をはじめたけど」
「リキさんはパートナーさんと十年以上一緒に住んでいるんですよね。気をつけていることってありますか」
「'気持ちはきちんと言葉にしないと通じない'っていうのは意識しているかな。嫌だなと思ったことは出来るだけ素直に伝えるようにしてる。その結果、ケンカになることもあるけど」
「やっぱり伝えないとわからないですよね。僕たち、これまであんまりケンカしてないんですよ。だから、いざそうなった時に上手く対応する方法がわからないんです。どうしたらいいですか」
「ひとつの方法は、不満をその都度伝えることかな。お互いこまめなガス抜きをしておいた方が、決定的なケンカになる前に防げるから」
なるほど。僕は相手への不満を我慢した方がいいかなと思っていた。けれども、溜めてしまえば耐えられなくなった時に爆発してしまうだろう。
「それにやっぱり自分が嫌なことって言わなくちゃわからないよ。でも、言われたらお互いに気をつけることが出来るでしょ」
「そうですね。アドバイスありがとうございます」
「あくまでもボクたちの場合にはそれが良かったってことだけどね。実際にはパートナーさんの性格とか関係性もあるから、目の前の人をきちんと見るんだよ」
「はい。勉強になります。ところで、リキさんはどうしてブログをはじめようと思ったんですか」
「そうだね。ゲイがどう生きていくかってモデルについての情報ってこれまでなかっただろ」
「そうですね」
男女であれば、恋愛して結婚。子どもが出来て、育てて、子どもが独立したら夫婦で生活するんだろうなという標準モデルがある。
けれども、それを外れた人間がどう生きているのかについては情報が少ない気がする。そもそもゲイの場合はどうやって長く付き合えるパートナーを見つけたらいいのかすらよくわからない。
「だから、僕たちがどうしているのかをオープンにする事で自分たちよりも若い人たちの道標になればいいなって思ってるんだ」
「素敵ですね」
「もちろん、いろいろなカップルがいるから必ずしも僕たちの進み方が正しいって訳じゃないけどね。正解はセクシャリティ関係なくカップルの数だけあるから」
「関係ないですかね」
「関係ないんじゃない?例えば、男女のカップルでも、子どもが出来ないってことはあるでしょ。別れることだってある」
姉さんのことが頭によぎる。
「男女で結婚してるけど不幸なカップルもいるじゃん。別れたいけど、子どもがいるから別れられないって言ってる人とか」
「'結婚したから安心'っていう訳じゃないってことですね」
「そうそう。本質的には二人の人間が一緒にいるためには継続的に努力が必要なんだよ」
「難しそうですね」
「だね。とはいえ、お互いが笑顔でいるために何を出来るだろうっていう意識があれば大丈夫。とりあえず、ここにサンプルはいるよ」
リキさんはいたずらっ子のように笑った。
「ちなみに、心理学で生殖期って言葉があるんだ。これは男女が子どもを作る以外にも、次世代に何かを受け継ぐ時期ってことも含んでいるんだ。ボクたちは子どもを残すことは出来ない。でも、この言葉を知って自分も次の世代に対して出来ることがあるって知ったから、ボクはこうしてるんだ」
そうか。子どもがいなくても周りの人に対して出来ることはある。自分が死んでも、関わった人の片隅に僕の痕跡が残るのかもしれない。
「ありがとうございます」
「いえいえ。何か参考になったんだったらボクもうれしいよ」
向こうでリキさんを呼ぶ声がしている。「ちょっとごめんね」と言ってそちらへ歩いていった。
「すいません」
声をかけられた方を見たら、ジージャンにショートヘアの若い男の子だった。
「隣でお話を聞いてたんですが、五年間付き合ってるってスゴいですね」
「ありがとう。なんか気付いたら五年経ってたって感じだけどね」
「俺も最近、恋人らしい人が出来たんですよ」
「おお、おめでとう」
「なんですけど、他にも相手がいそうなんですよね。彼氏さんの浮気とか気にならないんですか」
ソウイチロウが浮気?あんまり考えたことはない。でも、以前好きだった相手がモテるタイプだったから気持ちはわかる。
「そうだね。恋人が別の人を好きになっちゃったらって思うと不安だよね。でも、それって最終的には信頼感なのかなって思う」
「信頼感?」
「僕は'信じてる'って伝えちゃうんだ。そうしたら、実際に浮気しそうになっても良心があるならブレーキになるでしょ。逆にそれでもしちゃうなら、そもそも信頼出来ないよ」
「確かに。とはいえ、SNSとかで他の人とやり取りしてるのを見たら、何か言いたくなっちゃうんです」
「見ちゃうと気になるよね。だから、僕は見ないようにしてる」
「でも、気になりません?」
「浮気してないか疑心暗鬼になって、相手を監視して。それが相手からよろこばれるかな」
「うれしいとは言われないでしょうね」
「でしょ。だったら、相手が自分を大切な存在だと思うようになる方に僕はエネルギーを使うかな。その方が楽しくない?」
「そうですね。ありがとうございます。俺、恋愛のことであんまり相談する人がいなくて。良かったら連絡先交換してもらってもいいですか」
「いいよ。僕も恋話したいけど、周りに話をする相手がいないから」
「ですよね。俺も誰に話をしていいかは考えちゃいますもん」
僕たちはお互いにスマートフォンを取り出して連絡先を交換した。
僕も目の前の彼を通して、次世代に何か残せたのかな。
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