ユウキ 第6話

「シュウジ?」


 思わず声が出てしまった。シュウジとこうやってバッタリ出くわすなんて初めてのことだ。


 お互いにいつも使うターミナル駅だから、冷静に考えれば何も不思議はない。とはいえ、丁度誰かに相談したいと思っていた時だ。シュウジはこちらの事情を知っているし、相談をしたらきちんと話を聞いてくれるだろう。そもそもこうやって声を掛けられたこと自体に何かの縁があるような気もする。


 ソウイチロウとのことを相談してみようか。とはいえ、シュウジに予定があるのだとしたら申し訳ない。


「こんな風に会うだなんて偶然だな。今帰るところか」


 シュウジが話しかけてくれる。


「うん。シュウジは?」


「俺も帰り。友だちと会ってて」


 どうやらシュウジにこの後の用事はなさそうだ。時間的にもちょっとくらいなら話を聞いてもらえるくらいの余裕はある。


 でも、恋人とのケンカなんて、人に聞いてもらう話じゃないんじゃないか。大体、なんて言い出せばいいんだろう。


「ユウキ、大丈夫か。顔が真っ青だぞ。何かあったのか?」


 シュウジの言葉は固くこわばっていた僕の心をそっとなでるかのようだ。今はその気遣いがうれしい。


「おい、どうしたんだよ泣きはじめて。本当に大丈夫か」


 えっ?泣いてる?誰が?僕は自分の目に手で拭う。確かに潤んでいた。今日の僕は何かおかしい。


「ごめん。大丈夫。あのね、ちょっと聞いてもらいたいことがあって。いいかな?」


「ああ。じゃあ、その辺のカフェに入るか」


「うん」


 シュウジはハンカチを僕に渡して、歩き始める。そして、僕はそれについて行く。


 たどり着いた先はチェーン系の喫茶店だ。シュウジが店員に人数を伝えて、席に通される。


 店員が注文を取りにきたので、僕はほうじ茶を頼んだ。店内にはクラシック音楽がかかっていて、席と席は隣の話が聞こえないくらいには離れている。ソファもゆったりとした作りだ。周りにも資料を広げて、長話をしているであろう客が目に付く。


 さて、どこから話をしようか。


 考えていたら、店員が注文した飲み物を持ってきたので、受け取って一口飲む。


 暖かい液体が内側から僕の身体を温めてくれる。身体の内側で固まっていたものが解されるようだ。ふぅっと長く、そして深く息を吐き出す。


 よし。


「さっきまでソウイチロウと出掛けてたんだけどさ。食事の時にケンカになって」


 シュウジは何も言わずにうんうんとうなずいてくれる。


「ソウイチロウはすぐにでも一緒に住みたいって言うんだ。でも、僕はもっとじっくり考えて決めたいんだ」


 それなのにどうしてソウイチロウは僕のペースを無視して物事を進めようとするんだろう。そんなに急がなきゃいけないことなの?僕は違うと思う。焦って気持ちだけで行動したって、上手くいきっこない。そんなのただのバクチだ。ソウイチロウのことが大切だから言ってるのに、何が悪いって言うんだ。


 ソウイチロウは一刻も早くいつも一緒にいたいみたいだけれども、それが二人の関係の寿命を縮めてしまうかもしれないんだよ。だって、四六時中一緒にいるんでしょ。緊張感なんてそのうちなくなっちゃう。見たくない部分だってお互いに見せるようになるかもしれない。


 ずっと一緒にいないからこそ、関係の鮮度って保てるんじゃないかな。男女のカップルでお互いに興味がなくなってるけれども惰性で一緒にいる夫婦の話をよく聞く。そんなのまっぴらゴメンだ。


 それに一度一緒に住んでしまったら、離れて住むのは別れる時くらいしかないだろう。だったら、まずは近くに住んでみてお試し期間を作るんじゃダメなのかな。それでお互いに満足出来るなら、リスクを負ってまで一緒に住む必要はない気がする。


「だって、一緒に住んで上手くいかないことってあるじゃん。僕の姉さんだって十年も付き合ったのに、結婚して同居を始めたら、三年もたなかったんだよ」


 そう。僕だって何の根拠もなく嫌だって言っている訳じゃない。もちろん見えるところだけだが、付き合っている時の姉さんとお義兄さんは仲が良さそうに見えた。


 遥歌が生まれた時までは実際にそうだったと思う。何故なら、お義兄さんは遥歌のことは大事にしているからだ。


 でも、穂乃歌が生まれた後で姉さんはある朝いきなり家から追い出された。詳しいことは聞いていない。けれども、一緒に暮らしていく中ですれ違いが重なってその日、お義兄さんに限界が来てしまったのだろう。付き合うのと暮らしを一緒にするのは違うんだと思った。


 この話だってソウイチロウにしたことはある。なのになんでわかってくれないんだろう。


 大体、僕は恋人とは各々が自分一人でも幸せになれるけれども、お互い一緒にいることでそれを増やせる関係でありたい。


 だから、ソウイチロウが歌手活動を優先するのを許容してきたつもりだ。なのに僕の思いは無視するの?妥協するのは僕ばっかりなの?あと何十年もそれを続けなきゃいけないの?もしかしたら、そもそも根本的なところで価値観が合わないんだろうか。だとしたら、別の道もあるんじゃないか。


「やっぱり僕たちダメなのかな。それだったらさっさと別れてもっと価値観が合う相手を探した方がお互いにとって良いのかも」


 そこまで言って、僕は目をつぶる。シュウジが何も言わずに話を聞いてくれるから、話過ぎてしまったかもしれない。


 だけど、状況を説明していく中でさっきまで心の中でモヤモヤしていたものが和らいだ。目を開けてシュウジの顔を見たら、穏やかな瞳で僕のことを見つめていた。


 こちらの言うことを評価せず、ただ受け止めてくれている。


 そんな気がする。


「ソウイチロウと同棲のことでケンカしたんだ。ユウキが慎重になる気持ち、俺わかるよ。お姉さんのことがあったんだったらなおさらだ」


「でしょ」


 そうだよ。僕が慎重になるのは理由があるんだ。流石、シュウジ。僕の考えをきちんと受け止めてくれる。


「ああ、俺も大学時代の恋人に'一緒に住もう'って言われた時、嬉しかったけど不安だったな。ただ、俺はその時若かったからさ。気持ちだけで行動出来た。結局上手くいかなかったけどね」


「そっか」


 やっぱりそうなんだ。でもそういえば、シュウジに大学時代恋人がいたというのは知っていたが、詳しい話は聞いたことがなかった気がする。


 冷静そうなシュウジに気持ちだけで動くところがあったんだ。シュウジも意外と男なんだな。


「とはいえ、同棲自体が上手くいかなかった訳じゃないんだ。むしろアイツと同棲して良かったと思ってる」


「何で?」


 結局上手くいかなかったのに良かったって思えるってどういうことだろう?僕は思わず聞いた。


「俺、他人と一緒に住むなんて自分には向いてないと思ってたんだよね。でも、住んでみたら案外上手く出来た。多分、やってなかったら今でも自分は同棲出来ないって決めつけていたと思う」


 そうなんだ。僕も自分のことを決めつけているのかもしれない。でも、どうやったら上手く出来たんだろうか。たとえば、ケンカをした時にどう対処したのかな。


「へぇ。ケンカとかしなかったの?」


「もちろんしたよ。でも、その場合のルールを決めていたから上手く解決出来た。きっと相手も良かったんだろうな。それにさ、家に帰ると誰かが待っていてくれるって幸せなことなんだなって思った」


「ふぅん」


 僕もそう思える時が来るんだろうか。


「その辺りは個人の価値観だけど。まあ、ソウイチロウが不安になるのもわかるよ」


「えっ、そうなの?」


「今のユウキの言い方だとソウイチロウはいつまで待てばいいのかわからないじゃん」


 言われてみればそうかもしれない。実際、どういう条件が揃えば一緒に住むのかというソウイチロウの問いには答えられなかった。


「うーん、そうかも」


「だから、今後の進め方を相談してみたらどうかな。ちょっとでも先が見えれば、安心出来るじゃん」


「うんうん」


「あとは、上手くいかせるにはどうしようって視点で考えてみたらいいと思う。お互いが幸せになるために何が出来るか考えた方が楽しいだろ」


 さっきはソウイチロウに責められている気がして、自分をどうやって正当化するのかばかり考えていたかもしれない。


 僕が不安を感じるのも経験がないからだろう。上手くいった人の話を聞いたら、もっと建設的な話が出来るようになるかもしれない。


「そうだね。シュウジの話みたいに上手くいった経験を聞いた方が前向きになれる気がする。他の人にも聞いてみようかな」


「そうそう、その調子」


「ありがとう、シュウジ。話を聞いてもらって楽になったよ。シュウジ、カウンセラーとか向いてるんじゃない?」


「そうか?」


「うん、シュウジって何を話しても受け入れてくれる感じがするから、ついいろいろ話せちゃう」


「そうか」


 話が一区切りついたので、僕はスマートフォンを確認した。もう二十三時を回っている。これ以上、付き合わせたらシュウジも帰れなくなっちゃう。恩人にそれは申し訳ない。


「今日は遅くまで付き合ってくれてありがとう。終電も近いよね。行こっか?」


 僕たちは会計を済ませると店を出て、駅で別れた。帰る前にシュウジと話をする事が出来て良かったな。持つべきものはやっぱり良い友だちだ。僕とソウイチロウの未来をより良いものにするために何が出来るのか。それを考えていたら、あっという間に自分の家に着いていた。

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