ユウキ 第4話

 仕事が終わって会社を出ると、街には明かりが灯っている。とはいえ、最近は同じ時間でも明るくなってきた気がする。


 さて、今日は実家に帰らなきゃいけない日だ。母にメッセンジャーアプリで到着予定時間を連絡して、電車に乗る。


 用事があるって言ってたっけ。それが何だか想像は大体ついているので、正直気が重い。


 だが、自分の親を邪険にする事に対して罪悪感はある。僕は親の期待に応えられない。その埋め合わせとして茶番に付き合うくらいは仕方ないだろう。


 手土産くらいは買っていくか。実家の近くにあるスーパーに寄って、高いアイスクリームの詰め合わせを買った。


 実家の門扉を開けたら、犬のサクラがしっぽを振って近寄ってきた。頭を撫でてやると、目を細める。白い毛並みにかつてのみずみずしさはないが、いつまでも覚えてくれているのは嬉しい。


 サクラを引き連れて、ガラガラ玄関を開ける。すると、上がり口に座り込んでいた姪の遥歌と穂乃歌がこちらを見た。


「ユウキだ」遥歌が近付いてくる。


「こんばんは。遥歌、穂乃歌。何をしてたんだい」


「絵を描いてたの」遥歌が答える。


 覗きこんだら、広げられた模造紙にクレパスで動物やアニメのキャラクターが描かれている。


「上手く描けてるね」


「でしょ」遥歌は満足げだ。


「ユウキ、ユウキ」


 穂乃歌は何とか遥歌の間から話をしようとしている。


「なんだい、穂乃歌?」


「今日も遊んで」


「いいよ。でも、その前にアイスを冷蔵庫に入れてきていいかな」


「えっ、アイス?」


 二人は目を輝かせる。


「イチゴ味とバナナ味の奴だよ」


「食べたぁい」


 揃って声をあげる。


「じゃあ、ママに聞きに行こうか」


「うん」


 二人と一匹を連れて、キッチンに行くとエプロン姿の絢香姉さんが食事の準備をしている。にぎやかな様子に気が付いたのだろう。こちらを振り向く。


「あら、ユウキ。おかえり」


「ただいま。絢姉」


「ママ。ユウキが買ってきてくれたアイス食べていい?」


 遥歌が尋ねる。


「今食べたらごはんが食べられなくなっちゃうでしょ。ごはんの後にしよっか」


「わかった」


「うん、よろしい。じゃあ、そろそろ晩ごはんの用意が出来るから、二人でお爺ちゃんとお婆ちゃん呼んできてもらっていい?」


「はぁい」


 二人は手を上げて、走っていく。絢香姉さんはそれを見送り、フライパンの中の料理を皿に盛り付けた。


「ユウキ、いつもありがと」


「どういたしまして」


「本当、あの子たちユウキが好きよね」


「普段、一緒にいないから珍しいんだろ」


 僕はアイスを冷蔵庫に入れながら答える。


「かもね。大人の男が珍しいっていうのもあるんだろうけど」


 絢香姉さんがつぶやく。遥歌と穂乃歌が父さんと母さんを連れてきたようだ。母さんは僕の顔を見るなり、駆け寄ってくる。


「ユウキ、お帰り。お前、また痩せて。ごはんはちゃんと食べてるのかい」


 母さんはいつも心配性だ。僕が三十歳で実家を出る時も最後まで抵抗した。それが親心だというのは理屈の上ではわかる。だが、いい加減に子離れしてくれないものだろうか。とはいえ、それも理屈ではわかっているのかもしれない。僕は安心させる言葉を探す。


「自分で作って、食べてるから大丈夫だよ」


「母さん、心配なのよ。家にはいつでも帰って来ていいんだからね」


「もう四十なんだから、一人でやっていけるよ」


「でもねぇ」


 母さんは何か言いたげだったが、絢香姉さんが口をはさむ。


「もう、また同じ話してるの?いい加減にしたら。それよりご飯の準備、手伝ってくれない?」


 母さんはため息をつく。そして、料理を運んで自分の席についた。向かいに父さん、綾香姉さんは左右に遥歌と穂乃歌を座らせる。僕はお客さん席だ。


「それじゃあ、いただきます」


 父さんの合図でみんなが食事をはじめる。豆腐のハンバーグにカボチャのポタージュ、ソースも子ども向けに工夫しているようだ。昔から絢香姉さんの作る食事は美味しい。


 食事をしていたら、また母さんが話はじめる。


「そういえば、同じ中学の安藤くんの家はもう子どもが小学校らしいわよ」


「ふぅん」


 僕はあえて聞き流す。


「裏の貴美ちゃん家の子はもう高校生。母さんも早く孫の顔が見たいわ」


「ははは。遥歌と穂乃歌をいつも見てるじゃん」


「私はユウキの子どもが見たいの。母さん、他の家がうらやましいわ」


「余所は余所、家は家。母さんよく言ってたじゃん」


「嫌な子だね、口ばっかり達者になって。優しさがない。結婚して、子どもを持って、他人と暮らすっていう人並みの苦労をしてないからだわ」


「そうだね、だから冷たい子どもなんじゃない?」


「まったく」


 母さんはため息をつく。


 母さんがなかなか男の子が出来なかったことで、特に祖母からプレッシャーをかけられたことは知っている。


 祖母はもういないが、未だに「跡取り」にこだわってしまうのだろう。だが、この件について僕は母さんの期待に応える気はない。そもそも存続を心配しないといけないほどの大層な家系でもないだろう。


 食事が終えて、食事前に約束した通り遥歌と穂乃歌と遊んでやる。何をしたいか聞いたところ、口を揃えて「追いかけっこ」というのでそれに従った。


 僕も週に二回はジムに行く。それ以外にも時間があればプールへ行くこともあるので、同世代と比べたら運動している方だろう。だが、その程度では、人間の新品が持っている体力には敵わない。


 ならば、頭を使うしかない。まずは大げさに音を立てて、逃げさせる。その後、ルートをシミュレーションして、先回りをする事で省エネだ。


 途中の部屋に隠れるなどバリエーションを付ける。飽きさせない演出も大切だ。そういえば、遥歌と穂乃歌が今の年だった時に両親が今の僕と同じくらいの年だった。そう考えると親の偉大さに頭が下がる。


 こちらがヘトヘトになってきたくらいに絢香姉さんの「アイス食べる?」の声がする。助かった。遥歌と穂乃歌はまっしぐらだ。


 僕も遅れてキッチンに行くと、母さんが座ってアイスを食べている。絢香姉さんと二人はリビングの方へ行ったのだろう。母さんは僕の顔を見る。


「アイス、ありがとう。やっぱりあの二人には、大人の男が必要だよ。あんた、あの子達の父親代わりになってやってよ」


「自分が作った訳じゃないんだから、嫌だよ」


「もう。本当は実際の父親が面倒をみてくれたらいいんだけどね。十年付き合ってから結婚したのに、まさか別れるとは思わなかったわ」


「実際に暮らしてみなけりゃ、わからなかったこともあるんでしょ」


「本当、何が悪かったんだか。養育費も払わないし、困ったもんだよ」


「お義兄さん、ボイストレーナーだからね。サラリーマンみたいにはいかないでしょ」


「絢香がレッスンを受けてた頃は儲かってたらしいけど。芸能人のお客さんもいたんだよ。本当にないのかしら」


「さぁ?いくら持ってても、'払うつもりはある'って言われて誤魔化されたら終わりだからね」


「娘がかわいくないのかね。絢香もずっと歌ばっかりで、見る目がなかったのかしら」


「自分より上手い人って格好よく見えるだろうからね」


「まあ、終わったことは仕方ないけど。それはそうと、今日呼んだ用件を話さなくちゃね」


 母さんは手元にあるバックから紙を取り出した。


「母さんのお友だちからの紹介なんだけど」


 やっぱり釣書か。押し付けてくるので、仕方なく受け取る。


「三十二歳のお嬢さんで、お仕事は幼稚園の先生。どう?」


「いきなり、どう?って言われてもね」


「とりあえず会ってみなさいよ。あんた、いつが暇なの?」


「忙しいから当分日にちがないよ」


 ウソだ。空けようと思えば、空けられる。面倒くさいだけだ。


「あんたはいっつもそう。いつだったら暇なのよ」


「わからないよ。忙しいんだもん」


「忙しい、忙しいってそんなんじゃいつまでたっても結婚出来ないわよ」


「そうかもね」


「母さんはあんたが年をとった時に一人になるのが心配なの。誰でもいいから結婚しなさいよ」


 誰でもいいなら男でも良いよね?思いついた言葉を飲み込む。


「じゃあ、二十歳年上でもいい?」


「それはダメ」


「誰でも良くないじゃん」


「また言葉じりを取って。いい加減にしなさい。普通にご近所に紹介できる人にしなさい」


 何回も繰り返された堂々巡りの話にうんざりする。


 「今、男と付き合ってる」と言えばこの話題は終わるんだろうか。その結果、親子の縁を切られても構わない。


 だが、本当に言ってしまった時に何が起こるんだろう。ショックで新興宗教にはまりこむ親もいると聞く。


 そうでなくとも、自分の遺伝子なり、育て方なりに原因があると自分自身を責めるかもしれない。このまま黙り続けて、真実を知らないままの方が良いんじゃないか。そう思ったら、言い出せない。勇気がない僕は贖罪のように今日も母さんの気が済むまで話を聞く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る