ユウキ 第3話
「おはようございます」
僕が挨拶をすると、佐々木課長はパソコンの画面から顔を上げた。しっかりセットされた髪と身体のサイズに合ったスーツをピシッと着こなしている。月曜の朝から緩みがない。
「おはよう。今日は早いな」
「予算の件があるんで。資料は今週中に完成しますが、部長への説明はどうしますか」
「そうだな。再来週の経営会議前に説明が必要だから、来週ミーティングを設定しておいて欲しい」
「わかりました。あと◯◯社の件で問題がありまして」
「ああ、前に聞いていたあの件か」
「はい。日本の担当者は納得してくれたんですが、先方の本社の態度が強硬なみたいで」
「そうか。先方の人間とは俺が向こうで仕事をしていた時に付き合いがあったな。私から情報を取ってみよう」
「助かります」
「あとは何か懸念事項はあるか?」
「大丈夫です」
「じゃあ、今週も一週間がんばろう」
「はい」
話をしているうちにパソコンが起動したので、まずは休み明けの準備運動がてら単純作業から手をつけはじめる。
淡々とこなしているうちに仕事モードのスイッチが入ったようだ。頭がすっきりしてきた。じゃあ、もうちょっと負荷が高い仕事に移るか。そう思った矢先に昼休みを報せるチャイムが鳴った。
僕はカバンから自分で作ったお弁当を取り出して、食べはじめた。今日のおかずは週末にまとめて作った筑前煮とにんじんシリシリに雑穀ごはんだ。
さっと食べてデスクでゆっくりしていたら、隣のグループの木村課長をはじめとした何人かが話をしながらオフィスに戻ってきた。
確か人権研修だったっけ。参加していたメンバーが帰って来たのだろう。テーマは『LGBT』だったハズだ。こんな風に会社で題材になるっていうのは、一般化してきている証拠なんだろう。研修に参加していたメンバーが集まって話をしている。
「今日の研修、レポート出せっていうけど何書けばいいんだよ」
「だよな。『LGBT』って言われても、どう扱っていいのかわかんねぇ」
「見た目でわかる訳じゃないから厄介だよな」
「だからって「ゲイか?」って聞いたらダメなんだろう。どうしたらいいんだ」
「そういえば、経理部にいるって聞いたぞ」
「ああ、知ってる。あの人、いい年して結婚してないもんな。男の恋人と一緒に住んでるらしい」
その人と話をしたことはないが、僕もたまに社内のエレベーターで一緒になる。見た目は当然ながらいたって普通の五十代くらいのおじさんだ。彼らの話は続く。
「あとは関係会社でも一人いたな」
「聞いたことあります。会社にも女の格好してきてるらしいですね」
「ああ。で、健康診断で性別が'女性'になってないって苦情を入れたって聞いたぞ」
「面倒だな。いくら心が女だって言われたって、女の子も一緒は嫌だろう」
「どうしたらいいんですかね。でも、下手なことを言って'差別'って言われても困りますよね」
「こっちも差別するつもりはないんだけどさ。実害がなければ」
「だよな」
「まず男を好きになる心境がわからない」
僕は所々でツッコミを入れたい衝動に駆られたが、言葉を飲み込んで反応しないようにした。下手なことを言って、面倒を抱えたくない。変にウワサが広まって、僕のことをよく知らない人間から色眼鏡で見られたらどうなるかわからない。
「そういえば、佐々木さん。ヨーロッパではどうだった?」
隣のグループの木村課長に反応して、佐々木課長は読んでいた文庫本にしおりを挟んで声の方を見た。
「あんまり意識したことないな。知り合いに何人かいたけど」
「そうなのか。どうやってコッチだってわかるんだ?」
「カップルで来るパーティーに同性同士で来てるとか」
「正直、扱いに困らないか」
「別に。変に特別扱いされるのも相手にとってストレスだろう。実際、男女のカップルとそれほど違いがある訳じゃない」
「へぇ。でもさ、最近ネットでも発言が差別だってバッシングされてることあるじゃん」
「それは単純にデリカシーの問題じゃないか。男女のカップルには言わないようなことを言うからおかしくなるんだよ」
「そうかなぁ。でも、年相応になったら、結婚して子どもを作る。それが普通だろ」
「確かに俺たちの世代はそういうもんだと思ってたヤツは多いよな。まあ、最初はやっぱり戸惑ったよ。どう対応したら良いのかわからなかったからな。でも、異文化の相手に接する時と一緒だよ。自分とは違うバックグラウンドがあると思っておけば、それほど間違いない」
「ふぅん。海外経験が長い佐々木さんらしい意見だな」
「それはあるかもな。自分の常識だけにこだわってたら上手くいかないからな」
「おおっ。レポートに書けそうなフレーズだな。それもらった」
「なんだと。じゃあ、使用料払えよ。随分と貸しは貯まってるぞ」
木村課長が何か言おうとした時、遮るように昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「おっと。昼休みが終わったから仕事に戻らなくちゃな」
「全く。忘れるなよ」
「わかったわかった」
そう言いながら、木村課長は自分の席の方へ戻っていく。
佐々木課長はふぅっと深く息を吐いて、僕の方を見た。
「さぁて。午後一の会議の資料、お願いしてた修正は出来てるな」
「はい、こちらです」
僕が印刷した資料を渡すと、パラパラ眺める。
「うん。いいじゃないか、随分わかりやすくなった。じゃあ、会議に行くぞ」
「はい」
僕は準備をして、佐々木課長と一緒に会議へ向かった。
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