ユウキ 第2話

 地下へ続くレンガ調の階段を降りていく。突き当たった先には、明かりに照らし出されて、真っ青な大きな扉がぽつんと現れた。僕は体重をかけて、それを開ける。正面にはバーカウンターがあり、内側には白いシャツに黒いベストの男性が立っていた。


「いらっしゃいませ。ああ、ユウキさん」


「こんばんは」


「ソウイチロウくんから予約は承っておりますので、お支払は二千六百円になります。お飲み物は何にされますか」


「アマレットジンジャーで」


「かしこまりました」


 バーテンダーはカクテルを作りはじめた。その様子を眺めていたら「ユウキ?」と声を掛けられる。


 そちらを見るとこの店『カシュカシュ』の支配人、バルバラさんだった。光沢のある黒いドレス姿は、とても四十代後半には見えない。彼女を前にすると、女性に興味がなくなった僕でもついドキドキしてしまう。


「今日もソウイチロウのために来てくれたのかしら?」


「はい」


「相変わらず仲がいいわね。この五年間、出演する時は毎回来てるんじゃない?」


「ええ。ここは特にソウちゃんにとって大切な場所みたいなので」


「そうね。あの子もここに立つようになってもう十五年だから、いろいろあるでしょうね。でも、これまでの恋人の中でこんなに来てるのはユウキだけよ」


「そうなんですね。僕はシャンソンのことはよくわからないから、ソウちゃんのために自分が出来ることをしているだけですよ」


「ふぅん。だったら、ユウキも歌ったらいいじゃない」


「歌はちょっと苦手で。それに同じ事を始めちゃうと、お互い言いたいことが出来てケンカの種になっちゃうかなって思うんですよね」


「確かにそれはあるかもしれないわね。音楽性の違いで別れるってよく聞く話だから」


 バルバラさんの持っているグラスが氷で音をたてる。


「まあ、これからもソウイチロウのこと、よろしくね」


「もちろんです」


 僕の返事を聞いて顔全体で笑みを浮かべる。そして、彼女は楽屋の方へ歩いて行った。お客さんもボチボチ入りはじめている。僕はバーテンダーからグラスを受け取り、ステージの方へ足を運んだ。


 薄暗い中、いくつかのテーブルではお酒と料理を前にして盛り上がっている。僕は最後尾に並んでいる椅子の中で入口から一番離れている席に座った。


 まだ開演まで時間がある。周りを見回していたら、見慣れた顔を見つけた。あちらも気が付いたようで、手を振って近付いて来る。


「ユウキさん、お疲れ様です」


 この店でよく会う女の子だが、名前は知らない。出演者の中に追っかけをしている相手がいるらしい。いつも会うので、雑談くらいはする仲だ。僕は彼女に挨拶する。


「お疲れ」


「今日もソウイチロウさんの応援ですか」


「もちろん」


「いつもここですよね」


「うん。座っているところを決めておけば、ソウちゃんも見つけやすいでしょ」


「そういう訳ですか。ラブラブですね」


「だね」


「いいなぁ。そのラブラブっぷり、私にも分けて欲しい。今は一緒にお住まいなんでしたっけ」


「違うよ」


「そうなんですか。意外です。同棲しないんですか」


「うーん。そういう話も出るけどね。男二人だと家を貸してもらえないこともあるんだよ」


「えぇ、差別的」


「それに子どもが生まれる訳じゃないから、一緒に住む必要性はないかなって思うんだ」


「私は好きな人と一緒に暮らしたいですけどね」


 それは君が女性で、恋人が男性だからだろ。


 そう思ったが「それもいいね」と流した。


 ステージの方を見たら、バルバラさんが中央の方に歩いてきている。


「あっ、そろそろはじまるみたいだよ」


「えっ、本当だ。じゃあ、私は友だちのところに行くのでまた」


 そう言って彼女はカウンターの方へ行ってしまった。


 観客席の照明は一段階暗くなり、バルバラさんがマイクを持って舞台の中心に立つ。


「今宵も『カシュカシュ』の宴にご参加頂きありがとうございます。ほんのひとときではございますが、みなさまの心に安らぎが訪れるますように。まずは女主人である私から一曲捧げさせて頂きます」


 バルバラさんが合図をするとピアノが音を奏で、彼女は歌いはじめる。それを聞きながら僕はもらったパンフレットを見て、ソウイチロウの順番を確認する。


 五人の出演者の中で三番目だ。正直なところ、何回聞いても誰が上手いのかはよくわからない。ただ、聴いていて心地よい時と何も感じない時がある。よく知らないのにわかったような口をきくのも失礼なので、身体の反応を手掛かりにしている。バルバラさんの歌はいつ聞いてもしびれる。僕がわかるんだから相当な歌い手なんだろう。


 次に出てきたのは茶髪を頭の上でお団子にしている三十代くらいの女性だ。真っ赤なドレスで、櫛の代わりに差している黄色い花が似合っている。


 一曲目は僕でも知っている有名なJーPOPの曲だ。聞き慣れない曲の中で知っているものが出てくると安心する。もう一曲はダメ男を好きになってしまった女性を歌ったものだ。こう言って良いのかわからないが、本人の雰囲気によく合っている気がする。


 そして、ついにソウイチロウが現れる。黒いスーツとワイシャツに赤いネクタイで大人っぽい色気がある。今日は映画で有名な愛の歌とゲイ男性の曲だった。目をつむって音を追いかける。声とピアノの振動が僕の首筋に心地よい流れを生み出す。どうやら今日の調子は良いみたいだ。


 全ての演目が終わり、店内にガヤガヤした音が戻ってきた。帰り支度をはじめる人もいれば、これから更に飲もうとしている人もいる。


 ソウイチロウが出てくるまでには時間がかかるだろう。その間、どうしようか。そうだ。そういえば、最近リキさんのブログをチェックしていなかったっけ。僕はスマートフォンを取り出し、インターネットのブックマークを開いてお目当てのページを探し出す。


 リキさんのブログには彼氏さんや周りの友だちとの日常が面白おかしく、時に真面目に描かれている。周りにいろいろな人がいて、さぞかし本人は魅力的なんだろう。記事にも'いいね'がいっぱいだ。僕も定期的にチェックして、ソウイチロウとどう付き合っていけば良いのか参考にさせてもらっている。


 本来なら身近なゲイの知り合いがいればいいんだろうけど、僕のゲイ友だちはマコトとシュウジくらいだ。そして、二人とも今恋人がいない。だから、他のカップルがどうしているのかをオープンに見せてくれるリキさんの存在はありがたい。


 ホームページには水曜日だけバーで働いていると書いてある。一度調べたことはあるが、場所も僕の家からそれほど遠くない。実際に一度会ってみたいという気持ちはあるが、人気ブロガーと僕では住む世界が違うような気がしてなかなか行けないでいる。


 ページを読んでいたら、マコトからメッセージが入ってきた。'ごはんを食べに行こう'というお誘いだ。何か話をしたいことでもあるのだろうか。候補の中で都合が良い日を返信した。


 スマートフォンに意識を向けていたら「ユウキさん」と僕を呼ぶ声がする。ソウイチロウだ。


「お疲れ様。今日は調子が良かったみたいだね」


「うん、ボクも上手くやれたと思う。ユウキさんが見ていてくれたお陰だよ」


 彼はそう言いながら、隣に座って僕の手を握る。


「そっか」


「そうだよ。ところで、これから打ち上げなんだけど、どうする?」


「うーん」


 打ち上げには何回か参加したことがある。業界の人ばかりで、僕の知らない人が多い。ソウイチロウもいろいろな人のところへ話に行くから、僕はひとりでどうしても手持ちぶさたになってしまう。とはいえ、僕のことを気にしてずっと隣にいてもらうのは申し訳ない。僕はソウイチロウに自由に話をしてもらいたいのだ。


「明日、仕事だからやめとく」


「そっか」


 ソウイチロウは僕の手を見る。


「まあ、しょうがないよね。じゃあ、入口まで送るよ」


「ありがとう」


 僕がグラスの中身を全て飲みきって、手をつないだまま入口へ向かう。カウンターでバーテンダーと話をしていたバルバラさんと目が合った。


「あら、今日は仲良しさんなのね」


「いつもですよ」


 ソウイチロウは答えながら、僕に寄りかかってきた。


「そうだったわね。ユウキは打ち上げ来るの?」


「すいません、明日仕事なので今日は失礼します」


「そう。残念ね」


「ボク、ちょっと上まで送って来ますね」


「わかったわ。ユウキ、お疲れ様」


「お疲れ様です」僕は頭を下げた。


 扉を開けて、外に出ると中の喧騒がウソのように静かだ。


「ユウキさん」


 ソウイチロウの声に顔を向けたら、唇が迎えに来た。


「もう、いたずらっ子だなぁ」


 そう言うとふふふと彼はにやける。


「だってしたかったんだもん」


「もう」


 僕はソウイチロウをぎゅっと抱き締めて、改めてキスをした。口を離すと彼の香りを肺いっぱいに満たす。


 しばらくこのままでいたい。が、あんまりゆっくりしていたら、事情を知らない人が来てしまうかもしれない。


 身体を離して、手はつないだまま階段を見上げる。そして、一段一段を踏みしめて昇っていく。耳に街のざわめきが徐々に入ってくる。雑踏に頭が出ると、僕は巣から出ようとするミーアキャットのように辺りを伺いながら手をほどいた。程なく僕たちは世間までたどり着く。


「今日も来てくれて嬉しかったよ。気をつけて帰ってね」


「うん。ソウちゃんも楽しんで」


「ありがとう」


 そう言いながらソウイチロウが出してきた手に、僕も手を合わせて握りしめる。


「じゃあ、行くね」と僕は言う。


「うん。また来週」ソウイチロウが答える。


 僕は駅の方へ歩いていく。交差点に差し掛かったところで振り返ったら、まだソウイチロウが立っていた。僕が手を振るとソウイチロウはそれに応える。それを見届けて、僕は角を曲がった。

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