手渡し不要のプレゼント 下

 見えないけれど、見えたもの。


 散々な目にあった日の、翌朝。

 結局は廊下で玖珂のおばさんに見つかって、食べ損ねていた昼ごはんはもとより晩ごはんまで用意されて帰るに帰れず。

 雪が降りはじめている中家に帰ると、危惧していたのにどちらの親もいなかった。

 久々の外デートだかで母が父を連れ回しているらしい。

 それならさっさと帰っていればよかった。


「風呂も沸かしてない」


 兄は兄で、この時期になると知り合いの店へ手伝いに自主的に出かけている。

 帰りは深夜になるかもと冷蔵庫に書き置きの紙がマグネットで止めてあった。

 ここで見栄でもデートと書かないのが兄らしいというか、どこまでも家事人生にいきているというか。

 人に奉仕して喜ぶ人間は一定数はいるようだ。将来主夫にでもなる気だろうか。

 一応リアルは充実しているので世間では爆発しろと言われるらしい。


 なんかもう、疲れた。

 風呂は朝から入ろう。

 室内着に着替えて念願のベッドに潜り込んだ。


 のが、昨日の二十一時前。

 固定電話の着信音で目を覚まし、枕元の時計に目をやれば十一時過ぎ。

 でもなんかまだ寝足りない。二度寝したい。

 しかし電話は鳴り続ける。留守電に切り替わる前に切れてはまた、というように。

 仕事関係の電話ならばとっておかないと大変なことになる。

 受けない仕事でもそこで否定しつおかないと肯定したと思われても仕方ないのだ。

 いつもなら父か兄がとるのだけれど。

 重い手足を布団から出し鳴り響く廊下まで歩くと、ハンズフリーのボタンを押した。


「はい」


『あ、やっと出ましたねとーるくん。おそようございます』


「切る」


 此度の諸悪の根源が電波の向こう側に。


『どうぞー。起きているかの確認だったのでもういいです』


 がちゃん。


 それだけ言うと切られた。

 なんなんだ、本当に。

 背伸びをしながらキッチンに行くと、兄の姿はなく。

 ただ冷蔵庫に貼り出された書き置きの紙が増えていた。


 〈 母と父 

 高速にて衝突事故を目撃したため帰れずSAにて車泊

 どうせなので車で行けるところまでドライブしてくるとのこと

 帰宅時間は不明 〉


 〈 兄

 何時に起きたのかは知らないけど冷蔵庫に朝ごはんを

 つくってあるから自分でレンジで温めて食べること

 休みだからって寝すぎるなよ

 二時に一旦帰ってくる予定 〉


 どちらも兄の自筆。ご苦労なことである。

 すでに開けられたカーテンの向こうは昨日の予報通り白く染まっていた。

 これで高速に乗ってドライブとは。事故ってきます宣言にしか聞こえない。

 もう朝というよりは昼なのだが、食べないよりはいいので冷蔵庫を開けてラップにくるまった皿を取り出した。

 隣にはケーキの入っているだろう箱もあったが食べる気はおきない。

 レンジに入れて扉をしめてすぐ。

 また固定電話の音が鳴り出した。


 また蜂谷か。


 今度は出るまいと無視を決めてソファに座ると、七コールあとに留守電へと切り替わった。

「ピー、という発信音のあと」に三十秒記録されるあれ。

 セールスの電話なら「ピーという」の「ピ」らへんで打ち切られるのだが、今回は「ご用件をお話しください」まで進んだ。

 そしてそのまま無言。

 こういうイタズラ電話が流行っているのだろうか。


『…ええと、あのう……』


 だから聞こえたその声には、つい固まった。


『高千穂くん? ええと、起きてるかな…岩戸です。休みなのにごめんね。でもお礼くらいは言』


 ピー。


 三十秒というのは、話し出してからというわけではないのでその声は途中で途切れた。

 急いで電話機に近づくと、着信履歴を表示してこちらからかけなおす。

 しかし、ツーツーツーという音が返ってくるだけ。相手は話し中なので繋がらない。


 電話の声は、いいんちょだった。


 小さくて遠かったけど、たぶん。


 久しぶりに聞けたから、なんかもうそれだけでいいや。

 いま二度寝したら気分よく寝れそう。よし、寝よう。

 受話器を置いてまたソファまで戻ろうとすると、鳴り出した着信音。

 今度はワンコールの途中で受話器をとった。


「い」


『あ、とーるくん。うっかり忘れてたので補足なんですけど』


「………」


 なんなんだ、本当に。

 反射的に受話器から耳を離して切りかけた。


『いまから知らない番号からかかってきても迷わずに出てくださいよ。あと、空気をできるだけ読んで合わせてください。あ、間を読むんであって、どうでもいい蘊蓄を語ったところで相手は迷惑なだけですからね。わからないなら適当に相槌を打っておけばいいので。心優しい親友からの忠告ですよー』


 がちゃん。


「………」


 親友って、心底優しくないと書いて心優とか読むんだっけ。

 いま寝たら、気分が悪くなりそう。

 声とは偉大だ。不愉快にも爽快にもしてくれる。

 どうしてくれようか。

 受話器をゆっくり元に戻し、待ってみること数秒。


 ワンコール。

 ツーコール。


 三回鳴った電話に手を伸ばして耳をそばだてた。


「………」


 なにも聞こえない。

 今度は本当にイタズラ電話か。


「もしも」


『あっこんどつながっとちゅ、あの、本にっええとまっごめんなさ、きゃー!』


 ガタガタッと声を遮ってなにかを落とす音が続く。

 遠くではまた違う声がした。足音と固い音が連続して聞こえる。

 落としたな、受話器。

 しかし、切れたわけではなさそうなのでそのまま壁に寄りかかると受話器を肩との間に挟んで待った。


『も、もしもし!』


「もしもし。いいんちょだよね」


『そう、あの、ええとおこのたびはお日柄もよく!』


「雪降ってるけど」


 これって、お日柄いいのだろうか。


『ちがっあの、申し訳なく、あの!』


「落ち着いて。素数でも数えて」


 いいんちょは混乱している。深呼吸でもするといい。


『そ、素数?』


「1と自分自身以外に約数を持たない数のこと」


『!?』


 なんか、さらに混乱している気がする。

 あれ、これって精神を安定させる方法ではないのか。


『え、ええと。い、1となに?』


「1は数えない」


『!!?』


 そういえば、何故彼女は僕の家の番号を知っているのだろうか。

 基本的に家の電話は仕事用で、知り合いや学校には携帯電話の番号しか知らせていない。

 そして彼女にはどちらも教えていない。どうやってかけてきたのだろうか。


「誰かに聞いたの、番号」


『え? 番号って?』


「電話の番号」


『あの付箋紙に書いてあったから…あれ? 違ったかな』


 付箋紙とはなんのことだろうか。

 彼女は『ちょっと待ってね』と言うと保留のボタンを押したようで、十秒ほどジュ・トゥ・ヴが流れる。


『表面に貼ってあったよ。電話は出来るなら十一時過ぎにって…あ、冬休み用にわざわざまとめてくれたんだよね、ありがとう。気づいたの、新聞をとるときだったから今朝だったんだけど』


 ますますわけがわからない。

 冬休み用にまとめたもの。

 新聞。

 彼女がお礼を言わなくてはならなくなった。


 いや、まさか。


 こちらも「ちょっと待って」と断ってから部屋に戻ると机に乗せたままの鞄を開く。

 彼女用にまとめていたB4の茶封筒を探したが。


「ない」


 学校から寄り道して今に至るまで開けてもいない。

 落としたか。いや。

 犯人はわかっている。というか、もう自分から言ってきているようなものだった。

 いつだろう。保健室か。


「犬」


 逃げ出した犬を捕獲する際に、鞄を預けた気がする。花時丸は弱っていて使えないし、蜂谷は「キャラじゃないんで」と言って使えないし。

 取り出したとするなら、おそらくその時だ。


 なんか、もう。どこから尋ねていいのやら。何故に持ち歩いていたのを知っているんだ。


「いいんちょ。質問」


『はい』


「いつもマスクつけた小柄な人間に会ったことある。同学年の男で、スケッチブック片手に筆談するやつ」


 人畜無害そうで有毒ガスを振り撒くやつ。

 彼女はどうやら記憶を遡っているらしい。

 いや、頑張らなくてもいいけど。忘れて近づかないようにするのが一番なんだけど。


『ええと、マスクをいつも? 学校で? ええと…うーん。あ、秋に』


 秋に、高千穂くんの家まで教えてくれたひと。


「うわあ」


 クラスも違って、面識ないはずなのに。

 この分だと、エントランスのパスワードを外したのも蜂谷だ。

 毎月変えてるんだけど。どこから仕入れているのだろうか。


『ど、どうかしたかな私』


「いいんちょはなにも」


 もう、なにも言うまい。

 どうして彼女の住所を知っているのかだけはあとから聞いておこう。


「元気そう」


『あ、うん。一週間も休んじゃったけれど、おかげさまでいまはずいぶんよくなったよ。熱がなかなか下がらなくって。でも不思議と身体は軽くて。ああの、もしかして、高千穂くんに移してないか心配だったんだけど』


「ひいてない」


 なら、いいか。

 声も掠れてないし。

 熱も引いたならもう大丈夫だろう。


『よかった。高千穂くんが倒れたら大変だもの』


「倒れても寝てるのと大差ないけど」


 横になるのは一緒。

 無理をするのと無茶をするのはどこか似ている。

 僕が倒れても親の仕事は終わっていただろう。


『そんなことないよ』


 電話口の前の彼女はどこかいつもより饒舌だった。

 いつもなら、顔を下に向けて話してもこうまでは語らないだろう。

 見えないということがなんらかの垣根を越えているのかもしれない。


『全然違うよ。高千穂くんは本当にすごいと思うの。みんな知らないだけで、気づかないだけでたくさんのことしてくれて。これだってね、とってもうれしかった』


「それは」


 たしかに僕がつくったけど、渡したのは僕ではない。

 なんかそこらへんがむしゃくしゃするというか、不愉快。

 でもそれを一から彼女に説明するのは違う気がする。黙っていたほうがいいことだってある。

 それを見越して蜂谷だって連絡を入れてきたのだろうし。

 それに、喜んでもらえるのは嬉しいから。


「よかった」


 それが聞けただけでよいとしよう。


 あとは、当たり障りのないことを聞いた。

 学校には来られなかったが、予習も復習も済ませているところがらしいというか。


『それじゃあ高千穂くん。今年は大変お世話になりました。来年も…ご迷惑をかけるかもしれません』


「自分で言うんだ」


 周りの人間があれすぎてその程度を迷惑と言われても。


「今年は多少お世話をしました。来年も迷惑を被ります」


『自分で言うの?』


「責任はもつから」


 期末試験の成績はそこまで上がらなかったけど。

 あとは根気よく続けていける素質があれば。


「テストで出来るだけいい点数を打てるように手助けはする」


『わあ、ありがとう高千穂くん。出来るだけ私もがんばるね』


 うん、素直なひとだ。


 ひとつ残念なのはこれだけ話せているのに、電話だと顔も表情も見れないことかな。


「よいお年を、いいんちょ」


『よいお年を、高千穂くん』


 来年は、声だけでなく彼女の元気な姿を直に見られますように。


 気持ちよく二度寝しようとした僕を、両親その他の迷惑な連中が遮るのはまた別の話である。

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