私と君とおかしなイタズラ
「あ、そうだ」
秋の気配がまた色濃くなりはじめたな、と感じる冷たい空気が部屋に吹き荒れる。
高千穂くんが窓を開けたせいだ。
空気の入れ換えなのだろうけれど、ちょっと寒い。
「いいんちょ、今日ハロウィンだ」
「ハロウィン…?」
なんか聞いたことある単語だな。綴りの問題だっけ。
ハロウィン。
ハローにウィン。
こんにちは、勝ちました。
それだとおかしいな。
「ええと、後光勝利…?」
「なにそのエキサイト翻訳みたいなの」
神々しい単語かと思いました。違うみたい。
私が首をひねっていると、高千穂くんは窓を開けたままキッチンに姿を消してしまった。
勉強を教えてもらいに彼の家に通うようになったけど。
慌てる私と違って、彼は相も変わらずにマイペースだ。
ただ、こちらが話しかければ無視してくることはまずないし。
問題がわからないと言えばどこがどうわからないのか、基礎の計算の仕方からつまずいた箇所まで丁寧に正してくれる。
思った以上に、思ってた以上に先生としてはまっていた。
授業中に寝ている人とは思えない。
不真面目そうなのに、真面目。
いや、別に不真面目ではないのかな、寝てるだけなのだし。
「いいんちょ、ハロウィン知らないの」
「ハロウィン? ええと…」
うしろから声。
振り返った彼の手のお盆には、オレンジ色のものがふたつ。
小さなカボチャには逆三角のチョコレートで顔が作られていて、シルクハットのような帽子がちょこんと乗っかっていた。
私はようやくわかった。
ここ一ヶ月くらい、町中やテレビで見たり聞いたりしたではないか。
「あ、子供がお菓子をもらいに家を大人数で突撃するお祭りだよね」
「間違ってはない」
なんか違うけど。
彼はそう言うとお盆をテーブルに置いた。
私は急いで出していたノートや教科書を角にまとめる。
「わあ、お兄さん手作り…だよね?」
「朝からよくやるよね」
高千穂くんの家に行くと、必ずといっていいほどお菓子が出る。
それもほとんどが手作りだ。彼のお兄さんの。
今日はまだ帰っていないようだけど、いるときはさらにコーヒーを淹れてくれたりする。とても器用で気遣いのしてくれる人。
すごく可愛くて美人さん。
「きっとモテますよね、お兄さん」
「モテなくてもいい人種にもね」
モテなくてもいい人種ってなんだろう。
高千穂くんもモテそうなものだけどな。
じっと彼を見ていれば目があった。
すぐに視線を外して顔を下に向ける。
やっちゃった。人の顔をじろじろと眺めるべきではない。しかもこの距離で。
「いいんちょ、ハロウィンだから。あれ言ってみて」
「あれ?」
ハロウィンだからの、あれ。
突撃する子供が言う、魔法の言葉。
「ええと、トリックオアトリート…?」
で、あってるんだっけ。
お菓子くれなきゃイタズラするぞ!
すごい不条理だ。
子供だから許されるものの。
「はいどうぞ」
間違ってはなかったみたい。
間違ってたらなにか言うから、高千穂くん。
「いただきます」
ハロウィン仕様の、黒のお皿にカボチャのお化け。
フォークで割ってみると中身はモンブランみたいにくるくると巻いてあった。よくよく見れば、刻んだ栗も入っている。
見かけだけではなく、味もケーキ屋さんで売っているものと変わらない出来だ。
こういうところは彼と似ている気がする。趣味でここまでできるのか。
「ハロウィンって、外国のお祭りだよね」
「うん、元はケルト人のやつが起源といわれてる。ケルト人の一年の終りは十月月三十一日とされていて、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくるんだけど、同じく出てきた悪い精霊や魔女から身を守るために仮面を被ったり夜通し火を焚いたりしていたものが変化したもの。収穫祭の意味合いもあるけど、宗教的なものは現代だと薄くなってる。日本だと便乗してばか騒ぎしたいだけじゃないの」
辛辣。
でもクリスマスも元はといえば外国の行事というよりは宗教からのものだけれど、日本でも普通に仏教徒でもやってるし。
バレンタインにチョコも日本だけだと聞くし。
「なまはげみたいなものかな」
「間違ってはない」
なんか違うけど。
食べおわり、彼は二人ぶんのお皿をキッチンに持っていく。
私はさっきまで開いていたノートのページを探していた。
「Trick or Treat」
「………え」
パラパラとめくっていた手が止まった。
イマナントオッシャイマシタカ。
「いいんちょ、Trick or Treat」
「あ、えええ!?」
私にですか。
とどめですか。
二度言いましたか。
お菓子を寄越せとおっしゃいましたか。
「ええと、ええと」
学校が終わって、そのまま彼の家に来た。
学校には勉学以外(お弁当は除く)のものは持ってきてはいけません。
バナナはおやつに入りますかとは聞きません。
おやつだろうが持ってきたことはない。
ようするに、ようするに。
あめ玉の一個も持ってません。
「イタズラしてください…」
こちらはもらったのに返せないのなら致し方ない。
この身ひとつで来てしまったのだから顔にラクガキされようと文句は言わないでおこう。
顔を手で伏せていると、窓を閉めていた彼がこちらに歩いてくるのが見えた。
おそるおそる見上げれば珍しく、彼は見惚れるような笑みを浮かべていて。
「していいの」
いけない、とは言えなくて。
彼の手が、私に伸びてきても逃げずにそのまま身を任せた。
「あ、お兄さんお邪魔してました」
「おつかれさま、いま帰りなんだ」
エントランスホールでお兄さんと会った。
手にはビニールではなく布製のマイバッグ。買い物帰りのようだ。
まるで理想的な主婦のよう。
ハロウィンのケーキのお礼を述べていると、誉め上手のお兄さんはいつもと違うだろう箇所に気づいた。
「珍しいね、髪を上げてるの」
「ええと、これはですね…」
綺麗に編みこんである、ふたつのお団子に手をやる。
「イタズラされました…」
あなたの弟さんに。
それはもう手際よくやられました。
あまりに手慣れているので聞いてみると「やかましい人間の髪を一時期ずっと結っていた」そうで。
帰ってからも解くのがもったいなかったけれど、明日これで学校に行くわけにはいかないので泣く泣く解いた。
イタズラにしてはかわいすぎる。
こういうイタズラなら大歓迎なのだけれど。
次の日に会った高千穂くんは、なぜかお兄さんに叱られたらしい。
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