「僕」は何も知らない

 ああ、面倒くさいな。


 色々な事柄が重なり、僕が家に帰り着いたのはいつもの夕飯時をとっくに過ぎた頃だった。

 この時間帯は親が起きている。

 嫌な予感をひしひしと感じながら玄関のドアを開けた。

 しかし、予想に反して家の中は暗い。誰もいないようだった。

 ように見えたが。


「ただいま、父」


「おかえり、息子そのに」


 廊下の壁と壁に両手両足で身体を支え、天井近くに張りついている父がいた。

 選んだ職業のわりに身体を鍛える趣味のある父はガタイがいいので、しばらくは落ちてこないだろう。

 自動点灯のライトがついてないってことは、ブレーカー落としたな。

 冷凍庫に食べかけのアイス入ってるんだけど。

 兄が怒るだろうから知らない振りしておこう。


「ずいぶん遅かったな、アゲハさんが仕事場で待っている」


 母か。

 面倒だな。でもここで無視するほうがもっと面倒なことになりそうだ。


「着替えて行く」


「それがいい。父はそろそろ限界だ」


 父の下を通って自室で着替えていると、玄関から兄の叫び声が響いてきた。



「「「受験終了おめでとう!」」」


 打ち鳴らされる大音量のクラッカー。

 それ、人に向けてやるものじゃないから。

 色とりどりの細長い糸紙を頭に絡ませた僕の視線の先。

 本来の仕事場は大量の料理と飲み物、それと人で埋めつくされていた。


「なにこれ」


 アシスタントの人たちと、歴代の母の担当までいるんだけど。


「受験終了おめでとうパーティー!」


「兼、アニメ化決定!」


「兼、二章完結祝い!」


「イエーイ!」


「「イエーイ!!」」


「「「イエーイ!!!」」」


 ついでじゃないか、僕。

 別にいいけど。

 母は酒瓶片手にすでに出来上がっている。

 酒豪が酔うって。もうどれだけ飲んだんだか。


「受かってからするものじゃないの」


「落ちるの?」


「まさか」


 それはないけど。

 その言葉を聞いた母は片眉をはね上げ、ちゃぷんと酒瓶を揺らす。


「たいした自信ね!」


「事実だし」


 そういえば、時間が余って問題用紙の裏側にラクガキしたんだけどあれって回収されるんだ。

 消すの忘れてた。

 ま、いいか。


「そういう所、いったい誰に似たのかしらね」


 そんな母の言葉に、ちらとカーペットの敷いていない剥き出しの床の上に正座させられている父を見る。

 外見は父かな。


「さあ。僕、母とは似てないから」


 周りの面々は、一斉に顔を見合わせて言った。


「「「そっくりだよ」」」


 失礼な。


 起きると、すでに太陽は天高く昇っていた。正午前。

 周りを見渡すと、食べ散らかされた料理と床に転がる酒瓶。

 僕の肩には毛布がかけられている。

 日中、気温が上がるようになったとはいえこれだけだと寒い。

 エアコンを操作しようとリモコンを探すが見つからない。


「あら、やっと起きたの」


 まだ飲む気か。

 片手に封の開いていないビール缶を持って母が部屋に入ってきた。


「たるんでるわねぇ」


 うるさいな。

 どうせ今日は土曜なのだから、昼間に寝ようが起きようが誰にも迷惑はかけていないだろう。


きよむがご飯つくってくれてるのよ、食べる?」


 食べるけど。

 座ったまま背伸びをして掛け時計を見やる。

 兄は学校か。

 進学校は週休二日制になっても、いまだ普通に土曜も夕方までみっちり授業が入っている。

 ご苦労なことだ。

 朝早く起きて家族分、もしくは二十人近くの飯を用意して出かけていったらしい。

 僕の家で料理が出来るのは兄と父だけである。

 母は包丁を持ったらいけない人だから。

 僕は作れないこともないけど、しようとは思わない。

 ここは日本、一から作らなくてもレンジとコンビニがあれば生きていけるのだし。


「父は」


「ジム。あんたも鍛えるといいわよう。せっかくいい身体してんだから」


「面倒」


 毛布を被ったまま立ち上がると大きなあくびが出た。

 身体中がポキポキと鳴る。体育、冬はほとんど持久走ばかりで柔軟体操とかしていない。

 そもそも、最近は体育の授業さえなかったが。

 別に動くことは嫌いではないけど。ただ、そんなことをわざわざするくらいなら寝ていたい。

 寝るといえば。


「寝ないの」


 職業柄か体質か、昼夜逆転生活を送る母がいま起きている。

 いつも起きようとはしても起きれないくせに。

 明日は雪どころじゃなく氷柱が降ってくるかも。


「昨日言ったじゃない。今月一杯は休み貰えたの」


 言ってたっけ。

 おぼえていない。

 というより、あれだけ飲んでいて意識はっきりしてたのか。


「じゃあ、これもおぼえてないわね?」


 母は散乱した机から一枚のプリントを探しだして僕に差し出す。

 なにこれ。

 絵の具を溶いたような色合いの海に浮かぶ豪奢な船の写真。

 印刷してある文字は英語だが、読めないこともない。

 南の島クルージング?

 ああ、両親が休みを利用して行くのか。

 勝手に行けばいい。そのぶん、静かに寝れるだろう。


「あんたも行くのよ」


「いやだ」


 なぜそうなった。

 プリントを叩き返すと、母は涼しそうな顔をしてビールを開けた。


「言質は昨日とったわよ。ボイレコにケイタイにスマートフォンにMP3プレイヤーに」


 さらにパソコンにバックアップしたわ。

 二重どころか五重も保険をかけている。

 なんということをしてくれたんだ。


「わたし、マノキさん、澄と分散して所持してるわ。消せるものなら消してみなさい」


「行けない」


 行かない。

 行きたくない。

 行く気もない。


「学校がある」


 ただでさえ、いま妙なことに巻き込まれているのに。


「あらやだ。卒業式は来週よう? 十分行けるわ」


 しまった。そうだった。

 記憶から抜けてた。学校が免罪符にならない。


「うふふふふ」


 母の中で、僕の参加は決定済みのようだった。


「天鞠ちゃんも誘いましょうねえ」


「いいんちょ?」


 どうして、ここで、彼女の名前が出るんだ。

 ずるりと毛布がカーペットの上に滑り落ちる。

 なおも母は続けた。


「パスポートは持ってるわよね。お母様が海外飛び回ってるらしいから。いいわよねぇ、ビザ見せてもらいたいわぁ」


 なんで。


「母がそんなこと知ってるの」


 僕は、知らない。

 そんなこと。

 どうやって知ったんだろう。

 固まる僕を見て、不思議そうに母が首をかしげた。


「家にあれだけ来てたら、世間話くらいするでしょう」


「してないけど」


「え」


 次に固まったのは母だった。


「あんた。いままで、なにしてたの」


 なにしてたって。


「勉強みてたけど」


 たまに見に来てたから知ってるだろう。


「それだけ?」


「それだけ」


「ほかには?」


「ほかには」


 なんかしたっけ。

 あ、ひとつあった。


「オセロ」


 気分転換に、毎日打ってた。

 ルールは簡単だからすぐ理解できるし、終わるし。

 手加減はしてたんだけど、彼女が勝った試しがない。

 もう少しハンデつけるべきだったかな。

 母の手の中の缶が音をたててへこんだ。


「ちょ、バカ? あんたバカなの? 本当にわたしの子!?」


 母がすごい形相で僕を見ている。

 失敬な。


「産んだのは母だってハッキリしてる」


「知っとるわ!」


 無事に育てられたかは微妙なラインなんだけど。


「誕生日! 天鞠ちゃんの誕生日知ってる?」


「知らない」


「好きな色とか!」


「さあ」


「好きな食べ物とか!」


「甘いのは食べれるんじゃない」


 兄の作ったケーキ食べてたし。

 でもコーヒーに砂糖入れないで飲んでたな。

 甘党なのかはわからない。

 学校の出席番号は誕生日順だけど、彼女は真ん中くらいで予想しにくい。

 色か。

 白が似合いそうだけど。

 そういえば、彼女の私服姿見たことないな。


「なんで知らないの!?」


 なんでって。


「個人情報だし」


 自分から言うならまだしも、聞き出すとかないな。

 個人情報って氏名、性別、生年月日に住所、住民票コード、携帯電話の番号、家族構成や、写真、指紋、静脈パターン、虹彩、DNAの塩基配列などの生体情報が該当するんだっけ。

 こんなの、勝手に知られたらいやだろう。

 僕は、できるなら遠慮被りたい。


「気になったら聞くもんでしょう!」


 そういうものだろうか。

 周りにいる人間は我が強くて、聞かなくても好きなように話すから。感覚がいまいちよくわからない。

 彼女は、僕の知る誰よりおとなしい人だ。

 それでも、一緒にいられればそれでよかったし。


 あれ、でもどうだろう。

 受験は、終わった。

 彼女が、僕の家に来る意味は、昨日で潰えてしまった。

 昨日、同じ学校を受けたはずの彼女とは結局会えず仕舞いだったし。

 受験番号が遠かったから、受けた教室の棟が違ったんだろうけど。

 手応えはどうだったのか、聞きたかった。


(ああ、そうか)


 聞かないと、ずっと知らないままなのか。


「…あんたの口はなんのためにあるの?」


 僕の口。


 それは、きっと。

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