白黒させる話

 さぁ、どうしようか。


「てまりん、どしたー? 手が止まってるよん」


 はっとして周りを見渡すと、電気をつけなければいけない時間になっている。

 机に散らばる紙を集めながら振り返ると、従姉の織子おりこ姉さんがドアの隙間からのぞいていた。


「あわ、わわわ座りながら寝てたの!」


 我ながらなんという言い訳じみたセリフだろうか。

 しかし、そんな私を気にした振りもなく織子姉さんは部屋の中に入ってきた。


「ベッドで寝なきゃいやーん」


 そうだね、いやーんだね。

 相変わらず、独特の空気を持った人だ。

 そこにいるだけで場がゆるむ気がする。


「それなーにん?」


「ええと、これは卒業生の贈呈に使うやつなの」


 手元のプリントに視線を落とす。

 明日の放課後まで提出しなければいけないものだ。

 将来の夢を漢字一文字で表現しろ、という無茶振り。

 最初、これを配られた時はクラスが騒然とした。

 これをどうやって(PTA会長が言うには)予算がかけられない卒業生贈呈に使うのだろうか。いまだ予想がつかないでいる。


「てまりんきめたー?」


「候補はちらほら。被るといけないから、明日学校に行ってから決めようかなって」


 他と被るなって。

 本当に無茶振りしてくる。

 明確な将来の夢などない私には酷な命題だ。

 まっさらなプリントをクリアファイルに挟んでいると、さらりと髪ゴムが私の髪から引き抜かれた。


「ふぅむ。てまりん、だいぶ伸びたねぇ」


「うん、受験の願掛けもあったから」


 私の髪の毛は腰に届くまである。

 今までで一番長いんじゃないだろうか。

 いつもは肩に届く前に切ってしまう。

 願掛けなどと言っているが、実のところは受験勉強が忙しくて放置していただけなのだが。


「合格わかったら切らせてねん?」


「うん、好きにしていいよ」


 これは、去年からの約束だった。

 織子姉さんは去年専門学校を卒業したばかりの新米美容師だ。

 免許をとる前からモデルとしてカットされて来たが、腕はいいと思う。


「パーマしたいなーふわふわまきまき。てまりん、すごいきれいなストレートだからふいんきかわるよー」


 織子姉さんは、学習机に向かったままの状態な私の髪を手で梳いて遊んでいる。


「ふんいき、だよ。ふいんきじゃないよ」


 テストでペケがついちゃう。


「かたいこと言っちゃいやーん。どうしよっかなーわくわく。染めてもいい?」


「染めるのはちょっと…」


 校則的にどうだったろう。と思い出そうとした私の脳裏に映った、赤い髪。

 風になびく赤がとてもキレイで。

 なにより、高千穂くんの横にいてなんの遜色もなかった。

 圧倒的な存在感。

 堂々とした佇まいと、口調から滲みでる自信と態度。

 どれをとっても、私とは比べ物にならない、人。

 それを、急に見せつけられた私は。


 私は、逃げた。


 あの場から、気づかれないように、そっと。


「てまりん?」


「あ、なんでもないの!」


 また、どこかに意識が飛んでしまったようだ。

 胸が痛んだような気がして、手で押さえる。


「染めるって…赤はないよね?」


「あかー? てまりんには似合わないとおもうよー?」


「だよね…」


 思わず、考えてもいないことを口に出してしまった。

 いけないと軽く頭を振っていると、織子姉さんがポケットから何かを取り出して渡してきた。


「そういや、那美子ママンからエアメール来てたよん」


 お母さんから。

 受けとると、青と赤線に縁取られた封筒の端を慎重にハサミで切る。

 中には一枚の写真と、びっしりと文字の書かれた二枚の便箋。


「いまどこにいるってー?」


「シエラレオネだって」


「どこー」


 どこだろう。

 あとで、地図でも開いて見てみよう。


 私の母は、世界を飛び回るフリーランスのジャーナリストだ。

 一年のほとんどを外国で過ごし、日本に留まっていることは少ない。

 婿養子だった父は、地方の新聞記者をしていた。

 しかし、その父は小学校に上がる前に事故で亡くなってしまい、私は母方の祖父母に育てられた。

 祖母は還暦を迎えるまでマナー講師をしていたこともあって、躾はそうとう厳しかった。

 祖父は皆には内緒だよと、よく泣いている私に隠れてお菓子をあげてはバレて、祖母に怒られていたものだった。

 誰よりも厳しくて。

 それでいて、誰よりも優しい人たち。

 両親はいなくとも、寂しさを感じずに育った。

 そんな二人は、私が小学校六年生の時に相次いで逝ってしまった。

 看取る私に手を伸ばし、言った言葉はどちらも似たようなこと。


『那美子のようにはなってくれるな』


 外国を駆け回り、盆正月でさえ顔を見せない一人娘に思うところがあったのだろう。

 生と死の隣り合わせで生きる母。成人男性でさえ身を竦ませる戦場へカメラ片手に飛び回る。

 その姿は立派で、輝かしいものだろうけれど。


(私には、真似できない)


 元からの性格でもあっただろう。

 しかし、周囲の刷り込みもたぶんにある。

 住み慣れた町から遠く離れ、父の兄の家で居候をはじめて三年の月日が経った。

 思春期の数年は、稚い私を変える。


「なんて書いてあったー?」


 美しい地平線の写真と共に、便箋を封筒に戻す。


「卒業式には間に合わないかもって」


「ありゃー」


 しかたない。

 しかたないんだ。


 いつからか。

 私には、諦め癖がついてしまった。



 今日から三日間は午前中に授業、昼からは卒業式の練習になる。

 一年生は早く帰れると喜んでいた。

 そんな賑やかな声の横を、担任に渡された大量のプリントを両手で抱えながらすり抜ける。

 くだんの、厄介なよくわからないプリント全クラス分。


「未提出者の中に高千穂くんいるんだけど…」


 彼は、高千穂くんは学校には来ているようなのだが、朝のHRも授業中も姿を見せることはなかった。

 気になるけど、ほっとしたような。


「岩戸さん、ちょっといいかな」


 階段を下っていると、上段の踊り場から声が降ってきた。

 見たことのない顔。

 クラスメイトではないが、履いている上履きの色から同じ学年だということがわかる。

 手招きされるまま、彼女の後ろをついていく。

 向かうのは音楽室や家庭科といった教室のある校舎。

 開かれたドアに足を踏み入れると、背後でピシャリと閉まった。鍵をかけられる。

 前方には、腕を組んで私をにらむ見知らぬ小柄な女の子。

 その三歩ほど後ろには従うようにして立つ、二人の女の子。その内の一人は私をここまで案内した子だ。


 あれ。

 なんだろうこの状況。


「わたし、まどろっこしいことが嫌いだから率直に聞くわ!」


 なんだろう。

 クルクルと巻いた長い髪の同級生は、私を指差して言った。


「あなた、高千穂明と付き合ってるのよね!」


 そうか。

 これは、いわゆるお呼びだしか!


 高千穂くんは眠りの王子と呼ばれるだけあって、見目がいい。

 ただし中身が若干あれでこれなので、話すようになっても私と周りの関係はいたって変わらなかった。

 しかし、一人ぐらい彼に想いを寄せる人間がいてもいいんじゃないかと常々思っていた。


 思っていた矢先に、こんなことに。

 なんてことだ。

 漫画のようなキャラの人が出てきた。取り巻き、取り巻きがいるよ。

 高飛車な態度だけど、幼さを助長させている大きな目をしたお嬢様っぽい女の子。

 狙いを外さないってすごい。


「付き合ってません」


「嘘おっしゃい! いつも一緒に帰ってるじゃない!」


「帰ってるけど付き合ってません」


「ネタはあがってんのよ!」


「ネタはお寿司だけでお願いします」


 どうしてだろう。

 こんな状況なのに、ワクワクしている私がいる。

 本当に不謹慎だ、どうしたことか。

 普通、こんな状況になったらなにも考えられなくなるだろうに。


「もう、ふざけてるの!?」


「いえ、つい…」


 それはきっと、この空気が。なんか、なんというか。


(織子姉さんのいる空気に似ている?)


 全体的に、ゆるいというか。

 せっぱ詰まった緊張感がない、というか。


 たしかに、小柄な少女は威圧感をみせようとにらんできてはいるが、背後の二人はつまらなさそうに好き勝手な方向へと視線を向けている。

 ここに人が来るのを警戒しているようにも見えるけど。


「もう! わたし、あなたより高千穂明のことを知ってるのよ!」


 彼女が地団駄を踏む。

 うん、なんかかわいい。


「あなたと違って小学校から一緒なの! いいでしょう!」


 なんと。小学校から。

 聞いてみたいことがあったんだ。


「小学生の時も休み時間は寝てました?」


「そりゃあ、もう。授業中もずっとよ!」


 高千穂くん、一応中学校では授業中は起きていた。

 進歩はしてたんだね。


「そうじゃないでしょ!」


「そうでしょうか」


 ええと、なにを言えばよかったんだろう。


「絵は描いてましたか?」


「今まで、いくつも賞とってるじゃないの!」


 そうなのか。

 知らなかった。三年生の彼は部活動してなかったし。


「ちょっと待ちなさいよ、あなたもしかしてなにも知らないの!?」


「なにもって…」


 彼は、授業中教科書も開かずに絵を描いていたり、休み時間は寝て過ごしている。

 友達がいない訳ではない。話しかけられれば二言、三言は反していた。

 放課後の彼は、話す時は話すけど多弁というほどもない。

 そもそも、本当に勉強を見てもらっていただけだ。


(黒板の件は学校中に知れ渡ってしまったし)


「そうね、誕生日とか!」


「ええと、知りません」


「好きな色とか!」


「どうでしょうか」


「好きな食べ物とか!」


「甘いのは苦手らしいですけど」


 お兄さんの作ったお菓子は、基本的に食べていなかった。

 でもコーヒーにすごい砂糖入れて飲むんだよね、高千穂くん。

 甘党じゃないのかいまいちわからない。

 学校の出席番号は誕生日順だけど、彼はクラスで最後だから今月なのかも。

 好きな色か。

 彼には黒が似合いそうだけど。

 そういえば、部屋着はいつも黒ばかり着ていた。


「チョコ嫌いなんて、大体の女子は知ってるわ! 逆になんで知らないの?」


 なんでって。


「知らなくても、なんとかなっていたといいますか」


 彼女は、信じられないものを見たような表情をこちらに向けている。


「もうちょっと、うろたえるとかしなさいよ! 不幸なヒロインポジションなのよ! なにそのことなかれ主義! 悲しんだりとかそういうのはないの!?」


 驚かないといけないところだったのか。

 遅いけど、なにか言っておこうかな。


「えーと。わぁ、こわい」


「真面目にやらんか!」


 普通に突っこまれた。

 どうしろと。


「すず、キャラがぶれてきてる」


「高慢的お嬢を維持しきれてないよねー」


 彼女の後ろで、こそこそと二人がなにか言っている。


「くっ…からかって遊ぼうとしたら、とんだ天然だったわ…!」


 なにを言っているんだろう。

 聞こうとした時、ロックのかかっていたはずの書道室のドアが開いた。


「あれ、人がいる…うん?」


 この状況。

 人気の無い部屋の角に追い詰められた一人の女子生徒の前に、三人の女子生徒。


 これは、いけませんね。


「あんたたち! なにやってんだ!」


 お話しをしていただけでした、とても平和的に。

 信じてはくれないだろうけど。

 私の位置からはドア付近が見えない。

 彼女の転身は素早かった。

 ドアから一番離れた外に続く窓を開けて飛び降りる。


「ずらかるわよ! 馬さん、鹿さん!」


「ひひーん」


「あとでシメる」


 鹿ってどう鳴くんだっけ。

 つい、そう考えていると小柄な少女に続く二人のうち、階段で声をかけてきた少女が私の手に何かを握らせた。

 感触的に、小さく折り畳まれた紙。


「すずの暴走につきあわせてごめんね、岩戸さん。埋め合わせはいつか、必ず」


 そう言うと、彼女もまた窓の向こう側へと消える。


「待ちな!」


 ドアから入ってきた人が叫んだが、もう後ろ姿さえ見えない。

 なんて早業だろう。

 突発的台風ようだ。

 私、この騒ぎで何か大切なことを忘れた気がする。

 でもそれより、いい加減抱えたままのプリントで腕がしびれてきた。

 はやく職員室に行かないと。


「大丈夫だった?」


 女性にしては、ハスキーな声。

 最近、聞いたことが、あるような。

 振り返ると、見えた、赤い色彩。


「あ…」


 間近で見ると、もっと美しく見えた。

 固まっていると、彼女が目の前まで近寄ってきた。

 あの時も思ったが、長身だ。

 高千穂くんのお兄さんより高いかもしれない。


「あれ、あんたもしかして…岩戸天鞠?」


「そう、ですけど…」


 何故、私の名前を知っているんだろう。

 彼女はまじまじと私を上から下まで眺め、何度となく頷いた。


「イマドキ、ないくらい規定の制服丈にヘアスタイル! 聞いてた通りでびっくりだな!」


 誰に、だろう。


 聞きたいような、聞きたくないような。

 いくつもの複雑な感情が私の中がぐるぐると混ざる。


「わたし、夜渡神楽よわたりかぐらって言うんだ! あんたのことは明から聞いてるよ!」


 先程の言葉が頭によみがえる。


『あなたもしかしてなにも知らないの!?』


 そうだ。


 私は、彼のことを、ほとんど知らない。

 高千穂、くん。

 この人は。


 あなたにとって、なんですか。

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