私の想い人


「もう。せっかくのチャンスだったのにっ!」


 一限目の現代文の後の休み時間。授業終了のチャイムが鳴るや否や、菜月はすぐさま私の席へと駆けて来た。


「うぅ……ごめん」


 随分前から相談に乗ってくれて、昨日の夜にも電話でアドバイスをくれた菜月。こんなに協力してくれているのに、本当に申し訳ない。


「まぁでも、さっきのはいきなり過ぎたし仕方ないか。よしっ。次よ、次っ!」


 そう言うと、菜月はキョロキョロと辺りを見回した。どうやら蔵本くんを探しているようだが、朝に行けなかった用事を済ませているのか彼の姿はどこにもなかった。


「いない、ね」


「うーん。逃げたか」


「え」


 もしそれが本当だったら、ちょっと……いや、かなりショックだ。


「冗談だよ」


「……もう」


 じゃないと困る。

 でも、菜月には悪いけど、今は彼がいなくてホッとしていた。私はまず、このカタワレチョコをどうにかしないといけない。一限目の授業を挟んで少し落ち着きを取り戻せたが、放課後までにもう片割れを見つけないといけないため、焦りは依然として心の中に渦巻いていた。


「でも、瑠香なら大丈夫だよ! 去年のリベンジ、果たすんでしょ?」


「うん……」


 親友の言葉に、昨日も電話で話した苦い過去が蘇る。

 去年のバレンタイン・デー。私と菜月は、お互いに好きな人にチョコレートを頑張って送ろうと約束していた。でも、結局内気な私は勇気が出なくて渡せなかった。一方の菜月は、一緒に告白もして見事に成功。今日こんにちまで、自他ともに認めるラブラブっぷりを発揮している。


「瑠香! 私がついてるし、応援してるからねっ!」


「うん……っ!」


 そうだ。私は、決意したんだ。

 今年こそはチョコレートを渡すと。自分の想いを言葉に乗せて伝えると。学校の七不思議なんかに、負けてたまるか。

 そんな私の心中を知らずとも元気付けてくれる親友に感謝しつつ、私は決意新たにこぶしを握った。



    ***



 とは言え、このカタワレチョコをそのままにして置くわけにもいかない。少しでも情報を得ようと、私は菜月との昼食後、図書館に来ていた。「蔵本くんを探してくる」と言い訳して出て行ったのに、手作りチョコレートが入った紙袋を忘れてくるなんて。多分今ごろ、菜月怒ってるだろうな。

 そんなことを思いながら、持っていた本を本棚へと戻す。


「うーん……あるわけ、ないよなぁ」


 ホラー系の本棚の前を行ったり来たり。関係のありそうな本を見つけては数回深呼吸。そしていざ読んでみるも、私の中の恐怖心を無駄にあおられて終了。一応、学校の歴史とか民俗学の本棚も見てみたけど成果はなかった。


「はぁー……とりあえず、下駄箱でも探してみようかな」


 他の休み時間に校舎内のあちこちを回ってみたけど、何も見つけられなかった。あとあるとすれば、他の下駄箱の中。もし入っていたらその下駄箱の当人が持っているか捨てているかしてそうなので敢えて探していなかったが、もうそこしか検討が付かなかった。

 生徒玄関近くのゴミ箱ものぞきつつ探してみよう、と図書館の引き戸を開けた時。


「お、遠野じゃん。今日はよく会うなあ」


「あ……蔵本、くん」


 短く切り揃えられたスポーティーな髪型に、穏やかな眼差し。私より頭一つ分は高い身長に、微かに香る石鹸みたいな匂い。

 私の意中の人が、朗らかな笑みを浮かべて立っていた。

 それまで別の要因でドキドキしていた心臓が、一際大きく跳ねる。


「でも遠野が図書館にいるなんて珍しいな。いつもは藤宮と教室で喋ってるのに」


 そんな私の胸中など知る由もなく。蔵本くんはゆったりとした口調で話しかけてきた。


「いや、えと……ちょっと、探したい本があって」


 対して私の方はおどおどした態度に、歯切れの悪い言葉。それだけで不釣り合いだと思わずにはいられない。それでも、私は去年からどうしようもなく、彼のことが好きになってしまっていた。


「へぇー奇遇だな! 俺もなんだよ~。いや~図書館なんて普段来ないからさ、友達にめちゃくちゃ笑われたわ」


 そんな私の不細工な態度を特に気にした様子もなく、彼は笑いかけてきた。その後も、友達に言われたことを、モノマネを交えて私に語り笑わせてくれた。蔵本くんと話していると、自然に笑顔が零れてしまう。穏やかな気持ちになる。


「あ、蔵本くん。袖口のボタン、外れかけてるよ」


「え? あれ? どこどこ?」


「ここ。ちょっと待ってて」


 少しだけ抜けていて、それが恥ずかしいのかちょっと赤くなっている。そんなところも、好き。


「裁縫道具、いつも持ち歩いてるの?」


「家庭料理部だからね~」


「おおぉ、さすが過ぎる。女子力たけぇ……って、あ。遠野は女子か」


「ちょっとー?」


「わぁ、ごごごごごめんっ!」


「ふふっ。が多過ぎるよー」


 内気な私もいつの間にか普通に喋れていて、それでいて楽しい。

 やっぱり、私はしっかり自分の想いを伝えたい。成功するかはわからないけど、せめて一生懸命作ったチョコだけでも受け取ってほしい。


「んじゃ、俺は本探して来るわ。ボタンありがとな、遠野!」


「あっ、待って……!」


 呼び止めた直後。私は手作りチョコレートを教室に忘れてきたことを思い出した。


「ん? どした?」


「いや……えと……」


 うぅ……どうしよ。なんで忘れてくるの……私のバカ。ドジ。アンポンタン。これもカタワレチョコのせいなのかな…………いや、多分だけど、違うだろうな。

 自己嫌悪と格闘し、思案すること数秒後。私は、衝撃的な言葉を口にしてしまう。


「あのっ! 放課後、渡したいものがあるので、私に時間をくださいっ!」


「え?」


「それじゃ!」


 最後の言葉を言ったかどうかのところで、私は全力で駆け出す。


 ええぇ⁉ 何言ってるの私ーー⁉ これほとんど言ってるようなものだよーーっ⁉


 頭が真っ白になって、気がついたら言葉が音となって口から出ていた。顔が火を噴くんじゃないかと思うくらい、熱い。絶対耳まで赤くなってる。


 恥ずかしい。どうしよう……。


 顔を両手で覆いながら、私は全速力で図書館から離れた。

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