困惑から始まったバレンタイン・デー


 そんな、まさか……そんな…………。


 教室までの道すがら、菜月は隣で昨日の連ドラの話を興奮冷めやらぬといった様子で熱弁していたが、全く耳に入ってこなかった。

 慌ててリュックに仕舞い込んだは、見た目以上の重量を持って私の肩にのしかかる。


「――でさ……ちょっと、瑠香? 聞いてる?」


「えっ、あ、ご、ごめん……!」


「もう。まっ、緊張するのはわかるけどさ」


 違う……違うの。ごめん、ごめんね、菜月。

 必死であれこれとシチュエーションの提案をしてくれてる親友に、心の中で繰り返し謝る。と同時に、なんで私が……という誰に対するでもない思いが沸々と湧き上がってきた。


 つい数分前のこと。下駄箱の蓋を開けて私の目に飛び込んできたのは、内履きの上に置かれた真っ白な片割れのハート型チョコレート。一瞬、私は凍り付いたが、他の誰にも見られてはいけないという菜月の言葉を思い出し、たまたま口が開いていたリュックのミニポケットにそれを突っ込んだ。

 最初は誰かの悪戯いたずらかと思ったが、そんなことをしそうな人に心当たりはない。もちろん菜月はそんなことしないし、クラスでいじめられているわけでもなければ、それに近いことをした覚えも、された覚えもない。


 あと考えられるとするなら、恋のライバル……。

 

「でも、菜月以外には言ってないしな……」


「え? 私がなんだって?」


 彼女の問いに、ハッと我に返った。私、思わず口に出してたのか。


「い、いや! なんでも……ない!」


 慌ててはぐらかすも、彼女は少し怪訝けげんそうだ。無理もない。今の私は、周りから見れば絶対に挙動不審だ。「まぁ、何かあるなら相談してね」と菜月が深く聞いてこないのは、彼女なりの気遣いなのだろう。

 菜月に相談しようかなとも思ったが、もしこれが本物なら他の誰にも見られてはいけない。それが話すことも含まれるのかわからないけど、そんな賭けみたいなことをして永遠に恋が実らないのは絶対嫌だ。

 つまりこれは、私がひとりで解決しなければいけない。


「不安だなぁ……」


「え?」


「い、いや! なんでも――」


 また声に出ていたのか、と再度取り繕おうとした時だった。


「あれ? 遠野に、藤宮?」


 階段の踊り場。私たちのいる階段の途中よりも数段高いその場所で、同じクラスの男の子であり、私の好きな人――蔵本裕也くらもとゆうやが見下ろしていた。


「えっ⁉ な、なんで……」


 思いがけない遭遇に、私の脳内キャパシティはすぐに限界を迎えた。


「あっ、わり! ちょっと俺、部活の顧問に呼ばれてんだ。また後でな」


「ストーップ! ちょっと待って!」


 急いで駆け降りようとした蔵本くんを、菜月が両手を広げて止めた。


 え、まさか……ここで?

 もっちろん!

 目と目で会話すること、僅か二秒。


 ムリムリムリッ! 無理だって! ただでさえ心の準備ができてないのに、あのカタワレチョコが私の下駄箱にあって混乱しているこの状況で……。


「えと、あの……その……」


 頭の中は真っ白だった。前日に二時間かけて考えたフレーズは忘却の彼方へと吹っ飛び、口からはパクパクと音にならない空気が出入りするだけ。まるで、カタワレチョコが全てを白く塗り固めてしまったように。結局、私は手作りチョコレートが入った紙袋を後ろ手に握り締めていることしかできなかった。


「はぁー……まぁ、いいわ。蔵本! あとでちょっと話あるから、時間空けといてね!」


「え? いつ?」


「今日一日、ずっとよ!」


「はぁ⁉」


 蔵本くんの小さな悲鳴とともに、予鈴が校内に響き渡った。

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