カタワレをさがして

矢田川いつき

下駄箱のカタワレチョコ


 学校の七不思議、というものを聞いたことがあるだろうか。

 勝手に鳴り響くピアノ。数が増える階段。放課後に動く人体模型……。

 そのどれもが非現実的で、オカルトチックな、ホラー要素のある話ばかり。


 私の高校にも、ある時期になると途端に話題となる、そのたぐいの話がある。

 

 ある時期とは、バレンタイン・デー。


 甘くてほろ苦いチョコレートとともに、ほのかな淡い恋心が成就するかもしれない、女の子のイベントデー。


 ……なのに。

 いったい誰が、あんな内容のうわさを流したのか。ほんと、腹立たしくてしょうがない。


 夕日に照らされた、光の粒が舞う屋上の階段室の屋根の上。こんなに綺麗で、美しい光景を目の当たりにしながらも、そう思わずにはいられなかった。



    *



 肌を突き刺すような寒さの中。マフラーにカーディガン、手袋にタイツに厚手の靴下という万全の防寒具装備で登校するも身震いを止められないのは、私――遠野瑠香とおのるかだ。


「はぁー……寒いな」


 吐き出した肺の空気は白く広がり、やがて冬の大気に溶けていく。

 でも、まだ雪が降っていないだけありがたい。雪が降っていたら、もふもふのコートに毛糸の帽子を追加しないと、夏生まれの私はおそらく耐えられない。

 そんなことを思いつつ雪を踏み締め校門をくぐると、後ろから「瑠香ー!」と元気に私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「菜月~。おはよ~」


 浅く積もった雪の上を、転ぶのを恐れていないかのようなスピードで走ってきた親友――藤宮菜月ふじみやなつきに、もごもごと挨拶をする。


「もう瑠香。そんなおばあちゃんみたいに縮こまってたら転んじゃうよ?」


 走ってきた勢いで、冷え切った大気を小刻みに揺らすようにショートの黒髪が舞う。その毛先にあるのは、クリーム色のマフラー。あと目につく防寒具は…………無し。


「え。菜月、寒くないの?」


 心底驚いた私の問いかけに、彼女は快活な笑みを浮かべた。


「もち! 子どもは風の子って言うじゃんっ」


 信じられない。


「……私はこたつの子になりたい」


 私の言葉を聞いて、呆れた様子の菜月。私たちにとってはなんてことない、いつものやり取りだ。

 いつもならこの後は宿題とか昨日観たテレビとかの話になるんだけど、今日だけは違っていた。


「それ、作ってきたんだ?」


 隣を歩く菜月は、興味津々とばかりに私の持つ小さな紙袋を指差した。


「うん……」


 恥ずかしさのあまりうつむきがちになりながらも、私は小さく頷く。


「もうっ、自信持ちなよ! 大丈夫だって!」


「でもー……」


 内気で奥手な性格だからだろうか。全力で背中を押してくれる友人の言葉を、素直に受け入れられない。いや、これでも家庭料理部だし、味にはもちろん自信がある。デザインも……まぁそれなり。でも私には、これを渡すためのシチュエーションづくりの知恵や、いざその時になった場合の勇気が足りていないのだ。


「タイミングを逃しちゃダメだよ! 十分間の休み時間にひとりになることだってあるし」


「う、うん……」


 どうしよう。今から緊張してきた。


「それと、しっかり前を向いて渡すんだよ。どうしても言葉が出ない時は、無言でもいいから」


「はい……」


 去年のバレンタイン・デーに告白し、見事成功した菜月先輩の助言を心にメモする。私も、今年こそは成功させたい。そのために、今年は頑張って手作りしてみたんだから。

 そんな季節感のある会話に加え、いつものやり取りもしつつ生徒玄関の入り口をくぐった時だった。


『ねねっ、下駄箱のカタワレチョコって知ってる?』


『知ってるよー。この学校の七不思議のひとつでしょ?』


 一つ上の学年。三年生の下駄箱の方から、一際ひときわ大きな話し声が聞こえてきた。


『私は大丈夫かな……っと、良かった~。大丈夫だった~』


『私も~。高校最後のバレンタイン・デーに入ってたりしたらもう最悪だよ~』


「……ねぇ、菜月。下駄箱のカタワレチョコって、何?」


 会話が遠ざかっていくのを確認してから、私はブーツを脱いでいる菜月に聞いた。


「ん? ああ、この高校にある七不思議のひとつだよ」


「七不思議?」


「そう。部活の先輩から聞いた話なんだけど、昔この学校の女子生徒がバレンタイン・デーに不慮の事故で亡くなったらしいの」


「え……」


 ホラー展開しか見えてこない出だしに、寒さとは別の震えを感じた。


「それでね。その子は長年好きだった男子生徒がいたんだけど、結局想いを伝えることができなかったの。その後悔からか、バレンタイン・デーの朝に下駄箱を開けると、半分に割れたハート型のチョコレートが置いてあることがあるらしくて……」


「ひっ」


「放課後までに、他の誰にも見られずにもう片方のチョコレートを見つけないと、永遠に恋が実らないとか……」


「ひいぃぃぃ……」


 もう無理。無理だよう。

 ブーツを脱ごうとしゃがんだまま、私は頭を抱えた。

 ホラーは私が嫌いなジャンルのひとつ。というか、突出して苦手だ。それなら聞かなければいいのでは、と言われたこともあるが、そこは怖いもの見たさというやつだ。それに、途中で止められると余計に怖い。……まぁ、最後まで聞いても怖いものは怖いんだけど。


「ぷっ、あはははっ。もう、相変わらず怖がりだなぁ、瑠香は」


「笑い事じゃないよう……」


「ごめんごめん。まぁでも、逆に見つけられたら永遠の愛が叶うらしいよ?」


「私は普通に叶えたいよ……」


 いつまでもしゃがみ込んでいるわけにはいかないので、私はブーツを脱ぐと自分の下駄箱へと向かった。


 まさかとは思うけど、ない……よね?


 小さな木製の蓋を恐る恐る開けて――私は、絶望した。

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