第23話 鼻もげている古屋子(こやね)が水を啜る音は歌には出来ない



遠祖「えんそ》に天児屋根命あめのこやねのみことを持つ藤原一族。

中臣鎌足が、後の天智天皇(中大兄皇子)の蹴鞠の場(懸り)で、中大兄皇子が脱げた靴を拾った事で側近となった逸話いつわがある。

藤原一族の摂関家せっかんけであった近衛家。

近衛このえ前久さきひさ公は安土桃山時代の関白だが、流浪るろうの関白でもあった。

長尾景虎(上杉謙信)を当初頼った近衛前久は、室町幕府15代将軍足利義昭と出奔しゅっぽん

1568年から1575年の間は丹波に潜伏し、信長への敵対勢力となっていた近衛前久。

信長公の元へ帰参を許された後も、信長、秀吉、家康と、戦国乱世を生き抜く為に庇護を受ける相手を変えてきた公家で、書道(尊円流=青蓮院流=栗田流。91代天皇伏見天皇の皇子の尊円入道親王が開祖)をたしなむ、一流の文化人であった。



「どうや?」



近衛前久は足利義昭を上座かみざにし、屋敷の庭壺で平伏する男に訊いた。



「墨は白く、米は烏……」



 前久が放る。

 千貫文の数珠じゅず



古屋子こやね。お前が落とした久米くめの男。吉田の化けきよ素性すじょうを探った武田の乱破らっぱだったようやな」



古屋子こやねと言われた醜い小男は、前久が放った銭、紐でくくられた千貫文を首に巻き、ふへへっと醜い笑みで口角を吊り上げた。



「久米の男は、吉田の化けきよがおなごに化け、幼女をかどわかしてた事を探っていたようでげす」



甲高い声のにくぐもった発音に唾を吐きたいような嫌悪感で、その小男を一瞥いちべつした前久。

 少年のような体躯たいくの上の顔の鼻はもげていた。

 梅毒に掛かると鼻と陰茎がもげてしまう。

 彼の鼻はもげていたのだ。

 彼が水を啜る時。

 

 じゅる じゅる……


 彼の鼻は自ら放つ醜悪な腐敗臭ふはいしゅうと共に水を啜る。



「武田の乱破は何処ぞで金を探しておる」


 足利義昭。

 15代足利幕府将軍。

花の御所とされた室町幕府。

武家と公家が融和していた幕府は京都に置かれた。

鎌倉幕府と違い、京都に幕府が置かれた事で武家が公家を監視、抑制していた公武合体の幕府。



前久は古屋子こやね侮蔑ぶべつの目で見ると、



「お前を見ているとあの、醜悪の傀儡師くぐつし、吉田の化けきよを思い出す……。お主は化けきよわらしではあるまいな?」



不気味ー気味が悪いというか言葉を呑み込んだ前久。



自分の首に巻いた千貫文の紐をじゃらじゃらさせ、それを回転させている、その古屋子こやね


前久は銭を古屋子こやねに与えた証文に自分の華押かおうを書くと、それを庭壺へ放った。



風に飛ばされたその証文しょうもん

古屋子こやねは自分の首に巻いた銭を回転させ、その身体を宙に上げ、その証文に噛みついた。

コメツキバッタのようにその体躯たいくを伸縮させ、元の場所へ戻った古屋子こやねは、前久が書いた銭証文を見ながらほくそ笑みを浮かべようとしたが、その顔がひきつる。



「!」



銭を与えたのではなく貸した証文。



十一といち




暴利とも言える十日とうかで一割の利子。



現在の高利貸し、ヤミ金融。サラ金は無担保。



「前久様?! 華押かおうがない!」



古屋子こやね



 墨は白く、米は烏。



 八咫烏やたがらす



 烏の羽の色は最初白かったというが、主に嘘を申さば、羽は黒くなる」



 近衛前久さきひさの顔は、見たくないものを見たような顔つきだ。



「八咫烏の三本足は、難波へ」



近衛前久が言う。



「熊野へ向かう流れが」



古屋子こやねが吐く。



大道たいどうの流れが飛鳥へ」



足利義昭の言葉が流れる先へ視線を投げる者は此処にはいない。






「紫乃武様」



有紗ありさしとねで眠れずに、近侍する飛鳥井紫乃武に、



「紫の僧衣そういを着る方は殺されたのですか?」



「比叡の御山おやま明智十兵衛じゅうべい様に滅ぼされた」



織田信長公の比叡山攻め。




明智光秀=天海大僧正説。

明智秀満ひでみつ=天海大僧正説。

秀満公は光秀公の従兄弟であり娘婿でもある。


坂本城を居城とする明智光秀公。

明智秀満公が庶子の太郎五郎を土佐の長曽我部 元親もとちか公の元へ逃がした説は実際の歴史家が唱えている説でもある。



「有紗」



「お前の父親は生きているやもしれぬ」



金色の鞠。


奥州の伊達輝宗公は京都に商人を送りこんでいた。

伊達政宗公も父と同じで京都へ送り込んだ商人から上方の情報を仕入れていたが、柳生石舟斎の直系の孫の柳生兵庫助 利巖としよしが明智光秀公の孫(正室)を娶ったのも、伊達家商人の取り計らいによるものであった。



満月の夜。

その満月を横に酒の肴にしているのは、一粒の金平糖こんぺいとう

四国の金毘羅山。

平家落人伝説のある剣山。

ソロモン王が埋蔵させた宝物があるとも言うが。

織田信長が探す草薙剣。

平家滅亡ともに壇之浦だんのうらに沈んだとされる草薙剣。

尾張一宮の熱田神宮のレガリア。




有紗が枕から顔を横に向ける。

有紗が慕う紫乃武の端正な横顔を見ると、有紗はそのしとねの布団を自分の顔に掛けた。




第23話  了

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