第16話 兄弟舟



「兄者の恨みを晴らしてみせる―」


 朝鮮半島から漁に出た後難破した兄弟漁師の弟は、海縁うみべりに居た。

 1㌔先の沖合の兄弟岩とされる場所で座礁した舟―。


 嘗て源義経公は平家水軍の舟に八艘飛びで移り、その刀で水軍兵士を海の藻屑もくずとした。


 


 時刻は、酉刻とりのこく。午後6時前後だ。

 周囲の空間に闇が訪れ、顔さえ判別しかねる。

 難破した兄弟漁師の弟は、自らを有念と呼んだ。

 ハングル文字は李氏朝鮮時代、1446年李朝の世宗が「訓民正音」の元に民間に広めた文字だ。


 有念は仏教用語で姿・形を観想する事であり、無念に対応する言葉だ。


 セント・エルモの火―。


 舟の舳先へさきに宿るとされた灯は、漁師や船乗りの聖なる火であった。


 兄弟舟の舳先―。


 座礁ざしょうし、難破した舟の舳先に灯るセント・エルモの火。




「兄者の魂だ―」



 1㌔沖合に座礁した舟。


 今日は干潮。月は新月。

 満月時に潮は満ち、新月時に潮は引く。


 沖合まで歩いて渡れる位に潮が引いた状態で、有念は、その脚力で、源義経よろしく、八艘飛びどころか、10回も20回も、そのジャンプを繰り返す。

 難破した舟の船体には、海藻がこびり付く。

 朝鮮半島から漁に出た後、季節外れの大風に煽られ、対馬海流に乗って日本の山陰沖合まで流されて難破した舟に乗っていた兄弟は、「客人まれびと」として、最初応対を受けたが、その後の村人の態度が豹変したのは、その地域の神社の神官がやってきてからだった。

 京都の吉田神社から派遣されてきたその神官は、それまでの禰宜ねぎを奸計で追い落とし、灰吹法を行わず、銀の純度が低い状態のままで鋳造した貨幣を、そのまま流通させていた。

 純度が低い銀と、灰吹法を行った銀の純度の差益を我が利としていた神官。

 朝鮮半島から伝わった灰吹法を知っていた兄弟漁師は、その神官の奸計を見破ったが、兄がその銀の貨幣を歯でかじった時の歯形の深さ。



 兄と弟が、強制労働の為、最も酷い労働環境の銀山に追いやられてから数カ月。


 

 兄は、弟が目覚めると、その姿を寝床から消していた―。





第16話 了

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