第18話

野上の顔が結子の知る野上とはまるで別人に見えて、もう見ていられなかった。

目を閉じると野上の言葉が結子の頭を何度も反芻する。

『お前には分かってないね。見たくもないものを見て、目を塞いだり逃げる事しか出来ない人間は大勢いる』

今、目を閉じたのはまさにそうなのかも知れない。

「やけにあっさり認めるのね。どうして?」

「どうして?死因が特定されたんだ。俺に辿り着くのも時間の問題だろう?その捜査時間を短縮出来るんだ。お前たちの大好きな自白が取れてるんだ。もうこの事件は終結だ。それにしても良くわかったな、ホルマリンが投与されていた事に。お前たち警察の能力は、まだ地に堕ちた訳ではないって事か。さぁ、早く写真を見せてくれ。」

野上の催促に結子が口を噤むと取調室のドアが開いた。

「主任、これ。お願いされていたものです」

そう言って黄田がメモ書きと書類をすっと差し出して、野上を一瞥して部屋を出ていった。

黄田のその行動に、結子は少し動揺したと同時にメモと書類に目を通して気持ちが少し落ち着いた。何かを黄田にお願いした覚えはなかったが、黄田は結子が目を塞ぎかけたのを見計らって救いの手を差し伸べてくれたのだろう。結子はそのメモ書きと書類に目を通して大きく息を吸った。

「どうした?写真が届いたか?黄田は本当に良く気が利くよなぁ。あんな部下を持ちたいものだ。そう言えば、あいつはどうなった?お前の班にポンコツがいただろう?前に話してた泣き虫のポンコツ」

「私の班にはポンコツなんて一人もいない。ねぇ、野上。警察を辞めたのはどうして?」

野上の挑発に結子は黄田のメモ書きを強く握って答えた。

「俺が警察を辞めた理由か?前にも言ったろう?俺は何かに属すのには向いてなかった。それだけだ」

「そう言ってたわね。でも、それは嘘。」

「前にも言ったが、人間は自分の都合の良い様に考える生き物だ。お前はそれが特に顕著なようだな。」

その言葉に結子は大きく頷いた。

「確かにその通りだと思うわ。それに、そのおかげで何度も失敗してる。捜査でもね。私は自分の考えたストーリーにそぐわないと気が済まなかったのかも知れない。でもね、私がそうなった時止めてくれる人もいるの、今はね。ねぇ、『日下 鈴音』知ってるわよね?」

結子の言葉に野上は少し反応している様に見えた。

「まだ公安だった時に、あなたが担当した事件で加害者家族の一人だったのよね。兄である『日下恭介』が公園連続爆破事件を起こして服役。日下恭介が服役中に公園連続爆破事件が再び起こり、その犯人として妹の日下鈴音が指名手配。証拠は部屋から出てきた爆弾が決め手だった。ところが、指名手配中に公園で自ら仕掛けようとした爆弾が誤爆して死亡。享年18歳。黄田がこの子の事は全部調べてくれた。ちょっと世間を賑わせた子ではあるわよね。あなた兄の逮捕にも関わってるし、逮捕後もこの妹の所に何度も通ってるわよね。それにこの子が亡くなってからすぐあなたは警察を辞めてる。どうして?」

「全部?全部調べただと?そんなはずはない。お前らは記録という文字の羅列をただなぞっただけだ。その文字の羅列は警察によって作られたストーリーだ。そこに何一つ真実は無い。日下恭介、鈴音は何もやってない。何もだ。日下恭介はただ、爆破事件が起きたとき現場にいた。ただそれだけだ。日下恭介と鈴音は早くに両親を亡くして二人で支えあって生きてきたんだ。ひっそりとな。優しい兄だったそうだ。そんな兄の無実を晴らそうと署名活動をして、弁護士にも掛け合った。あいつが言われたのは「犯罪者の身内のクセに」「今更無実なんて、反省もしていないのか」こんな言葉に鈴音の心は何度も潰された。そんな時だ、俺が独自に捜査を進めて、日下恭介は無実だとする証拠が出てきた。爆発事件が起きた日の防犯カメラの映像だ。そこに映っていた男を調べて驚いたよ。『内海 嘉明』知ってるか?当時、警察庁長官の内海 嘉男の息子だ。そいつの罪を着せられたんだよ。」

「そんなバカな事が通る訳が無い」

「そう思うだろう?俺もそう思った」

「でも、あなたは証拠をつかんだんでしょう?内部告発すれば良かった」

「俺が出した所でそんなものは握りつぶされるに決まってる。そこで俺は証拠を鈴音に渡した。世に出すも自由、自分で処理するのも自由。あいつにこそ裁く権利があると思ったからだ。公園で証拠を鈴音に渡して俺が公園を後にしたら後ろでドカーンだ。鈴音は爆弾どころか手荷物一つ持ってなかった。通話を傍受されてたんだろう。いかにも公安がやりそうな事だ。挙句犯人に仕立て上げられた。兄の恭介が今どうしてるか知ってるか?」

「刑務所内で自殺。資料にはそうあるわね」

「それもどうだかな。消されたんじゃないかと俺は思ってるがな。俺はこの事を裁判所で話す。その為には世間に注目される様な事件が最適だ。これだけ猟奇的な事件を起こしたんだ、世間の関心は高い。猟奇殺人犯が一体裁判所で何を話すのか、みんな聞きたいだろう」

「野上。あなた本当に嘘が上手ね。そうやって本当にあった事と嘘を織り交ぜるから本当に聞こえるのかしらね。虚実織り交ぜても無駄。あなたの話は矛盾してる。それだけ世間の関心を集めて裁判がしたかったと言うのに、どうしてホルムアルデヒドで殺す必要があったの?それに、あのままだとこの事件はたまたま家族が食中毒死して、そこに誰かが手を加えただけの死体損壊で処理される所だったのよ?」

「警察が振り回される所が見たかった、それだけだ」

「いいえ、違う。あなたは狂ってもないし、ましてや殺してもいない。これが証拠。あなたと向井が交わした手紙でのやりとりの一部よ。こういうものはシュレッダーじゃなく、燃やすべきだったわね」

シュレッダーされて切り刻まれた手紙は今ここにつなぎ合わされて蘇った。

「つなぎ合わせたのか?」

「えぇ、あなたがポンコツ呼ばわりした長野がね。さぁ、話しなさい。本当の事を」

野上は結子の言葉に大きく目を見開いた。

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踊るマネキン @sumire0710

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