第16話

捜査本部はひっくり返りそうになっている。元警察官が死体損壊の容疑で連行されてきたのだから、当然と言えば当然だ。捜査が全て筒抜けになっていた事で、結子は何らかの処罰を受ける事になるだろう。盗聴器の件は多めにみてくれるかも知れないが、バーで会議まがいの事をしていた事は厳しく罰せられるはずだ。しかし、今は処分の事を気にしている場合ではない。処分されるのなら結子には時間が無い。野上との会話でどうしてもひっかかる事がある。野上は何度も『お前は何も分かっていない』と、そう言っていた。

野上の言う通り何も分かっていない。それは精神的な事を指していても、事件の事にしても何も分からない。

『お前は向井の事をどこまで知ってる?』この言葉は結子の頭にべったりとこびりついている。この事件に向井が関与しているのは分かっている。最初の野上の反応を見たときに気付くべきだった。彼に向井の写真を見せた時、白衣を着ている向井の写真を見て『医者か?』と聞いた。白衣を着ている職種はそんなに多くない。むしろ大多数が医者だと感じるはずだ。野上は無駄な話はしない。それでも敢えて聞いてきた事には何か意味があるはずだ。結子は野上の言葉を擦り切れる迄何度も何度も思い返していた。最初に話した時、井坂総合病院か向井正人のどちらかに関する依頼を受けていると思っていたが、逆だとしたら?井坂総合病院の向井正人が野上に何かを依頼したとしたら。向井が何を依頼するかは結子には分かる。きっと消えた母親の事に違いない。野上が依頼を受けて調査したとして、彼の能力なら間違いなく母親を見つけてきたはずだ。母親に会えた向井はどう感じたのか。

『DNA鑑定を見越して犯人がすり替えた可能性は?』野上はどういう意図で発言したのだろう。あのまま捜査が進めば警察は向井を追っていた、それも容疑者として。

それが野上の一言で再鑑定が行われ、向井は容疑者から外れ、焼死体が向井だと判明した。あの言葉の意味は?まさか向井を庇った?

「主任、大丈夫ですか?」

黄田が結子の顔を覗き込んで言った。

「ん?大丈夫よ。ねぇ、向井の家行ったでしょ?その時、黄田は何を感じた?」

「え?向井ですか?んー、まぁ部屋が綺麗だなって事と、ちょっと変かも知れないですけど内臓が綺麗だなって思ってました。あれってやっぱりあれですかね?箱の中にホルマリンとかいれてたんですかね?向井なら簡単に手に入れれただろうし」

「そうね、向井はお医者さんならそれ位は簡単に手に入れれたかもね。だとすると、やっぱり向井が殺して野上が手を加えたって事かしらね。ん?ちょっと待って。それって間違いなく箱に入ってた?」

結子は箱を見たときに液体が入っていた記憶が無い。

「あれ?そういえば液体は入ってなかったかも。ちょっと資料見ます」

黄田と結子は取り出した現場写真を見て、顔を見合わせた。

「ホルマリン、入ってないわね」

「でも死後1カ月ですよね。あんなに綺麗なものですか?いくら密閉されてるとはいえ」

「そうよね。鑑識に聞いてみる」

「確か、胃の中身は盛大に腐ってたんですよね。なのにこんなに綺麗な内臓って、変じゃないですか?」

そう言われ結子は少し考えて、とんでもない考えが頭に浮かんだ。

「ねぇ、黄田。あんた天才かも知れない。ホルムアルデヒド、ホルマリンとして解剖に使われてるけど、人体に接種させれば猛毒よ」

「じゃあ、胃の中身が腐ってたのも」

「死後一カ月なんかじゃない。もっと前に死んでる。ボツリヌス菌は死んでからの時間経過で胃の中のものが腐って繁殖したのよ、間違いない」

「俺、急いで鑑識行ってきます!」

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