第9話

結子は捜査会議室の椅子から立ち上がる事もせず、じっと考え込んでいた。

周りからは落ち込んでいる様に映ったかも知れないが、結子がここで座っているのは、管理官に怒鳴られたからでも、係長に叱責されたからでもない。ましてや勘が外れたからでもない。今までも勘が外れる事は山ほどあったし、それが原因で叱責を受けた事もある。今回は物的証拠もついてくると、なにか確信めいたものが結子の中にあったが、結果は否。勘が外れた事に関して言えば、ショックではあるがそれは仕方のない事だ。また一から捜査をしていくしかない。その為に情報を一度整理して、この事件を考え直さなければならない。

結子はその為にここに座っている。岸本一家が全員食中毒の可能性が出てきた事に、結子は懐疑的だ。そんな都合の良い話があるだろうか。一家全員が食中毒ならば、身体の不調を感じて、誰かが病院に行こうと言うだろうし、動けないならば救急車を呼ぶだろう。不調を感じる前に中毒死して、それを見つけた誰かがわざわざ内臓を持ち出す事の不自然さ。

だが、証拠はこの不自然な出来事が真実だと示している。今の所は。岸本一家の事もそうだが、焼死体はこの事件の鍵になっているに違いない。連続殺人であるのは明白だ。だが、その焼死体もあてが外れた。歯も内臓も無く、マネキンスタンドで立たされている焼死体を見つけたら、人はどう感じるだろうか。なんてひどい死体だ。とか、猟奇的だ。と感じるだろうか。岸本一家の現場でも凄惨な光景に目を覆いたくなった。これもまた人は猟奇的、異常だ。と感じる。浮かび上がる犯人像は猟奇殺人者で、サイコパス、そんな印象を受けるはずだ。もしこれらの印象は敢えて植え付けられているものだとしたらどうだろうか。

マジシャンはトリックという本質を見破られない為に別の所に視線を集める、所謂、視線誘導をつかう。この事件もまた本質を隠すために、敢えて猟奇的な殺人を演出しているとしたら。そこまで考えて、岸本佐和の遺体だけは綺麗な恰好で血も全くと言って良い程付着してない事がふっと頭をよぎった。まさか、岸本佐和も何かを隠すためにわざわざあの様な格好にしたのか。そうだとすると、歯も内臓も無い焼死体は、身元を判別させない為に、そうしたという事かも知れない。マネキンスタンドや岸本一家の事も相まって、見事に犯人は狂った殺人者だと植え付けられている。そうだとすると、岸本一家は何故殺されなければならなかったのだろうか。犯人は猟奇殺人に見せる為にマネキンスタンドを用意した。しかし、焼死体だけでは不十分だったから、一家もカモフラージュで殺害。なにかそう単純でない様な気がする。結子が考えを巡らせながら、室内をウロウロしているとドアが開き、黄田が顔を出した。

「主任、みんな外で待ってますよ」

「ずっと外で待ってたの?あれから?」

「えぇ、待ってました。俺たち酒井班なんで。なにか思う所があるんですよね、俺たちにも話してください」

結子はまだ黄田たちが外にいた事に驚いた。結子は会議が終わってから1時間は座り込んでいたと思うが、その間何も言わずじっと外で待っていたという事になる。

「そうね、ありがとう」

結子は短く返した。きっと黄田たちは自分に時間的猶予をくれたに違いない。

1時間経ったころに声をかけてきたのはそういう事なのだろう。

「主任、久しぶりにみんなでいきましょうか」

結子が廊下に出ると黄田は嬉しそうにジョッキを飲むジェスチャーをして言った。

「いいわね、久しぶりに全員で行こう。今日はみんなでパーッと」

結子が黄田の意見に乗っかると石村も岸も頷いた。

「えぇ?!まだ3時ですよ。勤務時間中にいいんですか。それに事件もまだ解決してないし」

長野がおろおろしていると、黄田が長野の肩をポンと叩いて言った。

「ばーか、たまには良いんだよ。それにお前、事件が解決するまで禁酒でもするつもりだったか?俺たちは刑事だが人間だ。解決してなくても、腹いっぱい食って飲んで寝て良いんだよ。そうやってまた次の日に靴底減らして捜査する。それに、今日みんなで話して見えてくる事もあるかも知れないだろう。俺たちは俺たちのやり方で少しづつ捜査するんだよ」

「そういうこと。私この時間でも営業してるバー知ってる」

結子がそう言うと、黄田は笑った。

「開いてる、じゃなくて開けさせる。でしょ?野上さん、迷惑な客がいるって困ってましたよ」

「うるさい。じゃあ、行くわよ」

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