勝ち猫は負け犬と。 中
綺麗なものを見ると、壊したくなる。
『電話があったわ…どうする?』
そう、母から電話をもらったのは土曜の夕方だった。
カラオケに行っていたものだから、誰かの声に邪魔されてよく聞き取れずに最初はなんの冗談かと思った。
思い出すのにも時間がかかっちゃうくらい、昔の話。
なんでいまさら。
なんで、いまさら。
終わったことじゃないの。二年も前に。
「はあ? なんでいまさら…」
『あんたね、いまさらって…なにしたかわかってるんでしょうね! だからあんたはいつもいつも』
「あーもーはいはい会うよ会えばいいんでしょ。そう返せば?」
ガミガミうるさい。要件だけ言えばいいのになんでいつもこうなの。
まだ向こうでなにか言っていたが電源を落として机に放った。
ああ、イライラする。ムカムカする。ナニサマだ。
「どうしたの?」
歌い終わった相手がマイクを振って聞いてくるのに即座に笑顔を作って返した。
初めて会う子だから、愛想よくしとかなきゃね。
声もいつもよりは三割増しに高めに言った。
「なんでもないない。でもママが遅いってうるさいからもう帰るねー!」
「ええーもう? 一曲歌ってから帰りなよ!」
「ならリクエストある? それ最後に抜けるわ」
「えーじゃあこれ!」
提示されたのは最近流行りはじめたやつだ。この歌手どの曲も同じことしか言ってなくてウケるんだけど。寒くて。
断る前に勝手に入れられる。いい気はしないけど、どうでもいいや。この子のことも明日には忘れてるだろうから。
「あははオケー!」
曲の前奏を聞きながら、とっくの昔に頭から消した人物を思い出していた。
言いたいことも自分から言えないような、クラスにひとりはいるようなおとなしい子。
いじめられたりはしないけど自分から話しかけたりしないから、いつの間にかどこのグループからもあぶれてひとりぼっち。
下手に声かけて地雷踏んでも嫌だし、誰も相手にしないからその悪循環はどこまでも続く。
窓際でいつも寂しそうに外を眺めているような。
実際、そんな子だった。地味な子。すぐにでも忘れてしまえそうな子。
ただ、私はその子が学校外で写真を撮っているのも趣味にしているのも知っていた。
カメラを両手に、誰も気にせずにただひたすらになにかを撮っている後ろ姿を何度か見たことがあったから。
たまたま見つけた写真のサイト。
そのサイトにある景色は、よくよく見れば近所で撮られたものだとわかった。
特徴的な建物だとか、固有名詞は避けていたみたいだけどわかるひとならわかるだろう。
プロフィールは、性別と年齢がわかるくらい。私と同い年だと気づいた時に、もしかしてあの子じゃないかな、と。
親と派手にケンカして、帰るに帰れずに神社の階段に座っていた際に見かけた子。
誰かに見られていることなど気にせず、カメラ両手に背伸びをして。
なにかの、どこかの夕焼けを撮っていた小柄なあの子。
長い髪が風に揺れて、すべてを飲み込むような空と境内にその子がいた光景はすごい綺麗だと思って。
いいな、私もこの風景を切り取るだけの技量があったなら。
彼女みたいに、なれたらなと。
私もカメラを趣味にしようかなとか思ったりした。
ちょうど、祖父の形見分けでちょっとお高めのカメラをもらったばかりだったから。
ただ、私が写真を撮っていたのはそのカメラをもらった一ヶ月くらいだったけど。
予想外にカメラの手入れが面倒だったことと、飽きっぽい性分で長続きはしなかった。
でも、友達にはカメラを趣味にしてるんだと自慢していた。
ゲームだとか絵を描いてるよとかより、よっぽとみんなの食いつきがよかったから。
「ねえ、もしかしてサイトもしてんの!? すごいね!」
私と同じで、どこからか例のサイトを友達が見つけてきて。
そこからは火がつくように広まった。
私があのサイトの管理人だって。
別に、私から言ったわけじゃない。ただ否定しなかっただけ。
私が言いふらしたわけじゃない。誰かがそう信じちゃっただけ。
別に、悪いことをしてるわけじゃない。騙ったわけじゃない。
なのに、あの子はわざわざ出てきた。
自分から晒されにきた。
友達のひとりが面白がって、勝手にどこかの賞に応募した。
ネットで募集しているやつとかで最初は受賞したらどうしようと血の気が引いたりしたけど、かなり大きな賞だと知って安堵した。
素人が応募してもまず箸にも棒にもかからないものらしい。
発表も半年後だったから忘れていた。忘れてしまえた。
私からすれば、すぐ忘れてしまえるくらいどうでもいいことだった。
その喫茶店は、いつも友達と行くような駅前の騒がしいファーストフード店じゃなくて。
住宅街の隙間を縫ったような場所に、隠れ家のようにある小さな店だった。
チリン、と音の鳴るドアにカウンターにいた黒いエプロンを着た男が反応する。
まだ若い。十代ではないだろうが二十代前半くらいで、どこか古めかしい店とは合っていなかった。
よく冷えた店内だとむき出しの肩が寒い。上着はすぐに済むだろうと持ってこなかった。
「店をお間違いでは?」
暗に場違いだと言われた気がする。
客相手にどこか威圧的な物言いに私はカチンときた。
思わず口汚く罵ろうと開けた口は、店の奥からかけられた声によって開いたままに終わった。
「咲夜さん、私が呼んだひとなの」
まばらにしか客のいない店内の中、その子は確かにいた。
静かな空間に溶け込むようにして、奥の座席から私を静かに見ていた。
まるで、あの時みたい。
中学の中庭で、一枚の絵画みたいに座っていたあの子はどこまでも真っ直ぐな瞳をしていた。
髪の長さも、服装も違うのに。
二年前のまま。
あの時のまま。
なにも変わっていない、透明感のある姿のまま。
「こんにちは。来てくれてありがとう」
なんでもお見通しだというような目で。
こちらの考えていることなんて、どうでもいいとさえ思っているような顔で。
「…元気そうね?」
あの時の気分がよみがえってくる。
『どうしてバレないと思ったの?』
責めるなら、怒るならもっと険しい顔で言えばいいのに。
どうしてそんなに落ち着いてるの。悟った目をしているの。
実際は、軽蔑しているくせに。そう、思ってるくせに。
こわくなって、なにも言えずに帰ったあとは布団を被って自分に言い聞かせた。
やばい、バレた。気づかれた。どうしよう。どうしよう。
でも私は悪くない。悪くない。悪くないもの。
気づかなかった、最初から気づかせなかったあんたが悪い。
勘違いさせたあんたが悪いのよ。
下手すればグループから仲間外れにされるかもしれないという恐怖で登校拒否をしている間に。
学校から消えていたその子は聞いていた以上に、想像していた以上にしっかりとしていた。
何があったかは、知っている。耐えられなかったから逃げたんでしょ。
でも。どうしてあの時のままなの。変わってないの。
「おかげさまで、なんとか」
弱々しさのない笑みに、私のなかでなにかが切れてしまった。
怯えなさいよ。
怖がりなさいよ。
罵ればいいのに、なんでそうなの。
綺麗なものを見ると、壊したくなる。
手近にあったのは、氷が透けて見えるガラスのピッチャーで。
つかつかと手が届くまで歩み寄り、私は無造作にそれをつかむとその子の頭の上に振り被った。
「なにしてんだ!」
カラカラと氷が床へと散らばっていく。靴の裏で踏めば固い感触がした。
成り行きを見ていたエプロン姿の男に羽交い締めにされてその子から引き離される。
「なによいまさら! あやまってほしいとか言うの!?」
どこまでも綺麗なものをとっておきたいと思う気持ちはある。
でもそれ以上に手に入らないくらいなら壊れてしまえばいい。
そう、思うことのなにが悪い。
綺麗なままだなんて許さない。
私と同じ場所にまで堕ちてくればいい。
避けられずに頭から被った少なくない水が滴る前髪を手でゆっくりと持ち上げて。
ふるふると水滴を顔を左右に振って落として。
その子は、やっぱりどこまでも真っ直ぐな瞳でこちらを見ていた。
「あなたは、あやまりたいの?」
その声は、口は。すこしだけ、笑んでいた。
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