ぷちぷち、回想。

 気にしないことを忘れてしまったのです。


 どこから話すべきだろうか。

 まずは地盤になったことか。


「いい天気だなあ」


「本当に。予報では来週に台風が接近するみたいですけど」


 晴れ渡る空の下、なんだか気が抜けてしまった。緊張するよりはいいのだろうけど。

 昨日あれだけ悩んでいたのに。

 一言、謝罪できたらと思っていた彼とどういうわけかこうして座ってここにいて。

 なぜか頭は空っぽなのにどこか満ち足りた気分で話すことができた。


 いつもの私なら考えられないことだけれど。

 いまはこのまま、甘えてしまおう。


星見泰勝ほしみやすかつというカメラマンを知っていますか?」


「あ、電車の広告で見たことある! 有名だよね」


 知っていたのなら話が早い。


「私の叔父なんです。母の弟ですね」


「おじさん!?」


「はい、叔父さんです。いまも我が子同然にかわいがってもらってます」


 それこそ、目のなかに入れても痛くないと言われるくらいに。

 兄と年の離れて生まれた私は共働きの親よりも叔父夫婦との思い出の方が多い。

 叔父夫婦に子供がいなかったのもあったのだろう。叔母は実の母のようによくしてくれた。

 小さい頃から日本全国あっちにこっち、たまに国を越えていろんな場所に連れて行ってもらった。

 もちろんそれは仕事の延長、ついでだったのだろうけれど。


「私が叔父からカメラの手ほどきを受けたのは幼稚園に入学したくらいの頃からです。いま考えたらありえないくらい高価なカメラをいつも首からさげてましたね」


 それこそ無邪気に、寝るときでさえそのお気に入りをいつも肌身離さず。

 子供用で軽いとはいえ、叔父もよくそこらじゃ買えないほどのものをポンとよく渡したものだ。

 幸いにも壊すことはなかったし、途中で放り投げず最大限に使っていたからいいものの。


「遊びの延長といいますか、大好きな叔父の真似をしたかったんだと思います。いつもカメラを構えてなにかを撮っていました」


 もちろんそんな私に叔父は喜んで私にカメラをもっと細かく教えたし、時には厳しく指導した。

 私は知識と共にそれを飲み込んでいった。楽しみながら。


「性にあっていたんだと思います。ひとりでじっくり取り込むことが」


 誰かがいないとできないおままごとやお人形遊びより、ひとりでなにかをすることが。


 いつからか人を見るたびに、景色を見るたびにこの光景を切り取りたいなと。一枚のフィルムに残したいと思うようになった。

 よく撮れれば嬉しかったし、うまくいかなければなぜだろうと考えて次に生かして。

 私にとって、写真を撮ることは生活の一部になっていた。


「学校では変わった子、というよりおとなしい子で通ってましたけど」


 特に親しい友達はできなかった。

 学校に行く以外は叔父についていくかひとりで写真を撮っていたから。

 たまに遊びに誘われても、それとなく断っていた。

 趣味は写真を撮ることで、一番楽しいことも写真を撮ることで。

 他の子がするような遊びには目もくれなかった。


「環境が特殊だったんです。それが変だとか、おかしいとか思わなくって」


 カメラを持っていれば幸せだったから。ひとりでいても平気だった。


「カメラが友達だった、というか。そればっかりしてたから友達もいなかったんですけど」


 同年代の子と話しても、話についていけないし、ついてこない。

 どれも面白くないし、面白いとも思えない。

 これならひとりでいたほうが楽しい。


 ひとりで、いいや。

 ひとりが、いいや。


「安定のぼっち。お望みぼっちだー」


 急行が勢いよく通り過ぎていく。風で前髪が舞い上がり、手で押さえた。

 彼の髪は風とは関係なく今日も元気にはねている。猫みたいだ。

 私はそれがなぜかおかしくて小さく笑った。


「うへへーそうですね、ぼっちです。好きでなったぼっちです。その頃のそんな私を、いさめる人間は周りにいませんでした。親も兄も、叔父たちも、それがいけないことだと」


 両親と兄は年が離れていたからか、叔父たちは懐く姪が可愛かったからか、なにも言わなかった。

 勉強はそこそこできているのだし、親しい友達がいないくらい大丈夫だろうと。

 好きなのだから好きなだけすればいいじゃないかと。させてあげようと。

 私はそれに甘えたのだ。


「中学の入学祝いに兄がサイトを作ってくれたんです。いままで撮りためてた写真をアップできるようにしてくれました」


「サイトってそんな簡単にできるの? 中学生でも?」


「基礎さえ組めたら簡単ですよ。サーバーも無料のものがありますし、いまだとそんなに珍しくないかと」


 私の場合はほとんど兄が作ったのに少し手を加えたに過ぎない。

 元々、デジカメも使うのでパソコンの操作もそう難しいことではなかった。


「まあ中学生になっても私の生活がそう変わることはありませんでした」


 他になにかしたいこともなく。みんなの見ているドラマもオシャレもよくわからない。

 ほとんど学校ではひとりでいたけれど、カメラを持てないよりはずっといい。

 カメラのことは周囲には黙っていた。どうせわからないだろうし、と。

 叔父も有名人だから、下手に伝われば大変なことになるかもしれない。


 私は私の世界を守りたかった。


 それだけだった。


「簡単に写真をアップできるように教えてもらってからは、ほとんど毎日更新してました。日記みたいなもので、習慣になってきて」


 写真の下に数行だけその時にあったことや思ったことを小さく書いていた。


「この際、兄に自分のことや住んでる場所がわかるようなことは書かないように言われました」


 ネットだからこそ、変な人間は沸くし粘着されるからと。

 なので写真に付け加える文も自分が学生だということがわかるくらいしか書いていなかった。


「それでも毎回、コメントを残してくれる人とか、励ましてくれる人がいて嬉しかったんです」


 どこかにリンクをしたわけではなく、ひっそりとやっているつもりだったのだがそこそこ訪問者はいたようで。

 それも嬉しくって飽きずに静かにやっていた。


 転機が訪れたのは二年の夏休み。


「更新しようとサイトにアクセスしたら、コメント欄がすごかったんです。いつもの倍以上にあって」


 荒れているのかと思ったら、そうではなく。逆に大半は祝いの言葉で溢れていた。

 どういうことだろうとコメントひとつひとつ見て、さらにわからなくなった。


「私が撮った写真がどこかの大きな賞をもらったそうなんです」


「おめでとう!」


「応募したおぼえがありませんでした」


「えええ!?」


 当時、本当に驚いた。

 叔父のようなカメラマンになりたい、という夢は幼い頃にもっていたが中学生になる頃には趣味で十分だと感じていた。満足していた。

 プロに課せられるものがどんなに大きいものかがわかってきたからだ。

 なので何度か叔父に誘われても応募したことはなかった。

 その賞のホームページには、サイトで使用しているハンドルネームが確かに載っている。


「家族に聞いても勝手にそんなことはしてないというし、サイトはコメントが溢れて一時的に止めざるをえなくて」


 賞は問い合わせるとして、どういうことだろうと考えていた矢先。

 サイトに置いていた緊急連絡用のアドレスに妙なメールがいくつも来るようになった。


「更新しろ、とかはまあわかるんですけど。サイトの管理用パスワードを教えろとか譲れとか。このサイトは本当は私のだから返せとか、強迫めいたのが届くようになったんです」


「なにそれ!?」


「私も最初はわからなくて、とりあえず「無理です」と返していたんですけど。もう、数がすごくて」


 それもどうやら相手はひとりからではないようで。

 ひとりをブロックしてもまたひとりと次から次へときた。

 賞の方に問い合わせたところ、写真は確かに私が撮ったもの。

 サイトに載せているもの。

 しかし、私の名前では応募されていなかった。


「名前聞いてびっくりしました」


「そりゃびっくりだよ」


「知ってる子でした」


「…えええ!?」


「同じ学校の、同級生でした。話したことはないけど、苗字も名前も変わっていたのでその子以外にはあり得ないだろうなって」


 どうしてバレないと思ったのだろうか。

 最終的に、賞をとったら写真のネガを提出しなければいけないのに。


「その子は私と違って目立つ子で、友達もたくさんいました。だからなおさら、なぜそんなことしたんだろうって、不思議で」


 不思議だけど、話したことはないからわからない。

 賞のほうは親が連絡を入れた。話は叔父の件もあり、すんなり通ったらしい。

 取り消しはされずに私が受賞したことになった。

 正式な発表は夏休みを明けてからにすると。


「目立つのはいやだな、とそれだけ思いました」


 そして明けた夏休み。


 サイトはいまだに停止したまま、コメント欄は閉じたまま。メールフォームだけがいまだにまわり続けていた。

 この頃には迷惑メールフォルダに直行させていたので私は読んでいなかった。

 兄に相談したところ「どうにかしてみるから相手にするな」と言われたのでまかせたのだ。


 残すは、あとひとつ。


 新学期になってからすぐに私はその子に話しかけた。


「さっきも言いましたけど、私はタイミングが悪くって。誰もいないところで聞けばよかったのに」


 放課後といっても給食のない午前だけの日だったのでまだ太陽は高く昇ったまま。

 クラスの違うその子が出てくるのを、木の日陰になる中庭のベンチに座って待っていた。

 待っていると、ようやくその子は出てきた。

 髪は真っ直ぐにストレートパーマをかけて、細い眉にバックには友達とおそろいのキーホルダーをさげて。

 複数の友達を連れて楽しそうにしゃべりながら通り過ぎていこうとしたその子を呼び止めた。

 その子は笑顔で立ち止まると、そのまま用件を聞いてきた。

「なあに? カラオケに行くから早くしてね」と。


 なので私もまどろっこしいことを省いて本題だけ聞いたのだ。


「なんで勝手に賞に応募したの。あの写真を撮ったのはあなたじゃないよね」


 まわりの友達は「なに言ってるのこの子」みたいに私を見ていたが、その子だけはいままでの笑顔が嘘だったかのように固まった。


「賞のほうには説明したけど、どうしてバレないと思ったの? フィルムの提出もできてないんだよね。どうする気だったの?」


 本当に不思議で。

 なぜそんなことをしたのだろうと。

 その答えを聞きたいだけだった。


「固まっていたと思ったら、急に私を押し倒して走っていってしまって。唖然としていたら友達もその子を追っていって」


 私はひとり中庭に取り残された。

 その日はしょうがないからそのまま帰ることにした。

 また明日、あらためて聞いてみよう。


 だけど。


「次の日から、その子は学校に来なくなってしまって」


 その次の日も、その次の週も。

 風邪でも引いたのかと、その時は思っていた。


「一ヶ月も経った頃、私はその子の友達に呼び出されました。私が話しかけてからおかしくなった。なにをしたんだって」


 本当に心配しているのだろう、にらみつけられて、壁に追いやられて聞かれた。

 こわかったけど、脚色なしにいままであったことを説明した。

 そこで、また新しいことを知ることになる。


「その子、私のサイトを自分がつくったサイトだってまわりに言ってたんだそうです。写真の応募も友達に勧められたから、サイトでも一番気に入っていたのを応募したって。私のサイトだと言っても、その時は信じてくれませんでした」


 大嘘つきと、その子の友達に何度もたたかれた。

 反論しても聞いてくれなかった。


 ひとりぼっちの人間より、その子のほうが信用されていたのだ。


「でもすぐに、賞が私の名前で発表されて。新聞のも載って、私だとはわかったみたいなんですけど」


 私を嘘つきだと責めた子たちは、ばつが悪そうにしていた。あやまってはこなかったけれど。


 この妙な空気に。


 雰囲気に、他の子たちも気づきはじめた。


「もともと、その子は人気者で。私のせいで学校に来なくなったと噂がたってからは特に腫れ物に触るような扱いというか、周囲が私から距離をとりはじめて。それから私の物が無くなったり、すれ違いに小突かれたりとか、されるようになって」


 見えるところに怪我をするようになって、兄が気づいた。

 登校するのはやめろと言われて、従った。

 いつの間にか、転校の手続きを、両親がして。

 三年に上がる前に、叔父のいる家に居候をする形で地元を離れた。


「気がついたら、もう、なにもかもする気がなくなっていて。まかせたんです、全部」


 どうしてだろう。


 どうすればよかったんだろう。


 ああ、こんなことになるくらいなら。


「言わなきゃ、よかったなって」


 私が余計なことを言わなければよかったんだ。



「納得が、いかない」


 後半は、黙って聞いていてくれた彼は腕組みしながら言った。どこか、不機嫌そうに。


「うえ、だからですね」


「大丈夫、聞いてた。聞いてたから納得いかないの。なんてーの? 試合に勝って勝負で負けたみたいな。いや試合にもなってないよね」


 不戦勝されたに近いかな、と言うと立ち上がる。


「君はなにも悪くないのに、どうして君だけが傷つかなきゃいけないの」


 その言葉は両親にも、兄にも叔父夫婦にもさんざん言われた。

 でも、私が蒔いた種だ。なにも悪いわけではない。


「それって自分が食べるために料理してたら勝手につまみ食いしといて「お腹壊した、どうしてくれるのヨ!」って言ってくるくらい相手が理不尽だよ?」


「それは、まあ理不尽ですけど」


 そんな相手が出てきたらラッパのマークの錠剤を投げつけてあげたい。

 それと私の話は別だと思う。どうだろう、似てるかな。あれ、それなら。


 たしかにそれなら、理不尽だ。


「今日はもう時間がないなあ」


 遠目に、次の電車がこちらに向かってくるのが見えた。

 線路の先を見たまま、彼はこちらに聞いてくる。


「明日はなにか用事ある?」


「明日、ですか」


 明日は日曜日。さすがに学校はない。

 今日だって私は学校はないのだけれど、彼と会えるかもしれないと出てきたのだ。


「特にはないですけど」


 電車が停まる。

 彼のちょうど前にドアが来て、ゆっくりと開いていく。


「よし、じゃあ」


 振り返った彼は、座ったままの私に向かってこう言った。


「ちょっと一緒にケリつけに行こうか」

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