ぷちぷち、周回。
どれが正解でもかまわない。
翌日、朝の電車で彼女の姿は見つけられなかった。
「フットワーク、軽っ」
「えっどうして!?」
昨日の夕方にあった出来事を高千穂に報告したところ、なぜか引かれた。
「昨日の今日だよ!」
「昨日の今日だよ?」
善は急げというではないか。
高千穂はそれでも頭を横に振った。
「いやいやいや、ないないない」
「………」
今日も今日とて十河は静かである。
しかしなんだろうか、訴えるような目を向けてくる。言うなら言えばいい。聞くかどうかはまた別である。
そんな十河は弁当とは別にファイルをいくつか横に積み上げていた。
「十河、今日はなに見てんの」
「ちっとも聞いてない…」
高千穂が頭を抱えている。
いや、でも答えは特にないし。もうこの話は終わったことである。
終わったことにいつまでも執着してたら次に進めないし。テンポよく生きていかねば。
今日の昼飯は空き教室。風が強かったので急遽変更した。弁当にゴミが入りかねないし。
そういうことで開けようとして開けていない二段弁当を開けたらどちらもおかずだった。驚きの鮮やかさである。箸は二つあった。
「喧嘩両成敗…」
昨日、帰宅してから二番目の姉に白米だけだったと伝えたら「私じゃないよ」と言われ、一番目の姉に聞いたら「私じゃないわ」と返ってきた。
犯人は誰だろう。いやまあ犯人が誰だろうといいけど、俺が言いたかったのはおかずを増やせというわけではない。公平に処分しろとも言ってない。
とばっちりを受けた父はどうなる。箸なしでどうやって食えというのか。
「おまえんち、どうなってるの」
「なんか姉が意固地になってる」
まあ食べるけど。父もどうにかするだろう。子供じゃないんだから。
本日の高千穂はサンドイッチ(もちろん女子力の高い手作り)で十河はどこかのコンビニ弁当ひとつである。
小柄な高千穂はともかくとして十河は体格いいほうなのによく放課後までもつもんだ。
「………」
「あ、見ていいもの?」
「………」
縦に首振り。
受け取った大きめなB4スケルトンのファイルはいくつかの印刷した紙が無造作に詰め込んであった。
「なにこれ」
「………」
会話しよう。そんな目で訴えても俺にはわからない。筆談でもいいから。
「今朝、棚から落ちて混ざったやつだって。いまから整理し直すって」
「通訳!?」
十河に聞いたのに高千穂から声が出た。サトリか。腹話術か。
「読唇術ってやつ。口を見てたらわかるから」
「どこかの狙撃手みたいなことされても!」
そもそも十河、口を動かしてたっけ。動かすなら話そうよ。もっと大きな声を出そう。
「慣れたらいけるいける」
「高千穂すごいな!」
だけどなんか変だ。もう一回言うけど変だ。
二人は中等部から一緒らしいので事情があったのかもしれないが。
そこらへんはよくわからない。しかし高千穂が読唇術を会得するより十河にはっきり話させる方向にもっていけなかったのだろうか。
「まあいっか」
「………」
「いいのか…」
この件はもう終了。次いこう次。
広げたファイルの中は、予想以上に文字よりも画像で溢れていた。モノクロもあるし、カラーもある。そう古いものではない。
「新聞か雑誌のスクラップ…?」
「十河のおじいさんの趣味だって。知り合いとか、自分の店が写ってたらとりあえず収集してるって」
「自分の店?」
「写真館。たまに学校にも来てるみたい」
学校行事に着いてきたり、受験票に必要な写真を撮りにきてくれるそうだ。
そういえば、十河は徒歩圏内だったな。近いのか。
「近いといえば近いけど。城下町というか、下町っていうのかな。俺も行ったことはあるけど細道抜けていくからかなりわかりずらいよ」
「密集地は大変だなー」
俺の家は逆にわかりやすいというより他にそれっぽい家がないからわかりやすい。見通しはいいが行くまで大変なのだけは変わらない。
ファイルは日付が混ざってしまっているのを戻すだけという単純作業。朝は時間がなかったので休み時間にでも直そうと持ってきたらしい。
とりあえず一冊、端に書かれた日付の古い順から抜き取っていく手伝いをする。
それにしても多いな。一番古いのは四年前。
知り合いだというカメラマンの一人は俺でも知っている有名人だ。
来月に個人展があるらしく、電車の中の広告にたまに載っていたりする。地元のひとだったのか。
「…うえ!?」
日付が二年目にまで片付いてきた時に手が止まった。
その切り抜きは新聞のものか。
どこか、哀愁ただよう夕焼けの写真が半面を飾り、その下にそれを撮った人の説明が数行、淡白に書かれている。
「あ、それ二年前のやつ? カメラマンの登竜門だとかの賞に過去最年少受賞者が出たって少し騒いでたよね」
「ええ!?」
「なにその反応。そこに驚いてるのかと思ったけど…」
高千穂が不思議そうに聞いてくる。
いや、新聞はテレビ欄と四コマ漫画しか見ないからそんなこと知らないけど。
俺が驚いたのはそこではなく。
大きな写真の、その下に小さく載っているそれを撮った人物の写真だ。
「名前、知らないんだけど」
髪の長さとか、制服も違うけど。
夕焼けの写真と同じくらい悲しそうなのをこらえた笑い顔をしているけど。
「これ」
間違いなく、あの子だ。
「ふわ…ねむー」
土曜日だろうと関係ない。
あくびを噛みしめて、電車に乗り込む。
昔はどの学校でも隔週で土曜日も授業があったらしいがいまはほとんど行われていない。するのは一部の私立である。
その私立に通っているのだから文句は言うまい。
平日よりも空いている車内で座席を確保してから編み棒を取り出す。
そろそろ寒くなるから帽子でも編もうか。マフラーは飽きたんだよな。
集中して編めば、行きだけで編めるかもしれない。
毛糸は冬に作った残りしか手元にないから子供用にしかならない気はするが、まあその時はその時だな。
近所の子供にでもあげようかと思ったけど近所に子供がいないしどうするか。
二つの乗り換えを済ませて、まだ空いている電車で悶々としながらあと少しで毛糸がなくなるなという時。
ピーッと、音が鳴りドアが開く。
しかし誰も乗ってくる気配はない。
顔を上げずにどうやっても赤子サイズにしかならない帽子を仕上げていると、ホームから声が聞こえた。
「あの」
どうしたもんかな。解いて別の毛糸と合わせようかな。
「…あの」
よし、解こう。帰りに手芸屋でも寄っていこう。
「…あの、ぷちぷちの!」
そうそう、ぷちぷちってほどいていけば…あれ。
「俺に言ってる!?」
顔を上げると、紺に近い青のセーラー服が風に吹かれてふわりと広がってみえた。
「お、おはようございます…」
風に消えてしまいそうな声。でも聞いたことのある声だ。
ショートよりも長く、ボブというには短い髪型のあの子が、顔を真っ赤にさせてホームに立っていた。
「あ、おはよ」
「う」を言い終わる前にピーッと、音がかき消した。瞬間立ち上がる。
「おおお!」
ドアが閉まりかけるその前に、急いでホームに出た。背後でドアが重い音をたてて閉まる。
「セーフ!!」
「えええ!?」
危ないところだった。駆け込み乗車はやめましょうとはいうが、駆け込み降車はやめましょうとは聞かないな。
俺を降ろした電車はゆっくりと駅を離れていった。あー今日もいい天気だなあ。
彼女は目を白黒させて聞いてきた。
「え、降りてよかったんですか?」
「電車はまた来るから、いいかなって」
次のいつだっけ。どっちにしろ課外には間に合わなさそうだし、ゆっくりしとこう。
それに、こっちの方が優先順位が上だと感じたのだ。
これを逃したら、もう二度とこうやって話す機会などなさそうだ、と。
チャンスの神様は前髪しかないのである。前髪しかないのにつかむほうもつかむほうである。
「それに、なんか俺に用があったのかなーって」
「用、用ってほどではなく…」
しどろもどろになっている彼女の手を引っ張ってベンチに座らせた。
顔を伏せたままの彼女の横に座って、解くと決めた半出来上がりの帽子を取り出す。
この間まで干上がりそうなほど厳しい日差しはこの時間と時季のせいかどこかやわらいで見えた。
急かしてもダメな場合もある。自分から話すまで待とう。
「……あの」
「うん」
「……あの、すみませんでした」
「え、なにが?」
そういや前に会った時も謝られたけど別に彼女、何にもしてないよな。
姉たちみたいに思いだしたかのようにエルボーを振り返りざまに叩きつけてくるわけでもないし。
じゃあなんだろ。帰りに話しかけたことか。
いやあの時はむしろ俺の方がいきなり話しかけたりしてるよな。
あれ、これって失礼になるのか。
「うーわー俺の方こそごめん。いきなり話しかけて!」
「えっいや、あの、頭下げないでください! 避けてすいませんでした!」
「え、避けて?」
「えっ」
「えっ」
避けるってなにをだろう。確かに昨日は朝も放課後も合わなかったけど。
朝はともかくとして、放課後にああいう風にかち合うことのほうが少ないと思うけど。
「………」
「………」
沈黙の中、視線が合った。すぐにそらされたが。
さっきから顔を赤くしたり青くしたりと変化が著しい。
彼女は、さらにその顔を手で隠してひざに埋めた。
「えっと、大丈夫? お腹痛い?」
半分は優しさで出来ているとかいう、ある意味それって効き目的にどうなんだと疑いをもちたい薬しかないけど。
「…大丈夫です、ちがいます。墓穴を掘ったのでどうにか埋まりたいのです…」
もういっそ川底でもいいです。
顔を上げた彼女は疲れた顔をして言った。
でも、きちんとこちらに顔を向けて。
「勝手に合わせる顔がないと感じて始発の電車に乗らなかったり、違う路線の電車で帰ったりしてました。謝るべきは自分なのに避けたんです」
「そうだったんだ」
毛糸をしゅるしゅると解きながら相槌を打つ。
気づかなかった。多分、言われなかったら最後まで気づかなかっただろう。こういうのにはにぶいという自信がある。
でも謝るまでいかなくてもいいのに。笑って済ませられるのに。
「私、いつもこうなんです。タイミングとか、悪くって」
この顔、昨日もみたな。泣きそうなのをこらえたような顔。紙片と実物の違いはあるけど。
「言わなきゃいいのに一言多くて、言いたい時にはなにひとつ言えなくて」
言わなきゃよかった、と。
言えばよかったのに、と。
「だからもう、自分からはなにもしないほうがいいんです」
それは、とても優しくて残酷な言葉だ。
「誰かの言うとおりにすれば、相手も自分も傷つかないでいい」
「そんなことないよ」
そんなことはない。無駄なんてものはない。
誰かに笑われても、貶されても無駄だとしていいものなんてない。
それを、俺はよく知っている。
声を遮って、言う。これだけは譲れないから。
「だ」
「だってもなにもない。君が話しかけなかったらこうして話してなかった」
それはきっと、誰かには無駄なことだとしても俺にとっては必要なことだった。
話しかけられたとき、嬉しかった。もっと話してみたいと思った。
それを、否定してなかったことにされた方がいやだ。
「自分を否定しないで。間違えたらなおせばいい。気付いた時が遅かったとしても。ひとりじゃだめなら誰かを頼っていいんだよ。利用しなよ」
後ろ向きに歩けば、それこそなにかにつまずきやすくなるから。
歩けないなら足にも杖にもつかえばいい。
そのあと、また自分もそうやって支えてあげればいいだけだ。
「俺は人一倍にぶいから平気。言いたいだけ言っても傷つかない自信がある」
だから、そういうことを言うのやめようよ。と続けるはずだった。
「う…うえええ」
「だ…どうしたの!?」
彼女が泣き出したのに気づいて慌てた。しかもちょっと泣いたとかじゃない。本泣きだ。
ハンカチ、いやこの場合ティッシュかとカバンのポケットを見たけど見つからない。
え、なんか拭くものないかな。ああもう毛糸が邪魔になって。ああもうこれでいいか。
解きかけの変な形の帽子をその頬に当てた。
「…あの」
「落ち着いた?」
「すごいチクチクします」
「あ、ごめん…」
やっぱり毛糸はダメだったか。ウールじゃなくてポリエステルだからかな。
彼女は自分でハンカチを取り出すと、赤くなった目を上からおさえた。
「…うえへへへ、スッキリしました。ありがとうございます、洗って返しますね」
「いや、いいよそれどうせ解いてる最中だし」
「あ、本当だ。なんですかこれ」
「帽子になれなかった毛糸だまり」
「そういう言い方すると生き物みたいですね…」
あはは、と乾いた笑いをもらした彼女はどこか吹っ切れたようだった。
きっと本来の彼女はこっちなのだと思う。弱々しいとは違う、なにか。
目を真っ赤に腫らして、それでもさっきとは違う笑顔を浮かべて彼女はこう言った。
「…お願いがあります。長くなるのですが、私の昔話を聞いてくれませんか」
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