雪の降る屋敷の中で
松平真
雪の降る屋敷の中で
センセイはわたしにとってのすべてだった。
センセイはわたしに全部教えてくれた女の人だ。
食べられるもの、その食べ方、服の選び方、洗い方。
仕事のやり方、道具の選び方、使い方、整備の仕方、ほかにもたくさん。
わたしは気が付いたら一人だった。『父親』や『母親』(この単語はセンセイが教えてくれた!)というものは記憶のどこにもいなかった。
そんなわたしをセンセイは迎え入れて、育ててくれた。
センセイは、わたしみたいな一人になった子どもに仕事のやり方…生き方を教える仕事をしている。といっても今はわたしの他には一人しかいないけど。
「ザラ。センセイはお仕事で出かけるわね」
センセイは背後にいたわたしに振り返りながらそう呼びかけた。ザラはセンセイが付けてくれたわたしの名前だ。
センセイの肩で切りそろえられた、白いものが混じった黒髪がふわりと、広がった。わたしはいつものようにそれに見惚れてしまい、返事が一瞬遅れてしまう。
「は、はい!」
そのわたしの様子を見てセンセイは最近しわが増えてきた顔で柔らかく微笑むと、毛皮でできたコートを着込んだ。
「そうだ。帰りはメリッサと一緒になるのだけれどなにか伝えておこうかしら?」
メリッサは、もう一人のセンセイに教わっている女の子だ。わたしには偉そうに『ザラ!あなたはドジね!よく見ていなさいこうやるの!』などと言ってくる。
「別に…ないです」
なぜかセンセイはさらに微笑みを大きくするとわたしの頭を撫でてくれた。
「じゃあ、いい子で待ってるのよ?いつものように」
そういうとセンセイは重い玄関を開け、雪の降る田舎道を歩き出した。
雪が音を吸っているのだろうか。わたし一人しかいない屋敷の中はひどく静かだった。
わたしは自分の部屋で、夕方のテレビニュースを見ていた。
センセイが『しゃかいじょうせい』を知るのは大事だから見るように、と教えてくれたのだ。センセイが言うことはいつも正しい。だからわたしはそうしている。
横から紙を受け取ったニュースキャスターが慌ててなにかを話し始めた。
『今入った情報によりますと…』
画面に大写しになった男の人を見てわたしはびっくりした。
前に仕事であったことがある人だったのだ。センセイがいつも以上に丁寧に話していたからエライ人に違いないのに…。
『…アのフュードル氏が何者かによって殺害されました。警察は抗争に対しての警戒を強め、戒厳令を検討…』
なにかあるかもしれない。戸締りはしっかりしないと。
わたしは鍵や防犯センサーを確かめたあと、御守りの状態を再確認し、ベッドに入った。
深夜。玄関の重いドアがゆっくり開く音が聞こえた。目を開きつつ音に集中する。足音は…一人、二人…三人。わたしは御守りを手に取った。おおきいのとちいさいの。
この部屋に近づいてくる。歩幅からして男の人だろう。
ドアが開く。部屋に入ってきたのはどこにでもいるような恰好をしたどこにでもいるようなおじさんだった。ただ、短機関銃を持っていること以外は。
わたしはすでに構えていた小さい方のお守りをおじさんに向け、人差指に力を…数Kg程度だ…加えた。
プシュッと小さな音とともにおじさんの首元に穴が開き、おじさんはなにも言うこともなく、崩れ落ちた。
御守り…サプレッサー付きの自動拳銃はしっかりと動作した。しっかり整備したのだからそうでないと困るんだけど。
わたしは大きい方のお守り…カービン銃をしっかりと保持して歩き出した。センセイが教えてくれた通りに。
足音を立てないようにそろそろと歩く。曲がり角を注意しながら曲がると…侵入者と鉢合わせた。
侵入者…小柄な女だ…は持っていた銃をこちらに向けつつ、何か叫ぼうとした。
わたしは女を殺すことに専念した。だからわたしの方が早かった。
発砲。女が銃を落とし、崩れ落ちた。微かに体が動く。まだ生きているようだった。止めを刺さないと。
警戒しながら近づく。女の顔がはじめてしっかり見えた。
女の顔がはっきり見えて、私は少しだけ驚いた。女は、メリッサだった。メリッサは憎しみを込めた目で私を睨みながらなにか叫ぼうとした。「この…なんでうら」
仲間に何か伝えようとしている。そう判断したわたしは即座に引き金を引いた。メリッサの顔が吹き飛んだ。
銃声で位置が暴露した。はやく移動しないと。
それにしてもなんでメリッサが裏切ったのだろう。大方、わたしとセンセイの仲に嫉妬したに違いない。フュードルおじさんを殺したのもコイツだろう。馬鹿な女だった。
わたしはそう納得すると、最後の一人を探すために歩き出した。
わたしとセンセイの家を守らねばならない。
部屋の前を通り過ぎようとしたときに、銃声が響いた。
慌てて体を引き戻し、銃だけ突き出して応射する。
暗い部屋の中でマズルフラッシュが瞬く。
相手も応射してきた。
撃ち合いながらどうするか考える。回り込むべきだろうか、それとも…ああ、手榴弾があれば
そう思った時に、なにか投げ込まれた。なにか丸いもの。反射的に半開きだったドアの物陰に隠れる。
爆発。
対人手榴弾の破片はドアに遮られ、わたしを傷つけることはなかった。爆発の衝撃でくらくらする頭でセンセイに感謝した。運がよかった、としか言えない。
相手はこちらに突っ込んで来ようとしていた。銃を構える。セレクターはフルオートに。発砲。
最後の侵入者は仰向けに倒れ、動かなくなった。
わたしは侵入者に近づく。身元を確かめておくべきだろう。
近づくにつれ、か細い呼吸音が聞こえてくる。どうやらまだ生きているらしい。
月明かりが窓から差し込んだ。侵入者の顔が見えた。
わたしはライフルを取り落とした。
侵入者は…センセイだった。
慌てて駆け寄り、助け起こそうとする。血だ、血が出ている。手当をしないと。センセイを助けないと。
傷口を見る。
銃弾はセンセイの肝臓をはじめとしたいくつかの臓器を貫通していた。
助からない。センセイの教えてくれた知識はそう言っていた。
だけど、わたしは、それでも手当をしようとした。でも何をすればいいのかもわからなかった。わたしは完全に混乱していたのだ。
「いいのよ、ザラ」
センセイは満足げな声で言った。
「よくないです…!なんで…!」
混乱するわたしの頭を震える手で撫でながら、センセイはいつも教えてくれる時の優しい声で言った。
「組織はわたしが潰しました。あなたのせいにしたから、幹部たちは油断してくれていて助かったわ。メリッサも信じ込んでたみたいだけど」
「答えになってないです…!」視界がにじむ。涙があふれてくる。
「あなたを自由にするためよ」
センセイは天井を見ながら夢見るように言葉をつづけた。
「ザラ。これであなたの愛するもの、憎むもの。守るべきもの、倒すべきもの。味方、敵。すべてのしがらみはなくなったわ」
センセイは、嬉しそうに言った。
「これであなたは自由よ」
センセイの身体から力が抜ける。
「センセイ…!死なないで!わたしを
センセイはもう、なにも答えなかった。ぬくもりは失われていく。
わたしは叫んだ。叫び続けた。一人にしないで、と。だけど誰も答えてくれなかった。センセイは応えてくれなかった。
数時間後、郊外のその屋敷から乾いた破裂音がした。
だがそれはだれの耳にも届かなかった。雪がすべてを閉ざすかのように
雪の降る屋敷の中で 松平真 @mappei
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