第10話 お誕生日会

 二人はテキパキと働いていると、一人の中年のオバちゃんが入ってきました。

「あ、曾野崎(そうのざき)さん」

  曾野崎(そうのざき)様は柔和な笑みで言いました。

「こんばんは、烏丸くん」

「こんばんはです」

「もう、私がきたから上がっていいわよ」

「はい」

 そして曾野崎(そうのざき)様は更衣室に入りました。

 悠馬様は千早様に向かいます。

「じゃあ、僕は上がるよ」

「はい。お疲れ様でした」

 千早様は曇りない笑みをして言います。そして、雨が降っている今日の空を見ます。

「しかし、うっとうしい季節ですね。梅雨の時期は」

「そうだね。あ、そうか」

 千早様はキョトンとした表情になります。

「どうかしました?」

「いや、6月10日に僕の誕生日があるってことを思い出したんだ」

 その言葉に千早様は表情を変えました。

6月10日。あと、3日しかないですか!え?え?お誕生日パーティーとかやるんですか!?」

 それに悠馬様は苦笑します。

「そんなばかな。僕は友達がいないし、そんなのするわけないだろ」

 至って冷静な悠馬様と対照的に千早様はカメレオンのように体の色をぐるぐる変えました。


「じゃ、じゃあ!お祝いしなきゃ!どうしようか?そんなこと急に言われても、何も思いつかないや」

「いや、だからいらないって。今までもずっと誕生日にお祝いなんかされたことないんだから」

 その言葉に千早様の心の火山が爆発しました。

「今までお祝いされたことがなかったんですか!?」

 そのあまりの剣幕に思わず後ずさる悠馬様。


「いや、幼い頃はあったけど、今は全く祝ってくれる人がいないってだけで、そんな気にすることないって」

 そう言って笑う、悠馬様に、しかし千早様はマゴマゴしました。

 そして、一つの決意の光を灯し、悠馬様に言いました。

「あの、烏丸さん。烏丸さんの携帯番号って何ですか?」


「?090−4361−2235だけど?」

 その言葉を必死にスマホで操作する千早様。

「確認のために繰り返しますが、090−4361−2235ですね?」

「?そうだけど?」

「ああ、良かった。クロスやっていたんですね」

「?まあ、アカウント登録はしといたけど、まさかクロスに登録したの?」

 そう聞くと、千早様はニッカリ笑いました。

「はい!」

「・・・・・・・・・・・・」


「これから、私たちクロスで連絡を取り合いましょうね!」

 しかし、美少女からそう言われたにも関わらず、悠馬様の顔色はすぐれませんでした。

「何で?」

「え?」

「僕たち、今日知り合ったばかりじゃないか。それなのになぜ、君はそんなに親しげに接近してくるんだ。普通、今日知り合った人とクロスで連絡取らないだろ?」

「なぜって・・・・・・・」

 それに千早さんは困った顔をします。


「だって、もうすぐ誕生日来ちゃうじゃないですか。お祝いしなきゃ」

「なぜ?僕たちは今日知り合ったばかりで友達でもなんでもないだろ?」

 そう悠馬様は言いますと、しかし、千早様は菫(すみれ)の笑みをしました。

「なら、今日友達になりましょう」

「え?」

 悠馬様は鳩がマメ鉄砲食らったような表情をします。

「確かに私たちは今日知り合ったばかりですが、私は烏丸さんのこと、とても素敵な人に見えます。だから、今日から友達になりましょう」

「・・・・・・・・・・・もう、俺のシフトは終わるから帰るわ」

「あ!お疲れ様です!」

 そう言って悠馬様が更衣室に入ろうとした時に千早様に声をかけました。

「10日の僕の誕生日な。よかったら夕食おごってくれないか?最近できたほら焼肉店。その焼肉定食食べたいんだ」

 それを聞いた千早様はパッと顔を輝かせました。

「はい!喜んで!」




 烏丸様が店を出た後、私はすぐに烏丸様の肩に止まりました。

「いい子でしたね」

「・・・・・・・・・・ああ」

 そのまま、まっすぐに烏丸様は家に帰り、自分のベッドに寝転びました。

「どうかしましたか?千早様が嫌いですか?」

「そうじゃねえんだ。というかどっちかといったら好きだよ。胸はないけど、顔も美人だし、性格も優しそうだし。ただな・・・・・・・・・・」

「ただ?」

 烏丸様はむくりと上体を起こしました。


「臭うんだ」

「はぁ」

 臭う、というのは五感の匂いではなくて、怪しいことのことでしょうか?何か怪しいことはありましたっけ?

「何が、怪しいんですか?」

 それに烏丸様は被りを振りました。


「だって、そうだろ?普通初対面の人に誕生日が近いから一緒に祝いましょう、という女性がいるか?そりゃ彼女は美人だし、本気で好意で言っているのならこんな美味しいものを逃す手はないんだが、ちょっとな、できすぎている」

「はぁ」

 そういうものでしょうか?欧米なら普通に人なら初対面同士でもそれなりに話せるものですから、私は初対面の人にお祝いしましょう、と言われるのはそんなに違和感はなかったです。


「だからな、これは何かの詐欺かもしれない」

「そうとは思えませんけど」

「いやいや、何か高価な壺を買わせたり、恩を売っておいて何かしてくるかもしれない」

「何か怪しい行動をとったのなら、その時に彼女と距離を置けばいいじゃないですか。何を心配なさっているんです?」

 その私の言葉に悠馬様は憤激しました。


「ブブ様は何もわかっていない!一旦距離を縮められたら断るに断れないじゃないか!だから、困っているんだよ!」

「・・・・・あのですね」

 私の気持ちは困惑気味です。日本人の全体が悠馬様のような考えを持っているかどうかわかりませんが、日本人の行動には困惑しっぱなしです。

「それは、覚悟を持ちませんと。そういうのが嫌ならきっぱりと彼女に断りのメールを入れるべきです。正直言って相手の考えを読めるわけじゃないんですから、怖いなら断る、彼女と仲良くなりたいなら祝ってもらう。どちらかの覚悟を決めなさい」

 そういうと悠馬様は枕を持ってゴロゴロしました。

「それが決められないから困ってるんだよ〜」

 それを見て私が思ったことは・・・・・・・・。

「はぁ」

 呆れ以外の何物でもありませんでした。




 そして、約束の日。悠馬様は駅の入り口に立っていました。ちらりとスマホを見ます。

「遅いな」

「というより悠馬様が早くきすぎたのでは?」

 それに悠馬様はこちらに強い念話を送ってきました。

「ばっか!お前!」

「約束の5時の30分前に来ましたよね?それで10分立って、遅いな、はないと思います」

 そういうと悠馬様はプイッとそっぽを向きました。

「別に俺の場合はいいんだよ」

 なぜ、悠馬様が発言したらいいのかさっぱりわかりませんでしたが、それからしばらくして千早様はやってきました。

「ごめんなさい、待たせたかしら?」

 千早様はいつもの三つ編みにブルーのデニムのトップに白いスカートといういかにも清楚な衣装でした。

 悠馬様はそっぽを向いて言います。


「べ、別に!今来たとこ!」

 その言葉を聞いた千早様はきょとんとした表情で悠馬様を見ていましたが、すぐにクスクス笑い出しました。

 悠馬様は咳払いをして言います。

「それで、行こうか?」

 悠馬様は気を取り直して言いますが、千早様は首を横に振ります。

「ううん。ちょっとモールの中に入りたいな、って思ってるんだけどいいかな?まだ、夕食という時間でもないし」

「まあ、それくらいなら」

 そして、二人は駅近くのモールに入りました。そのモールの中で千早様は雑貨を見ます。

「あ!これ可愛い」

「なんだ?」

 それは黒猫の絵が入ったマグカップでした。

「千早さん、こういうのが好きなの?そういう言えばさ」

「ん?」

 千早様は目をクリクリ輝かせながら悠馬様を見ました。悠馬様は遠慮がちに言います。


「千早、っていうの。苗字なの?名前なの?もし、名前なら、僕は名字を呼ぶから、よかったら教えてくれないかな?」

 そう聞いた瞬間、千早様の顔は破顔しました。

「もう、そんなの気を使わなくていいですよ。千早は私の名前ですが、普通に千早さんでいいですよ」

「そ、そう。じゃあ、千早さん」

 千早様はニコニコして頷きました。

「はい」

 所在無さげに悠馬様は視線を空へ動かしていましたが、千早さんが持っていたマグカップに視線をよこしました。


「その猫さんのマグカップ可愛いね」

 そう言ったら千早様は笑みを深くしました。

「そうでしょう?この猫ちゃん可愛いでしょう?」

 それに悠馬様はサイズがあってない椅子に座っているように頷いた。

「うん」

 そして、千早様はそっとマグカップを戻しました。

「買わないの?」

 それに千早様はラフ画の笑みをします。

「はは。ただ、見てるだけです。こういうのって男性にしたらわからないですか?」

 そう、上目遣いで聞いてくる千早様にブンブンと悠馬様は首を横に振りました。

「ううん!そんなことないよ!まあ、僕はしないけど、別に女性がそういうことしてもいいと思うよ」

 そう言った瞬間、千早様の顔はパッと輝きます。そして、クリクリとした目で悠馬様を見ます。


「やっぱり烏丸さんていい人ですね」

「そ、そうかな?」

 悠馬様は所在無さげにぽりぽりと指で頬をかく。

 その悠馬様の優柔不断さんを打ち消すように、千早様は大きくうなずきました。

「はい!烏丸様はいい人です」

「はは、ありがとう」




  そして、悠馬様たちがやってきた焼肉店はなかなか面白い場所です。

「へー」

「これはいい場所かも」

 確かにその焼肉店はかなり特殊なつくりをしていました入り口から右手の方に座敷とグリルが、左手の方にカウンターとテーブルのつくりになっています。

 そして、店員がやってきました。

「お客様は2名様ですか?」

「はい」

 店員はメモを取ります。そして、すかさず聞きます。

「今日は焼肉を食べますか?それとも定食?」

「定食でお願いします」

 悠馬様は振り返って千早様を見ます。

「千早さんも定食でいいよな?」

「はい」

「定食、と。ではテーブルに行ってください」

 そして、悠馬様はいつものようにソファー席に座り、千早様は椅子にかけました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「どうぞ」

 店員がメニューを持ってきます。

「なになに。焼肉定食というのは変わらないけど、色々とトッピングやおつまみが頼めるらしいな」

 千早様はニコニコして言います。

「烏丸さんは何を食べたいですか?」

「う〜ん、普通の定食にバニラアイスかな?」


 そう悠馬さんが言った瞬間、悠馬様の体はびくり、と震えました。

「いや!僕が甘党ってわけじゃないよ!はは!やっぱりなし!アイスはなしでいこう!」

そう行ったら、千早様は微笑みました。

「やっぱり、烏丸さんて可愛いですね」

「か、かわいい?」

 素っ頓狂な声を上げる悠馬様に菩薩のような笑みで千早様は言いました。


「はい。優しいですし、とってもかわいいです。男同士じゃあどうだか知りませんけど、今の若い女子は、別に男子が甘いものが好物だとしてもそんなに嫌がりませんよ?」

「はは・・・・・」

 それに乾いた笑みで答える烏丸様。ともかくメニューは決まりました。

「すみません。焼肉定食とバニラ二つください」

 通りかかった店員に悠馬様が言いました。

 店員が急いでメモを用意してこちらに向かってきました。

「焼肉定食とバニラ二つですね?」

「それにホットのコーヒーもお願いします」

 それは千早様の言葉でした。

 思わず悠馬様は千早様を見ます。


「コーヒー、飲めれるんだ?」

「飲めれる、っていうことは、もしかして烏丸さんは飲めれないんですか?」

「う!」

 グサッと、確かに悠馬様の胸に矢が刺さりました。


「ふふ、冗談、冗談。烏丸さんて年いくつですか?私のように22とは思えないし、だからと言って高校生?とも思えないですね」

「18だよ。いや、19になったか。高校出てアルバイト始めたから、大学にはいっていない」

 それを千早様が聞いた瞬間、大きな驚きの花を咲かせました。

「ごめんなさい。無神経なことを聞いて。大学には家庭の事情で行けれなかったんですか。あ!答えなくなかったら答えなくていいんですよ」


「いーや、大したことじゃない。俺これまでの人生、親の言うことを聞いて有名大学に入学するために勉強続けてきたんだけど、それが全部おじゃんになって、それで、俺に弟がいるんだけど、そいつの方が明らかに俺より勉強できるから、親からお前に払わせる金はないって、大学を諦めざるを得なかったんだ」

 千早様は顔面が蒼白になっていましたが、私は心が温かいです。こういう悪い部分もあっさり素直に出せるところが悠馬様の良いところですから。


「それは、大変でしたね・・・・・・」

「ん。最初は怒りを感じていたけど、今はそうでもない」

 千早様は驚きのひょうたんを出します。

「と言うと?」

「俺ってさ。勉強していたのって親に言われたからなんだよね」

「うんうん」


「俺自身が、こう言う勉強がしたい!とか、大学で何かをやりたい!と思って勉強したことはないんだよ」

「ああ」

 千早様の顔に納得のカシミアが覆いました。


「だからさ、別に大学に行ってもどうしようもなかったと思うよ。もし、大学に行ったら、大企業に就職して親を安心させたいと思うかもしれないけど、でも働いてわかったことがあるんだ。商品て、買ってもらわないとダメなんだな、って」

「うんうん」

 今度は真剣な面持ちで千早様は頷きました。

「あのまま、大学に入って有名企業に入ってもさ、この分野でこういう商品を売りたい、とかその分野の顧客についてわかってるかといえば、全然わからないんだよな。だからさ、俺が思うにもし俺が入っても全然使えないと思う。やることと言ったら先輩のやっていることを踏襲するだけだと思うし。千早さんはアニメとか見る?」

 それに千早様は首を横に振りました。

ううん。私は少女漫画とかドラマや映画かな?見るのは」

「なら、アニメは詳しくないんだ」

 また首を横に振りました。

「私は見ないけど友達によく見ている人がいるから少しはわかるよ」

「じゃあ、なろう系、って知ってる?」

「ああ」

 ポンと千早様は手を叩きました。

「知ってる。ハーレムで俺TUEEEEE系でしょ?」

「それだけわかっていれば十分。結構そういうのって流行ってるんだけど、でも根強いアンチがいるわけだよ。そんなに人気ってわけでもないし、どれもそういうジャンルはテンプレ系ばかりだし。そういうのを見てやっぱり気づいたんだけど、やっぱりさ、同じものばかり作ってもダメなんだよね」

「ああ」

 千早様は白い光の花が咲きました。


「同じものばかり作ってはお客さんに飽きられる。そうすると売れなくなる。やっぱり商品を売るためには他の人とは違うことをしないといけないんだよな、って思ってしまってさ。うちのコンビニもそこまで大手じゃないけど、会社の色をホワイトにしてさ、優秀な人材を手に色用という戦略を立てているわけじゃん?それ見て、やっぱり、大企業に就職してもそれだけじゃあダメなんだな、って思ったのよ」


「なるほど」

 また、ポンと手を叩く千早様。そして、尊敬の眼差しで悠馬様を見ます。

「とても為になる話をありがとうございました」

「いやいや、ちょっと社会に出たら誰にもわかることだから、そんなにかしこまらないで」

「いえいえ、やっぱり烏丸さんて頭がいいんですね」

「いやいや、そんなもんじゃないよ。働けば誰もがわかることじゃん?こういうことって」

「お客様お待たさせしました」

 その時にウェイトレスがやってきて、焼肉定食を置きました。


「バニラとコーヒーは食事が終わってからでいいですから」

「かしこまりました」

 そして、一礼をした後、ウェイトレスは去って行きました。

「わあ!美味しそう!」

 確かにプレートの上にぐつぐつ煮ている焼肉とそしてポテトは大変美味しく見えました。

「いただきます」

「いただきます」

 そして、二人は肉を真っ先に食べましたが、その顔入りは喜びの表情そのものでした。

「おいしい」

「・・・・・・・・」

「ねえ、おいしいと思わない?烏丸さん?」

「あ、ああ」

 悠馬様は肉を食べたあとすぐにご飯を食べたのです。それを見ていた千早様はくすくす笑いました。

「ど、どうしたの!?」

 そのくすくす笑いに完全に悠馬様はキョドッていました。


「いや、烏丸さんの食べ方独特」

「ああ、この食べ方ね」

 悠馬様はあさっての方向を向きながら言いました。

「まあ、なんというか、肉食べた後ってさ、ご飯をすぐに食べたくならない?」

 そう言ったら、千早様はますます笑みを深くしました。

「そうしたら丼ものでしょ?」

「まあ、僕は丼もの好きだけどさ、やっぱり焼肉のたれってすごくご飯似合う気がするんだ」

 それに、ああ、と言って千早様は手を叩きました。


「それわかります。私やったことないけど、友達が焼肉行く際に当然小鉢にタレ入れるんですけど、ご飯の上にもかけるんですよ。その人男子なんですけど、私たちがそれありえなくない?というと、彼は、いやタレってご飯と合うだろ?っていうんですね。それ思い出しましたね」

「焼肉か」

 悠馬様は冴えない顔をします。

「どうかしました?」

「いや、実は俺、一度も焼肉を食べたことないんだよ」

「え!?」

 千早様は驚いた顔をします。

「俺は学生時代には一人も友達がいなかったんだ。いつも勉強ばかりしていて、すっかりガリ勉キャラってということになって、誰も友達がいなかった。だから、焼肉というものを知らないんだよね」

 そう言った途端、パッと千早様の顔が輝きました。


「なら、私と友達になりません?私、友達が多いから私の友達と一緒に今度焼肉に行きましょうよ」

 それに悠馬様は若干気圧されているように頷きました。

「あ、ああ。それにしても千早さんて変わっているな」

「え?」

 千早様は答えを知っている問題が現れた学生のような笑みをしました。


「ほら、三日前がさ、僕たちの初対面なわけじゃん。それなのに、こんなに人懐っこいというか。なんか他の女子とは違う、って感じがする」

「はは。それは言えてるかもです。女性はこんなに初対面の男性に近寄ったりしませんね。友達からはね、千早、あなた警戒心なさすぎ、ってよく言われます。まあ、でも、私も知らない男性と個室で二人っきりとか一緒に飲みにはいきませんけど、やっぱりいろんな人と仲良くしたいじゃないですか?」

 そう言って邪心が一つもない笑顔を千早様はしました。

 彼女は・・・・・・。なるほどなかなか強い星を持っていますね。

 対して、悠馬様は何かおっかなびっくりな体制になっています。


「弱ったな」

「何がです?」

「ここまで明るい女性と接すると、逆にこっちが気恥ずかしい・・・・・・」

 そう言って、悠馬様は見えない貝に閉じこもってしまいました。

 それに千早様は口に手を当てます。

「あ!ごめんなさい。あまりにも失礼でしたか?」

「いや、失礼じゃない。ただ・・・・・・」

「ただ?」


「今まで友達になった人がいないから、何を言えばいいのかわからない。恥ずかしい」

 それに千早様は明るい声で笑いました。

「ははは!」

「笑わないでくれよ」

 そう、また縮こまる悠馬様に千早様は柔らかい笑みで言いました。


「なら、当分練習ですね」

「練習?」

 悠馬様が聴き直します。千早様は透明な笑みで言います。

「はい。烏丸さんが友達慣れするために私で練習しましょう。あ、でも、今日は烏丸さんの誕生日だから私一人で来たけど、次からはもう一人の男友達を連れてきます。それでいいですよね?」

「ああ、いいよ」

「実はその人・・・・・・・・・・」

「お客様」

 その二人の会話を打ち消すようにウェイトレスが間に入ってきました。


「当店ではアンケートをなさっているので、よろしければ記入お願いします」

「ああ、わかったよ」

「では、アンケートはそばに置いておきますので、ゆっくりお食事をしてください」

 そう言ってそのウェイトレスは去って行きました。やたら、無表情なウェイトレスですね。

 そして、悠馬様は千早様の方を見ます。

「じゃあ、また都合の日に連絡して、僕はいつでも大丈夫だから」

「うん。また、都合の日に連絡するよ」

 それからつつがなく、二人は談笑し、食事を食べていったのです。




 カランコロン。

「ああ!美味しかった!」

「そうですね」

 そう、悠馬様達が出るなり、二人とも満足した表情をしていました。

 そして、二人自然に駅へ歩き出します。

「次はいつ頃会えそう?」

「う〜ん」

 千早様は玉虫色の笑みを浮かべます。

「実は今日有休を取ってきたんですよね。最近忙しくて」

「そうなの?」

「はい。これは別に秘密にしておくことではないので言っておきますけど、私キャリア組だけど、将来は管理職の立場に付くんです」

 それに驚く悠馬様。

「それ、マジ?」

「はい。大マジです」

「スゲーじゃん!」

「いやいや、正確には管理職候補生というところかな?」

「うん?」

 疑問の表情を顔に浮かべる悠馬様に千早様は説明します。


「つまり、将来の管理職候補生を何人か採用して、競わせるわけなんです。もちろん、女性管理職を何人か採用する、と聞いていますけど、正直言って候補生の大半は女子だったんですけどね」

 そう言って千早様は屈託無く笑いました。

「そうなの?」

「そうなんです。私は正直言って3流大学の出身であまり頭は良くなかったんですけど、昔から友達を作るのが得意で、それを面接の時に強調したら、管理職にならないか、という誘いを受けたんです」

 悠馬様は素直に賞賛の言葉を口に出しました。


「すごいじゃん」

「いやいや、候補生だから、まだ管理職になれるかわからないんですけどね。20代のうちには勉強と試験、そして、実際に現場廻りをすることになっています。そして、10年後に候補生の何人かがきられ、また、10年後に候補生が切られで残った人が管理職になるわけです」

「へー。千早さん的にはどうなの?管理職の仕事に就きたいと思ってるの?それとも、重要なポストだから、挑戦しよう、と思ってるの?」

 それに千早様は一つの嘆息をして秋の表情をしました。


「私、バカで。ほんとバカで。学校の勉強とか全く分からなくて、学生時代将来なりたいものがわからなかったんです。でも、人と関わる仕事はしたいと前々から思っていて、でも具体的な業種は全然わからなかったんですけど、今回、こういう幸運な巡り合わせが起きて、私自身、管理職に就きたいな、と思ったんです。


 ほら、管理職って主に人を査定するのが仕事じゃないですか?それで、上司に言われたんですけど、人を面接している時には人との付き合いが多くても多すぎることはないって。まあ、私の場合には人を見る観察眼が欠けている、と言われたんですが」

 そう言って、テヘヘ、と千早様は笑いました。

「だからね。管理職は私にとっての天職だと思って今、猛烈に仕事と勉強をしています。まあ、管理職になれなくても正社員で働くことになるので、多分店長あたりになるんじゃないかな?現場廻りはそれを含めての勉強です」

「へー」

 悠馬様は言葉をなくしました。おそらくですが、多分今までにあったことのない大人。一人の人間としてあまりに立派な人間と出会ったのは悠馬様自身初めてではないでしょうか?

 それであまりに大きな人間の器にただただ唖然しているのだと思います。

 しかし、千早様はこちらのことを全く気にせずに不思議な表情で悠馬様を見ました。


「どうかしました?」

「いや、なんでも」

「?ならいいんですけど」

 そうこうしているうちに駅に着きました。

「烏丸さんはどの方面に行くんです?」

「山下で降りるけど?」

「あ。そしたら私とは反対方向ですね」

「じゃあ、ここでバイバイだな」

「はい、バイバイ」

 終始にこやかな表情を千早様はしていました。

 そして、山下で降りて、自宅に戻ると、すぐに自分のベッドに突っ伏しました。


「うー、疲れた」

「お疲れ様です」

 悠馬様は仰向けになりました。

「千早ちゃん、可愛かったよな」

「ええ、よくできた人だと思いますよ」

「そうだな」

 そして、悠馬様は、うー、と言ってベッドをゴロゴロします。

「ダメだ、疲れた。もう、今日はこれで寝るわ」

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 そう言った後、悠馬様は明かりを消してベッドに潜り込みました。

 私も体をスリープモードにします。そして、ちらっと悠馬様を見ます。

 その表情は満ち足りた人間そのものでした。

「おやすみなさい」

 そして、私は視界を闇に閉ざしました。

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