第5話 労働の日々 1
第2章 労働の日々。
「烏丸さん」
「はい」
「レジお願い」
「はい」
悠馬様が働きだして一週間になりますが、まだ悠馬様は職場に馴染めていません。
先輩の30ぐらいの女性従業員があれこれ指示出します。そして、悠馬様はその人に従ってあれこれ作業をしているのです。
客が出終わった後、悠馬様はその先輩、森末さんに話しかけます。
「先輩、終わったんですけど、次は何をすればいいですか?」
「あれ」
森末さんがぞんざいに揚げ物類を指さします。
「揚げ物が少なくなっている。私、言ったよね。店で並んでいる商品が少なくなったらちゃんと補充しとけって、今は5時だよ。この時間帯は揚げ物だけ買うお客さんもいるからそのチェックを怠らないようにって」
「はい!すぐに揚げてきます!」
そう言った後、すぐに悠馬様は駆けって、厨房に入りました。
森末さんはそのストレートな黒髪をボリボリかきながら言いました。
「全く。使えないガキね」
「畜生が!」
いつものファミレスでいつも通り、悠馬様が激昂していました。ただ、今は夜の9時、どうやら小鳥遊さんはいないようですが、他のウェイトレスはかなり怯えているようです。
「あんの、クソあま!人が下手に出ればいい気になりやがって!何が、今は5時よ、揚げ物チャックを怠らないように、だと!人を馬鹿にするのもいい加減にしやがれ!」
彼は激怒のマグマを撒き散らかして、人を完全に怯えさせていました。
そんな彼に恐る恐るウェイトレスが水とメニューを持ってきます。
「おい、そこのお前」
「はい!」
怯えているウェイトレスに悠馬様が非難の口調を荒げ用とした時に私が割って入りました。
「おやめください。悠馬様。彼女が怯えているでしょう」
その瞬間、剣呑感情が私にめがけて飛んできました。
「いいじゃねえか。どうせ、いじめられたんだし。俺が他の人をいじめて何が悪いって言うんだ」
「あれはいじめではありません。教育です。確かに彼女はあまり優しい人ではありませんが、企業は従業員のためにあるものではありません。今は勉強する時期だと思って頑張って耐えてください」
次の瞬間、剣呑の感情は収斂し刃となって私の体を貫きました。
「ふざけんな!何が教育だ!こっちが嫌な思いされているんだから、他の人にも同じ目に合わせねえと気が済まねえ!」
体調が狂う。感覚器官が完全に混乱を犯して、自分が自分であるという感覚が歪んできている。しかし、私はいうのを躊躇いませんでした。
「いいえ、聞いてください。確かに良い行いをしたら良いことが還ってくるとは限りません。しかし、人ならば、人にふさわしい行動をとる必要があります」
それを彼は鼻で笑いました。
「俺、そんなこと誰からも教わってないぜ?親から良い点を取って良い大学に入れって言われたし、先生だってぼやぼやしていたら負け犬になるから早く勉強して良い大学に入れって言ってたぜ?誰も人間らしい振る舞いなんて聞いたこともない」
私は心が痛みました。この国は青少年になんということを教えているのでしょう?
負け犬になるから勉強をしろ?
良い大学に入ることが子供達のゴール?
違う。そんなことじゃない。子供とは大人になる前の人たちです。大人はその子供たちに色々と手助けをしなければならない。
それと大人にはもう一つの役割があります。自分が素晴らしい人であることです。
そういう大人がいるだけで子供は自分を高めようと頑張るのです。試行錯誤するモチベーションが与えられるのです。
それを良い大学に入るためにとにかく勉強しろ、というのは大人ではありません。
子供達に社会がどういうものであるかを教え、そして、その社会の一員になることがどういうことかを考えさせるのが大人ではありませんか。
そして、その社会を魅力的にするのが大人ではありませんか。子供に教える教育者はもちろんのこと、普通の会社員も立派な人物になって良い社会を共に作ろうとするのがまともな大人であり、まともな大人がいる社会が最高の子供の教育なのです。
私はそんな当たり前な社会に生まれてこなかった悠馬様に大変同情しました。
日本という国は文献だけを見たら、いろいろ問題があるようですが普通の国に見えたのですが、私は考えを一転して、この国は早晩滅びる可能性がある、と思いました。
トランプを生み出したアメリカよりも、EU離脱という愚行に及んだイギリスよりも、あまりに限度が効いていないデモが溢れているフランスよりも、こう言った教育がなされている日本に方が一番危ない、滅ぶ可能性が高い国だと思います。
そして、そんな国に住んでいる悠馬様、いやこの国の子供たちに未来があるとは思えません。
人の運命に関与してはいけない。
そうですとも、それが神の法則であり、人は人の力で自分たちの未来を作り出すべきでしょう。
これは本来私がどうのこうのいう問題ではありません。日本人が考える問題です。私には日本を救うつもりは毛頭ありません。
しかし、それでも、沈みゆく船でも少しでも多くの人にまともになってもらいたい。善く生きるということは、自分のことよりも相手のことを考えるのが本質ですから。
私がなそうとしているのはある意味ではとても残酷かもしれません。まともな人が全くいない社会で一人だけ善人であるという苦しみは計り知れない可能性は大いにありうる。
しかし、私は歩みを止めるわけにはいかない。主神から悪霊へと組み込まれた時点で、私が活かされている正典の則ることをそむくわけにはいかない。
本来なら、魔王の時点で無理にやる必要はないのですが、他の天使たちが恐れて本来ならやりたくてもできないことを、代わりに私がやると決めたあの時から、他の天使の代わりに私が役割を果たすのです。
「いいですか。悠馬様。悠馬様が今まで大人に言われたことを全部忘れてください。そして、こう考えてください。どんな人にも、いえ人だからこそ、当然の倫理観を持っていると。ここで誤解なきように言っておかなければならないのですが、持たなければならないのではなく、誰もがそれを持っているのです。それを灰で埋もれさせてしまうか、開花させるかはその個人の意思と環境です。残念ながら悠馬様は環境に恵まれなかったようですが、今、私がいます。私があなたの先生になるからよく聞いてください。そういうみっともないことはやめてください」
まだ、剣呑(けんのん)の刃は私の体の中にあります。しかし、勢いは確かに衰えました。だが、私は神である以上人の言うことには逆らえません。確かにその刃からは私を排斥する感情が放出されています。
五分と五分言ったところでしょうか。私は悪魔でありますが、魔王でもあって普通の悪魔よりは力は持っています。しかし、本気で怒れば私を消せるでしょう。
しかし、私は躊躇い(ためらい)はありませでした。もとより、このようなことを恐れていては私が下界にいる意味はありません。
私は悠馬様の意思を感じ取ろうとしました。悠馬様の感情は砂鉄のように一つ一つの感情には重みがありますが、何やらバラバラしていてまとまりがありませんでした。
悠馬様はボソリと言います。
「なんで」
「はい?」
「なんで、今になってそんなこと言われなきゃならないんだ。今まで誰にもそんなことを言われなかったのに、そんなことが重要だと誰にも言われなかったのに、なんで今更お前が言うんだよ!」
「それは偶然です」
「偶然?」
悠馬様が訝しみます。
「私が悠馬様に現れたのは偶然です。しかし、私が現れた以上、あなたにまともな人間になってもらいたいのです」
悠馬様の砂鉄が集まり、巨大なカーブの造形をしました。
「そんなこと急に言われてもわかんねえよ。まともに生きるのがいいなんて、ちょっと想像がつかない」
「悠馬様」
その言葉、悠馬様の戸惑いの感情に私は安堵のため息をしました。どうやら、彼はまともに生きることに非常に不愉快であるとさえは思っていないようですね。ただ、周りにそのようなことを言う人がいないから、そんなことを考えなかっただけで、まともに生きることがカッコ悪いとは思っていないことに私は心からの安堵を出しました。
「お前、安心してるな?」
「はい。悠馬様が、まともに生きるのを激しく嫌悪していないことに安堵を覚えているのです」
「・・・・・・・・・・・」
砂鉄がゆっくりS字型の造形を作ります。
「ならさ、いくつか質問していい?まともに生きるってどういうことなの?」
「人として当然のことを行うことです」
砂鉄はS字から螺旋へと変わります。
「ごめん。意味わかんない。人として当然のことを行うって言ったけど、それって何?」
「うーん」
私はそれを知っています。いわゆるカントの定言命法です。これをするのは必ず間違っている。これをするのは正しい、と人にはいくつかの事柄でありますが分かってはいるのです。
しかし、解説はできない。それは人の良心として分かるものであって、解らすものでは無いからです。
悠馬様は私の戸惑いに気づきました。
「分かんないの?」
「いえ、分かっていますよ。ただ、説明できるものでは無いのです。本来それは文字で伝達できるものでは無いのです。例えば親や他人の行動を見て学ぶものであって、それを勉強のように教えることはできないんです」
「俺の周囲にそんな分かっている人いる?」
「いえ、ぱっと見、皆無ですね」
「それじゃあ、ダメじゃん」
「はい。ダメですね」
そして、悠馬様は差し出されたチョコレートパフェを食べながら言いました。
「結局さ。俺ってブブ様の言うことがいまいちわかんないんだよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まともに生きるってなんなの?そんな生き方して俺の人生に得はあるの?って思ってしまうんだ。ブブ様は俺がまともな生き方を激しく嫌悪していないことに安堵感を覚えたって言っていたけど、それは違うかもしれないぜ。俺はまともに生きるっていうことがなんなのか、さっぱりわかんないんだよね。わからないから、否定も嫌悪もしない。だから、もし分かったら激しく嫌悪するかもしれないぜ?まあ、でも、まともに生きることが俺にとってなんかの価値があるんなら少しは興味がある。でも、ブブ様の話を聞いていても一向にわかんないんだよな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
大変深刻なことかもしれません。悠馬様は倫理性が全くないのかもしれません。私は考えあぐねました。そこである一つの例を出しました。
「悠馬様は職場でいじめられましたよね?」
「ああ、そうだな。あんのクソあま!今思い返しても腹がたつ」
「そして、悠馬様は自分がいじめられたことを理由にこのウェイトレスをいじめてやろうとも思いましたね?」
「そうだぜ!それの何が悪いんだ?」
「それを私が止めました」
「ああ、そうだな」
「それが端的に言ってまともに生きるということです」
「・・・・・・・?言っている意味がさっぱりわからん」
「つまり、どのような状況であっても人は何をしてはいけないのか分かっている。それをどんな状況でもしてはいけないということです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「悠馬様がいじめようとした原因は自分がいじめられたから、ですよね?」
「ああ!!」
「その悠馬様の倫理の法則は人がやっているから自分もしてもいい、という倫理の法則に従って自分の行動を決めましたね」
「ちょっと、意味が分かりづらいけど、俺は人にされたから自分もした、ということだと思う」
「そうですね。その場合の悠馬様の行動は倫理的に言って全く問題がありません。人間をすべて平等にした場合、人のやっていることを自分がしてもいい、という倫理の法則もあります」
「うん。さっきから気になっていたのだけど、倫理って学校では良い生き方って教わったけど、さっきの俺の行動は良い生き方なの?」
「なんと!?そこまで日本の学校の学問のレベルが低いのですか?いいですか、悠馬様は倫理の初歩の初歩ですが、倫理とは何が良い生き方で、その自分が選んだ良い生き方について考え、実際に行動をしながら、他の他人に取っても自分の生き方ができるかどうかも視野において考え行動する生き方です。ただ、単に人に言われた良い生き方というのは道徳です。倫理についてわかりましたか?」
「さっぱりわからん!もっとわかりやすく説明してくれ!」
「・・・・・・・・・・・つ、つまり、自分がされて嫌なことは人にはしない、そういうことをベースに考えながら、自分と他人にとって何が良いことなのか考える学問なのです」
「う、うーん???????」
悠馬様の思考が完全にこんがらがっています。私は今日はこの辺にしとこうか、と思いました。
「悠馬様、今日はこのくらいにしておきます。さ、ハンバーグ定食が冷めますよ。お食べなさい。それと」
「それと?」
「長々とした話に付き合ってくれて誠に有難う(ありがとう)ございました。食事の邪魔をしてすみませんでしたね」
「いや、いいよ。それに・・・・・・・・・」
「それに?」
「たまにテレビとかで見る学者や政治家とは随分違うよな、お前って。あいつら完全に上から目線だけど、ブブ様は物腰が低姿勢というか、それなのに他の大人とは違って、うーん?なんて言えばいいんだかな?なんか礼儀正しさを感じるよ。他の大人。って言っても大人は先生か親やテレビの人しか知らないんだけど、そういう奴らとは違って低姿勢の中に芯の強さを感じて、とってもカッコいいよ」
「カッコいいですか?私が?」
というより悠馬様が知っている大人とはそんな狭い範囲内の大人しか知らないのですか?この人は町の人と会話したことはないのですか?
「悠馬様は住んでいる近所や自治範囲内の人と会話したことないのですか?」
「おかしなことを言う奴だな。そんなことしたら怪しまれるだろ?」
なんと!近所同士の会話もできないとは、ちょっと私からしたら想像がつきません。
しかし、私の記憶を辿っても日本人は知らない人同士で会話して友人になるという光景が見たことがありません。むしろ、何も言わないのに非常に整然と動いて非常に驚きましたが、街中で他人同士が友達になるのは見たことがないですね。
「では、悠馬様は家庭や職場しか人間関係がないと言うのですか?」
それに悠馬様は不思議そうに頷きました。
「ああ、そうだけど、それが何か悪い?」
「・・・・・・・いえ、なんでもありません」
なんとも答えづらい質問です。私は日本のことをあまり知りません。だからお節介にもこれが欧米式だ、と言っていいものかどうか迷います。
普通、欧米では街中で人に挨拶をしない人は怪しまれますから、しかし、日本は大変治安が良好だと聞いています。対して欧米は日本よりずっと治安は悪いので、人と会ったら怪しい人かどうかを確かめるという意味もあるので、簡単に日本が悪いとは思えません。
しかし、あまりに少ない人間関係のリソースに私としては驚きっぱなしです。
「変なやつ」
悠馬様は不思議そうに私を見つめ、夕食をたいらげました。
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