僕が微笑えない世界

空言

第1話

君が壊れる世界を見たんだーー。


━†━


「キミはどうして生きているのかしら?」

「君が生きているのと同じように」

「ワタシはどうして生きているのかしら?」

「………知るかよ」

僕は読んでいた本から顔を上げて、目を細めて向かいの席に座る彼女を見た。

彼女の後ろにある窓からさす眩しい西日が逆光になって、彼女の表情は見えない。けれど、その口元だけは楽しげに微笑っていた。……果たして心から微笑っているのかは分からない、何時もと同じ、どこか掴み所のない笑顔だった。

「どうして生きているのだとか、どうして死なないのだとか、そんな問いかけは心の底から激しく無駄だね」

僕は嘆息しながら言う。彼女はどうして、と首を傾げた。

「どんな理由が在ったところで、無かったところで、僕等は生きている。僕は、死ねない。それだけさ」

「それでも生きていく理由が必要だとは思わない?」

「そんな事は、死ぬ間際に、生きたことの意味を問うさ。少なくとも、今は必要ないね。生きていく理由がなくたって、僕は死ねない」

“僕は死ねない”ともう一度、確認するかのように呟いてみせる。彼女は、じゃあ、とその笑みのカタチのままの唇を開いた。

「じゃあ、キミが生きているから、とワタシが言えば、どうする?」

「なんだい、ソレは?生きている理由かい?」

「そう」

僕は本のページをめくりながら、我ながらおざなりな、そして相変わらずどうでもよさそうな冷めた口調で淡々と答える。

「君が生きているから、と僕も同じようにソレを理由にするさ」

それでも彼女は嬉しそうに、クスクスと声をたてて微笑った。

静寂に包まれた夕暮れの図書室でその声はやけに響いた。僕等以外には誰の姿も見えないから、僕は彼女を咎めもせずに、ぼんやりと眺めていた。

僕から見れば、本当に楽しそうで、本当に綺麗な彼女の笑顔。

そこにどんな虚偽や虚飾があったって、僕には分からない。そして正直、僕はそんなものに興味がなくて、どうでも良かった。けれど、彼女にとってはどうなのだろう。彼女にとって、その虚偽や虚飾はどんな意味を持っているのだろう。

「僕は、どうして生きているのかというよりも、君がどうしてそんなに微笑っているかのほうが問いたいよ」

やっぱりソレもどうでもいいことなんだろうけど、と思いながらも僕は首を傾げた。

西日はもう、この雑談の間に沈んでいったのだろう。もう、窓の向こうには見えない。

かわりに、彼女の顔がよく見えた。

彼女は少し驚いたように、その真っ黒な両目を瞬いた。嘘っぽいな、僕は思いながらも、

「ねぇ、何故?」

と囁くように言った。彼女は少し困ったみたいに微笑う。

「そういえば、キミは笑わないね。微笑わないし、嘲わないし、笑わない」

鏡のように忠実な彼女の瞳には無表情な誰かが映っていた。ああ、あれが僕なんだな、と少しおかしくなった。

だから、笑うかわりに、笑えないかわりに、そうかもねと目を細めて見せた。

「どうして、笑わないの?」

「どうして、笑うの?」

間髪いれない僕に、彼女は言葉をつまらせる。そのあまり見ない反応が面白い。

このまま僕が、彼女の虚偽や虚飾を壊しにかかったら……。ねぇ、君はどんな反応で僕をみせてくれる?ねぇ…?


ーー君が壊れる世界を魅たんだ。


僕は席を立ち、彼女の方に向かった。そして、少し呆然としたかんじの彼女の後ろにある、低い本棚に体をあずける。彼女がゆるゆると首をこちらに向けるのをみとめて、

「別に、笑えないわけじゃないんだ」

と、細めた瞳のまま、唇を緩めた。

緩やかな弧を描く唇。彼女の瞳が見開かれた。

その瞳を介して見る。僕のーー微笑った表情。

僕の瞳には映っている?君のーー笑顔の殺がれた表情。

「だけど……気持ち悪いだろ?」

唇を吊り上げた、歪んでしまった笑顔の前。顔を強張らせた、崩れてしまった笑顔の前。


「自分と同じ種の笑顔が、目の前に、在るの」


「……」

黙り混む彼女の顔を覗き込む。

瞳いっぱいに、僕が、微笑った僕が映る。

そして、ねぇ、


「どうして君は笑わないの?」


囁く。


彼女のした問いを今度は僕が。


「ワタシ…は、笑っているよ」


「僕のように?」


「キミとは違う……よ」


「なら、違うように、微笑ってみせて?」


「………」


「ねぇ、どうして君は」


見たことがないような、何処か怯えた表情が愛しい。

見せて、魅せて、惹かれさせて。


「どうして君はーー微笑えないの?」


君が壊れる世界をーーーー…


「……、なんてね」


ふっ、と僕は表情を消した。

それはきっと君にとって、見慣れた僕の無表情。

「え……」

困惑した彼女の無表情を僕は横目でみてから、その視線を窓に向けた。

そんな風に表情を殺がれると、それは僕に似ていた。

僕の笑顔が君に似ているなら、君の無表情は僕に似ている。

それは、やっぱり、どうしようもなくーーーーキモチワルイ、から…。

「君は……せいぜい、微笑っていなよ」

彼女に振り向く。彼女は相変わらず呆然としていた。

僕はそれに気づかないふりをする。

「僕は微笑えないから、君はせいぜい、微笑うといいさ。僕はせいぜい、無表情でいる」

「……」

「そうだね、あとはーー君が壊れたその時に、泣くとしようかな」

冷めた声で僕は言う。そのまま瞳を細めた。微笑うかわりに、泣くかわりに。

そうしていると、彼女がふわりと、微笑った。

何時ものように、どこか何時もより優しく…。

「だったらワタシはキミのかわりに微笑って生きるわ。ワタシはそれを生きていく理由にする。キミがいるから、生きるわ。キミのかわりに微笑うわ。だからーーキミが、死んだその時に、泣くわ」

「……生きるとか、死ぬとか、そんな理由、まだ言うのか」

僕は眉根を寄せて、彼女を睨む。

「だいたい、僕を勝手に生きる理由にしないで欲しいな」

「勝手じゃないわ」

彼女は何故か得意気に笑った。

「ワタシがキミを生きていく理由にしたその時は、理由なんか必要ないキミも、ワタシを理由にしてくれるのでしょう?」

「……」

覚えていたのか、と僕は軽く嘆息した。それでも、そうだな、と呟く。

「いいよ、僕は君のかわりに無表情でいよう。君のかわりに微笑わないでいよう。それを僕の生きていく理由に。君がいるから、僕も、生きる」

だから、


君が壊れる世界を見ました。

君が微笑わなくて、僕が微笑う、虚しい世界を。

微笑いながら、泣きたくなる、僕が居たんだ。

君が壊れない世界が在ります。

僕は相も変わらず表情がないままに、無性に微笑いたくなった。

存外愛しい此の世界ではーー


死ねないね、と、君が微笑い、死ねないな、と僕はーーーー微笑わなかった。


End

(幸せな、気が、しました)

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僕が微笑えない世界 空言 @esoragoto

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