第13話 作家のつまらん日常エッセイという流行り病

 表題そのままの話を一行目から蒸し返すが、作家のつまらん日常エッセイという流行り病がある。

 長く生きていると何度も見る。何度も何度も何度も見る。

 何かしら書いていないと落ち着かない性分の人が、小説などを書くほどの余裕がないときに始めるのではないか。そう睨んでいる。


 書くのは別に構わないし、それぞれ好きにすればいい。喜んで読んでくれる人もいるかもしれない。

 だがこの手のエッセイを見るたびに気になるのは、ほぼほぼ、別に面白くないことだ。より正確に言うのであれば、面白くしようという気概が感じられない。

 日常エッセイと銘打っておきながらも、その実は単なる日記や感想文であり、見た映画の話や食べた料理の話だけで終わることも少なくない。オチすらないこともある。

 そういうものを長年にわたって繰返し見てきていると、作家の日常エッセイが始まっただけで一種の忌避感が働き、読み始めることすらなくなっていく。

 友人がやっている芝居だとか、親戚が出ている音楽ライブだとか、そういう類いの「まあ、あんまり期待しませんよ。ああいうやつでしょ?」という諦めの表情で参加するものと同列に並べられてしまう。

 だがしかし個人的な経験としては、「あれ? 友人の誘いで来た芝居なのに面白いですね? だってほら、普通そういうものじゃないじゃないですか!」と、一緒に観劇した人に興奮気味に言われたこともある。

 親戚の音楽ライブだとたかをくくって見に来た人に、CDを買わせてファンにしたこともある。世の中、そういうことだってあるのだ。


 今回のこのお話は、エッセイを始めるに当たってもっと早くお伝えするべきことだったかもしれない。

 物書き崩れがエッセイを始めても、「どうせつまんない日常エッセイだろ」と思って一文字たりとも読む気が失せる人は、少なくないはずだ。アマチュア作家の界隈にいれば尚更で、うんざりするほどこの流行り病の症例を見てきているだろう。

 小説やラノベで日の目に当たっていない人間がエッセイを始めた段階で、あなたたちもまず、積極的に読もうとは思わないんじゃないか。

 誰だってそうなる。俺だってそうする。

 そうした懸念や、大量に見てきた流行り病の患者(ほとんどの者はエッセイに特に反応を得られず、面白いこともこれといって書けないまま、埋もれていってやめてしまうか、暴露話をして一度羽ばたくかである)、何より「つまんねえことは書きたくないな」という自分の性分もあって、このエッセイではなるべく日常の感想などではなく、それ単体で楽しめるようなエッセイをお届けしたいと考えている。


 エッセイストというものは、他人とは違った独自の視点で世の中を見つめ、その視点のねじれ具合を文章にして読者を楽しませるものだ。そんな見解を、プロから聞いたことがある。

 なるべくそうありたい。エッセイという表現に真摯に向き合い、小説の代替行為や日記のなりそこないと言った、下位互換のような形にはしたくない。

 俺にも夢中で読んだエッセイがある。エッセイ自体にそれなりの思い入れがあるために、「軽く余興でやってみようか」といった姿勢で始めてしまおうとは考えなかった。

 病魔に飲み込まれぬように。日々真剣にネタを吟味し、これに取り組んでいきたい。

 13度目という不吉な数字においての、遅きに失した所信表明だ。




《追記》

 入浴のついでにこれ全部、風呂でスマホで鼻歌まじりに書きました。

 お湯でふやけながらでもエッセイは更新出来るぞみんな!

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