第58話 シアンの災難

 橙黄石シトリアやじり亭に戻ると、まず宿の主人からミルクを購入し、ミルクパンとティーセットを借りた。

 それらを持って部屋に戻ると部屋の中央のテーブルの上に金属製のトレイを置き、その上に水差しから少量の水を注いだミルクパンを、底が宙に浮くようにして持つ。

 するとシンが鍋の下に炎の精霊である火蜥蜴サラマンダーを呼び出した。火蜥蜴サラマンダーと言っても実際はふわりと漂う火の玉の様なもので、蜥蜴の姿は見えなかった。鍋を温める火の玉をそっと覗き込み、ソフィアはしみじみと思った。



(精霊の力が借りられるのってすごく便利ね……)


 お陰でわざわざ宿のかまどは借りずに済んだ。――もちろん、宿の主人には部屋で火を使う事はひとこと言ってある。


 茶葉をくれたティラーダ神殿の神官からは淹れ方の説明も受けていた為、ソフィアは手際よく沸いた湯に茶葉を鍋に入れ、丁寧に煮出していく。


「あ、良い香りがするね……甘い林檎みたいな香り」


 鍋の上に身を屈ませて鼻をくんくんとさせながら、シンが顔をほころばせた。確かにソフィアもこの柔らかな甘い香りは嫌ではない。ミルクパンにミルクをゆっくりと注ぎ入れながら、ソフィアも優しい香りを胸に吸い込んだ。だが、次の瞬間、シンのとんでもない発言で一気に現実に引き戻されてしまった。


「この香り、ソフィアの匂いに似てる」

「ちょっとやめてよね!」


 せっかくいい気分になっていたのに台無しだ、とばかりにソフィアはジロリとシンを睨む。


「どうして? 僕は良い香りだと思うけど」


 平然と目を閉じて深く息を吸い込むシンを見て、何とも居たたまれない気持ちになったソフィアは、素早く鍋を火から下した。


「そろそろ出来上がるわ」

「分かった。……火蜥蜴サラマンダー、ご苦労様」

「あ、ええと、ありがと、う」


 シンに続いてソフィアも躊躇いがちにお礼を述べると、今まで鍋の下にいた火蜥蜴サラマンダーは答えるように一瞬だけ炎を強めてから消え去った。光の精霊ウィル・オー・ウィスプといい、精霊とは馴染みのない生活を送っていたソフィアは、何度目にしても不思議に思う。一体どこから出て来てどこに消えるのだろうか。以前シンに尋ねた事があったが、彼の回答は「精霊はその要素があれば必ずそこに存在しているものだよ。目に見える、見えないはともかくね」という、まるで謎かけをしているようなよく分からないものだった。


 気を取り直して、ソフィアは出来上がったミルクティを漉しながら2つのカップに注いだ。


「あ、そうだ」


 ふと、シンが声を上げた。それから孤児院に行くときに持って行っていた鞄から何かを取り出した。


「そうそう、これ! 僕からの贈り物! でも、思いついたのは結構前で、一緒にパンケーキを食べた時なんだよね。ソフィアきっと好きだろうなって思って」

「パンケーキ? 去年の?」

「うん、そう」


 頷きつつ、シンは手にしていたものをソフィアに手渡した。受け取り、しげしげと眺めると、黄金色のとろりとした液体が小瓶に入ったものだった。不思議そうに眺めていると、シンが補足した。


「蜂蜜。このミルクティにも合うと思うから、入れてみて」

「あ、……わ、分かったわ。シンはどのくらい入れたらいい?」

「僕は甘くなくて良いよ。ソフィア入れてごらんよ」


 遠慮をしているのではなく、本当にそう思っている様子だった為、ソフィアは小さく頷いて自分のカップにだけティスプーン1杯の蜂蜜を入れてかき混ぜた。何となく甘い香りが強まった様に感じた。



 2人はそれぞれカップを持ってソファへ行くと腰を下ろした。


「どれどれ、頂きます」


 にこにこと嬉しそうな顔でシンはカップに口を付けた。すぐに「美味しい!」と破顔する。それを見届けてから、ソフィアも蜂蜜の入ったカモミールのミルクティを口にした。


「!」


 途端に、ソフィアは大きな水色の瞳をぱちくりとしばたたかせた。作っている最中や、カップから立ち上る湯気の香りとは比べ物にならないほどのカモミール自体の甘い香り。口に含んだ瞬間に広がる、果実や野菜、砂糖とは異なる滑らかな蜂蜜の甘さ、ミルクの包み込むような柔らかな甘さ、それらが一つにまとまって鼻腔や胸を満たし、じんわりと全身に広がっていくのを感じる。口に含んだ一口を恐る恐る飲み込んでから、ソフィアは紅潮した頬で呆然と、そろそろと息を吐きだした。


「美味しい?」


 彼女の表情で既に十分分かっている事だが、あえてシンは優しく尋ねた。その言葉に、ソフィアは一瞬困惑した表情を浮かべるも、遅れて戸惑いながら小さく頷いた。


「良かった」


 心底嬉しそうに、シンは目を細めて笑った。



* * * * * * * * * * * * * * *



 翌日。今日はシアンがクナートへ戻る予定の為、シンは孤児院の仕事の午後を休んで港へ迎えに行くのだという。ソフィアは自分が迎えに行く道理も無い為、通常通りティラーダ神殿の仕事をする事にした。神殿に着くと、最初にカモミールの茶葉をくれた神官に礼を述べる為に、神官の詰め所へ向かう。

 日雇いのソフィアは普段足を踏み入れる事はないが、ティラーダ神殿に従事している神官達は神殿に寝泊まりしている者も多い。彼もその一人だったはずだ。

 躊躇いがちに部屋の中を覗き込むと、茶葉をくれた神官――眼鏡を掛け、黒いローブを身に纏った青年の方もソフィアに気付き灰色グレイの瞳を丸くする。それから、すぐに部屋の入口まで近づいて来てくれた。


「おはようございます、ソフィアさん。何か御用でしたか?」

「あの……昨日の、薬草茶ハーブティ……」


 言い淀むソフィアに、神官の青年はハッとして眉を下げた。


「もしかして、お口にあいませんでしたか?」

「いえ、あの……あ、ありがとう……美味しかったわ」


 慌てて否定し、礼の言葉をたどたどしく述べると、彼は嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「それは良かった! この薬草ハーブは心身をリラックスさせる効果が期待できるので、安眠にも役立つのではないかと」


 少し前までへとへとに疲れて帰宅していた姿を、彼はどこかで見ていたのかもしれない。申し訳なさと恥ずかしさで、ソフィアは思わず俯いた。


「おい、ここで何を道草を食っているんだ? お前達は暇なのか?」


 唐突に背後から掛かった声に、ソフィアは思わずビクリと肩を震わせ、次いで声の持ち主に思い当たりむっとした。振り返ると、案の定ルナが仁王立ちしていた。彼のお小言に神官を巻き込まぬよう、ソフィアは口を開いた。


「あたしがこの人に用があって話しかけただけよ」

「ああ、いえ、私がお引止めしてしまったんです。薬草ハーブの効能について試作品を試してもらってまして、その結果を確認してました」


 神官の青年は一歩前に進み出て、ソフィアとルナの間に入って深々と一礼した。それからソフィアの方を振り返ると僅かに照れたように微笑んだ。


薬草ハーブ研究はあまり味について感想を貰う事が無いので、貴女が美味しいと仰って頂けて励みになりましたよ。ありがとうございます。また試作品が出来たらお願いしても良いですか?」


 その言葉に、ソフィアは思わず反射的に頷いた。


「話しは済んだか? ではお前は持ち場に戻れ。今日からは書物の分類だったか」


 苛立たし気に棘のある言葉を放つルナに一つ頷くと、ソフィアは薬草ハーブ研究者の神官にペコリと一礼し、その場を後にした。

 その足で神殿内の書庫へ向かう。1階から3階まで吹き抜けの室内は、四方の壁全てが本棚だ。梯子を使って目当ての本を取り、部屋の中央にある文机で数人の神官が仕事をしている。その邪魔をしないように、ソフィアはそっと室内へ足を踏み入れた。数日前から一つのカテゴリを分類、印付けをしている。その続きをするべく、分厚い羊皮紙の束を麻紐で綴じた本を手に取った。



(――……“魔境ガラコス大戦マルテ”。これだったわね)


 重い書物を両手に抱え、ソフィアは空いている席を探して椅子に座る。昨日で4分の1程は目を通している為、その続きを探してページをめくった。



(“妖魔モンスターと人間と妖精エルフ、それぞれが争った、150年前の戦争……この時から、それぞれの種族間に境界が引かれたと言っても過言ではない”――か)


 僅かに柳眉を顰めてから、考えを振り払うように小さく首を横に振る。余計なことは考えずに仕事に集中しなくては、と己に言い聞かせ、ソフィアは印付けをするための細い紐のついた栞の束を片手に、指示された情報を探して紙面上に目を走らせた。



 どのくらいの時間が経ったのか、仕事に集中していたソフィアには分からないが、ふと顔を上げると、周りにいた神官がいつの間にかいなくなっていた。室内も、魔法の明かりに照らされてはいるが、来た時よりも薄暗い。いつの間にか陽が落ちていたらしい。手元の書物は半分ほどまでチェックが済んでいる。本心では、このまま宿の部屋に持ち帰って続けて仕事をしたいところだが、残念ながらここの書庫にある書物は全て持ち出し禁止のものばかりだ。渋々立ち上がると元の本棚に書物を戻し、書庫を後にした。



 受付で本日分の日当を受け取り、神殿の外に出ると、何やら騒がしい。本能的に身構えて辺りを見回すと、いつもシンが待つ木陰に3つの人影があった。その内の1つ――シンがソフィアに目を留めて嬉しそうに破顔して歩み寄ってきた。


「ソフィア、お疲れ様。いつもより遅かったけど、大丈夫?」

「あ……ええ、と。……仕事に熱中してたら……」

「そっか」


 言いながら、シンはソフィアの手荷物をさり気なく持つ。


「となると……ソフィア、お昼食べてないんでしょ」

「……いえ」

「食べたの?」

「……食べてない。でも、別にお腹も減ってないから」

「駄目だよ、ちょっとでも口にしないと」


 もう、と眉を下げながら、シンはソフィアの髪を撫でた。――その時、


「おーい!! 俺の事忘れてません?!」


 悲痛な声が木陰の方から上がった。微苦笑したシンが振り返る。つられてソフィアもそちらを見ると、3日ぶりのシアン――の首根っこに、見知らぬ女性が腕を回してくっついていた。


「え」


 思わず目が点になる。彼は確か、群がる女性達からのプレゼント攻撃を避けるために、エイクバに行っていたのではなかったか。では、彼に絡みつくようにくっついている、真っ直ぐな黒髪にナイスバディなお姉さんは一体……


「おいソフィア! 変な誤解するなよ! 俺は何もしてねぇ!!」

「私の事を助けてくれたじゃないか! 助けたなら最後まで責任を取るのが筋だろう!!」

「いや、つってもだな、たまたま偶然助けて、何で責任問題に発展するんだよ?!」

「私は強い男を婿にする為に旅をしていた! お前は強い! だからお前は私の婿になるんだ!」

「はぁー!?」

「そもそも、後先考えずに助けたお前も悪い! 悪人の手に落ちそうになっていた所を颯爽と助けられたら運命を感じるだろう?!」

「いやいやいや……」

「私は感じた! だから婿になれ!!」


 延々と続くシアンと女性のやり取りのあまりの勢いに、ソフィアはぽかんとした表情で固まった。シンはというと、のほほんと見守るていだ。しかし、シアンが苦し紛れにとんでもない事を口にした。


「強いっつったら、俺よりシンさんの方が2~3倍は……いや、4~5倍は強いぞ!! ね、シンさん!!」

「なに?」


 黒髪の女性がものすごい勢いでシンの方を向く。突然の飛び火に、シンは苦笑して両手を上げてみせた。


「僕は心に決めた人がいるから駄目だよ」


 その言葉に、傍で聞いていたソフィアが驚いて思わず見上げると、シンはチラリと目線を向けて、柔らかく微笑みを返した。



(それってやっぱり、あの妖精エルフの人よね。……それとも、過去の、結婚したかった恋人の事?)


 眉根を寄せて考えかけてから、慌てて勝手な勘繰りは失礼になる、とばかりに考えを振り払う様に首を横に振る。その間にも、女性はじっとシンを見つめたままだった。



「本当にお前は強いのか?」


 シンの回答に満足しなかったのか、女性がツカツカとシン、ソフィアの方へ近づいて来た。彼女の琥珀色の瞳は強い力を宿したまま、相変わらず射貫くようにシンを見つめている。


「……私が見つめても、目を逸らしもしないのか……確かに、シアンとは違って肝は据わっている様だな」

「悪かったな……肝が小さくて」


 苦々しく呟きながら、シアンもこちらへやって来る。


「答えろ。お前は本当に強いのか?」

「さぁ、何とも言えない。冒険者としてはそれなりに腕があるはずだけど、僕以上に強い人はたくさんいるからね」

「分かった! なら、お前でもいい! 婿になれ!」

「うーん、ごめんね?」


 笑顔でキッパリとシンははねつけた。


「さっきも言ったけど、僕はもう心に決めた人がいるから、その人以外と共に生きるつもりはないよ」

「そんなものは関係ない! ならば、その心を変えるまでだ!」

「えぇー」


 彼女は全く引き下がらず、シンは思わずうんざりとした声を上げた。


「おいおい……シンさん滅茶苦茶迷惑してるじゃねーか……」

「僕に振ったのはシアンでしょ」


 他人事ひとごとの様に助け舟を出す素振りをするシアンに、シンは半目で文句を言った。


「まずは、その相手を教えろ! 私が話しをする!」


 マイペースに語気を強める女性に少しだけ目を向けると、シンは声を低くした。


「彼女に手出しをしたら、許さないよ?」

「手出しなどするか! 失敬な!」

「なら良いよ」


 話の流れについて行けず、シンの後ろで呆然と固まっていたソフィアを、彼はそっと肩に手を回して前に出した。


「はい、僕の大切な人」

「なに?」


 まだ固まったままのソフィアを、女性は目を丸くして、震える声を上げた。


「ま、まさか幼女しゅ……」

「成人してるよ」

「……なるほど。しかし、これは正に、宝石のような娘だな。……つまり、この娘がお前の好みという事か」

「好みっていうか、ソフィアはこの世界に一人しかいないからね」

「……」


 むー、と顔を顰めたまま女性は、固まるソフィアと微笑むシンを交互に見てため息を吐いた。つまり、シンにとってはいくら似せようとも、ソフィアでない以上、似て非なる者は不要という事なのだ。


「分かった。お前の事は諦める」

「そう? なら良かった」

「となると、やっぱりシアン、お前が婿になれ!!」

「やっぱりこっちにきたーーーー!!?」

「自業自得だよね?」


 半泣きの声を上げるシアンに、にっこりと、どこか冷たさを漂わせた笑顔でシンは言い切った。


「ソフィア、大丈夫?」


 未だに固まっているソフィアに、シンは肩に手を置いたままそっと声を掛ける。ようやく呪縛が解けた様に、ソフィアはハッとしてシンの顔を見た。それから、シアンの方へ顔を向けると、やはり首根っこに黒髪ナイスバディな女性をぶらさげていた。既視感デジャブを感じる。



「……ええ、と……あれは、大丈夫……なの?」


 引き攣った顔でソフィアはシンに小声で尋ねる。


「うーん、まぁ、昨日の女性大勢に囲まれるのと、3人分くらいのバイタリティのある女性1人と、どっちがマシかっていう事になるんだろうけど……まぁ、少ない方が良いんじゃないかな」

「適当過ぎる?!」


 首に絡みつかれたまま、シアンは悲鳴を上げる。逆に、ソフィアは徐々に、目の前で繰り広げられている喜劇(?)に思考が慣れてきた。

 しばらく、逃げ惑うシアンと追う女性を見守っていたが、不意に冷たい風が吹いたタイミングで、小さくくしゃみをした。すぐにシンが己の外套を脱いでソフィアの肩に掛ける。要らない、と言う前にあっという間の事だった。シンの体温の残る深緑色の外套は、とても暖かかった。

 すっぽりと外套に埋もれて僅かに安堵の息を吐きだしたソフィアの背中を、そっと労わる様に撫でてから、シンはシアンの方を向いた。


「シアン、僕達そろそろ宿に戻るよ」

「あっ いや、待って!! これ!! これどうにかして!!」


 首根っこにしがみついたままの女性を指して、焦った声を上げるシアンに、シンは微苦笑した。


「うーん、女の子を力ずくで引きはがすわけには行かないじゃない」

「でも、こいつ連れて帰るのは無理っすよ!?」

「何を言う! 宿を取るつもりだ。常識だろう?!」

「JYO U SHI KI ?!」


 女性が至極真っ当な表情で口にした言葉に、シアンが素っ頓狂な声を上げた。そのままよろけて信じられないような顔で声を震わせる。


「じょ……常識って概念があったのか……お前……」

「私を何だと思ってるんだ!」

「だって、助けてからずっと“婿にしろ!!”っつって絡んできたじゃないかよ! それは常識的じゃないだろー?!」

「そんな事は無い。良いか? ①乙女のピンチ ②ヒーローが颯爽と助ける ③乙女心に火が付く ④両想いになってハッピーエンド ……これのどこにおかしな点があるというんだ?」

「③から④が飛躍しすぎ?!」


 女性は真面目な顔で言っている為、本当にそう思っているのかもしれない。シアンは大変そうだが、女性のいう事も一理ある、とソフィアはほんの少し思った。



(吟遊詩人の歌う恋物語でも、危ないところを助けてもらったお姫様が、他国の騎士に恋をするものがあった気がするわ。普通の女の人だったら、やっぱり胸がときめいても仕方ないんじゃないかしら)


 物思いに沈むと、傍らのシンがそっと頭を撫でてきた。眉間に皺を寄せてチラリとシンを見上げるも、ソフィアは振り払わずにシアンと女性の方を見た。


「そうだ、申し遅れた。私はシュウカと言う。よろしく頼む」


 丁度、女性がこちらを向いて頭を下げた所だった。不思議な響きの名前だ。


「シュ・・・シュカ?」

「シュウカだ」

「あれ? もしかしてシュウカちゃんは東国オリントの出身なのかな」

「! 知っているのか?」

「うん、この大陸の極東にある国だよね。随分遠いところから来たんだね」

「ああ……そうなる」


 曖昧に頷いたシュウカを見て、シンとソフィアは顔を見合わせた。それから、話題を戻す様に自己紹介をした。


「あ、僕はシェルナン・ヴォルフォード。シンって呼んでね」

「……ソフィアよ」

「シンとソフィアか。私はシアンの嫁だからな。お前たちとも長い付き合いになるだろう」

「違う!!」


 言いながらシアンの腕を両手で抱き締め、豊満な胸を押し付けるシュウカに、シアンは仰天して手を引き抜こうとジタバタともがいた。だが、逆効果だったようで、彼女は甘えた声を上げる。


「あんっ シアンったら……ら・ん・ぼ・う」

「やめろーーー!!!!」


 ――――シアンが泣いてる。だが、助け舟を出そうにもどうにも出来ず、ソフィアは内心でおろおろとするばかりだった。しかし、シンはクスクスと笑いながら「シュウカちゃん」と平然と声を掛けた。


「宿なら、南区にある春告鳥フォルタナの翼亭が良いと思うよ。長期滞在するなら身元保障にもなる冒険者登録もしておいた方が良いだろうしね。良かったら僕達が帰りがてらに案内しようか?」

「帰りがてら? シンとソフィアもその宿に泊まっているのではないのか?」

「僕たちは、もう少し西寄りの宿に泊まってるんだよ。ただ、そんなに離れてはいないから、もし良かったらだけど案内するよ」

かたじけない。では、お願いする」

「ふふ、任せて。――シアン」


 微笑んでシュウカに頷いてから、シンはシアンに呼びかけた。


「君は早く、家に帰ってあげなよ? きっとみんな心配しているだろうから」

「あー……そっすね。了解」

「シアンはどこに住んでいるんだ?」


 途端にシュウカが食らいつく。「どこだっていいだろー」とぼやきつつも、シアンは東区にある家に居候をしている旨を伝えた。


「そうか、東区だな」

「来るなよ?」

「行きはしない。待ち伏せはすると思うが」


 キッパリと言い切るシュウカに、シアンは「洒落にならねぇ」と顔を引き攣らせた。


「じ、じゃあ、俺帰りますわ! シンさん、今日は世話になりました! ソフィア、シンさんをねぎらってやってくれ!!」

「待て! シアン!」

「なんだよーっ…………むがっ?!」


 踵を返して走り去ろうとするシアンを呼び止めるシュウカの声に、勘弁してくれと言わんばかりの声を上げて振り返った……瞬間、彼の唇をシュウカのそれがガッツリと捕えた。一瞬硬直したシアンだったが、すぐに慌てて彼女を引きはがし、真っ赤な顔で狼狽した声を上げた。


「っおまっ なんっ」

「今の、私の、は・じ・め・て、だからなっ」


 頬を染めて言いつつ、シュウカはつん、とシアンの胸を突っついた。その僅かな衝撃でさえ、シアンは槍並みの衝撃を受けたかのようによろけて、たたらを踏んだ。

 真っ白になっているシアンを尻目に、シュウカはシアンに「また明日ね」と囁くと、シンとソフィアの方へ顔をむけた。


「じゃ、シン、ソフィア、案内を頼むぞ!」


 言うと、晴れやかな顔でスタスタと先に歩き始めた。


 一方、シンは同情を含んだ眼差しをシアンに向けて苦笑し、ソフィアは目の前で起こった事が何か脳内処理が間に合っておらず、再び目を皿の様にして固まってしまった。

 硬直するソフィアに気付いたシンは、彼女をそっと抱き上げると、シアンに「えーと、頑張ってね?」と曖昧に言葉を掛けて、シュウカを案内する為に彼女の後を追いかけた。


 残されたシアンはというと……



「なんなんだーーーーーーーーーー!!」



 夜のとばりりる中、叫びながらおとこ泣きをしたのだった。

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