第59話 “幕間”という名の喜劇
港町クナートが異様な熱気に包まれたあの日から、一週間が経つ。朝の冷え込みを除けば、ここのところ温かい日が続き、大通り沿いの木々には若芽がいくつか見られた。
エイクバからシアンについて来た女性シュウカは、あの日から言葉通りずっとシアンに纏わりついている。そこに元々彼の両脇に陣取っていた女性2人――シエルとアリスが加わり、誰が彼の腕に己の腕を絡めるかという、し烈な争いの日々が繰り広げられていた。
* * * * * * * * * * * * * * *
「っはぁぁぁぁあああああああ」
――夜の
その1階にある酒場で、シアンは机の上に突っ伏して大きな息の塊を吐き出した。それと同時に、酒場の入り口の扉が開き、のんびりとしたテノールが彼に声を掛けた。
「あれ、シアン? 珍しいね」
「シンさん、ソフィアさん、お帰りなさいませぇ」
シアンが答えるより早く、酒場の主人が間延びした挨拶を返す。それに微笑んで応じてから、シンはソフィアを伴ってぐったりとしたシアンの座るテーブルへ歩み寄った。
「俺が今、安らげる場所は……もう家にも
げんなりとした顔を上げて、シアンが弱々しい声を漏らす。その様子にソフィアは訳が分からず柳眉を
「何なのよそれは」
「それは俺が聞きたいっ」
「はぁ??」
頭抱えるシアンに、ますますソフィアは首を捻る。その様子に、クスリと笑ってからシンは椅子を引いてソフィアを座らせ、隣に自身も腰掛ける。
「その様子だと、あれからシュウカちゃんとシエルちゃん、アリスちゃんは相変わらず?」
「相変わらずっていうかっ!!」
どんっと両こぶしを勢いよくテーブルに叩きつけ、シアンが悲痛な声を上げる――が、その大きな音と声にソフィアが反射的に肩をビクリと跳ねさせると、途端にシンの眼光が鋭くシアンに突き刺さった。
「シアン」
「うっ す、すんません……でも、まじで、ほんっとまじで、俺、俺はですね、ほんともう……」
「嫌なら嫌って言えば良いんじゃない?」
しょんぼりと肩を落としてもごもごと言い訳をするシアンに、軽く答えたシンは、そのまま店の主人に温かい蜂蜜酒とミルクを注文する。
「嫌って訳じゃ……いや、周りでぐるぐるくっつかれるのはちょっと勘弁してほしいけど」
「そっか」
注文した飲み物を店主から受け取り、温かいミルクをソフィアの前に置きながら、シンはあまり心のこもっていない軽い相槌を返した。傷ついたように大袈裟に胸を押さえて、シアンはよよよ、と泣き真似をする。
「うぅ、シンさん、冷たくないっすかぁ」
「うーん、そう?」
にっこりとシンに笑顔で返され、シアンは更に凹んだ顔でチラリとソフィアに目を向けた。
「っつか、今日は大人しいな、お前」
「……それは、あたしがいつも騒々しいと言いたいの?」
「いや、違うけどさ。……なんか疲れてんのか?」
「それはあなたでしょ」
やや呆れた様に返しながら、ソフィアはミルクの入ったカップを両手で包んだ。
「疲れてはいないぞ! 俺は冒険者だし、持久力にも自信がある! ――けど、なんつーか、女の“どっちが好きなの?”攻撃はうんざりっつーか、面倒くさいっつーか……」
「確か、この前の女の人は、あなたに助けられたって言ってたわよね」
「シュウカの事か? ……まぁ、それは、確かに――成り行きで。けど、それで好きになったとか言われても、ピンと来ないっつーか」
「それはあなたの理屈でしょ」
訝し気にソフィアは小首を傾げる。
「あの女の人は、絶体絶命の時にあなたが助けてくれて心が動いたって言うんだから、そうなんじゃないの」
この言葉に、シアンは目を丸くして彼女を凝視した後、チラリとシンに目を向ける。彼女の保護者を自称する彼は、温かい蜂蜜酒を少しずつ口に含みながら、常の微笑みを浮かべて会話に加わるつもりは無い様子だ。
ならば、とシアンはソフィアにやや踏み込んだ質問を投げかけた。
「え、えーと、つまり、ソフィアも覚えがあるって事か、それ」
「あたしはそういうのはよく分からないけど、吟遊詩人の歌でよくあるじゃない」
分からないのかよ、と、何故か内心ガッカリしつつも、気を取り直してシアンは疑問を口にした。
「……吟遊詩人の歌、ってお前、そんなん聞くのか?」
「聞いたわけじゃない。――何かの本で読んだ気がしただけ」
「…………」
再びシアンはシンに視線を投げかける。シンはというと、やはり通常通りの微笑みを浮かべて2人の話しの聞き役に回っている
2人の様子を気にも留めず、ソフィアは言葉を続ける。
「とにかく。――彼女がそれであなたの事を……、その、そういう、アレになったんだ、っていうなら、そうなんじゃないの、って事」
「いや、そこぼかされると、逆になんかエr」
「シアン」
素早く低い声で制され、シアンは慌ててシンに顔を向けて弁明した。
「いやだって、別に俺、シュウカとは何でもないし、……いや、助けた以上は、やっぱ気にはなりますけど。……あ! 気になるって言うのは、純粋に大丈夫かなって意味ですけどね?!」
「うーん、そんなに慌てるから、痛くもない腹を探られるんじゃない」
表情を和らげて、シンは肩を竦めて蜂蜜酒の入ったグラスをテーブルに戻した。
「いやー……俺、こーゆーの苦手で」
「こういうの?」
「恋愛ごとっつーか……いや、女の子には興味ありますよ? 可愛い彼女とか欲しいし。けど、なんつーか、こう、面倒くさいのは嫌っつーか、俺の気持ちは良いのかよっていうか」
その言葉に、シンは思わず呆れの混じった苦笑を浮かべた。
「贅沢だねぇ」
「えー……そうっすかぁ?」
「想われるだけ良いじゃない」
「いやいや、俺が好きになった人の想いなら大歓迎ですけど、――友達って思ってる相手とか、会って間もないよく分からんヤツとかから想われても、応えようがなくて困るっつーか……」
――ソフィアにとっては、この様な話題が正に“苦手”だ。背中がムズムズして、居心地が悪い。気取られない様に何度か椅子に座り直すも、どうにもこらえきれず、音を立てない様に席を立つ。だが、すぐにシンが、次いでシアンがこちらを見た。
「あ、の……あたし、先に部屋に戻るわ」
初め、気まずそうに言い淀んでから、――早口で言い切る。
「じゃあ、僕も」
腰を浮かすシンに、ソフィアは首を横に振った。
「あなたはまだ飲み物が残ってるでしょ。部屋に戻るくらい、一人で平気よ」
「うーん、まぁ、そうなんだけど……じゃあ、部屋に戻ったらちゃんと鍵を掛けてね。すぐにだよ」
「……あのね」
「約束してくれないと、今からこの蜂蜜酒の残りを一気飲みして一緒に行く」
「~~っ分かったわよ!」
真顔で蜂蜜酒が半分ほど残ったグラスを掲げるシンを、ソフィアは頬を膨らませて睨んだ。それからシアンにもそのままの視線を向ける。
「応えようが無くて困るなら、思わせぶりな事をしない様に気を付けた方が良い。――期待だけ持たせて、応えられないなんて、相手に失礼になると思う」
* * * * * * * * * * * * * * *
「そういえば、聞いてなかったね」
階段を上って行ったソフィアを見送ってから、シンは視線をシアンに戻して口を開いた。その言葉に、シアンはきょとんとした顔で首を捻る。
「? 何を?」
「シュウカちゃんを助けた時の事」
にっこりと微笑みを浮かべシンが言うと、シアンは「ああ」と納得した様に言葉を零した。それから両手を軽く上げて降参のポーズを取る。
「さすがお見通しっすね。――や、どっちかっていうと、“わざと”ですよね?」
「ふふ、シアンならそうするかもしれないなぁ、とは思ったけどね」
「へいへい、その通りに動きましたよ。――ただ単に隠れるだけなら、それこそ港の倉庫でも良かったわけですしね」
片手でテーブルに頬杖を突き、シアンは苦笑した。その様子を眺めながら、穏やかに微笑んだままで、まるで明日の天気の話をするかのような口調でシンは問うた。
「で、どうだった?」
シアンの方も、普段の軽口のまま答える。
「大きさはともかく、まだ元気でしたよ」
その言葉に、シンは微笑んだまま「そう」と呟くように応じた。
――――あの日、シアンが“隠れ家”を探したいと言った際、シンはすぐに、この理由を前面に押し出せば対外的には違和感なく彼をエイクバへ送り出せると思った。
エイクバには以前ソフィアを攫おうとした男の所属する人身売買の組織の本部がある。あれから1カ月以上経ったが、それでも未だに彼女を狙う可能性があるのかが、ずっと気がかりだった。
そのシンの考えをシアンが察するかどうかは、彼次第だった訳だが……厄介ごとに首を突っ込むのが趣味とも言える彼が、エイクバで静かにしているとは到底思えなかった。そして案の定シンの考えた通り、シアンはエイクバへ着いた直後に人身売買組織の調査を始めたのだ。
シアンの言葉を意訳すると“規模は縮小されているが、まだ人身売買の活動は行われている”といったところか。
「シュウカちゃんとは、そこで?」
「あー……そうっすね」
苦虫を噛み潰したような表情でシアンは頷く。
彼女を見つけたのは、彼がエイクバで組織の拠点に忍び込んだ際だった。その時、彼女はほぼ衣服をまとわない状態で、今まさに粗暴で下種な男の手によって最後の布地が剥がされる、という状況だった。それを目の当たりにした直後、脳内で正確に理解などせず反射的に男の後頭部に蹴りを加えたシアンは、昏倒する男を縛り上げ、呆然とする彼女に己の上着を素早く着せて肩に担ぎあげるとそのまま遁走、気付いた他の組織の男たちを振り切らんと町中を駆け回り、最終的にエイクバの冒険者の宿に駆け込んで何とかやり過ごしたのだった。
その経緯を、シアンは直接的ではなく遠回しにシンに伝えた。
聞き終えたシンは、僅かに苦笑を浮かべて「ご苦労様」と彼を
しかし、シアンの方も人相を覚えるのが得意だ。その為、クナートに彼らが再び現れた際に、彼ならばいち早く気付ける可能性がある。そして、クナートの冒険者達はもちろん、騎士団もあの組織には、自らの町の女性達が一時的にせよ攫われたという
そこまで考えてから、ふと、シュウカの事を思い起こした。――その状況では、シアンに好意を持つのは致し方ないかもしれない。絶望的な状況下で、己の危険を顧みずに飛び込んできた、同年代……いや、ややシアンの方が年下かもしれないが――ともかく若い男に、惹かれない女性は少ないと思う。――クナートであの日、シアンを捜して走り回っていた女性達も、似たような状況でシアンに助けられ、彼に心を奪われた女性達なのだ。
「ところで」
おもむろに、シアンが声を押さえて切り出し、身を屈める。気付いたシンも同じように身を屈めて耳を傾けた。口に手を添え、目の前のシンにだけ聞こえる様な小声でシアンは言葉を続けた。
「ちょっと気になる事が」
「気になる事?」
訝し気に鸚鵡返しをすると、シアンは神妙な面持ちで小さく頷いた。
「ここで話すのはちょっとアレなんで……明日にでも、ちょっと時間良いですか?」
「それはもちろん、構わないけど……じゃあ、孤児院に来てもらおうかな。僕の元いた部屋、まだ空き部屋だから、そこで話そう」
「りょーかいっす」
頷き合ったその時、酒場の入り口のドアが軽やかに開いた。
「春の息吹を運ぶ風、――それは僕!」
「……」
「……」
「いらっしゃいませぇ」
シンとシアンの沈黙とは対照的に、のんびりとマイペースに宿の主人が新たな客人に挨拶を返す。その声で気を取り直し、シアンが彼の方を見る。
「えーと、レグルス、だっけ? どーも」
「やあ、シアン君! そうだよ、僕だよ! レグルス・A・フォーマルハウトだよ!」
「こんばんは、レグルスさん」
「うんうん、シン君も元気そうだねぇ! そうだ、ソフィアはどうだい? 元気かい?」
にこにこと声を弾ませるレグルスに、シンはにっこりと微笑みを返す。
「ええ、元気ですよ」
「そうか! 何よりだねぇ! 彼女、眠りが浅そうだものね。ちゃんと眠らせてあげないと、この時期は体調が心配だものね!」
「……この時期、ですか?」
「やだなぁ、季節の変わり目だよ! ホラ、日中は温かいけど、朝晩は冷え込むだろう? こういう時、体調は崩しがちだからね!」
「ああ、なるほど……確かにそうですね。気を付けます」
「うんうん!」
にこやかに会話するシンとレグルスに、何故か薄ら寒さを感じ、シアンは軽く身震いした。こほん、と咳ばらいをすると、白々しく明るい声を上げる。
「えぇーっと、じゃあ俺、そろそろ家に帰ろうかなーっ」
「あれ、そうなのかい?」
目を丸くしてレグルスがシアンの方を見る。便乗するかのように、シンも口を開いた。
「じゃあ、僕もそろそろ部屋に戻ろうかな」
「えー、シン君も? ……あ! 部屋って、ソフィアも一緒だったりするのかい?」
「……何故それを?」
やや苦笑を浮かべシンが問うと、レグルスはさも当然とばかりに答えた。
「だって、あれから
「え、それだけで?」
得意げなレグルスに、シアンが思わず横から口を挟む。
「それだけではないよ。彼女が港の倉庫から救出された時、シン君は
長く美しい人差し指を立て、ちちち、と横に振りながらレグルスはにっこりと美しい笑みを浮かべた。
「あの時の様子を見たら、そのまま離すわけがないなぁって思って。――どうだい? 吟遊詩人たる僕の想像の翼が羽ばたき飛翔した先にあった結論は!」
「はい、当たりです。――もう離しません」
揺るぎない微笑みでシンはキッパリと断言した。その様子にレグルスはほんの一瞬目を細め、すぐにしみじみと噛みしめる様に笑った。
「いいねぇ、シン君。若さだねぇ……」
その言葉に、シアンが素朴な疑問を口にする。
「え? レグルスさんっていくつなんすか?」
「僕? 僕は……19歳さ!」
「いやそれメチャクチャ嘘でしょう?!」
「嘘じゃないさ! 僕は永遠の19歳! いつでも心はティーンエイジャーさ!」
「うさんくさい?!」
「あっはは☆」
延々と止まらない彼らのやり取りをしばらく眺めていたシンは、頃合いを見計らって席を立った。
「では、僕はこの辺で。――シアン、気を付けて帰ってね。レグルスさん、来たばかりで申し訳ない。また今度ゆっくりお話ししましょう」
「うん、今日はシアン君と話す事にするよ!」
「えっ 俺も帰るって言いましたよね?!」
「ははは、そうだね! せっかくだから僕を送ってっておくれよ。夜道は危険がいっぱいなんだから」
「えぇー……」
未だ終わらない
* * * * * * * * * * * * * * *
部屋に戻り扉をノックをすると、中から少し眠そうな声が応じた。鍵を開けて入ると、まずテーブルに置かれたランタンの灯りが目に入った。それから、ソファの上にいるソフィアに気付く。薄浅葱色の寝間着を着た彼女は、眠たそうに片目をこすっている。その傍らには読み途中と思われる羊皮紙が数枚置かれているのが見えた。
「ソフィア、そんなところでうたた寝してたら風邪を引くよ」
つい咎める様な声を上げながら、シンは素早くソフィアに歩み寄る。まだぼんやりとした彼女の肩に触れると、案の定冷え切っていた。
「……もう」
そっと抱き上げると、まだ寝惚けているのか、それとも余程疲れているのか、ことりとシンの胸に小さな頭を預けてくる。その行動のたった一つで、シンはこの上ない幸せを感じた。柔らかい青みがかった銀の髪に頬を寄せて目を伏せる。
「ソフィア」
自分でも思ってもみない、甘さを含む吐息のような声で彼女の名を口にしてから、シンは言葉を飲み込んだ。彼女といると、己の中で今までにない様々な感情が渦の様に沸き起こり、途方に暮れる事がある。70年以上生きて来て、尚も己の知らない己があったのか、と驚き、戸惑う。
「……ソフィア」
囁くように彼女の耳元に唇を寄せて名を呼ぶ。
シンは恋人も伴侶も、もちろん娘も持った事が無い。だから、この感情がそのどれに当てはまるのか、――――親愛なのか、情愛なのか、彼自身、未だに分からないでいた。ただただ愛おしい、唯一無二の存在。幾度彼女の名を呼んでも、呼び足りない。彼女を守る為なら、どんな事でも出来る。この気持ちが彼女に受け入れられることが無く、単なる自己満足だとしてもだ。その思いは日に日に強まり、
「そんな事を思ってるって知ったら、君は僕から離れようとするのかな」
ランタンで薄っすらと照らされた室内に、彼女を抱きかかえて佇んだまま、シンは小さく呟いた。
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