第57話 隠れ家とは
シンに連れられ、シアンとソフィアが向かった先は、2人の予想外の場所だった。その為、しばし呆然と2人は夜の潮風に吹かれるがままに立ち竦んだ。――そう、ここは夜の港である。
「って、隠れ家ってまさか港の倉庫かよ!?」
ハッとして青褪めたシアンが声を上げるも、既にこの場にシンの姿はない。あれ、と拍子抜けした様に辺りを見回すと、同じく残されていたソフィアが、灯りのともる建物を指し示した。
「シンなら、事務所に行ってくるってさっき」
「事務所? それって港の事務所か?」
「分からない」
僅かに眉根を寄せながらソフィアは言葉を切った。その様子を見て、シアンは頭を掻いた。
「まぁ、ソフィアがいるなら、そんな遠くには行かないだろうけどさ」
「何なのよそれは」
むっとしながら返しつつも、ソフィア自身もそんな気はしていた。もっと言い返したいのは山々だが、何せ彼の過保護ぶりは今に始まった事ではないのだ。不機嫌そうにそっぽを向くと、ソフィアは真っ黒な海原に視線を向けた。時折、灯台の光が水面を映すが、それ以外は漆黒の闇を溶かしたかの様だ。比較的風が無い為か、打ち寄せる波の音も静かだ。じっと見ていると飲み込まれてしまいそうな錯覚を覚えて、ソフィアは自然と身震いをした。
「おい、寒いのか?」
目ざとく気付いたシアンが、小声で尋ねたのに対し、ソフィアは「平気」と短く答え、小さく首を横に振った。少し心配そうな視線を向けるも、それ以上踏み込もうとはせずにシアンも海へと視線を移した。
「そういや、ソフィアってシンさんと一緒に住んでるんだよな」
「――誤解されそうな言い方はやめてくれる?」
「でも、それ以外言い様が無いんじゃね?」
「………………ルームシェア、とか」
「ぶっ 大して変わんねぇじゃん! で、シンさんとは、やっぱり、アレか?」
「?」
「とうとう恋人になっ」
「なってない」
彼の言葉が言い終わらぬ内に、かぶせる様に固く強い口調でソフィアは否定した。その上でジロリと非難を込めて睨む。
「おかしな勘繰りしないで頂戴。シンに失礼だわ」
その言葉に、今度はシアンが目を丸くする。
「え、どの辺りがシンさんに失礼になるんだ?」
「だからっ あたしと……その、そういう、男女の……、そういうアレっていう……こ、いび、……と、とか……」
聞き返された言葉に、ますます苛立って強く言い返そうとするも、元々男女の機微に関しては免疫のないソフィアは、切り出した途端に勢いが失速し、そのまま尻すぼみに声が小さくなって消えた。
「お? どうした?」
訝し気にこちらを覗き込もうとするシアンに、ソフィアは「何でもない!」と口をへの字に曲げて赤面を隠すように顔を逸らした。彼の視線には港の建物や離れた場所にある街灯に浮かび上がる銀の髪と、その合間から見える、薄っすらと赤く染まった小さな尖った耳の先だけだ。
「おーい?」
「だからっ 何でもないってば! とにかく! シンとあたしは、お互い節約の為に宿代を折半しているだけなの!」
「……へぇ~」
シアンから見れば、シンは確実にソフィアを特別扱いしている。ソフィアもシンには心を許している様子だ。そして何よりも、幸いにして今はシンに特定の女性はいない……はずだ。
ならば、早くくっついてしまえばいいのに、と思うのだが、こればかりは当人同士の事だ。だが、もしそうなったら、シンは心の傷――伴侶にと望むも結ばれなかったという過去の記憶――を塗り替える事が出来、ソフィアは安心できる居場所が出来、双方にとって良いはずである。
しかし、直後にソフィアの姿が視界に入り、「いや、まだ見た目的に犯罪か……」と胸の内でぼやき、シアンはつい苦笑した。
「お前さー、もっとたくさん食って、早く大きくなれよ」
「はぁ?! 何なのよ急に!」
唐突に掛けられた言葉に、ソフィアは面食らって振り返った。その時、
「ごめん、遅くなって」
港の事務所から、シンが小走りで駆け寄ってきた。
「ソフィア、ごめんね、寒かったでしょ」
「何であたし限定なの。言っておくけど、寒さにならシアンよりあたしの方が慣れてると思うわよ?」
じと、と半目で近寄ってくるシンを睨む。ソフィアの言葉に、シアンが心外そうに肩を竦めた。
「俺はソフィアの10倍くらい筋肉があるから寒くないぞ」
「10倍って、そんなわけないでしょ!」
「ははは、でも、
笑って受け流しつつ、シアンはシンの方に向き直った。その視線に微笑んで応えると、シンは片手に持っていた長方形に切られた羊皮紙を差し出した。そのあまりの自然な動作に、思わずシアンはそれを受け取ってから目を点にした。
「? なんすか、これ」
「乗船券だよ」
「……え」
「乗船券」
「い、いやいやいや、聞こえてましたけどね!? って、え?! 船ぇ?!」
シアンが目を見開くと、対照的にシンは鷹揚に頷いてみせた。
「エイクバ行の乗船券だよ。明日の始発。――席が残ってて良かった」
「エ、エイクバっすか……?」
「うん」
だらだらと汗をかきつつ、シアンは引き攣った顔のまま乗船券に目を落とす。シンとシアンのやり取りを困惑気味に見守っていたソフィアは、小さな声でシンに声を掛けた。
「シン」
「ん? なぁに? ソフィア」
「船……って、隠れ家って船の事だったの?」
「んー、そうだね。厳密に言うと、船に乗って向かった先のエイクバの宿屋とかかな」
「大袈裟じゃない?」
まさか、町を移動するという話しになるとは思わなかったソフィアは、動揺して乗船券を握りしめたまま固まっているシアンに、僅かばかり同情の視線を向けた。
「エイクバは船で半日も掛からない距離だけど、クナートと違って例のイベントについては殆ど認知されていないはずなんだ。あっちでも多少知っている人はいるかもしれないけど、そういう人達はエイクバ内の間柄でやり取りするんじゃないかな」
「でも……」
「
「でも、戻ってきてから大勢来るんじゃない?」
「ああ、大丈夫。イベントはその日限りだから。――1日限定っていうプレミア感も盛り上がる条件の一つなんだろうね」
くすりと微笑んでから、シンは呆然と佇むシアンに声を掛けた。
「シアン、今夜は家に戻って、出かける事をちゃんと家の人に伝えてね」
「う……いや、あー……おー……」
歯切れ悪く返答するシアンに、シンはにっこりと微笑んだ。
「約束したよね」
「いや、まぁ……そうなんすけどね。“うちの連中”が聞いたら、付いて来かねないっつーか」
「それなら大丈夫。エイクバには冒険者の仕事で行くって事にしたらいい」
シアンの懸念事項は既に織り込み済みだった様で、シンの返答には
「以前、ここの領主の娘さんが攫われた時に、エイクバの人身売買組織と派手にやりあったでしょ? でもあの後から随分静かだから、念のため観光を装って偵察に行くって事にしたらいいよ」
「ああ……なるほど」
手にした乗船券を改めて見つめてから、シアンは納得した様に大きく頷いた。
「それならあいつらも納得すると思う。女を攫った奴らの本拠地にはさすがに連れてけないって言えば、言い返せないだろうしな」
「ふふ、エイクバは治安が悪いからね。素直に“大切だから危険な目に遭わせたくない”って言えばいいのに」
「いや、大切ってのは間違いじゃないっすけどね。あんま余計な事言って絡まれるのはカンベン」
肩を竦めてから、彼はニヤリと笑って懐に乗船券をねじ込んだ。
「サンキュ、シンさん! そうと決まれば、今日は家に帰りますわ! ソフィアもありがとな!」
「あたしは別に何も」
「いやー、楽しませてもらったから?」
「は……はぁ?! 何なのそれは!!」
「イベント翌日には戻るんで、そん時はまた声掛けに行きます! んじゃ!」
「ちょっ」
と待ちなさい――と、言い終わらぬうちに、シアンは暗い路地に向かってすたこらと駆けて行った。
「もー! 何なのあの人!」
憤慨するソフィアの隣に、シンがそっと並んだ。そのままソフィアの顔を覗き込む。
「楽しませてもらったって、何?」
「え」
「さっきシアンが言ってた事」
薄暗い中、碧色の瞳が濃さを増した様に感じる。妙な圧を感じつつも、ソフィアは顔を顰めて「知らないわよ」と答えた。しかし、シンは黙ってじっとこちらを見つめたままだ。観念してソフィアは再度口を開いた。
「シンとあたしの事、おかしな誤解してたみたいだったわ。……あと、急にあたしにもっと食べろとか言い出すし。あ、もちろん、誤解については違うってちゃんと説明したわ」
「そっか」
「だから言ったのよ。おかしな誤解する人がいるかもしれないから、同室はやめましょうって! 現に、シアンはそうだと思ってたみたいだったし」
「んー、僕的には別に良いんだけどね。誰に何と思われようと、どうでもいいし」
「あたしは嫌よ!」
意外とドライな事を口にするシンに、思わずソフィアは目くじらを立てた。それに対し、彼はにっこりと微笑んで
* * * * * * * * * * * * * * *
「そういえば、シアンは冒険者の宿に住んでいるわけでは無いのね」
「うん。東区の中央寄りにあるお屋敷に住んでるんだよ」
「え」
思わず、ネアの
「お屋敷って言っても、シアンのじゃないよ。オーディアール家のお屋敷。そこの娘さんのシエルちゃんが、厚意でシアンを居候させてくれてるんだ」
「居候?」
「うん。詳しくは分からないけど、どうやら子どもの頃からの知り合いらしくてね。シアンが昔、一度
「そう」
相槌を打ってから、シアンの言葉がふと蘇る。一緒に住んでいる……のであれば、恋人、とシアンは繋げたのだから、彼自身がそうなのだろうか。思案していると、そっと微笑んだシンが顔を寄せた。
「シアンの事を考えてるの?」
「え? ああ……そうね」
「何だか妬けるなぁ」
「……はぁ?」
思わずジロリと睨むと、シンはわざとらしく大袈裟に怖がった振りをしてから、すぐにクスクスと笑った。
「一応追加で補足するけど、そこのお屋敷にはシエルちゃん以外に、シアンの幼馴染って名乗る
「え」
「シアンから前に聞いた話しによると、アリスちゃんはシアンが
「……」
正直、シアンは悪い人ではないと思うが、そこまでの魅力を感じない為、ソフィアは微妙な顔で黙り込んだ。子どもの頃に親しかったから屋敷に呼ぶ、までは分かるが、別の町で助けた相手について来て、そのまま屋敷に一緒に住むという流れが、彼女の脳内で上手くかみ合わない。
何とも言えない表情をしているソフィアを見て、シンは柔らかく微笑んだ。
「まぁ、だから、シアンはハッキリと言わないけど、オーディアール家の息女シエルちゃん、
「ふぅん……」
自分とシンの様な関係なのかもしれない。そう思ってから、「いや、駄目でしょそれじゃ!」と己自身に
不意打ちに近い行為にむっとして抗議しようと口を
「そろそろ寝よう。ちゃんと休まないとね」
言いたい文句は山ほどあったが、目の前のシンは既に瞼を閉じてリラックスしている様子だった。ここでアレコレと言う訳には行かず、ソフィアは不貞腐れたまま仕方なしに瞼を閉じるのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
――2日後
港町クナートは異様な雰囲気の中にあった。
≪普段引っ込み思案なあなたも 今日はアグレッシブに意中のあの人にアタック!!≫
≪行かずに後悔するよりは 行って後悔した方が 断然、イイ!!≫
≪昨日までの自分 捨てて 今日から新しい自分に ~ニューチェンジ!!~≫
≪勇気★出して スイートエンジェル!≫
――などなど。
町の小売店の壁にカラフルで大きな横断幕が掛かっており、そこにでかでかと刺激的(?)な文字が躍る。
比較的朝早くからティラーダ神殿に詰めていたソフィアは、仕事が終わり、シンと共に
「去年より2倍くらいすごくなってるなぁ。お店の人達、気合を入れてるんだろうな」
「……」
(いや、入れすぎでしょ……気合)
呆れ半分、感心半分になりつつ、ソフィアも辺りを見回した。ふと、目の端に女性4~5人が中央通りを小走りで移動していくのが映った。何やら、移動しながらも小競り合いをしている様に見える。思わず注視すると、僅かながらも彼女たちの話し声が聞こえた。
「シアン様はどこー!!」
「シアン君! 私の気持ちだけでも受け取って!!」
「ちょっと抜け駆けしないでよ!!」
「シアン~っ」
「……」
彼女たちの剣幕に、ソフィアは唖然とする事しか出来なかった。
「あ、去年より人数が減ってる……でも、このグループだけじゃなくて、他にもいるかもしれないなぁ。うーん、今年もモテモテだねぇ」
「い、いやいや……モテモテっていうか……なんか色々おかしくない?」
「ふふ、横断幕効果かな?」
「え?」
「“普段引っ込み思案なあなたも 今日はアグレッシブに意中のあの人にアタック”?」
「アグレッシブすぎでしょ……」
押し合いへし合い、女性達は正に目の色を変えてシアンを捜している様だった。
「……見付かったら、命の危険にさらされそうな勢いね」
「ふふ、余程シアンの事が好きなんだねぇ。僕は何だか微笑ましいよ」
「“微笑ましい”?!」
先ほどの喧騒を、どう見たら“微笑ましく”感じるのか――ソフィアは信じられないものを見るような目でシンの顔を見上げた。すると、彼は肩を竦めて笑った。
「だって、それだけシアンが好きって事でしょ? 一生懸命、自分の贈り物を受け取ってもらおうとしてるんだもの。それって素敵な事だと思うけどな」
「イベントに便乗してるのに?」
「それこそ、クナートとオークルの商人達が考えた“きっかけがない人達の為”という趣旨にピッタリじゃない」
「……そういうものなのかしら」
(全部を受け取ったら、翌月シアンは破産するわね)
遠ざかる喧騒に、ソフィアは微妙な顔をした。それから、ふとシンを見上げる。
「そういえば、あなたはいくつもらったの?」
「ん?」
「贈り物」
「ああ、ミアちゃんとエバ
「そう」
「ソフィアは何かもらった?」
「ええ」
「えっ」
「えって何よ」
聞いておいて驚いた声を上げたシンに、片方の眉をピクリと上げてソフィアは
「それは、あたしはもらわないと思ってたって事かしら」
「そ、そういう訳じゃないけど……誰から?」
「シンには関係ない」
ぷいっとそっぽを向くと、ソフィアは
(失礼ね!)
「ソフィア、待って! ごめんね、そういう意味じゃなくって」
「……」
「ソフィア」
傍から見たら、10歳ほどの小さな女の子がつむじを曲げて歩く後を、慌てふためいて追いかける大の大人、という図だ。通り過ぎる人々の中には、好奇の目を向ける者もいた為、渋々ソフィアは立ち止まってシンの方へ向き直り、小声で
「あなたね……恥ずかしいでしょ。あたしみたいなの相手に」
「“みたいなの”なんかじゃないよ」
ソフィアが己を見てくれた事が嬉しいのか、シンは破顔した。
「僕はソフィアに一番に贈り物したかったから、先を越されたのは悔しいけどね」
「いや……世話を掛けてるのはあたしでしょ」
「僕もソフィアにお世話になってるよ、十分。――ところで、誰?」
「ティラーダ神殿の人よ。
神殿に通う際に腰につけているポーチから紙に包まれたものを取り出す。
「カモミールの
「そっか」
微笑みを浮かべて頷くも、シンは脳裏でティラーダ神殿で
「宿に帰ったら淹れてみる。……飲むでしょ」
「! 僕も良いの?」
「? そうだけど……なに?」
「ううん、嬉しい。ソフィアが淹れてくれるの?」
「そのつもりよ。一応、最初に自分で飲んでから、他人に振舞っても問題なさそうなものが出来たらだけど」
「そんなの良いよ。ソフィアが淹れてくれるなら、何でも嬉しい」
目を輝かせて言うシンに、茶葉をベルトポーチに仕舞いつつ、ソフィアは苦虫を噛み潰して呟いた。
「……それはそれで、何だか微妙ね」
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