第56話 シアンの悩みごと

 強い寒気が続く中、それでもソフィアは大きく体調を崩すことなく、平穏な日々が過ぎていった。


 既にティラーダ神殿のバイトを始めてひと月が経とうとしている。



 当初は仕事配分が上手くこなせず、覚える事も多い事、加えて慣れない環境に晒された事で、宿泊する部屋に戻ると疲労困憊を隠せずにベッドに倒れ込んでしまい、かなりシンに心配をかけてしまっていたが、ここ最近は問題なく過ごせている。――少なくともソフィアはそう思っている。


 シンは相変わらず、毎日孤児院へ出勤がてらソフィアをティラーダ神殿へ送り、帰りは神殿の前の木陰で待つ事が日課だった。幾度となくソフィアから「もう慣れたから待たなくていい」と伝えたが、彼は微笑みを浮かべながらも頑として首を縦には降らなかった。結局ソフィアが「もういい! 勝手にしたら!」と半ば自棄気味に言い放ち、最終的にシンの思惑通りに落ち着いて今に至る。


 また、部屋は相変わらず同室のままだった。こちらもタイミングを図りながら部屋を別にしようと提案したり、荷物をまとめて遁走を試みたが、さすが熟練ベテラン冒険者……だからなのか、それとも別の――例えば第六感的なものや、目に見えない存在、精霊などに協力を得ているのか――実際は分からないが、とにかく、ことごとくシンに察知され、妨害され、丸め込まれて今に至る。


 以前にも述べたが、正直言ってシンとの同居はソフィアにとってはありがたいものではあった。何しろ、眠る時に暖かく、悪夢に魘される事も無い。寝不足が緩和され、仕事中の集中力が上がり、それによって仕事のペースも向上した。

 更に、いつもどこか靄がかかったような頭がスッキリしたおかげか、勉強も身に入るようになり、神殿内でも雑務であればある程度仕事を任せてもらえるようになった。



 とはいえ、ソフィアとしてはこのままこの状態に甘んじる訳には行かなかった。


 自分が思うのも烏滸がましいとは思うのだが、この寂しがり屋で人一倍優しい半妖精ハーフエルフの青年には、人一倍幸せになって欲しいのだ。

 ソフィアは、彼には返しきれない程の恩がある。何より、様々な苦難を乗り越えて今の場所に落ち着いた彼が幸せにならないのは、ソフィア自身が納得できない。



 だからこそ、先の短い自分に、あまり肩入れをしないで欲しかった。



 自分がその幸せに水を差したくない。彼の幸せの、邪魔をしたくないのだ。



* * * * * * * * * * * * * * *



 ティラーダ神殿前。鉄製の門に配された智慧神のシンボルである星のモチーフと月桂樹の枝葉の輪が橙色の陽の光を受けて淡く輝く頃。

 ソフィアは今日の仕事を終え、借り物の書物を布で包んで抱えて神殿の外へと足を踏み出した。すると、珍しく木陰でシンが誰かと立ち話をしているのが目に入った。

 今までにない事の為、声を掛けるべきか迷ってその場に足を止める。そのまましばらく神殿の門の前で立ち尽くしていると、彼女の気配を察したシンが振り返って相好を崩した。


「ソフィア、お疲れ様」


 気付かれると思っていなかったソフィアが、戸惑いの表情を浮かべて返答に迷っていると、シンの陰から見覚えのある濃紺色の髪の青年がひょっこりと顔を出して片手を上げた。


「よぉ!」

「あなた……確か、シオン」

「惜しい! シアンだ!」

「シアン」


 そういえばそんな名前だったかもしれない、と思いつつ、ソフィアは小首を傾げた。それから、彼ら2人が話し中だった事を思い出した。話しの腰を折ってしまったのかもしれない事に気付き、自然とバツが悪そうにそっぽを向く。


「あ……ええ、と。あたし先に宿に帰っ」

「駄目だよ」


 かぶせる様にシンが即答し、シアンを置いてツカツカと脇目も振らずにソフィアに歩み寄ると彼女の手を取った。それから僅かに眉を顰めて両手で彼女の手を覆う。


「……随分冷えてる。もしかして、しばらく外にいた?」

「いえ……出てきたばかりよ」

「そうなの? じゃあ、神殿の中には暖を取る場所は無いの?」

「それは……まぁ、書物が多いから火は使えないわね。でも、あたしは寒くない。手を放して」

「確かに、火は難しいか。でも、火鉢とか懐炉とか、手は色々あるだろうに……こんなに冷えてて寒くないわけないでしょ」


「おーい」


「慣れてるから平気。手を放してってば」

「駄目。温まるまで、僕の手を握ってて」

「はぁ?! 冗談よしてよ!」


「おーい」


「冗談なんか言ってないよ。――こう寒いと、宿のお風呂だけじゃ温まらないよね。そうだ、今度温泉でも行こう」

「行ってらっしゃい」

「ソフィアと一緒にだよ?」

「ばっかじゃないの?!」


「おいぃー!!」


「ん?」


 ようやく振り返ったシンに、シアンが片手を上げて顔を引き攣らせた。


「俺のこと忘れてません?」

「ああ、ごめん。忘れてないよ。えーと……それで、何の話しだっけ」

「めっちゃ忘れてるじゃないですかー!!」


 盛大に突っ込みを入れた後、「ソフィアの事になるとシンさんは」などとぶつくさ言いながら、彼は2人の元へと歩み寄った。


「えーと、さっきも話しかけたんですけどね? シンさんに相談したい事があるんすよ」

「相談?」


 歯切れの悪いシアンに、きょとんとした顔でシンは小首を傾げて聞き返す。


「えーっと……どっか入ってでもいっすか? 往来じゃちょっと」


 やや気まずそうに言うシアンに、思わずシンとソフィアは顔を見合わせた。深刻な悩み、と言うよりは、何か後ろめたい事の様に感じられた。


「あたし、席を外すから……橙黄石シトリアやじり亭の部屋で話したら?」

「いや、別にソフィアがいても俺は構わないぜ……っていうか、むしろ、ソフィアがいなかったらシンさんもいなくなって本末転倒になる気がする」


 シアンはからかい半分に肩を竦めた。心当たりのないソフィアはむっとして口を尖らせる。


「何なのそれ! 意味が分からない!」

「なら決まりだね。寒いから、早めに宿に戻ろう」


 しかし、シンは動じる事無く、そして否定することもなかった。にっこりと笑ってシアンに目で合図をすると、握っていたソフィアの手を引いて歩き始める。ソフィアは慌ててその手を振り払おうとするが、彼女が振りほどけない程度だが痛くはない、という絶妙な強さでしっかりと握られており、ジタバタしてもどうにもならなかった。諦めてむくれ顔になりながらシンの後に続くソフィアに、隣に並んできたシアンが楽しそうに「相変わらずだな」と笑いをこらえた声で囁いた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 橙黄石シトリアやじり亭に着くと、1階の食堂兼酒場でシンはお茶のセットを注文した。お湯の入ったティーポットにカップが3つ、茶葉と漉し器、それから固焼きのビスケットが数枚で銅貨10枚という、注文しやすい価格のものだ。部屋に持ち帰って使用して、終わったら後日酒場に返却すればよいという事もあり、宿泊客には人気のメニューだ。


 シンとソフィアが泊まる部屋に着くと、シアンは何やらほっとした様に息を吐きだした。そんな彼の前にお茶の入ったカップを置きつつ、シンは微苦笑して尋ねた。


「珍しいね。シアンが僕に相談って――何か言いづらい事、かな?」

「いやー……あははは」


 曖昧に笑っているという事は、つまりは肯定という事か。


 特に親しくもしていない、ましてや相談事に対するアドバイスも見込めない自分がこの場にいても良いか分からず、ソフィアは壁に寄り掛かりながらテーブルに着く2人の様子を眺めた。そんな彼女にチラリと目を向けると、シンは目を細めて手招きをした。その様にされては無視するわけにもいかず、渋々ソフィアもテーブルに着く。


 しばし、無言で各々おのおのお茶を口にした。



 大分時間が経ち、ソフィアが迷った末にようやく固焼きビスケットに手を伸ばしたその時、シアンがやや強張った表情で重々しく口をひらいた。


「……あのさ」


 思わず手を引っ込めて、ソフィアはシアンとシンを交互に見る。それに気付いたシアンは苦笑を浮かべてビスケットの皿をソフィアの方へ軽く押しやる。


「あ、食えよ? 食ってて良いからな?」

「いえ、食べながら人の話を聞くのは行儀が悪いわ」

「行儀って……」


 ソフィアの返答に彼は目を丸くして、次いでゆっくりと表情を和らげた。


「変なところで真面目な奴だなぁ、お前」

「シアン」


 微笑みを浮かべているが、威圧感のある声音に、シアンは慌ててシンに両手を振って弁解した。


「あ、いや、悪口で言ってるんじゃないですって! どっちかって言うと褒めてるし、俺の周りにはいないタイプだから新鮮っつーか」

「へぇ」

「いやいや、変な誤解しないでくださいよ? 俺の好みのタイプは腰と尻は細め小さめでも良いけど、胸はとにかくでかいのが……」

「シアン?」

「ゴメンナサイ」


 微笑んでいるが、目が全く笑っていないシンの圧力に、己の失言を猛省しながらもシアンは脱線した話題を元に戻した。


「えーと……で、ですね? あともうちょっとで、クナートとオークルの小売商の協会が手を組んで始めた某イベントの日があるの……シンさんなら分かりますよね?」

「ん?」

「あのホラ……去年から始まった」

「ああ、“お世話になった人、大切な人に心のこもった贈り物を”って宣伝文句の?」

「それ! それ!!」


 力を込めて同意しつつ、シアンはどんっと机に手をついた。その音に、反射的にソフィアの身体がビクリとおののく。


「っと、わり! つい熱が」

「……別に。――どうぞ話を続けて?」


 きまりが悪そうにぶっきらぼうに言うソフィアに、シアンは気にした風でもなく頷いた。


「ん、ああ、んじゃ続けるけど。……で、そのイベント! なんつーか、その……まずいんすよ」

「ああ……なるほど」


 シアンの嘆くような言葉に、シンは苦笑した。


「去年、女の子達大勢に追いかけられてたもんね、シアン」

「ぐっ ……追いかけ、られてるっていうか……なんっつーか。いや、まこうと思えばまけるんだけど、それもちょっとっつーか」


 歯切れが悪く、何やらもごもごと言うシアンをチラリと見て、ソフィアは思案した。つまり、シアンは去年、“お世話になった人、大切な人に心のこもった贈り物をする日”とやらに、複数の女性から贈り物を差し出されたらしい。――それも、追いかけ回されてまで。

 つまり、簡単に言って“大勢の人から感謝されている”という事なのではないか。何故それが何か困る事になるのだろうか。わざわざシンに相談に来る理由が分からずソフィアは成り行きを見守った。


「とにかく! その日がもうすぐ来るわけですよ!!」

「うん」

「また去年みたいな事になると、俺の身も財布も持たないんですよ!」

「うん」

「何とか阻止したいんです!」

「んー、……商会側は慣例にしてやろうと全力だし、町の人の反応もいい感じだったから、止めるのは難しいんじゃないかな」


 シンは肩を竦めると、椅子に座るソフィアの前に固焼きビスケットの乗った皿をさり気なく寄せた。そのままビスケットを1枚手に取って一口かじり、「うーん、美味しい!」と満足そうに呟いた。


「ソフィアも食べてごらん。美味しいよ」


 ビスケットを差し出すシンに、ソフィアは疑問に思った事を口にした。


「よく分からないのだけど、――大勢の人からお世話になったから、とか大切だから、という事で何か贈り物をもらえる……のは、悪い事じゃあないんじゃないの?」

「あはは、まぁねぇ。その言葉の通りならね」

「?」

「その日って、結局この町こことオークルの商人達が、あれこれと理由を作って町の人達の購買意欲を高めるために“作った”日なんだよ」

「? え?」


 一瞬、シンの言わんとすることが分からず、ソフィアは思わず聞き返す。クスリと笑いながらシンは簡単に言い直した。


「商人達がみんなに物を買ってもらうために、相談して作った日って事」

「……? え、と……お世話になっている人や、大切な人に?」

「うん。普段“お世話になってる”“大切だ”って思ってても、きっかけやタイミングが無いと行動に移せない人は多いからね。そういう心理を突いて、商人たちが“この日に是非!”って大々的に宣伝をしたんだよ。去年ね」

「ふぅん……それで、どうしてシアンの身や財布がどう、って話になるの?」

「ふふ。それが面白いところでね。商人達としては家族や仕事仲間を購買層に考えて打ち出したイベントだったんだけど、ふたを開けてみたら若い男女の告白がメインになっちゃって」

「こ、こくはく……?」


 目を丸くして鸚鵡返しをする。それから、ゆっくりとシアンの方を向くと、彼は苦虫を噛み潰したような表情でお茶をすすっていた。



(って事は、シアンは去年、告白してくる女の子達大勢に追い回されてたって事?)


 確かに彼はパッと見繊細な顔立ちをしているし、シン程ではないにせよ、アレコレ世話焼きで、気さくで誰にでも人懐こく話しかける性質だ。人気があってもおかしくはないかもしれない。――だとしても、1人ではなく、大勢の女の子に追いかけられていたとしたら……何と言うか、大変そうだ。どういう顔をしていいか分からず、ソフィアはわずかに眉をひそめた。


「これには続きがあってね」


 悪戯っぽく笑いながらシンが小声でソフィアに囁いた。


「実は、翌月に“贈り物を受け取った人はお返ししましょう!”ってイベントもあってね」

「………………え?!」

「去年はシアン、たくさん贈り物をもらって、全員にお返しをしたから……随分お財布が涼しくなってたんじゃないかな? ふふっ」


 面白そうに笑うシンと、絶望した表情のシアンを交互に見て、ソフィアは思わず「いや、笑えないわよ」と小声で突っ込んだ。その時、


「シンさん! ソフィア!!」


 ぐっと身を乗り出して、シアンは切羽詰まった声を上げた。思わずソフィアは身を後ろに引き、その背中にシンが腕を回して受け止め、そのまま2人はシアンを見た。彼は一度生唾を飲み込むと、意を決して口をひらいた。


「頼む! 当日まで俺をかくまってくれ!!」

「えー」

「“えー”?!」


 気の無さそうなシンの声に、衝撃受けた様にシアンが身体を仰け反らせた。イマイチ意味の分かっていないソフィアは、気配を消して2人のやり取りを静観し――ようとしたが、シアンが助けを求めてきた。


「ソフィア! お前からもシンさんになんか言ってやってくれ!」

「え?」


 急に矛先を向けられ、ソフィアは目を丸くしてからシンを見やる。その視線を受けて、シンはにっこりと微笑んだ。


「シアンは何だかんだ言って楽しんでるから大丈夫だよ」

「楽しんでねぇーっ」

「だって本気になればシアン、逃げ切れるでしょ」

「まぁ……それはそうですけど」

「ね?」

「いや! でも楽しんではいないですって! 出来たら何も貰わずにやり過ごしたいんです! シンさん、頼みます! 協力してくださいよーっ」

「僕、仕事以外の時間はソフィアと2人でゆっくりしたいんだよね」


 真顔でキッパリと言われてしまっては、取り付く島もない。とうとうシアンは、半ば泣き落としに近い情けない声を上げた。


「ちょっとの期間ですってばー!! 依頼料代わりにメシ奢りますしー!!」


 やや呆れ顔でシアンを一瞥したシンは、そっとソフィアの顔を覗き込んだ。


「ソフィアはどう思う?」

「え」


 問われると思っていなかったソフィアは目を白黒とさせる。ふとシアンの方を見ると、なんとこちらに向かって祈りを捧げるポーズをとっている。


「あ……う、え、と……あたしは、別に」

「よっしゃ!!」

「えぇー」

「ほらシンさん! ソフィア良いって言ってますし! ね!!」

「んー……分かったよ」


 渋々、といったていで、シンは頷いた。


「でも、条件が3つあるよ。まず、その1! 匿う場所は僕が決める」

宿ここじゃないの?」


 訝し気に尋ねると、さも当然といった顔でシンは頷いた。シアンの方は場所には拘らない様で、アッサリと承諾した。


「その2! やむを得ず僕とソフィアが、シアン宛の贈り物を受け取ってしまった場合は、それはちゃんと受け取ってお返しもする事!」

「それはまぁ……致し方ないと思います。オッケーっす!」

「その3! 君の住んでるお家の人にはちゃんと所在を伝える事!」

「えっ マジっすか」

「急に戻って来なかったら、お家の人達が心配するでしょ」

「あぁ……まぁ、それは確かに……ハイ」


 こちらも承諾するシアンに、シンは鷹揚に微笑んだ。



「じゃあ、時間が遅くなるといけない。これからに向かおうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る