第47話 新たな出会い

 智慧神ティラーダは“叡智”と“慧眼”を司る男神である。その名の通り、導師、魔術師、学者を含む、学問を志す者達の殆どが信仰している神だ。知識を求めようとする者には門戸を開く事は厭わないが、逆の者に対しては固く門を閉ざすという、――豊穣神エルテナと比べると、やや排他的な一面を持つ。

 伝承によると口伝、書物、そして生きとし生けるものの身体へと流れる生命の流れは彼を構成する素子であり、栄枯盛衰する歴史は、彼の瞬きの一つ一つに過ぎないのだという。

 かの神殿は、町の中央から延びる大通りの大橋を渡った西区の中央にある。鉄製の門には智慧神のシンボルである星のモチーフと月桂樹の枝葉の輪がそれぞれ配されている。左右の門柱の上には丸く中が空洞な硝子が置かれているのだが、ネアの話しでは日が落ちる時刻になると、隣に建つ“賢者の学院”の学生が、交代で明かりを灯しにやって来るのだという。もちろん、物理的な炎ではなく、魔法の灯りだ。



 ソフィアを連れてやって来たネアは、神殿前の掲示板を彼女に指示した。


「こちらですわ」


 促されるままに掲示板へ目をやると、確かにそこには依頼の張り紙があった。



 “急募 蔵書整理、分類手伝い 若干名

  共通語読み書き必須

  古代語読解力がある者優遇


  応募者には以下を実施する

   ・実技テスト(読解、分類、文書作成)

   ・面接


  尚、手先が器用、且つ慎重に行動が出来る者を求む



        面接担当官:ルナ・ハーシェル”



「何だか条件が厳しそうね」


 読み終えてから、ソフィアは戸惑いを隠せず呟いた。


「あら? そうですか? 最後の一文など、まるでソフィアさんを指しているのではないかと思いましたが」

「買い被り過ぎよ。……手先の器用さは比べた事が無いから分からないけど、慎重……とは言えないわ」

「――ソフィアさんはもう少しご自身を評価してもよろしいと思いますわよ?」


 少し呆れた様な淡い苦笑を浮かべながら、ネアは掲示板へ向き直った。


「まずは、神殿の受付で仕事の面接を受けたい旨を伝えてみましょう。その場で受ける事になるのか、後日になるのか、詳細は受付の方が教えて下さるはずです」

「……分かった」


 小さく頷くソフィアに、ネアはにっこりと微笑むと、「では、参りますわよ!」と先陣を切って神殿の門をくぐろうとした。その後ろへ続こうとして、ハッと違和感に気付いた。


「ち、ちょっと待って!」

「? どうかしまして?」

「ネアも一緒に行くの?!」

「あら、わたくしはそのつもりでしたけど」


 さも当然といったていで、ネアはきょとんと目を丸くする。


「って、おかしいでしょ?! あたし成人してるのよ? どこの大人が仕事の面接に付き添いを連れて行くのよ?!」

「わたくしはこういった場合は、セバスが同席しますわよ。単発で依頼を請ける場合のスケジュール管理や報酬の交渉は、セバスに任せてますの」

「セ、セバス? って確か、あなたの執事でしょ?! それは彼の仕事なんだからおかしくないけど、あたしにとってのネアは違うじゃない。そもそも、あたしみたいなのが、自分よりもっと大人の人を連れて行ったら、一人で仕事の面接も受けられないと取られて、門前払いされてもおかしくないでしょ」

「? そうなりますの?」


 ますます分からないといった顔のネアは、とぼけているわけではなさそうだ。執事を連れていたり、立ち居振る舞いだったり、彼女が髪を靡かせる度に香る爽やかな柑橘系の香りといい、ネアは良いところのお嬢様で、ソフィアとは違った意味で一般常識とややズレた感性を持っている部分があるのかもしれない。

 ともかく、断固として同行を拒否する! とソフィアが言葉を重ねると、やや不満げながらもネアは頷いた。


「うーん、では、残念ですけど、わたくしは近くで時間を潰していますから、終わったらお声がけ下さいませ」

「いや、待たなくても」

「いーえ! 待ちます。ただ、寒空の下でずっと待つつもりはありません。――ここへ来る途中の、大橋の袂にあるお店に入って時間を潰してますわ。赤煉瓦の屋根で、玄関先の階段に鳥かごが置かれているお店、ご存知です?」

「――赤……い、屋根なら、見た気がする」

「この近辺で赤い屋根はその店1軒だけです。ここからは徒歩5分もかかりませんから、神殿でお話しが終わりましたらそのお店までいらして下さい」

「でも、どのくらい時間がかるか分からないのよ? 橙黄石シトリアやじり亭へもそんなに時間はかからないから、あなたは先に帰っても……」


 尚も食い下がろうとするソフィアを、ネアは軽く睨んでから小さく息を吐いた。


「いーえっ わたくしの気が済みません! それに、その赤煉瓦屋根のお店は、わたくしもよく足を運びますの。店主とも顔見知りですから、もしそのまま面接になって時間がかかったとしても、お気になさらず!」


 キッパリと言い切るネアを見て、説得するのは無理だと悟ったソフィアは、少し困った様に眉を下げてしばし躊躇った後、僅かに頷いた。


「……終わったら、行く」


 そう一言、ぶっきらぼうに伝えると、踵を返して重厚な鉄門に手を掛けた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 エルテナ神殿が木や石を使って作られ、明るく柔らかな暖色の光が溢れるイメージなら、ティラーダ神殿は冴え冴えとした月の様な、冷たく無機質な寒冷色のイメージを感じた。神殿の壁や柱も、鉄や人工的に磨かれた石等、人の手の温もりが感じられないものばかりだ。

 ただ、与える印象が異なる要因は神殿を構成する材質だけではなく、従事する人々の雰囲気も一因と思われた。エルテナ神殿の神官達は、もちろん侍祭じさいの様に中間管理職は厳しくする必要があるのだが、他は凡そ穏やかで大らかで、柔らかな印象が強く、雑談を含むコミュニケーションも多かった。逆に、ティラーダ神殿の人々は、どちらかというと無表情、きびきびとした無駄のない動きで、不要な会話はせず黙々と仕事をこなしている様に見えた。神殿の中はしんと静まり返っており、ソフィアの重さの無い足音ですら石畳の上で響いてしまいそうだった。シンがこの神殿の神に仕えているというのは、何だか現実味が無い。


 入り口を入って真っ直ぐの廊下をほんの少し進むと遮る様にカウンターがあり、そこに一人、眼鏡を掛けた黒いローブを身に纏った青年が立ったまま書類を整理していた。


「失礼、当神殿に何か御用でしょうか」


 入ってきた小さな人影――ソフィアにチラリと目に留めて、すぐに手元の書類に目線を戻すと、そっけない声音で訪ねてくる。歓迎されていない様にも思える彼の態度だったが、むしろソフィアはどちらかというと、エルテナ神殿の“全員フレンドリー!”な態度よりは、こちらの方が戸惑いは少ない。


「入口の掲示板にあった、手伝い募集の件で……ルナ、という人に取次ぎをお願いしたいのだけど」

「募集……失礼ですが、おいくつですか?」

「16歳よ」


 短く答えるソフィアに、受付の台と思われる場所に立っていた青年は改めて胡乱げな目を向ける。――その時、ようやく初めて2人は目と目が合った。青年の灰色グレイの瞳が、驚いたように僅かに見開かれる。――目の前に立つ小柄な少女は、彼が二十数年生きてきて初めて目にしたと言っても過言ではないほど可憐な少女だった。彼自身は精霊や妖精フェアリーを見る“目”は持ってない為、存在自体今まで半信半疑だったが、もし彼らが存在するとしたら、きっと目の前の少女の様な姿なのではないかとさえ思う。人間とは明らかに異なる浮世離れした美しさに、青年はそのまま目を逸らせずに硬直した。

 そんな彼の内心を知る由もなく、「目を逸らしてしまうと後ろ暗いところがあると誤解されかねない」と何とか視線を合わせたままでソフィアは堪えた。しばらく経つと、青年はようやくく正気を取り戻し、顔を赤らめて目を逸らすと誤魔化す様に咳払いをした。


「あー……コホン、ルナ様は今不在です。ですが、明日は朝から研究室にいらっしゃるかと。――貴女にその気があるなら、アポイントを取っておきましょうか?」


 来た時と異なり急に態度を軟化させた気がしたが、気のせいか、と気に留めず、少し迷った後にソフィアは小さく頷いた。


「明日改めるので……面接の予約をお願いします」

「畏まりました。――では、お名前を?」

「ソフィア」

「ソフィア様――ああ、いいお名前ですね」

「?」


 訝し気に小首を傾げると、眼鏡の青年はハッとした様に片手で自らの口を覆った。


「――失礼」

「? いえ……?」


 何に対しての謝罪なのか分からず、曖昧に返答したソフィアに対し、彼は気まずそうに羽ペンを羊皮紙に走らせると、アポイントを取っておくので明日の朝、神殿の礼拝時間が終わった頃に改めて訪ねて来る様に彼女に告げた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 ティラーダ神殿から外に出たソフィアは、ネアに言われていた通り赤煉瓦屋根の店を探しながらゆっくりと歩を進めた。先日の暗い雰囲気が嘘の様に、港町クナートは大通りに近づくにつれて陽気な笑い声や露店商の主人の掛け声、吟遊詩人の爪弾くリュートの音色や歌声がさざめいていた。


 西区から中央へ向かう際に通る大橋の袂にその店はあった。入口の扉へは5段ほど石の階段があり、入口の脇には可愛らしい小さな鳥かごが置いてある。大きさやデザインから、実際に鳥を閉じ込めるものではなく部屋の装飾等に使われるものと思われた。


 臙脂えんじ色に塗られた艶のある扉を開けようと、石段を上ってからドアノブに手を伸ばしてから、ソフィアは手を止めた。


 本当に中にネアがいるのか?


 ――小洒落こじゃれたこの様な店に己の様なかけ離れた者が入っても大丈夫なのだろうか?


 アレコレと手を止めたまま躊躇っていると、内側からドアが開いた。慌てて弾かれた様にソフィアは手を引いて数歩後ずさる。

 ドアを開けたのは洗練された身のこなしの使用人服を着た中年の女性で、その後ろには美しい装いの妙齢の女性が店の店主らしき男性に別れの挨拶をしていた。


「では、一週間後に家の者が取りに伺いますので、よろしくお願いしますわ」

「毎度ご贔屓ひいきに、ありがとうございます、奥様」


 丁寧に頭を下げていた店主らしき男性が顔を上げ、客の女性とその使用人の女性の向こう側――ドアの外に立つソフィアに気付き、小さな目を丸くした。その反応に、ソフィアは自分が客の邪魔をしている為だと誤解し、慌てて更に後ろへ下がろうとした……が、失敗した。そういえば、この店の入り口は石階段を上った先にあったのだ。

 あ、と思ったとたん、そのまま真後ろへバランスを崩した。――直後、「ゴツン」という音と同時に後頭部と背中に強い衝撃が加わり、反射的に歯を食いしばった。



(そうか。階段の段数が少ないから、あっという間に落ちるのね)


 身体の痛みより先に、そんな呑気な事を思い浮かべながら、ソフィアは上体を起こした。


「まぁ! 大丈夫?!」


 慌てた様にドアを開けていた使用人の女性が階段を下りて駆け寄ってくる。その後ろではいかにも上流階級といった服装の女性も「大変!」と驚きの声を上げている。


「――平気よ」


 無様にひっくり返った姿が恥ずかしく、急いでソフィアは服装を検める。


「怪我は? おうちの人は近くにいるの?」


 使用人然とした女性が、ソフィアの傍らへやってきて立ち上がるのを手伝おうと手を差し出しながら、小さな子どもへ話しかけるように尋ねてきた。――否、実際小さな子どもと思って接しているのだろう。

 手助けを丁重にお断りしながら、ソフィアはその場に立ち上がった。地面に打ち付けた後頭部と背中がじんじんと痛むが、血は出ていない様だ。大袈裟にしたくない為、ソフィアは「怪我はない」と答えた。それから続けて口を開く。


「あたしは成人しているから、保護者はいない」

「えっ」


 使用人らしき女性はソフィアの言葉につぶらな目を丸くして言葉を失った。次いで、妖精エルフと見まごう程の少女の美貌に気付き、更に息をのむ。そこへ、身なりの整った女性がやや青くなりながらやってきた。


「うちの使用人がごめんなさいね。――痛いところはない?」

「問題ない」


 新たな登場人物に短く言葉を返す。女性は、固い表情を浮かべた美しい少女に一瞬目をみはったが、すぐに相好を崩した。


「後ろ頭と、背中を打ったでしょう? 痛いのではなくて?」

「打ったから、多少痛みがあるのは当然だわ。だから、問題ない」


 淡々と事実だけを述べるソフィアに、女性はほんの僅かに痛ましそうに眉を寄せた。気付かぬまま、ソフィアは言葉を続けた。


「それに、あなたの……使用人の人は何も悪くない。単に、あたしが足元をよく見ていなかっただけ……」

「ソフィアさん!?」


 説明途中で別の甲高い声が遮った。声の方を見やると、慌てた様にネアが店の中から顔を出している。


「どうしましたの?!」

「何でもない」

「それはさすがに通じませんわよ!」


 ジト目でなじりながらも、そばまでやって来る。そしてそのまま、ソフィアの目の前の女性に礼を取った。


「レイモンド夫人、お話し中に失礼しましたわ。――この子がどうかなさいまして?」

「わたくしの使用人が不用意にお店こちらのドアを開けてしまった事で、この子が転んでしまったんです。……フィリネア様のお知り合いの子なのですか?」

「ええ、わたくしの友人ですの」


 にっこりと笑みを浮かべながらも、ネアは素早くソフィアの様子を目視確認し、ひとまず大きな怪我がない事を確かめると安堵の息を吐いた。万が一何かあったら、彼女の過保護すぎる自称保護者がどんな行動に出るか分からない。そう思ってから思わず苦笑を浮かべる。

 レイモンド夫人、と呼ばれた身なりの良い妙齢の女性は、柔らかな笑みを浮かべてソフィアに視線を合わせた。


「ソフィアさん、と仰いますのね。――わたくしはグレース=レイモンドと申します。此度の事、誠に申し訳ありません。是非お詫びさせて頂きたいので、どうか貴女のお時間がある際に東区にありますレイモンド家へいらして下さいません?」

「え……」


 思いがけない言葉に、ソフィアは反応出来ずに言葉を詰まらせる。しかし、レイモンド夫人はそのまま言葉を続けた。


「もちろん、都合が良い日がお分かりでしたら、迎えの馬車をやりますわ」

「え、迎え、って……い、いえあの、特にお詫びとか……不要だわ……です」

「いいえ、そうさせて頂きたいの。もしお1人でご不安でしたら、どなたかとご一緒でも。――ああ、そうですわ。フィリネア様、いかがでしょう?」

「そうですわね。レイモンド夫人さえ宜しければ是非。――ああ、でも」


 頷いてからネアは小首を傾げて僅かに苦笑した。


「わたくしだけではなく、彼女の“自称保護者”が知ったら、まず間違いなく同席を求めると思いますわ」


 その言葉に、意味が分からないレイモンド夫人と彼女の使用人は顔を見合わせて首を傾げ、――意味が(痛いほど)分かるソフィアは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべたのだった。

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