第45話 掌中の玉

 攫われていた領主の令嬢と女性達を無事に救出し、犯行グループは全員捕縛、別動隊と思われるソフィアを攫った男2人組も落命し、港町クナートで発生したエイクバに拠点を置く人身売買組織による人攫い騒動は、その日で解決した様に誰もが思っていた。――――一部を除いて。



 既に夜も更けているが、春告鳥フォルタナの翼亭の酒場に残ったシアンとネアは、それぞれ飲み物を注文したまま、未だ店を出ようとはしなかった。4人掛けのテーブルに斜め向かいに座った2人だったが、シンと入れ違いに2階から降りて来たネアは、席に着いてからずっと難しい顔をしたままだった。

 しばらくは飲み物を各々おのおので飲んでいたが、話しかけても生返事しか返ってこないネアに、痺れを切らしたシアンがとうとう突っ込んだ。


「……ネアさん、顔が怖ぇっすよ」

「失礼な! これはわたくしの地顔ですわ」


 明らかに地顔ではない。だが、ジロッと据わった目で睨まれ、触らぬ神に祟りなし、くわばらくわばら、とブツブツとシアンは小声で怪しげな念仏を唱えて口を噤んだ。それを胡散臭げに改めて睨んでから、ネアはふと気付いたようにシアンに声を掛けた。


「シアンさん、貴方、お屋敷に帰らなくても宜しいんですの? もう結構遅いですわよ?」

「門限がある年齢でもないんでねー……っつーか、ネアさん、何が引っ掛かってるんすか?」

「何の話しでしょう」

「それ、俺が聞いてるんすけどね……まぁ、言いたくないなら聞かないけど」


 手元のエールをぐいっと一口飲み、シアンは肩を竦めた。ピクリと肩眉を上げてその動作を見やってから、ネアは小さくため息を吐いた。


「大人には色々考えなくてはならない事がたくさんあるんです」

「あー、そーいう事言いますぅ? 俺とっくに成人してるんすけど!」

「成人イコール大人、ではありませんわ」

「それ、暗に俺が中身が子どもって言ってます?」


 む、と不満そうに口を尖らせてシアンはネアを軽く睨んだ。すると、彼女は淡く苦笑いをたたえた。


「そうですわねぇ――――というのはまぁ、半分冗談ですけど」

「半分はそうなのかよ?!」


 シアンのツッコミを華麗に無視スルーすると、ネアは赤ワインのグラスの飲み口を人差し指で撫でた。


「正直、わたくし自身がまだ、自分の中でもまとめられていませんの。――情報も少なすぎますしね」

「……? 何の話しっすか?」


 訝し気な表情で様子を伺ってくるシアンに、にべもなく「こちらの話しです」と返すと、ネアは残りの赤ワインをくい、と飲み干した。


「――さて、わたくしはもうそろそろお暇しますわ。シアンさん、寝る子は育つと言いますから、早く休まれるとよろしくてよ! おほほ!」

「はぁー!? これでも俺、背ぇならネアさんより高いし! ってか、同年代の奴らより高いし!?」

「精神面も含めて、ですわよ! では、ごめんあそばせ!」


 席を立ちながら卓上に自身とシアンの飲み物代の硬貨を置くと、彼女はシアンが止める間もなく高笑いをしながら外へと出て行った。


「――なんっか誤魔化してるっぽいな……何なんだよ、一体」


 ネアの出て行った扉を見ながら、シアンは首を傾げた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 翌日の早朝。


 春告鳥フォルタナの翼亭の一室で、ソフィアをしっかりと胸に抱いてぐっすりと眠っていたシンだったが、目を覚ましてからすぐに違和感に気付いた。――ソフィアの身体が熱い。


 ぐったりとしたソフィアを起こさない様に、シンはそっと上体を起こして慎重に彼女の様子を伺う。シンは医者ではないが、高位の神官の能力を持ち、且つ精霊を見る目も備わっている。その彼の目から見てこの小さな少女の熱は、病と言うよりは疲労と――急激に緊張状態から解放されて気が緩んだことによるものと思われた。その証拠に、彼女の顔色は頬が紅潮してはいるが、苦し気な様子が見られない。寝息は穏やかで、閉じられた瞼も強張っている様子が無い。

 ほんの少し安堵し、シンは小さく息を吐いた。それから、彼女の銀糸の髪に手を伸ばして優しく指で梳いた。


「僕は駄目だな……君に何かあったかもしれないって思ったら、カッとなって後先考えずに行動してしまった」


 赤毛の冒険者の男――ディックがソフィアを腕に抱いている姿を見た瞬間、「ソフィアに触るな」という言葉以外、何も考えられなかった。

 年を重ねて処世術を身に着けたおかげで、平常なら大概の事を微笑みを浮かべたまま受け流す事が出来るのだが、生来のシンは大変気が短い。あの時、ネアとシアンが後を追ってきてくれなかったら、自分は目の前の状況のみに囚われ、彼の言い分も聞かずに容赦なく拳を振るっていたかもしれない。

 それほどまでに、ソフィアが絡むと自分は冷静さを欠くという自覚がシンにはあった。


「ソフィア……」



 無意識に手に持った彼女の青みがかった銀の髪をひと房、口元へ寄せてシンは目を閉じた。仄かに花の蜜の様な甘く優しい香りがする。十数年、世界を放浪していたが、こんなに心が安らぐものがあっただろうか。そして、かつてここまで心惹かれるものがあっただろうか。ここまで、心を満たしてくれるものがあっただろうか。



 ――これが何という感情なのか、シン自身も分からない、未知のものだ。



 同じ世界出身という共感シンパシー、同族愛、父性愛、兄妹愛、想い人への恋情、伴侶への愛情――どれもしっくりこない。それどころか、全く違う気がする。

 代わりの無いもの、欲してやまないもの。この感情にどの様な名前を付けても、どれもこれも白々しく感じる。


「でも、これだけは間違い無いよ」


 敢えてシンは、眠るソフィアの前で言葉にした。


「ソフィア……――君は僕にとってかけがえのない人だ」


 口元へ寄せたままだった彼女の髪に優しく口づけを落とした。



 しばらくソフィアの様子を見ていたシンだったが、鎧戸の隙間から日の光が差し込み始めた辺りでベッドから抜け出し、簡単に身支度を整えた。それから、部屋の窓の鎧戸を全て開けて外の光を室内に入れ、すぐにベッドの傍らに戻り彼女の熱を確認する。――起きたばかりの頃より上がっている様に思われた。どうしたものか、と思案した……その時。部屋の扉がノックされ、思わずシンは顔を顰めた。

 眠っているソフィアを起こしたくないが、応じないわけには行かず、シンは素早く立ち上がって部屋の扉の方へ足を運ぶ。やや音量を押さえた声で、扉越しに相手に言葉を掛ける。


「はい、誰?」

「おお、当たりじゃな」


 この独特な口調だけで、シンはすぐに相手が誰か分かった。


「シェラ? どうしたの、朝早くに宿の部屋に来るなんて」


 ドアをほんの少し開けて、その隙間から素早く廊下に出ると、後ろ手にドアを閉めた。その一挙一動を目で追ってから、シェラは口を開いた。


「どうしたもこうしたも無かろう。例の大規模な依頼は昨日のうちに終わったというではないか。おぬし、何故宿になど泊まっておる」

「それって、シェラに言わなきゃならない事かなぁ」


 思わず、といったていでシンは苦笑を浮かべる。


「ミアはずっと心配しておったんじゃぞ? 孤児院を留守にしている間、おぬしの無事を夜通し祈っておったあやつの気持ちが分からんのか」

「身を案じてくれていた事については申し訳ないしありがたいけど、それとこれとは別でしょ」

「別じゃないわ! 全く……ありがたいと思うなら、早く無事な顔を見せてあやつの想いに報いてやれ。こんなところで油を売ってないで、とっとと孤児院に戻ってやるがいい!」


 呆れ顔で言い募るシェラを見る、シンの緑碧玉の色の瞳の温度が見る見る下がっていくが、彼女は気付いてない。


「大体、何故依頼が終わったにも関わらず、孤児院に帰って来んのじゃ。ここから近いじゃろうが。おぬしも自室の方がゆっくり寛いで休めるじゃろ?」


 ペラペラと話す彼女の言葉に、シンは心の中でキッパリとそれを否定した。自分が安らげるのは孤児院の部屋でも宿の部屋でも、はたまた故郷の自分の家でも、どこでもない。唯一ソフィアを腕に抱いている時のみだと、シン自身が一番よく分かっているのだ。それを勝手に決めつけられた事に、内心苛立ちを感じつつも、シンは顔に微笑みを張り付けたまま口を開いた。


「シェラの言いたい事は分かった。仕事も溜まっているだろうから、早めに孤児院には戻るつもりだよ」


 期待していた言葉ではなかったのだろう。シェラの顔に不快感が滲む。だが、そんなのはそっちの勝手だ。


「ごめんね、もし孤児院に戻るようなら、ミアちゃんにはそう伝えて」


 反論の隙を与える事の無い、完璧な笑顔で言い切ると、シンは「じゃあ、僕、やる事があるから失礼するね」と言い残し、シェラの返答を待たずに部屋の中へ戻ってドアを閉めると、すぐに鍵を掛けた。


「…………はぁ」


 どっと疲れが湧き起こり、ドアに寄り掛かったままシンは大きく息を吐いた。


「……シン?」


 戸惑いを含んだ小さな声がして、弾かれた様にシンは顔を上げる。声のした方へ目を向けると、ソフィアがベッドに半身を起こした態勢で、こちらを訝し気に見つめていた。


「ソフィア――ごめん、起こしちゃったね」

「……え、……? ……ええ、と……」


 謝罪の言葉を口にしながら素早く歩み寄るシンに、ソフィアは困惑の表情を浮かべる。起き抜けで頭がしっかり働いていないからか、それとも熱があるせいなのか、いつもよりぼんやりとした様子だ。


春告鳥フォルタナの翼亭だよ。覚えてる?」

「……え、…………ああ」


 少し考えてから、思い出したのかソフィアは小さく頷く。それからチラ、とドアに目をやる。


「誰か来たんじゃないの?」

「まぁね。気にしなくていいよ」

「何なのよ、それは……」

「それより」


 ソフィアの文句を無理矢理遮り、シンは彼女の小さな額に手を伸ばした。


「ソフィア、今熱あるの分かる?」

「え? …………ああ、そうかもしれないわね」

「熱以外で、身体に違和感や不調は? ないよね?」

「? 無いわ」


 熱も冬場は普通なんだけど、と思いながらも、それは口には出さずにソフィアは小首を傾げた。


「そっか……良かった。――お腹は? 食欲はある? 宿の人にパン粥でも作ってもらおうか」

「減ってないわ」

「……そうだったね」


 未だかつて、ソフィアが「お腹すいた!」と言った事など無い事に気付き、シンは微苦笑した。


「でも駄目。何か口に入れないと。――起きれそう?」

「このくらいの熱なら、まだ動けるわ」

「動ける動けないの問題じゃあないんだけどな……もう」


 ますます苦笑しながらも、シンはソフィアがベッドから降りるのを手を添えて手伝った。彼女の足元はやや覚束ないが、倒れる事は無さそうだった。


「僕、部屋の外で待ってるから、着替えたら出てきて」

「え」

「ん?」

「部屋の外で待つの?」

「うん」

「どうして?」

「ソフィアがいなくなったら困るから」

「……」

「本当はこの部屋で待っていたいけ」

「ばっかじゃないの?!」

「ど、絶対駄目だと……ってやっぱりねぇ」

「あ、当たり前でしょ?! バカっ ス、ススス、助平スケベ!! 女たらし!!」

「うーん、男は誰もが皆、ある程度は下心持ってるよー……でも、女たらしじゃあないからね?」

「そ、そんなの知らないわよ! というか、あなた、そういう他の人が聞いたら誤解を招くような事を言うの、ホントやめた方が良いわよ?!」

「聞かれて困る事は言ってないから大丈夫」

「どこが?! ~~~っもういいわ! 早く出てなさいよ!!」


 シンの後ろに回ったソフィアがぐいぐい、と小さな両手で背中を押す。盛大に膨れっ面の彼女は、かなり本気で力を込めているのだが、シンにとっては春のそよ風程度の力だった。

 肩越しに振り返ってシンはソフィアを様子を見下ろす。身長差がある為、やはり彼女の可愛らしい旋毛つむじしか見えないのだが、それでも一生懸命真剣に己の背中を押す彼女の様子を見て、シンは胸が温かくなるのを感じた。油断するとウッカリ「可愛いなぁ」と口走りそうになるが、そうしたらきっと火に油だろう。


 彼女が目いっぱい力を入れたタイミングで、シンは「おっとっと」と、わざと部屋のドアの方へとよろけて見せた。


「ふふ、分かった分かった。じゃあ、待ってるからね」

「待たなくても良いんだからね!! っていうか、なんで待つのよっ」


 その質問には答えず、シンは部屋の外へ出てドアを閉めた。



 ――この部屋は2階だ。外の庭木の枝も届かないし、この部屋の窓の外に手足を掛ける様な場所もない。


 外に出て、ドアに背中を寄り掛からせたまま、シンは廊下の窓から空を見上げつつ自分に言い聞かせた。


 ――だから、このドアさえ押さえていれば、この部屋に外部からは何人も侵入は出来ない。そして……


「――――ソフィア、君も」


 続く言葉を飲み込んで、シンはそっと目を伏せた。

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