第41話 暗闇に住まう者

「こりゃあ一体どういう事だ!!?」



 春告鳥フォルタナの翼亭の酒場に、数人の店員と共に戻ったアフロ店長の野太い怒声が響き渡った。



 その衝撃で床に横たわっていた店員は飛び起きた。


「……? 店長マスター……?」


 床に片手をつき、頭をもう片手で押さえながら、彼自身、何が起こったのか未だ理解が出来ず、店長達へ呆然と目を向けた。



 窓からオレンジ色の光が僅かに差し込む、薄暗い春告鳥フォルタナの翼亭の酒場には、店員1人の他には誰もいない。



 その事実を目の当たりにしても、彼は状況が把握できず、自然とある一席へ迷いなく目を向けた。

 ――そのテーブルには、スープのカップと食べかけの平らなパンピラコウスが載ったままの皿、蜂蜜酒ミードの入ったグラスが置いたままになっている。


 途端に、店員の脳裏に、その席に座っていた銀色の髪の少女と、金の髪の妖精エルフの姿が鮮明に蘇った。


「――――!!!」


 ガタン、と傍らのテーブルにぶつかりながらも、ふらつきを堪えて立ち上がる。


「店長……! あちらの席に、ソフィア様とレグルス様が……!」

「何だと?」


 店員の指す方角を見て、店長は目をすがめる。


「何があった」

「お2人がお食事を……確か、16時を少し回った頃だったかと。突然目の前が真っ暗になりまして……」


 言いながら、彼は自身の記憶から、あれが眠りの魔法による強制的な意識剥奪である事に思い当たった。


「! 申し訳ありません……! 不覚を取りました。ソフィア様が……っ」


 彼は僅かに語尾を震わせながらも、必死で冷静さを保とうと歯を食いしばり、店長へ向き直り深々と頭を下げた。それを見たアフロ店長は店員の肩に手を置いて、ゆっくりと首を横に振った。


「謝る相手は俺じゃないだろ」

「……」

「それに、これは相手方の力を……いや、出方を読み違えた、俺の責任だ。一緒にソフィアに謝ろうぜ」

「……はい。その為にも、早く所在を確認しなくてはなりませんね」

「おう。――――あとな、シンにバレたら俺たち、とんでもない事になるからな」

「…………はぁ、まぁ、それは、」

「マジで」

「…………」

「気付かれる前に何とかするぞ!! な!」


 大真面目に決め顔で店長は力強く言い切った。


「……それはともかく、早急に動きましょう」


 調子を取り戻したのか、彼はいつもの冷静な声音で言い放ち、背筋を伸ばす。


「まず、店内の捜索が先かと」

「おう! ――おい、お前ら! 全員捜索開始!! いいか! 先入観は捨てろ! ソフィア、または手掛かりになりそうな物がないか、ドアの溝から天井の板目まで全部確認しろ!」

「おす!!」


 店長と共に戻った店員たちがその声に威勢良く応じ、一斉に動き出した。その様子を確認し、アフロ店長と黒髪の店員も視線を合わせると頷き合い、各々おのおの行動を開始した。



* * * * * * * * * * * * * * *



 ――――仄暗ほのぐらい部屋で、彼女は目を覚ました。


 僅かに嗅ぎなれない臭いが鼻を刺激する。



(――――な……に…………? あたし、どうして……)


 横たわったままぼんやりと目線だけを動かす。漆喰で塗り固められている白い壁。高い位置にある小窓から僅かな光が零れている。遠くから聞こえる音が、港を通りかかった際に耳にした波の音に似ている、と思ったところで、先ほど感じた臭いは磯の生臭さだと思い至った。



(……海……の、近く……?)


 起き上がろうとして、ようやく彼女は自身の両手、両足がぎっちりと太い縄で拘束されている事に気付いた。余程きつく縛られているのか、縄の当たっている場所がヒリヒリと痛む。


「――――!!」


 狼狽してもがくが、動けば動くほど、縄は手足にきつく食い込んだ。歯を食いしばりながら、何とか上半身だけ起き上がる。見回すと、3メートルほどの壁に囲まれた倉庫の様なこの空間に囚われているのは、どうやらソフィアだけの様だった。



(何があったのかしら…………、って、この状況じゃあ、そんな呑気な事言ってる場合じゃないわね……)


 後ろ手に縛られた両手を動かしてみようとするが、びくともしない。しばらく四苦八苦してみるが、両手首の痛みが増すだけで一向に変化がない。闇雲にもがいても意味がない、と言い聞かせ、ソフィアは一度小さく深呼吸をした。



(落ち着いて…………まず、状況を整理しなくちゃ)


 春告鳥フォルタナの翼亭で意識を失った時から、先ほど目を覚ますまで、ソフィアの記憶は全く無い。だが、実際に酒場から自分自身が連れ去られ、現段階で拘束されている事で、以前の仮説を裏付け出来る事、そして新たな仮説を立てる事が出来ると思われた。



(まず……酒場であたしが意識を失った時。少なくとも部屋の中には、いつもの店員と、あと……レグ、ルス? って妖精エルフがいた)


 再度、周囲を見回すが、やはり誰もいない。



(連れてこられたのはあたし1人。…………または、別々に拘束されている? ――ううん、レグルスはともかく、わざわざ腕の立つ店員を連れてくるメリットがない。それに、レグルスは妖精エルフなだけあって見るからに華奢だったわ。もし彼を捕えていたら、あたしとわざわざ分けて拘束する必要性がない)


 分けて拘束するのは、脱走を協力し合うという事を防げるというメリットがあるが、見張りが2か所に割かれるというデメリットもある。そう考えると、店員もレグルスも、店に残された状態で――ソフィアだけがここに連れてこられた可能性が一番濃厚だ。



(連れてこられたのがあたし1人だとして……それでも、ここに他の女の人たちがいないのはおかしいわ)


 意識を失ってからどれほどの時間が経ったのかは分からないが、少なくともここ数日で領主の令嬢を含め、女性達がかどわかされているはずだ。彼女たちとソフィアを分けて拘束する事も、やはり無駄が多い。



(じゃあ、あたしは……で、捕まってるのかしら)


 エイクバから来ている人身売買組織はやはり、領主の令嬢達を攫うのみで、ソフィアを今拘束しているのは、彼らとは全く関係のない相手なのだろうか?



(でも、確か……シンが、ああいう人たちって一度逃した獲物に固執する傾向があるって言ってたわ。……じゃあ、どうなるの? ――――つまり、やっぱり……領主の娘を含む、女性達が攫われたのは……実力のある冒険者や騎士達を一か所に集める為の陽動、だったのかしら。それとも、)


 答えのない思考の沼に沈みながら、ソフィアは目を伏せた。



……だとしたら、)


 ――エイクバの人身売買組織の目的が、女性を攫う事でも、領主の令嬢を拉致する事でも、もちろんソフィアを拘束することでも無く、



 ――――、だとしたら。



 前回の殲滅活動を担った冒険者達は、今回も同様に集められているだろう。そして、東の村テアレムの森に潜伏していた残党は、シンとネアの手によって壊滅している。


 海を渡って拠点を広げようとしていた事から、エイクバの人身売買組織はかなり規模が大きなものだと思われる。つまり、その行動を妨害、殲滅したこの町の冒険者達は、彼らに恨みを持たれているのは間違いない。組織の面子にかけて報復行動に出てもおかしくないのではなかろうか。


 そして、――――以前、テアレムでソフィアを拉致し、シンとネアの手により捕縛され、その後脱走した男は――ソフィアの顔、シンとネアの顔、そして、シンがソフィアを全身全霊を掛けて護ろうとしている姿を目の当たりにしている。もし仮に、シンに対して報復しようとした場合、最も効果的な手段は……



(……あたしに手を下す事、と考えているかもしれない)


 実際は、ソフィアではなく孤児院のスタッフや子供たち、彼に関わるどの人物に手を出されても、彼は例外なく傷つくだろうとソフィアは思っている。

 だが、テアレムであの男が実際目にした状況から、シンに対してソフィアを傷つける事が一番有効だと判断されていてもおかしくない。


 そこまで考えてから、ソフィアは安堵の息を吐いた。孤児院のスタッフの女性や、孤児院の子供たち、もう顔も思い出せないが、綺麗な妖精エルフの女性――――彼らではなく、自分で良かった。自然とそう思えた。


 彼女達には大切に思う人がいる。そして、彼女達を大切に思う人もいる。ーー攫われたり、こんな風に縄でガッチガチに拘束される様な事のない、温かで平和な世界で頑張って生きている人々だ。


 自分は――――シンは恐らく怒るとは思うが、それでもーーもし先ほどの仮説が正しければ、自分は巻き込まれたのではない。当事者だ。テアレムの村へ向かったのも、その村の近くの森でエイクバの人身売買組織の残党と遭遇したのも、己で選択をした結果の先で起こった事だ。



(でも……このまま、捕えられたままでいて……シンやネアに迷惑を掛けるなんて、冗談じゃないわ)


 歯を食いしばりながら、ソフィアは態勢を何とか整えようと身じろぎをする。



(どれが本当か、全然分からない……でも、何とかしなきゃ)


 座ったまま、拘束された両足を曲げ伸ばしし、ずりずりと壁の方へにじり寄る。この際、格好などどうでも良い。まず壁についたら、体を支えながら立ち上がって、後は何とか手を縛る縄を切る方法を――――



「へぇ、泣きべそかいていると思ったら、存外しっかりしてるじゃねぇか」


 ぎ、と木が軋む音と同時に、嘲る様な声が降ってきた。突然の事にソフィアの肩がビクリと跳ね上がる。隠すことなく警戒しながら、ソフィアはキッと声の方角を睨んだ。重そうな厚い扉が開いており、手に燭台を持った痩身そうしんの男が立っていた。蝋燭の明かりに照らされた男の顔は下卑た笑いを滲ませている。



「あん時は、どうも」

「……?」

「くくく……っ 何だよ、覚えてないのか。案外肝が据わってるんだなぁ」


 バン、と勢い良く扉が閉まり、外で施錠された音が聞こえた。



(……外にも誰かいる……)


 何とか男から離れようと足を懸命に動かしながらも、頭の片隅で冷静な声がする。



(…………この人、あたしの事を……知ってる?)



「あん時はさ……大変だったんだぜぇ? 俺だけおめおめとエイクバまで逃げ帰って……なぁ? 組織がタダで済ませてくれた思うか?」


 妙に優しい猫なで声を出しながら、燭台を入口のすぐ横の小さな卓へ置いてから、ゆっくりと近付いてくる男に、ソフィアは本能的に全身が総毛だった。思わず噛みつく様に鋭く叫ぶ。


「来ないで……!」

「はは、怖いか? ――なぁに、殺さねぇよ。……ただ、まぁ…………死んだ方がマシ、とは思うかもしれねぇがな?」

「…………?」

「ぷっ ……くくくっ きょとんとして、可愛い……ねぇ!」


 言いながら大股で一気に距離を詰めると、痩身そうしんの男は彼女の足を掴むと力を込めて引いた。両手の自由を失っているソフィアは、そのまま床に倒れ込み、その勢いで後頭部をしたたかに床に打ち付け、小さく呻き声を上げる。


「はっはは!! さぁて……どうしてやろうか。十分楽しませてもらってから、あの男の前に返してやろうか。さてさて、あの野郎――どんな顔をするか、今から想像しただけでぞくぞくするねぇ……!」


 男の言う言葉が理解できず、混乱したままソフィアは懸命に身を捩った。だが、抑え込まれるように両肩に男の手が掛かり、呆気なく動きを封じられる。


 訳が分からない恐怖と、男の手への嫌悪感でソフィアは息を呑んだ。



(いやだ、怖い――――!!)



 声に出したのか、心の中だったのか、ソフィア自身にも分からないが、それでも全力で声を張り上げた。



 ――その時、それに応える声が聞こえた気がした。



 ――――“怖いかい?”



(怖い、怖い、怖い、怖い――――ッ!!!)



 ――――“じゃあ、”



 ――――“……してしまおうか”



「えっ」



 聞き取れない言葉に、ハッ、と目を見開く。


 次の瞬間、横たわるソフィアの眼前で、高い位置にある窓から差し込む薄明りと燭台の光に照らされ、パッと鮮やかな朱色の飛沫しぶきが宙に散るのが見えた。



「――――え」



 もう一度、掠れた声がソフィアの唇から漏れる。パタパタ、と顔に生暖かい雫がいくつも落ちてくる。拘束されている両手ではそれを拭う事が出来ず、ただ茫然とソフィアは雫の滴る先を見上げた。



「カ……ハ……」



 空気が漏れるような声が僅かに聞こえた。己の声ではない。目の前の……彼女に覆い被さろうとしていた男の声だ。逆光でその表情は見えないが、奇妙に首を傾げたまま、ぐらぐらと揺れている。



「な……、……え…………?」


 呆然と声を漏らすと、それが合図だったかのように、男はそのまま反対側へ向かってどさりと倒れて動かなくなった。

 突然の事に、反射的にビクリとおののくが、すぐに弾かれた様にソフィアは上半身を起こした。それから慌てて周囲をきょろきょろと見回すが、倒れて動かない男以外は誰もいない。先ほど声の様な、意識の様な何かがソフィアの頭の中を掠めて行ったが、あれは何だったのだろうか?


 だが、そんな事を考えるのは後回しだ、と考えを振り払う。


 とにかく、理由は分からないが男が離れてくれたのであれば、この好機に何とかして逃げなくては……そう考え、視線を巡らせる。そこで、入口近くの卓に置かれた燭台が目に飛び込んできた。



(そうだ、燭台の火で縄を焼き切る……のは、どうなのかしら。――熱いかしら)


 恐らく、“熱い”で済む話ではないのだが、それでもソフィアにはそれ以外に案が浮かばなかった。倒れた男は短剣ダガー等を持っているかもしれないが、せっかく倒れているのに、近付いて起こしてしまっては元も子もない。何より、あの男の傍に寄るのは言いようのない生理的な嫌悪感が先立ち、どうしても避けたかった。

 全力で懸命に足を動かし、何とか燭台の傍の壁まで辿り着くと、ソフィアは息を整えて壁に背中を押し付けた。そのまま力を加えつつ、ゆっくりと慎重に壁を支えにして立ち上がる。


 時間はかかったが、何とか立ち上がり、ソフィアはようやく部屋の中の全貌を視界に収めた。



 ――――そこで、初めて彼女は、先ほどの男が、首から流れる鮮血の血だまりに倒れている姿を目にした。



「――――――――!!!!」


 声にならない悲鳴を上げて、ソフィアはよろめいた。目の前の鮮やかな赤が彼女の心を粉々に砕いていく。



「――――っあ……あ、ああ……っ」



 ――――“忘れてしまうといいよ”



 震える彼女の声に応えるかのように、どこかから、場違いに穏やかな声が聞こえた。



「うぅ……」



 ――――“いやなことは 忘れてしまえばいい”



「――――――――――――っ」



 何と叫んだのか、それとも、意味を成さない悲鳴だったのか。


 彼女自身にも分からないまま、ソフィアの意識は暗闇に呑まれていった。

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