第40話 疑惑と疑念
――時は少し過去にさかのぼる。
ソフィアを
「ごめんね、遅れて」
「全然遅くないっすよ」
「ええ、まだ説明も始まっていませんわ。……ソフィアさんは大丈夫ですの?」
「うん、翼亭の
2人の元へ歩み寄り、小声で報告する。丁度そこで、集まった冒険者たちのいる
「クナートの冒険者諸君!
声の方角を見ると、立派な口ひげを蓄えたがっしりとした体躯の男性が立っていた。駆け出し冒険者からようやく中堅の下の方へ上がったばかりのシアンは、彼が誰なのか分からず「多分すっごい偉い人」程度の印象だったが、既に
「貴君らには、人質奪還を目標とし、冒険者としての実力を遺憾なく発揮して頂きたい!」
その言葉に、ほんの僅かに辺りからざわめきが起こる。集まった冒険者達は己の力量を自負する者も多い。その為、“人身売買組織殲滅”という華やかな――あえて言うなら表向きの仕事が自警団、騎士団の者たちだけで行われ、ある意味“裏方”とも言える地味でリスキーな人質捜索、奪還を押し付けられたと感じた者もいてもおかしくない。
だが、その空気を
「諸君! かどわかされた女性、ひいてはクナート伯の令嬢は、一分、一秒でも早く助けが来るのを待っている! この町で! この町の周辺で! ……自警団、騎士団の方々には無い力が貴君らにはある! 本来、一つの依頼に対し、役割分担から関わって頂くのが目標を果たす為に一番の方法だという事は、重々承知している。腹に据えかねる部分もあるかもしれない。だが、頼む。今、この一瞬にも、不安に涙している女性たちが我々の助けを待っているのだ! どうか私の顔に免じて、力を貸して欲しい!」
熱く語り終えると、彼は深々と集まった冒険者達に対し最敬礼をとった。しん、と一瞬の静寂が訪れた後、
「さすがですわね」
「本当にね」
「キャラが変わっていますわ」
「うーん……まぁ、士気が上がるのは良い事、かな。さすがはカルロス団長さんだよね」
「そのまま
「あはは」
小声でマイペースな会話をしていると、前方から小さなざわめきが起こった。どうやら何か配られている様だ。
「今見てもらっているのは、かどわかされている方の一人、クナート伯の令嬢の人相書きだ。生憎他の女性達の人相については現在詳細な部分が分かっていない為、まず明確な情報から確認して頂きたい!」
そう説明があるが、恐らく他の女性よりもまず優先してクナート伯の令嬢を救出せよ、という圧力があった事は間違いないだろう。シンとネアはお互い僅かに視線を交わすと思わす苦笑を漏らした。
人相書きの羊皮紙は数に限りがあった。原本となるのは絵描きが肖像画から模写した羊皮紙数枚で、それを人相記憶に長けている者は記憶を、それ以外の者は特徴を自分の羊皮紙にメモして次の者へ回す、という方法を取る様だ。全員にいきわたった後も、
その羊皮紙が回ってくるのを、言葉通り首を長くして待ちながら、シアンは先輩冒険者2人に疑問を投げかけた。
「そういや俺、クナート伯の令嬢って見た事ないっすけど、お2人はあります?」
「いや、僕はないなぁ」
「わたくしは耳にした事はありますけど、お会いした事はありませんわね」
「へぇ、ネアちゃんが会った事無いなんて、何だか意外だね」
実はそれなりに良い階級の貴族の生まれである彼女の言葉に、シンは目を丸くする。
「そりゃあ、わたくし今は
「え、じゃあ成人前って事っすか?」
「ええ。
「なんだ、あいつらロリコンか……?」
嫌悪感を露にしながらシアンが呟いたところで、羊皮紙が手元へ回ってきた。興味深そうにそれを覗き込んだ3人は思わず目を瞠った。
人相書きに描かれている少女は、綺麗なドレスに身を包み、やや固い表情でこちらに目線を向けている。あどけなさの残るふっくらとした頬と小さな唇、――高い位置に2つ結い上げられた髪。
そして、肖像画の脇には文字で注意書きが記されていた。
“年齢は数えで
「っなんっじゃこりゃ!?」
「これは……まさかシンさん、」
「人相書きは似てないよ」
驚愕する2人に対し、やや冷ややかな声でシンがきっぱりと言い放つ。だが、シアンとネアの目から見ると、その人相書きは確かに“彼女”に似てはいないが、肖像画の模写……つまり、人が描いた絵を更に別の人間が描いている為、元の本人とどれだけ似ている人相書きなのかと言われるとやや疑問が残る。髪は
尚も困惑したままのシアンとネアに対し、シンは釈然としない顔で文句を言った。
「ソフィアはもっと可愛い」
「ああ、はいはい」
「今そういうのは結構ですから」
大真面目のシンに、思わずほぼ同時にシアンとネアが突っ込んだ。だが、突っ込まれた理由がいまいち理解出来ていないシンは「本当の事なのに」とぶつくさ言いながらも、手にした羊皮紙に目を落とした。
「……とはいえ、人相書きの特徴だけ見ると、何だか嫌な感じだね」
低い声で呟く。
その声にチラリと彼を見た後、シアンは苦い表情を浮かべた。それから、「なぁ、まさかとは思うけどさ」と口にしてから、言い難そうに言葉を切った。
チラリとシアンを見た後、ネアが代わりに続けた。
「ソフィアさんと間違って攫われた可能性は――否定はできませんわね」
「そうだね。……実際、ソフィアの顔を知っている男は多分、前回逃走した男だけだろうからね」
言いながら、シンはそれでも内心で安堵していた。――彼の大切な彼女は、今クナートで一番安全な宿で護られている。先に
「とにかく、攫われた女の子たちを出来るだけ早く救出できる様に、全力を尽くそう」
「おす!」
「当然ですわ!」
シンの言葉に、シアンとネアは力強く応えた。
* * * * * * * * * * * * * * *
さて、時は戻り、現在。
店員から、昨日部屋を譲った女性から食事代を負担すると申し出があった事を聞いたソフィアは、どう辞退すべきか部屋の中で台詞をあれこれと考えた後、午後4時を回った頃にようやく自室を後にした。つまり、結局朝食も昼食も食べていない。
(さすがに栄養を補給しないとね……丁度いいから、今から頂く食事だけで良いって店員に話してみよう)
そっと階段を降り、酒場へと足を踏み入れると、昼食にも夕食にも時間が外れているからか、客は誰もいないようだった。もちろん、外部からの客を現在はお断りしているという事も理由の一つに上がるが。
「ソフィア様、いらっしゃいませ」
「え、ええ……」
律儀に先ほどの店員が挨拶をして来た。どうやら
「何か召し上がりますか?」
「あ……え、と……」
断るタイミングを掴めず、もごもごと口ごもるとソフィアは立ったまま俯いた。
「では、お決まりになりましたらお声がけ下さい」
す、と礼をとると、店員はそのままカウンターに入り、グラスを拭き始めた。相変わらずなかなかのマイペースぶりだが、ソフィアとしてはあれこれ声を掛けられるよりはありがたい。
躊躇った後、壁際の隅の席に腰掛け、手書きのメニューを手に取る。
肉料理、魚料理、野菜メインの煮込み料理、酒のつまみと思われる様々な種類の乾燥木の実。パン、スープにもいろいろな種類がある。ソフィアが頼んだ事があるのはスープとパンのみ。つまり、他の料理はどのくらいの量が出てくるのか見当もつかないという事だ。
少し思案したが、すぐに結論に達する。
(――いつものにしよう)
あの、と店員に声を掛けようとメニューから顔を上げると、目の前に人影があり、思わずぎょっとして身を引いた。
「?!」
「やあ、驚かせてしまってごめんよ、レディ」
その人影――流れるような美しく長い金の髪の
「な、なに……?」
思い切り警戒を込めた声で言いながら、ソフィアは彼を見て眉を
「僕はレグルス。旅の吟遊詩人さ! あ、ここの席空いてる?」
にこにこと笑みを浮かべたまま、レグルスと名乗った
「――他にも空席はあるわ?」
「でも、美しいレディを常に見つめる事のできる特等席はここしかないのだよ、レディ」
「はぁ?」
思わずぞわりと鳥肌を立たせつつ、ソフィアは半目でレグルスを睨む。
「何を言っているか意味が分からないわ」
「おぉ……麗しの君よ、僕の言葉は君に届かないというのか。何という悲劇。現実はかくも残酷なものなのか」
よよ……、と片手で目頭を覆いながらも、よろけるついでに彼は先ほど指示した椅子に倒れ込む様にして座り、満足そうに息をついた。
「ふぅ」
「ちょっと!」
むっとして声を上げるが、彼は笑いながら手で制した。
「ほんの少し。ね? だってほら、今お客さんいないでしょ、ここ。何だか寂しいじゃない。昨日もお客さん達の様子がなんだかピリピリしてたしさ、ね?」
頼むよ、と両手を合わせてくる。そうされてしまうと、ソフィアには更に突っぱねる事は難しかった。「意味が分からないんだけど!」と文句を零しながらため息をついた。その様子に、レグルスは嬉しそうににっこりと微笑んだ。それから、店員に向かって手を上げる。
「ああ、店員君! 僕には温かい
「畏まりました」
「君はどうする? レディ」
「……ソフィアよ」
「やあ、美しい名だね。ではソフィア! 君は何か注文するかい? 良ければ僕が御馳走するよ」
「結構よ。……野菜スープを」
きっぱりとレグルスの申し出を断り、店員に食事を注文する。しばらくすると、机の上にはソフィアとレグルスの注文した品が揃った。そこでソフィアは、注文の品を供した後カウンターに戻ろうとする店員を思い切って引き留めた。
「あの、」
「はい、何でしょうか」
「食事代の件、だけど……」
部屋であれこれ考えた台詞があったはずだが、肝心な時になって出てこない。思わずソフィアは唇を噛んで視線を彷徨わせた。店員は続きを急かす様子もなく、トレイを肩脇に携えたまま静かにソフィアの言葉を待った。
「あの、これ……今の、だけで結構です。……後は、自分で払うので」
「左様ですか。畏まりました。では、昨日の女性にはその様にお伝え致します。――他に何かございますか?」
「え。……あ、いえ……」
「では、失礼します」
あまりにもあっけなく店員が頷いたため、思わずぽかんとした表情のまま、カウンターへ戻っていく店員を目で追ってしまった。
「妬けるなぁ。目の前にこんなに美しい僕がいるのに、他の男に熱い視線を送るなんて」
くすくすと笑いながら目の前に座る
「はぁ? 何なのそれ」
思わず嫌悪感を隠さず、ソフィアは低い声を上げる。
「嫌だなぁ、本心だよ? 僕の話し相手にもなって欲しいんだもの。ささ、冷めないうちに食べよう。ね」
全く意に介さない様子で、レグルスは
「ところで、僕、この町に来たのってほんの最近で、しかもずっと部屋で寝てて、昨日の騒ぎで起きたばかりなんだけど……今この町って何かあったのかい?」
「え……?」
「ほら、昨日。
「……」
よく意味が分かってない状況で、彼は昨日の事をやってのけたのだろうか? 思わず疑いの目をレグルスに向けるも、彼の翡翠の様な輝く瞳に、嘘をついている様子は見えなかった。――少なくとも、ソフィアの目には。
「あたしもよく知らないわ。……ただ、ここの町で、女性が攫われたみたい」
「なんと! か弱い婦女子をかどわかすなど、不埒な連中がいたものだね」
「……か弱いかどうかは、分からないけど。とにかく、だから女の人たちは安全な場所に匿われているのよ」
「成程。町の女性たちは自宅があるが、観光客を含む旅行者は一般宿では不安が残るという訳か」
案外スムーズに状況を把握したレグルスに、またもやソフィアは胡散臭いものを見る目を向ける。
「ふっ こう見えても僕、
「“どう”見ても
「あ、そうか! ははは! こりゃあ一本取られたなぁ!」
「……」
じと、と半目で見やると、レグルスは肩をすくめて笑い声を収めた。……顔はまだ笑っていたが。
「それで、君もここに護られているのかな?」
「あたしは……ここの町の者って訳ではないから。一応……
「うん? それだけではないだろう? 君の様な美しい女性、人攫い達が放っておくはずはない」
「うつく……って、あのね、その単語、あたしみたいなのに使うものじゃ……」
「でも、実際そうだろう?」
それはシンが過保護だからで、あたしは別に、と喉元まで出かかったが、何とか飲み込む。何だか彼のペースに巻き込まれ、あれこれと口にしてしまう気がする。信用できる人物なのかも定まっていない相手に、あまり情報を与えるのは得策とは思えなかった。
「……知らないわ」
「そうか。……それにしても、恐ろしいものだね。早く解決すると良いのだが」
「実力のある冒険者が集められてるみたいだから、その辺りは大丈夫なんじゃないの」
そう口にしてから、ソフィアは再び違和感に襲われた。
(……? あれ? ……何? 何か……)
スープを掬っていたスプーンを器に戻し、ソフィアはその手で口元を覆った。
(何? 何かおかしい。……でも何が? 変って何?)
間違いなく、彼女の心の中で警鐘が鳴っている。
(考えて、何が引っ掛かったの? あたし、前おかしいって思った時、何を思い出してた?)
“エイクバの人身売買組織により、クナート伯の令嬢が拉致”
“他、数人の若い女性が行方不明”
“クナート伯より自警団、騎士団に、人身売買組織殲滅の命令が下った”
(そうよ、ここの領主の令嬢が攫われたのよ。それで、領主直々に命令を出して、それでクナートの冒険者の宿に籍を置く中堅以上の冒険者も集まるって事になって、今それでシン達が……)
そこまで思考してから、ソフィアははたとある一つの事に思い当たり、愕然とした。
(どうしてわざわざ、領主の娘を誘拐するなんて事を、“人身売買組織”の人達がするの?!)
ガタン、と思わず椅子から立ち上がる。
(身代金目的の誘拐じゃないのよ? 領主の娘をかどわかすなんて、どれだけ大きな騒ぎになるか想像出来ないはずがないじゃない。それこそ、領主命令で騎士団や自警団が血眼になって探すはずだわ。――それほどまでに、“商品価値”がある令嬢って事なの? 政敵に引き渡すとか?)
レグルスが不思議そうにソフィアを見ているが、そんな事には全く気付かず、ソフィアは思考を巡らせる。
(いいえ、それなら“他の女性”を攫う必要なんか無いわ。令嬢だけ攫えば目的は達成するはずよ。――じゃあ、どうして他の女性まで攫ったの?)
口元に当てた手に、無意識に力が入って握り拳を作る。
(一つは、令嬢を攫った犯人と、他の女性達を攫った犯人が別の場合。――――あともう一つは、)
嫌な予感に、ソフィアの思考が一瞬鈍る。だが、握った拳を唇に押し当て、ソフィアは顔を
(あともう一つは、攫った女性たちに領主の令嬢が含まれる事で、絶対的な命令――領主の命令で、大規模な捜索隊を組ませる事。―――つまり、クナートの実力者の殆どが、捜索隊に加わる……)
じわり、と背中に妙な汗が滲んだ気がした。
(――“陽動”……!?)
くらり、と目の前が暗くなった気がした。――否、本当に暗くなった。
「な、なに?」
動揺した声を上げるが、自分でも驚くほど弱々しいものだった。
――――そこでソフィアは意識を失った。
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