第42話 救出

 ――――囚われた領主の令嬢と女性達の捜索は、冒険者達の己の持ちうる能力、手段、伝手、その全てを駆使し、全力を持って行われた。



 一言に“冒険者”と言っても、得意分野は多種多様だ。通常、依頼をこなす際は、得意分野とその他の技能を合わせた、やや偏りがありながらもオールマイティに己の役割をこなす事が多い。


 だが、今回は事情が異なる。それぞれの分野に秀でた者がそれなりの人数揃っているのである。――つまり、“得意分野だけ”に特化した専門行動をする事が可能となるのだ。

 そして、そうする事で、通常の冒険者の依頼をこなすよりも格段に作業は効率化された。戦神ケルノス神官戦士団団長であるカルロス・ジアンを筆頭にした冒険者達は、またたく間に女性達の囚われた場所を突き止め、救出する事に成功したのだった。


 それと同時に、冒険者の中の魔術師が騎士団、自警団の連合組織へ、みずからの使い魔を伝令に飛ばす。ほんの10分も経たぬ内に彼らは女性たちの救出の一報を受け取り、突き止めていた今回の犯行グループの根城へ迷う事無く突入した。



 正に、“冒険者の集まる町”としても名を馳せる、港町クナートならではの、流れる様な事件解決だった。




 ――そんな中、クナートの北にある港の倉庫の1つで火の手が上がった。



 たまたま事件を解決した冒険者達の数人が、“事件解決の打ち上げ”という称した飲み会をすべく、港近くの通りを歩いていた所で偶然煙を発見した。

 彼らがいち早く駆け付けた為、早期に鎮火に至り、周囲への延焼もなく、火元の倉庫自体も入口のドア周辺を少し焦がした程度で済んだ。


 鎮火の為、水の入った桶を抱えて走り回っていた数人の冒険者達は、辺りに火の気が無くなった事を確認すると、お互い顔を見合わせて苦笑した。


「ったく……何かあるときは、重なるもんだな」

「そうだな。――あー、俺、港の関係者に報告に行って来るわ」

「おう。じゃあ、俺は念の為、中に人がいないか確認するわ」

「って、おいおい、中に人がいたらヤバいだろ……縁起でもねぇ」

「ははは……ま、“いない事を祈って”ってヤツだよ」


 茶色の長髪を後ろで一つに結び、ローブを着込んだ小柄の冒険者の男が言いながら、煤で黒くなったドアに手を掛ける。桶を片付けに立ち去ろうとした数人と、港関係者へ報告に行こうとした浅黒い肌の赤髪の男も、思わず足を止めて固唾を呑んで注目する。


「じゃ、開けるぞ」


 ギシ、とドアは軋んだ音を立て、そのまま蝶番部分がボロリと崩れた。


「?! うわっ おい! ドア倒れる!! 押さえろ!!」


 小柄の男が慌てて叫び、その声に周囲の冒険者達が弾かれた様に駆け付け――間一髪ドアを支えた。


「あっぶねぇ……まさかドアが外れるとは思わなかっ……」

「……え……って、おい!! おい! ちょっ……!!」


 ドアを支えた勢いで倉庫の中の様子を目にした冒険者達は、すべからく絶句した。


 倉庫の入口すぐ傍に、手足を拘束されてぐったりと倒れ伏している小さな人影が1つ。床には、流れる水の様な長い髪が幾筋も広がっていた。

 そして離れた場所に男が2人、折り重なるように倒れていた。どちらの影も、ピクリとも動かない。


 異様な光景に、それなりに冒険者として依頼をこなしているはずの冒険者達も顔を強張らせて立ち竦んだまま動けない。誰かが「し、死んでる……?」と震え声で呟いた。その声にハッとした小柄の男が「換気!」と叫んだ。


「換気しろ!!」


 それを合図に、まるで呪縛が解かれたかのように他の冒険者達も一斉に動き出した。


「生存者いないかチェック!」

「この中に神官か精霊使いっていたか!?」

「明かりくれ! 暗くて見えねぇ!!」

「二手に分かれろ!」


 どやどやと倉庫内に冒険者達は乗り込み、小柄の男は手にした短い杖を振って魔法の明かりを杖の先に灯した。その明かりに照らされて、小さな人影の銀色の髪が仄かに光を帯びる。


「――――あっ! こいつ……!」

「ルーヴェ、知り合いか?」

「いや、春告鳥フォルタナの翼亭で一回会った事ある。――多分」


 言いながら、ルーヴェと呼ばれた小柄な男は、素早く明かりを近づけ、倒れている小さな肩にそっと手を掛けた。……力を込めたら折れそうな薄い肩を、慎重に引いて様子を伺おうとして、彼はギョッとした。


「うわっ」


 ルーヴェではなく、彼の後ろから覗き込んでいた赤髪の男の方が引き攣った声を上げた。


 人形の様に整った美しい面持ちの半妖精ハーフエルフの少女。その白磁の頬に、点々とまばらに赤黒い色が散っている。


 ――――血だ。


 背筋に嫌な汗が伝い、思わずルーヴェは反射的に、己の手の甲を彼女の小さな口元に近づけた。――息がある。どうやら気を失っているだけの様子だった。詰めていた息を吐きだすと、後ろに立つ男が狼狽したように話しかけてきた。


「お、おい、この子、死んで……」

「違う。生きてる。――それに、これはこいつの血じゃない」


 僅かに顔を顰めてルーヴェは狼狽する男をたしなめると、赤髪の男に手を差し出す。


「俺は刃物を持ってない。使わないならナイフ貸せ」

「い、いや、切る。ちょっとその子支えててくれ」


 ハッとした様に赤髪の男は応え、腰に括り付けていた短剣ダガーを引き抜く。ルーヴェはほんの僅かに微妙な顔をしてから、彼女の小さな身体を抱き起した。先ほどの肩と同様、身体も、同じ物質で構成されている生き物とは思えない程、非常に繊細で華奢な造りをしていた。こんな“壊れ物の様なもの”を掴むくらいなら、妖魔モンスターと素手で殴り合う方が性に合っているな、と思わず内心で皮肉を零す。


 そうこうしている間に、赤髪の男は少女の手足首に食い込んだ縄を、これ以上彼女を傷付けない様に慎重に切断した。それを確認してから、ルーヴェは少女を床に横たえて、腰に付けた袋から取り出した手布を水袋で湿らせ、彼女の顔についた血を拭きとった。手足首は痛々しい擦過傷と痣があったが、ルーヴェも赤髪の男も、神官の様な“神の奇跡”で傷を癒す力や、薬師の様な治癒力を高める力とは無縁だった為、こちらも濡らした布で軽く拭き取る事しか出来なかった。


 彼女の双眸はまだ固く閉じられたままだったが、杖の明かりに照らされて煌めく長い銀の睫毛やふっくらとした小さな唇を見ると、非常に見目が整っている事がよく分かった。――赤髪の男などは、ようやく落ち着いてきたかと思えば、既に熱に浮かされたようなぼんやりとした表情で少女の顔を食い入るように見つめている。少女の寝顔に陶酔しているかの様な表情を浮かべる仲間の顔に、やや呆れ顔でルーヴェが声を掛けようとした時――離れた位置の男が2人の様子を見ていた他の冒険者達が声を上げた。


「おい! ちょっとこっちに来てくれ!!」


 その声に、ルーヴェと赤髪の男は顔を見合わせると、素早く呼ばれた方へ足を運んだ。呼びかけた仲間が指さす先には、折り重なったまま倒れる男が2人。いずれも頸動脈が綺麗に切断されている。集まった冒険者達は死体2つを囲むように輪になりしゃがみ込んだ。


「っていうか、あっちに倒れていた子は大丈夫だったのか?」

「問題ない。気を失ってるだけみたいだ」

「小さいのに可哀想に……早く家に帰してやらなきゃ」


 仲間内で唯一の子持ちの冒険者の一人が眉をハの字にして倒れている少女の方を見やった。だが、他の冒険者達は先に死亡している男達の状況確認を行う事を優先した。


「肌についた血が乾いているな……死斑は?」

「さっき服をめくってみたが、まだ目立ったものは出てなかったな」

「――となると、そんなに経ってないか……」

「血が乾いているのは、火の手が上がったせいってのも考えられるな」

「待てよ。室内の温度が上がっていたなら、死斑が出るのが遅れた可能性もあるんじゃないか?」

「となると、こいつらが死んだ時刻は幅が出るかもしれないな……」

「あの程度の火で、倉庫内の温度が上がるか?」

「……さてな。いずれにせよ時刻を絞り込むのは難しいが、少なくとも火の手が上がったのと、俺たちが駆け付けた時間に、そんなに開きはないはずだ」

「となると、ある程度血が乾いた状態で火の手が上がった――少なくとも俺たちが来る数時間前には死んでいた、と考えるのが妥当かもな」


 彼らはお互い意見を述べると視線を交わしあい、誰からともなく頷き合った。


「それってさ、丁度、騎士団と自警団の連合組織が犯行グループの根城を襲撃した頃じゃないか?」

「そうかも」

「じゃあ、あの女の子もヤツらに拉致されて連れていかれる途中だったのかもな」


 その言葉に、赤髪の男が「確かに。すっげぇ可愛いからな!」と力説した。音量を抑える事の出来ていないその声に、ルーヴェは思わず片眉を上げて彼を睨むが、他の冒険者達が興味深そうに倒れている少女の方へ目を向けた。それを見て、ルーヴェは更に顔を顰めた。


「……そうか?」

「いや、可愛いだろ! お前の目は節穴か?!」

「いや、そうじゃなくて」


 この色ボケが、と内心で毒づきながらもルーヴェは面々に説明した。


「拉致されて連れていかれる途中って考えると、わざわざ港の倉庫にいるのはおかしいんじゃないか?」

「あ」

「まぁ、そうかも……」

「でも、じゃあ、あれだ……便乗犯?」

「だけど、それなら何でこいつら死んでるんだ? 仲間割れしたって事か? それとも、エイクバの連中に見付かってられたのか?」

「じゃあ、女の子が残ってるのおかしいだろ。なら、こいつらもエイクバの組織の連中で、他の連中が捕まったのを知って逃げられないと思って自決したって考えた方が自然じゃないか?」

「――――それは分からないけどな」


 様々な持論を述べる冒険者達に、このままでは埒が明かないといったていでルーヴェが言葉を切った。


「とにかく、カルロス団長に報告と、そいつらを自警団の詰め所に運んで人相書きとの照合、あと、女の子そいつは念の為施療院に運ばないとな」

「…………なぁ、あの子、こいつらに……その、まさか」


 冒険者の男の一人が、言い難そうに小声で言った。――その彼の言わんとすることを理解した途端、周囲の冒険者達も顔を引き攣らせた。

 だが、ルーヴェは眉をピクリと跳ね上げ「おい、下種の勘繰りは止せよ?」と低い声でピシャリと制した。慌てて口ごもっていた男は両手を振り、悪意はない事を示した。


「いや、だってさ……ってか、怒るなよ……あんな可愛い子だったら子どもでも、ってちょっと心配になったっていうかさ」

「怒ってる訳じゃない。勝手な想像で物を言うなって言いたいんだ。――自分自身の評判を落とすことになるぞ」

「う……わ、悪かったって」


 怒っていないと言いながら、矛盾した様に言葉の端々に棘を潜ませながらルーヴェは不機嫌そうに鼻を鳴らした。それから、反省した様子の男をじろりと睨み、すぐに視線を逸らして赤髪の男へ声を掛けた。


「おい、ディック! 俺たちは後処理にかかるから、お前はそいつを念の為に施療院まで運んでくれ」

「え! いいのか?!」

「……何喜んでるんだよ」

「え、いや、ははは」


 頬を赤らめつつ頭を掻くと、役得だなぁ、などと言いながら彼は少女を抱え上げようとしてぎょっとした。


「ひぃっ?! か、かるっっ?!」

「……怖いだろ」

「……うぅ、怖ぇ……灰色熊グリズリーの子ども抱き上げる方が、丈夫な分だけマシだ……」


 おっかなびっくりと彼女を抱き上げるディックと呼ばれた赤髪の男は、ルーヴェを含む残りのメンバーに目を合わせて頷くと、早足で倉庫を出て行った。



* * * * * * * * * * * * * * *



 一方、仕事を終えたシン、ネア、シアンの3人は春告鳥フォルタナの翼亭へと歩を進めていた。


「あぁ~……腹減ったなぁ~……」


 頭の後ろで両手を組んでぼやくシアンの言葉に、シンが苦笑いで答える。


「そうだねぇ、結局あんまりちゃんと食べる時間も無かったからね」

「というか、皆さん張り合い過ぎだと思いますわよ」


 疲れた様子を微塵も見せず、ネアはやや呆れた様子で2人を見やり、自身の紅桃の髪をサラリと手で軽く払った。


「つっても、なぁんかさ……お偉いさん方ばっか良いとこ持ってってさー……助けた女の子達もあいつ等が保護した風になって送ってくとか言いだすし。領主の娘ちびっこいのもそうだし」

「確かに、ないがしろにされた感はいなめませんけどね」

「そうだねぇ……でもまぁ、僕は偉い人達の面倒くさいしがらみに関わらないで済むだけ、気楽でいいと思うよ」

「シンさんはポジティブっすね……」

「あはは、そう?」


 雑談交じりに3人は、ゆっくりと夜の大通りを歩いていたが、その時、



「……ん?」


 シンの足が止まった。


「どしたんすか?」

「お忘れ物か何かありまして?」


 シアンとネアが、少し先に進んでから振り返る。シンは2人には答えず、じっと右方向の細い路地を注視していた。



「何ですの?」

「なんかあったんすか?」


 2人もシンの視線の先を辿ろうとするが、夜目が利かない2人には薄暗い道しか見えない。



 ――――瞬時に弾かれた様にシンが駆け出した。


「えっ」

「ちょっ シンさん?! あっ トイレ?!」


 突然の事に付いていけていない2人を置き去りに、シンはどんどん走るスピードを上げる。

 先ほど、この路地の向こう側の通りを、人影が足早に通り過ぎて行った。――腕に、小さな人影を抱いて。そこに見慣れた銀色の光が僅かに見えた気がしたのだ。



 そんな馬鹿な、まさか、と内心で否定しつつも、それでもシンは猛烈な焦燥に駆られて我武者羅に走った。


 対する相手は、足早ではあったが歩いていた為、すぐにシンは追いついた。相手は身のこなし方や足運びから、どうやら武術の心得がある様子だったが、シンは迷いなく、赤髪の背の高い男の背中に、固い声を掛けた。


「ちょっと、すみません」


 すると、男は多少の警戒をしつつも「なんだ?」と応えながら振り返った。

 その男の腕の中に、己の一番大切な少女の姿を視認した途端――シンの思考が停止し、次の瞬間、一言も発しないまま猛烈な勢いで彼女を抱える男の腕を鋭く払い除け、彼女を自らの腕の中に抱き締めた。


「うわっ?!」


 振り払われた、そのあまりの強さと勢いに、赤髪の男は声を上げてよろけた。そして、という事実に対して驚愕した。

 ――冒険者として様々な依頼をこなして早10年。最近では“多少は腕が立つ”と自己評価していた赤髪の男は、誰かに――――少なくとも目の前に立つ様な優男風の――冒険者ではありそうだが、彼の目から見ると明らかにそうな中性的な面立ちの青年に、まるで自分の方が非力な子どもの様に、軽々と手を振り払われるとは想像だにしなかった。

 もちろん実際は、シンの方が冒険者として熟練度は高く、且つ冒険者として重ねた歳月も彼の何倍もあり、能力や技能も大きく上回っている。だが、そのような事を、共に依頼をこなした事が無い、しかもお互いの名をまだ知らない状態で気付く事など、出来ようはずもなかった。


 そんな彼の内心の動揺などお構いなしに、シンは少女――ソフィアの小さな身体を両腕で彼から隠すように抱きかかえ、感情の見えぬ、底光りする冷ややかな瞳を男に向けた。


「……何をしている?」

「え……は? え? あ、いや……」

「何をした」


 低く、感情の抜け落ちた抑揚のないシンの声に、赤髪の男は青褪めて硬直した。シンのただならぬ気配に身の危険を感じて、男は弁明しようと口を開くが、緊張のあまり咽喉がからからに乾き、声が掠れる。


「ま、待ってくれ、いや、俺は……」


 必死に声を絞り出すが、シンの碧色の瞳に宿る剣呑な光は弱まる気配を見せない。後ずさろうとするも、蛇に睨まれた蛙のごとく、全く身動みじろぎが出来ない。



 ――その時、


「シンさん! 見つけましたわ!」

「はぁ、はぁ……2人とも早ぇっすよ! 鎧、着込んでるくせに…………はぁあ、や、やっと追いついた」


 険悪な雰囲気を、ネアとシアンの声が打ち破った。だが、シンは2人を振り返る事はせず、じっと底光りする碧の目で男をねめつけたまま動かない。


「? シンさん……」


 訝しげに眉を寄せ、彼に呼びかけながら近付いたネアは、シンの腕の中でぐったりとしているソフィアを目にしたとたんにまなじりを釣り上げて赤髪の男へ刺すような鋭い視線を向けた。


「……これは何事ですの?」


 彼女の地の底を這うような低い声に、いよいよ男は狼狽し、どもりながらも懸命に声を上げた。


「ち、ちがうっ 俺はあのっ」

「ちょいストップ!! 2人共! 怖ぇ! すげー怖ぇから!!」


 真っ青になって震えあがる赤髪の男に、シアンが慌てて加勢する。


「まず事情聞こうぜ! っていうか、いっつもシンさんもネアさんもそう言ってるだろ! ソフィアの事になると冷静さがなくなるシンさんはともかく、ネアさんはちょっと落ち着いてくれよ!」

「……シアンさんにそれを言われるのは、何だか釈然としませんわ!」


 むっとしながらも、ネアは一つ小さく深呼吸した。


「とはいえ、確かに。些か冷静さを欠いておりました」


 表情を改めると、彼女は赤髪の男に向き直った。


「――失礼致しました。この子はわたくし達の知人ですの。何があったか教えて頂けませんこと?」


 その言葉に、彼は慌てたように早口で港の倉庫であった事を大まかに3人に説明し、これから施療院に彼女を連れて行こうとしていた事を伝えた。黙って聞いていたシンは、男が話し終えたタイミングでしょんぼりと彼に頭を下げた。


「…………ごめん。僕、頭に血が昇っちゃって」


 ――血が昇っちゃって、どころの顔じゃなかった、とシン以外の3人は異口同音のツッコミが喉元まで出かかったが、誰も口には出せなかった。

 素直に謝罪の言葉を述べた後、シンは腕の中のソフィアへ視線を向けた。我が子への慈愛とも、最愛の伴侶への熱のこもったものともとれる、――いずれにせよ、愛おしさを全く隠さない眼差しだった。


「彼女を助けてくれてありがとう」


 ふと視線を上げて泣きそうな笑みを浮かべる半妖精ハーフエルフの青年は、先ほどの冷徹とさえ思える表情を浮かべていた男とは、同一人物には見えず、礼を言われた赤髪の男――ディックは面食らいつつも慌てて首を横に振った。


「あ……こちらこそ、えー……と、じゃあ、施療院に……?」

「いや、一旦、春告鳥フォルタナの翼亭に行こう。寝かせてあげなきゃ」


 シンの言葉に、ネアは目を丸くする。


「え、施療院へ行った方が良いのではなくって?」

「大きな怪我はないみたいだけど、手足首の縄の痕は痛そうだから、手当てした方が良いと思うぜ」


 “縄の痕”、というディックの言葉を耳にした際、シンの表情が強張ったが、誰も気付かなかった。


「僕が診る」


 キッパリと短く答える彼を見て、これは何と言おうと曲げる気はないな、とその場の誰もが思った。



* * * * * * * * * * * * * * *



 一方、ソフィアを捜索している春告鳥フォルタナの翼亭の店長を含むスタッフ一同は、港近くの道を通りかかった際、情けないか細い声を耳にして足を止めた。



「助けておくれよ~う」



 悲哀に満ちた声に、彼らはお互い顔を見合わせてから、周辺の捜索を行った。


 すると、すぐに街路樹の上に縄で縛られて吊るされている、情けない姿にも関わらず眉目秀麗さを損なっていない――だがむしろ、それが絶妙にミスマッチで、店員の何人かは反射的に思わず吹き出してしまったわけだが――春告鳥フォルタナの翼亭の宿泊客であり、捜していた内の1人である妖精エルフを発見した。


「……レグルス様ではありませんか」

「え、店員君、なんか温度低い……」

「いえ、そういう訳では。――お1人ですか」

「そんな、酒場で迎えるみたいに言われても」


 さめざめと泣き真似をしているレグルスを、翼亭の店員たちが木に登って救出する。木の上から地面に降り立つ様子から、彼に怪我は無さそうだった。それを確認してから、店長は声を掛ける。


「ソフィアはどうした」

「うーん、僕、魔法が効きにくい体質だからここまで犯人君を追ってきたんだけどね……見付かっちゃって、ここでこうなっちゃったんだよ」


 妖精エルフは生まれながらにして魔法の素質が高い。そして、魔法の素質が高いという事は、それだけ“魔法に対する抵抗力”も強いという事だ。


「他の誰も気付かなかったのか? お前に……」

「皆、英雄譚に出てきてもおかしくないほど使命に燃えて輝いていたよ!」

「……答えになってねぇな……」

「夢中だったみたいで、僕の声などどこ吹く風さ」

「なら最初からそう言えば……はぁ。で? 何か見なかったか?」

「ソフィアを連れた連中は港の方へ向かって行ったみたいだから、――――おや」


 言いさして、レグルスはきょとんと目を丸くして言葉を切る。その様子に、店長や店員たちも訝し気に彼の視線を追って港の方を見た。



「あっ 店長がいる! おーい!」


 濃紺色の髪をした青年がこちらへ向かって駆けてくるのが見え、その向こうにネアと赤髪の青年――たまに春告鳥フォルタナの翼亭で冒険者として依頼を受けているリチャード・アッカーソンという名の斧使いだったか――が見え、そして、もう1人の捜し人である半妖精ハーフエルフの少女と、その彼女をしっかりと胸に抱く――出来たらバレずに事を済ませたいと何度も心の中で神に祈ったその相手、彼女の強力な保護者であるシンの姿が見えた。



「……詰んだぞ」

「観念して謝りましょう」


 ぼそりと呟く店長の言葉に、黒髪の店員が平坦な声で答えた。だが、その後すぐに2人は顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべた。

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