第38話 衝突

 春告鳥フォルタナの翼亭へ到着すると、シンは手早く店長マスターに掻い摘んで事情を説明しソフィアを託すと、彼女に宿からは絶対に外へ出ないように念を押し、すぐに踵を返して駆け出した。

 あっという間に小さくなる背中を見送った後、ソフィアは小さく息を吐きだしてチラリと店長マスターの顔を見上げた。相変わらず春告鳥フォルタナの翼亭の店長マスターは頭が2~3倍に見えるくらい立派なアフロヘアーをしており、濃い色のついた眼鏡を掛けている。ソフィアの視線に気づいたのか、アフロ店長は彼女に視線を向けると、ニッと歯を見せて笑った。


「なぁに、シンはこの町クナートでも指折りの冒険者だ。心配しなくてもすぐ戻ってくるさ」



* * * * * * * * * * * * * * *



 日が落ち、徐々に暗くなり始めている一階の酒場には、冒険者の宿の雰囲気にそぐわない、見慣れぬ女性達が奥の数席に座っていた。いずれも年若く小綺麗な女性ばかりで、一見して冒険者には見えない。彼女たちは身を寄せ合い、不安そうな目でお互いを励ますような言葉を小さな声で掛け合っている様子だった。


 あまりジロジロ見るのも良くないと思いつつ、視線を彷徨わせると、アフロ店長が声を掛けてきた。


「近くの通常宿に泊まってた客の中で、女性だけこちらに避難してきてるんだ」

「“依頼”の話しって、町の人や旅行客にも伝わっている……のね」

「ああ。内容が内容だからな。町の人間は夕暮れ前には家に入るように、女性は特に、のっぴきならない用事でもなければ、出来るだけ外出は控えるようにお達しが出ている」

大事おおごとね……」

「まぁ、以前ならともかく、今回は実際に被害が出てるからな」


 アフロ店長の言う“以前”とは、恐らく以前ネアが請け負った依頼の事だろう。あの時は被害がなく、自警団と熟練ベテラン冒険者数組で殲滅行動をとったが、今回は既にクナートの女性数人と、領主の令嬢が“彼ら”の手に落ちているのだ。


「ソフィア、お前さんも以前あいつらから狙われた事があるだろう。部屋で大人しくしていてくれよ」

「それは多分誤解……な気がするけど、ここまで来たんだから、外をうろついたりする馬鹿な事はしないわ」

「ああ、そうしてくれ」


 不満そうに膨れっ面になるソフィアに、アフロ店長は笑いながら頷きつつ、カウンターの内側へ入った。そこで宿帳を取り出し、部屋を確認し始める。


「お前さんの部屋は2日前から延泊の申請が出ていたから、そのままになっている。そこでいいな?」

「えっ あたし、そんな事した覚え……」

「シンが昨日の朝、お前さんと出かける前に処理してったんだ。あいつ、ホント抜かりねぇな」


 そういえば、彼は今日もソフィアと一緒に宿泊するつもりだった様なことを言っていたが、それは橙黄石シトリアやじり亭の話だったはずだ。それとは別に、彼は春告鳥フォルタナの翼亭の延泊手続きまでしていたのか……一緒に泊まることへの執念のような意志を感じる。思わずソフィアは苦虫を噛み潰しながら「いつの間に……」と呟いた。



(――――結果的に助かったけど……せめて、宿泊料金だけはあたしが負担……)


「あの、すみません……」


 唐突に掛けられた声で、ソフィアの思考は中断した。反射的にピクリと小さく肩を震わせ、それを取り繕う様に大仰に声のした方へ振り返ると、少しやつれた様子の女性が両手を祈るように胸の前で組み立っていた。


「ごめんなさい、聞くつもりはなかったのですが、先ほどの店長の言葉が聞こえてしまって」

「……?」


 困惑気味にチラリとアフロ店長の方へ目をやり、視線を女性に戻す。


「宿の部屋を取ってらっしゃると」

「あぁ……ええ、そう、みたいだけど……」


 実際は取ったのはシンである為、曖昧にソフィアは頷いた。だがそのソフィアの言葉に、やつれた女性は必死の表情で訴えた。


「失礼を承知で、お願いします! 子どもが熱を出しているんです……! 今、酒場の椅子をつけて横にさせていますが、どうしてもベッドに寝せてやりたいんです……! お願いです! 一泊だけで構いませんので、お譲り頂く事は出来ないでしょうか?! もちろん、宿代以外にお嬢さんへも少しですが迷惑料を支払いますから!」


 え、と思わずソフィアは女性の背後を見る。身を寄せ合っている女性たちの奥に、確かに椅子が3つ程並べて置いてあり、そこに毛布に包まれた小さな身体が横たわっていた。


「あー、奥さん。部屋は何とかうちの方で探しますから、そういうのはちょっと困りますなぁ」


 ソフィアが返答する前に、アフロ店長が頭を掻きながらカウンターから戻ってきた。


「みんな事情は一緒でしょう。それに、この子は2日前から延泊手続きを済ませているんですから」

「あ……えぇ、と…………あたしは別に」

「おい、ソフィア」


 ソフィアと女性の間に割って入りつつ、店長は背後のソフィアに片方の眉を上げて苦言を呈する。


「お前なぁ……俺はシンに、お前の事を頼まれてるんだぞ。そう易々と安全な場所をだなぁ……」

「部屋には荷物を置いてなかったし、あたしは別に……野宿だってした事あるし」

「いや、そういう事じゃ……」

「本当ですか?!」


 アフロ店長の困惑した声と、女性の縋るような声が、ほぼ同時に上がる。やや慌ててアフロ店長が女性に断りを入れようとするも、ソフィアはそれを制した。


春告鳥フォルタナの翼亭の中なら良いでしょ。あたしは酒場の端っこで休ませてもらえれば良いわ」

「ありがとうございますっ ありがとうございます!!」


 女性が泣きそうな顔で何度もお辞儀をするが、困惑したようにソフィアは身を引きつつ「別に構わないから」と小さく返し、店長を女性の方へ押しやった。


「じゃあ、手続き頼んだわよ」

「……ったく、お人よしだな、ソフィアは」

「そういう訳じゃないわ」


 ――もちろん、女性に感謝されたかった訳でもない。単に、ソフィアにとってはベッドの上でも酒場の床の上でも、“寝床”という意味合いでは大して変わらないだけだった。つまり、ソフィアとしてはわざわざお金を払わないでも泊まれる酒場の床で、全く構わないのだ。

 自分がベッドのある部屋に泊まる権利があって、そこにどうしても泊まりたいという女性が現れた。自分は断る理由がないのだから、店長が時間をかけて説明をする必要などない。逆に彼女はベッドが欲しいという強い理由がある。店長が説得しようとしても食い下がり粘り続ける可能性もある。それは、ソフィア、店長、女性の3人にとってかなり無駄な時間になる。――つまり、単に合理的に考えた結果だ。


 ――とはいえ、シンに知られたら叱られそうだな、という点に気付き、少しだけソフィアは憂鬱な気分になった。



* * * * * * * * * * * * * * *



 深夜。


 春告鳥フォルタナの翼亭の酒場は、炎の大きさを調節されたランタンが壁にいくつか掛かっており、店内を薄明るく照らしている。店から宛がわれた毛布に身を包み、ソフィアはフロアの隅で身を小さくちぢこめていた。


 あの後、店長に少し聞いた話では、旅行者の他に自主的な避難者もおり、元々部屋を取っていた客や冒険者がいる春告鳥フォルタナの翼亭は部屋数が足りず、結局酒場で寝泊まりを余儀なくされた女性達がいるそうだ。因みに、戦う力のある冒険者がなぜ女性達に部屋を譲らないのかというと、答えは簡単。彼らは留守なのだ。今回の依頼前に仕事を請け、生活用品などの荷物を部屋に残して不在なのだ。いくら宿側に部屋のマスターキーがあるとはいえ、留守の客の部屋を勝手に開けて人を泊める訳には行くはずがないのだから、致し方ない。


 今日は酒場の営業は中止されており、そのフロアには幾人かの女性達が知り合い同士身を寄せ合って過ごしており、店内の各所からは声を潜めた話し声がたまに聞こえた。

 そのヒソヒソ声が聞こえる度に、ソフィアは身を固くして両目を強くつぶり、両耳を手で覆って小さくなった。――誰もソフィアの事を話していないという事は理解しているのだが、こういう声はどうしても生理的に受け付けられない。こうして聞こえない様にやり過ごすしかないのだ。


 そんな事を繰り返している時、不意に両耳から手を離したタイミングで、どこかから、か細い声が聞こえた。


「……怖い……」


 次いですすり泣きが聞こえ始めた。冒険者とは異なり、普通の女性であれば己が身に突然降りかかった危険に怯えるのは当然なのかもしれない。

 両耳から浮かせた手を下に下ろし、ソフィアは座ったまま暗い店内を見回した。



(人身売買組織――――の人たちは、そんなに闇雲に女性を攫っているのかしら)


 思案しつつ、宿の扉の方に目をやる。そこには内側によく見かける黒髪の店員……らしき人影が錫杖を持って立っている。女性達が気にしないように配慮してなのか、じっと沈黙し、気配を殺して空気の様になっているが、狩人レンジャーとして少し修行を積んだ実績のあるソフィアには分かる。恐らく、扉の向こうにはアフロ店長と他の店員も見張りに立っているのだろう。窓からの侵入に備えて、宿の2階、3階にもそれぞれ人員を配置している様子もあった。シンが「一番安全」と評しただけのことはある。


「もういや……家に帰りたい」

「ちょっと、よしなさいよ」

「だって……」


 涙でくぐもった声と、それを制する声。どちらも若い女性……ソフィアと同年齢程度に思えた。


「ねぇ、めそめそするのやめてくれない? 眠れないんだけど」


 少し苛立った様子の声が別の場所から上がる。


「そうよ、こっちだって色々我慢してるのに、いい加減にして」


 怒りを抑えてか、語尾を震わせる声も反対側から上がる。



 これは良くない雰囲気だ、とソフィアは眉を寄せ、薄暗い店内を見回す。夜目の利かない彼女では、店内の様子は朧げな輪郭しか見えなかった。



(ちょっと、店員の人……これ、放っておくとまずいんじゃないの?)


 チラ、と扉の方へ目をやるが、店員の彼とおぼしき人影はピクリとも動かない。気配を消すという事を徹底している。


「そんな言い方、ないんじゃないの? リリアだって悪気があって泣いてる訳じゃないのに!」

「ギーラ、良いの。皆さん、ごめんなさい、私、無神経に……」

「謝られると、こっちが悪者みたいじゃない!」

「え、そんな」

「ちょっと、信じらんない! 最悪! 謝ってるのに何なの?!」


 ガタン、と大きな音がした。思わずビクリと音の方を見やると、人影が机にぶつかってよろけるのが見えた。どうやら声を荒げた女性が、言い合いをしている相手の女性に向かって行こうとして、暗さの為に机にぶつかったらしい。



(まずいわね……両方、大分感情的になってるみたいだわ。店長を呼んだ方が良いのかもしれない)


 呼べば呼んだで、今度はソフィア自身がやり玉に上がりそうだが、人に悪く思われる事は慣れているので気にならない。少なくともここで乱闘騒ぎに発展するよりはマシだ。小さく息を吐くと、ソフィアは立ち上がりながら毛布を畳み、傍らの椅子に置いて入口の扉の方へ向かおうとした。



 ――――その時。



「嗚呼、麗しきお嬢様方――――この様な美しい月夜に、何故その様な悲しい言葉を紡ぐのだろう」



 リン、と鈴を鳴らした様な美しい響きを持つ男の声が酒場に響き渡る。

 女性たちはハッとして、ソフィアはギョッとして声の方角――――2階へと続く階段の方を見やった。



「僕は悲しい。君たちの小鳥のさえずりのような美しい声が、お互いを傷つけあう事が!」



 妙に芝居がかった台詞だ、とソフィアは思わず半目になる。が、彼の声を耳にした女性達はことごとく口を噤んだ。声だけで魅了されてしまう程、彼の声は美しい音楽の様に響き渡る。


「ほら、ご覧。今日の月は君たちの様に美しい!」


 高らかな宣言ともとれるその言葉と同時に、階段横の窓の鎧戸が開け放たれた。途端、サァ、と月明かりが店内に差し込み、鎧戸を開けた人物もその光に照らされた。



 ――驚くほど長身で美しく長い金の髪、翡翠の様に輝く新緑色の瞳の――恐ろしく眉目秀麗な妖精エルフだった。


 月明かりに、店内の女性達も照らされる。10代後半~20代前半の整った容姿を持つ女性達だ。フロアの真ん中程に膝立ちになっている女性が半べそをかいている様子から、泣いていたのはこの女性と推測された。その隣に立ち上がったまま机に手をつき呆然としているポニーテールの女性が、彼女を必死に擁護していた女性だろう。

 彼女たち2人を含め、いずれの女性も、突然登場した妖精エルフの男性の常識外の美しさに圧倒され、酒場のフロアは水を打ったような静けさが訪れた。



 その静けさを打ち破ったのは、予想外の人物だった。



「レグルス様、困ります」


 入口に見張りとして立っており、気配を殺して空気と化していた店員が、低く抑えた声で言った。彼がいる事自体に気づいていなかったと思われる女性達が狼狽した様に「え」「うそ」とさわさわと声を上げる。


「防犯強化のため、鎧戸は全て閉じさせて頂いています。勝手に開けられては困ります。早く締めてください」

「あっはは! ごめんごめん、つい!」


 “レグルス”と呼ばれた妖精エルフの男性は、愉快そうに笑いながら鎧戸に手を掛けた。


「でも店員君、ここにいるお嬢様方はこの暗さに不安を感じておいでだよ。もう少し明るくしてあげる事は出来ないだろうか?」

「明る過ぎると眠りにくいのではないかと、店長が」

「明るさよりも、不安の方が眠りにくくなるさ。ねぇ?」


 肩を竦めて、彼が室内にいる女性たちに目を向けると、彼女たちは躊躇いながらも頷いた。


「……分かりました。では、もう少し明かるく調節します。――レグルス様は、お早く」


 手近なランタンの光量を調節しようと手を伸ばしつつ、店員は妖精エルフの男性を静かに急かした。その視線に応じるように頷くと、彼は先ほど開けた鎧戸をやや演技がかった動きで閉め、振り返ると女性たちにウィンクした。


「明るくなって良かったね、淑女レディ達。もちろん不安はまだ残ると思うが、この宿はクナート一安全とも言われる宿だ。安心してお休み」


 そこかしこから、小さくはにかんだ様な謝辞が聞こえる。ソフィアはようやくほっと胸を撫で下ろした。――が、


「ああ、せっかくだから、僕が子守歌でも奏でてあげようか!」


 妖精エルフの男性の突拍子もない発言に、ソフィアを含む店内の人々は呆気にとられた。


「僕、吟遊詩人なんだよ? 広場で演奏しても結構な収入に……あっ!」


 言いかけて、彼は突然短く叫んだ。


「そうだ、僕の楽器、15年前に置き引きにあって無いんだった! あはは!」

「レグルス様、そろそろ皆さんお休みなられますのでご遠慮頂けませんか」


 冷たい店員の声が彼の声に被さった。それを気にも留めず、呑気に彼は「残念だなぁ」とぼやいた。


「このお時間ですし、演奏は不要かと存じます」

「うーん、そっか。じゃあ、また今度! お休み、可愛い子猫ちゃん達!」


 ちゅっ と投げキッスをして、妖精エルフの男性は寝間着の上に羽織った長衣を翻して階段を上がって行った。残された女性達は、ポーっと彼の後姿を見送った後、ハッとして気まずそうにお互いの目を逸らしあい、それぞれ毛布に包まって静かになった。


 片やソフィアは、妖精エルフの男性を何となく目で追った後、ゆっくりと床に座り直して毛布を手に取った。


 女性達の言い争いは先ほどの妖精エルフの男性によって乱闘に発展せずに済んだ。それは良かったのだが、この生活が明日、明後日と続くとどうなるのだろう。ソフィアには想像もつかないが、それでも良い方向に動くとは考えにくかった。早く何らかの形で彼女たちを緊張状態から解放しなくては、先ほどとは比べ物にならないトラブルが発生するかもしれない。とはいえ、春告鳥フォルタナの翼亭の部屋数は限られているし、仕事で不在の冒険者が戻ってきて彼女たちに部屋を譲り開ける事を期待するのも微妙だ。根本解決にならない。――つまり、エイクバの人身売買組織がこの町から撤退するなり、殲滅されるなり、根こそぎ捕縛されるなりされなくては、状況は大して変わらないのだ。



(かと言って、あたしに出来る事、なんて……あるかしら)



 毛布に包まり、ソフィアは膝を抱えた。



(……ううん、考える事くらいは出来るはずだわ)



 抱えた膝の上に両腕を置き、その上に頭を乗せてソフィアは目を閉じた。眠れるとは思っていない。というより、眠る訳には行かない。この酒場の中で、いつもの悪夢を見て魘されたり悲鳴を上げたりしたら、せっかく落ち着いた女性達が再び不安定になりかねない。目を閉じるだけでも身体の疲れがいくらかは取れる事を知っている。閉じた瞼に焦げ茶色の髪をした柔和な表情の半妖精ハーフエルフの男性の笑顔が浮かぶ。



(…………“あの人たち”は……夜通し頑張っているのかしら……)



 心の中であっても、素直に“彼”の名を出す事は出来なかった。

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