第37話 暗雲
朝食の後、シンは薪割りや水汲みなどの力仕事を、ソフィアはキャロルの蔵書整理の手伝い等を行い、午前のお茶の時間を4人で過ごしてから、ソフィアとシンはアーレンビー家を後にした。
一度通っただけにも関わらず、シンは迷うことなくクナートの町の中心を目指して迷い無く歩を進める。そういう部分を取っても、彼が
「ソフィア、疲れてない?」
前を歩きながら、シンが肩越しに柔らかな視線を投げかける。だが、ソフィアはぶっきらぼうに「疲れてない」と短く答えた。不機嫌そうな声音になってしまった為、バツが悪くなり目を逸らす。
昨日も結局、何だかんだ言ってぐっすり眠ってしまった。夜眠る際の深い真っ暗な闇に落ちて行きそうな恐怖が、シンの腕の中では全く感じられなかったのだ。――――果たしてそれが、シンだからなのか、シン以外の人物でも同じなのか――などと、比べるなど出来るわけも無く、分からない。しかし、とにかく、あたたかな
とはいえ、これに甘んじるわけには行かない、とソフィアは柳眉を
今までのシンの行動から考えて、彼の庇護欲は通常よりも強いと思われる。それもかなり。ソフィアに対しては“同郷だから”や“迫害されている過去を知って同情して”という点を加味しても。それは、シン自身も自覚があるようで、過去に「独占欲が強いみたいだ」と口にしていた。
(護ると決めた相手を“とことん護りたい”って、まるで王様やお姫様に忠誠を誓う騎士みたいだわ)
歩きながら、ソフィアは少し前を行くシンの深緑色の外套に包まれた大きな背中をチラリと見上げる。
(でもあたしは、シンのお姫様じゃないし)
ソフィアから見たら、彼の心の奥には、過去に結ばれなかった結婚したかった女性がずっといる様に思えた。それがどういう人で、今どうしているのかは分からないが、何かを護る事に固執するシンは、誰かを護る事でその女性の影を求めている様にも見えた。――――少なくとも、ソフィアには。
実際は、シンは“結婚を考えていた女性”どころか、女性に興味自体も無いまま現在に至るのだが、それはソフィアの与り知らぬ事情である。
ソフィアとしては、シンが渇望している(様に見える)“護りたい対象”として、真っ当な“護り切る事の出来る相手”を得て、シン自身が満ち足りた幸せを得て欲しい、というのが常々思う第一の希望だった。その対象は、ソフィアではなり得ない。“護り切れない”という絶望を与える事しか出来ない。それに、安堵や安らぎといった温かなものは生来持っていない為、ほんの僅かでも、彼に差し出す事が出来ない。
(だから、あまりあたしに……)
目を伏せ、小さく息を吐くと、ほんの僅かに白く空気が色づく。――と、不意に名を呼ばれた。
「ソフィア」
ハッとして顔を上げると、いつの間にかすぐ目の前にシンが立っていた。目が合う一瞬、シンの碧の瞳が強い力を持って真っ直ぐにソフィアの瞳を射抜く。が、すぐに視線は和らいだ。
「もうすぐクナートの南門だよ」
柔らかく微笑むと、シンは流れるような動作でソフィアの手を引き、歩くのを再開した。
* * * * * * * * * * * * * * *
町の南門をくぐると、シンは手を握ったままソフィアの顔を覗き込んだ。
「
握られている手を離そうとジタバタしていたソフィアは、シンの顔を見て盛大に頬を膨らませた。
「町まで来たらもういいから。あなたは孤児院に帰りなさいよ」
「え、今日も一緒に泊まろうと思ってたのに」
「はぁ?! 何で?!」
「僕の事とか、ソフィアの事とか、色々話したいことまだたくさんあるし、一緒に寝……」
「ばっかじゃないの?!」
往来でとんでもない発言をしようとするシンに、思い切り渋面を作って語気を強めて制する。
「あなた、何日孤児院に帰ってないの? ちゃんと仕事しなさいよ!」
「えー」
「えーじゃない!」
「じゃあ、ソフィアも一緒に来ようよ。そしたらソフィアも宿代浮くし、僕はソフィアと一緒にいられるし、いいことしかないじゃない」
「あのねぇ……」
さも良い事を思いついたといった風情のシンに対し、ソフィアは頭痛を堪えるように頭に片手を当ててこめかみを引き攣らせた。
「あたしは、寝食を得る代わりに宿に対価を支払ってるの。あたしはそれで満足してるんだから、放っておいてちょうだい」
「ソフィアはそれで良いかもしれないけど、僕はソフィアと一緒にいたいんだもの」
「それ、あたしじゃなくて別の人に言った方が良いと思う」
「ソフィアにしか言わないよ」
「え」
予想外に静かなシンの声に、ソフィアは思わず言葉に詰まらせ、彼を見た。じっとこちらを見る緑碧玉の色の瞳は真剣で、奥に得体の知れない熱源がある様に感じ、ソフィアは困惑したまま言葉を失う。
「ソフィア」
「!」
じっと見詰めたまま、シンがソフィアの名を呼ぶ。万感の思いがこもったような声音に、ソフィアは顔を強張らせて身構える。その言葉の続きは聞きたくない、と全身で拒絶オーラを発するが、ここぞとばかりに
「あ……――」
「シンさん!!!」
え、とシンが、次いでソフィアが声の方を振り返る。すると、紅色の
2人が間近までやって来る前に、ソフィアはシンの手が緩んだ瞬間を見計らって握られていた手を振りほどき、慌てて自らの背中に手を隠す。
その様子に気付いた様子も無く、シアンがやや息を切らせながらシンに声を掛けた。
「どこ行ってたんすかぁー!」
「ん? 森だけど……どうしたの?」
言いながら、シンはシアンとネアを交互に見やった。
「自警団と、中堅冒険者以上に招集が掛かってますの。クナートの冒険者の店に名を登録している冒険者はよほどの事が無い限り強制参加ですわ」
こちらは全く息を切らせる様子も無く、僅かに乱れた髪を手で整えながら、にっこりと楽しそうに笑顔で言う。その言葉に、シンは苦笑して肩を竦めた。
「強制参加……って、また、それはすごいね。何があったの?」
「依頼要綱の写しですわ」
差し出された羊皮紙を受取り、眉一つ動かさずに目を通すシンを見て、シアンは「全然驚かねー?!」と目を剥いた。
あまりの突然の流れに、ソフィアはその場にポツンと取り残されていた。全く話しが見えない。かといって、ソフィアは中堅どころか
「あたし、1人で帰れるから。依頼? ……その、頑張ると、良いわ……」
「待って!」
「お待ちなさい!」
「待て!」
「え」
3者3様で同一の意味の単語を叫んだ。思わずソフィアはぽかんとした顔でその場に固まる。
「駄目。僕が
「は……え? どうして
「
「? え? ? どういう事……?」
「とにかく、ソフィアの身の安全を第一に考えると、
「だ、だから、何なの?」
声に出さないで読んで、とシンはネアから受取った羊皮紙をソフィアに差し出した。そこに書かれた文字に目を走らせると、そこには信じられないような文言が書かれていた。
――――エイクバの人身売買組織により、クナート伯の令嬢が拉致された。
他、街でも数人の若い女性が行方不明になっており、自警団で捜索中だが発見に至らず。
これにより、クナート伯より自警団、騎士団に、令嬢及び拐かされたと思われる女性達の救出、及び人身売買組織殲滅の命令が下った。
クナートの冒険者の宿に籍を置く中堅以上の冒険者は
各指揮官の指示に従い行動せよ。
「これ……」
黙読してから、呆然と呟く。羊皮紙をソフィアの手からシンがそっと取り戻し、そのままネアへ返した。
「ネアちゃん、僕もソフィアを
「分かりましたわ。シンさんの担当指揮官にはその様に報告しておきます」
「シンさん、俺も念のため付いて行きましょうか?」
シアンが手を上げてシンに声を掛けるが、その直後にネアが「野暮ですわよ」とボソリと言いつつ細く整った美しい指先でシアンの耳をつまみ上げた。そしてそのままシアンの耳を引っ張りながら、ソフィアとシンににっこりと笑顔で手を振った。
「ごゆっくり、と申し上げたいところですが、出来るだけ早めにお願いしますわね、シンさん」
「いでっ いでーでででっ ちょっ ネアさぁん? いだっ 耳が千切れ……っ」
「では、失礼しますわ! ホラ、シアンさん、しゃきっと歩いてくださいませ!」
颯爽と去っていくネア(と、引き摺られて行くシアン)をしばし見送った後、シンは真剣な顔でソフィアへ向き直った。
「お願いソフィア、僕の言う事を聞いて」
「え……」
シンの言い草に、子ども扱いされたのかと思わずむっとして彼を見やるが、思いの外シンは固い表情をしていた。その表情を見てしまうと、先ほどの言葉は“子ども扱い”などではなく“懇願”に近い様に感じた。
眉根を寄せてシンは重々しく口を開いた。
「以前、ネアちゃんと3人で行った
「……え、と……顔は思い出せないけど、囮になった時の事、よね?」
「囮どころか、ソフィアが本命だったわけだけどね」
口にしながら、思い出したのか更に苦い表情を浮かべたシンは、ソフィアの両肩に両手を置いて身を屈め、正面から彼女の水色の瞳を見詰めた。
「――あの時の男、僕達がクナートに戻ってからすぐに拘束を破って脱走しているんだ。もし、あの男がまたこの町に来たとしたら……ソフィアを見つけ出して連れ去ろうとするかもしれない」
「え、なぜ?」
シンの言わんとする事が分からず、ソフィアは困惑の声を上げた。
「ああいう手合いは、一度逃した獲物に固執する傾向がある。……現に、ソフィアはテアレムへ行く前に、クナートの町中で一度、あの男に会っている。覚えてない?」
「え?」
全く身に覚えの無い言葉に、ソフィアは困惑し、言葉を失った。
「町中の件は、シアンが顔を覚えていた。……少なくとも、あの男はソフィアに2度接触を図って両方失敗してるんだよ。組織の一員として、を抜きにしても、狙ってくる可能性は高い。だから、少しでも安全な
言葉の最後に、お願いだから、と続いた気がした。
シンの必死な様子と、ネアやシアンに対する実力がある者同志の信頼があるやり取りの落差を感じ、ソフィアは胸に苦い思いが込み上げた。――これではまるでお荷物だ。否、実際そうなのだろうが。
だが、ここでごねても、結局シンの手を煩わせるだけなのだと分かった。拒否したい気持ちを無理矢理ねじ伏せ、ソフィアは「分かったわよ」とぶっきらぼうに答えた。
その返答を聞くとシンは明らかに表情を和らげた。
「じゃあ、急ごう! ちょっとごめんね!」
言うが早いか、シンの両腕がソフィアの背中と膝の裏に差し込まれ、あっという間に抱き上げられた。
「ちょ、ちょっと!?」
「走るから、喋らないで! 舌噛むよ!」
「~~~~~~~っ」
ギリィ、と歯を食いしばりながら、ソフィアはシンに抱きかかえられたまま
抱きかかえられたまま目にした町は、まだ日が落ちる前にも関わらず
閑散とした町の様子を見て、ソフィアはシンの腕の中で小さく身震いをした。シンは前を向いて
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