第35話 アーレンビー家でお泊り会(ソフィアとアレク)

 アーレンビー家は周囲に人家は無いのだが、夜になると梟の鳴き声、時折吹く風の音、木々のさざめきが微かに聞こえ、無音ではない。それは以前逗留していた際に把握していたのだが、今日は同じ部屋に泊まると息巻いている“彼女”によって、賑やかな夜になる予感がしていた。


「まーまー、楽にしなって! あ、私の寝巻き、丁度良い……いや、ちっと袖長いか?」


 朗らかな笑顔で彼女――アレクがベッドメイクをしながら、着替えて来たソフィアを肩越しに振り返って声を掛けた。


「いえ……問題ない」


 言いながら、ソフィアは指先しか出ない借り物の寝巻きの袖を、何となく己の背中に回して視線を彷徨わせた。


「――何か、手伝う事……」

「ん? ああ、じゃあ、その辺のクッション、布で巻いといて。枕代わり」


 ソファにも敷き布を敷きながら、アレクは片手で部屋の隅に転がっているクッションを示した。小さく頷くと、ソフィアはそちらへ向かい、膝をついてクッションを2つ両腕に抱えた。その足でアレクが整えているソファの隣に重ねて置いてある布を手に取る。床に敷かれた絨毯の上に両膝を揃えてつくと、黙々と布を巻き始めた。

 その様子を見て、不意にアレクが小さく笑みを漏らした。


「?」


 訝しげに顔を上げると、思っていたよりも優しい眼差しでアレクがこちらを見ていた。


「いやさ、なんつーか、前しばらくここにソフィア泊まってたじゃん? でも、こうして一緒に泊まるのは初めてだなーって思ったら、なんか面白くて」

「? 面白い……?」


 ますます意味が分からず、ソフィアは首を傾げる。


「だってホラ、女子ってお泊り会とか女子会とか好きじゃん」

「……そうなの?」

「え、違うのか? 私があっちヴルズィアにいた時、冒険者仲間の女の子が、しょっちゅう女の子同士で集まって部屋でおしゃべりしてたって言ってたからさ」

「――あなたも?」

「いんや。私は男装してたから、さすがに誘われなかったぞ!」

「え」

「もちろん、キャロルにはバレてたけどね。最初から。でも、他の人達は結構みんな、男だって信じてたからさ」

「……」

「あ、その目! 信じてないだろ?」


 あはは、とアレクは明るく笑いながら立ち上がった。どうやら寝床の準備が整ったようだ。


「ソフィアはベッドで寝ろよ? 冷えて風邪ひいたら大変だからな」

「いえ、あたしはソファで十分……」

「いーからいーから!」

「で、でも」

「家主の言う事を聞く! ホラ、ベッドの方入れ! 暖炉の火、掻いてくるから」


 有無を言わせぬ様に早口でまくし立てると、アレクはさっさと暖炉の方へ向かってしまった。ソフィアはしばらく口をぱくぱくと動かしていたが、言い返す言葉が見付からず結局黙った。そのまま、不貞腐れた様に唇を小さく尖らせ、のろのろと宛がわれたベッドの淵に腰掛けた。

 髪留めを外して手櫛で髪を梳かしていると、アレクは背を向けて暖炉前で屈みこんだまま、楽しそうに弾んだ声音で話し掛けて来た。


「私さ、こーやって女の子同士で一緒に泊まるのって初めてなんだよねー」


 火掻き棒で暖炉の燃え残りの薪を崩し、灰を掻く。それから「でもさ、こういう時って、どういう話しすんだろ。なぁ?」と空色の瞳を斜め上に向けて考え込んだ。同じく初めてである上、どう考えても圧倒的にアレクよりコミュニケーション能力が低い(どころかゼロに近い)ソフィアは、苦々しく答えた。


「あたしに聞かれても、答えられないわよ……それ」

「だよなー……うーん、じゃあ、アレだ……恋話コイバナってヤツするか?!」

「あなた達の?」

「いや、ソフィアとシン?」

「無いから」


 髪を梳く手を止め、呆れ顔でソフィアは即答する。


「あの人は、同郷のあたしを放っておけないお人好しってだけ。他にちゃんと想い人もいるし」

「えっ まじか」

「あ、いえ、本人から聞いた訳じゃ無いけど、でも、そうだと思う」

「まじか」

「……」

「あ、いや、ビックリしてつい」


 目で抗議するソフィアに対し頭を掻きながら詫びると、アレクもソファで作った寝床へ腰掛けた。それから虚空へ向かって優しく声を掛ける。


光の精霊ウィル・オー・ウィスプ、少しの間、よろしく」


 すると、部屋の中に僅かに残っていた薄明かりがするすると一つにまとまり、光る球体に形をなした。それはそのまま上へふわりと浮き上がり、天井付近をふわふわと漂い始めた。部屋の中はその光りで柔らかい明るさに照らされた。

 浮かび上がる光の精霊ウィル・オー・ウィスプを見送った後、アレクは微妙な顔でチラリと扉の方向――恐らくその向こうにある、シンが泊まる部屋の方に目を向けた。


「うーん、なんっか、意外だな……あの絡み具合からすると、ソフィアにぞっこんというかべた惚れというか、そういうアレなんだと思ってた」

「や、やめてよね」


 思わず冷や汗を浮かべながら、ソフィアはたじたじを身を引いた。その様子に、アレクはきょとんと目を丸くする。


「やなの?」

「嫌……っていうか、本当に違うから」

「そう言われたのか?」

「言われるまでもないでしょ……」

「? そう??」


 心底不思議そうなアレクの眼差しを、避けるようにソフィアは窓の方へ視線を動かす。既に夜も更けており、鎧戸が閉まっている為に景色は何も見えない。


「あの人は、何というか……誰に対しても、手を差し伸べたり、気遣ったりする人なのよ」

「そうなのか?」

「ええ。だから、本当に誤解しないでちょうだい」


 言いながら、ソフィアは小さく息をいて俯いた。降ろした銀の髪がサラサラと膝の上に零れた。


「あたしは、あの人にとって孤児院の子どもと同列なんだから」

「うん? 孤児院?」

「シンの職場よ。町の南にある……」

「あ、聞いた事がある。あそこの院長って元凄腕ベテランの冒険者なんだろ?」


 ポンッとアレクが手を打って声を上げた。どうやら有名人らしいが、ソフィアはその知識が無かった為、顔を上げると「さぁ」とだけ答えた。


「シンは住み込みでそこに働いているそうよ」

「へぇ~……で?」

「? “で” って……?」

「ソフィアはどうなんだよ」


 ソファに腰掛け、膝の上に両肘を乗せて頬杖を付きながら、アレクが尋ねる。その表情は笑顔だったが、からかっている様子は全く無くどちらかというと眼差しは暖かいものだった。だが、ソフィアは何を問われたか分からない。困惑した様に眉を下げながら聞き返した。


「何が?」

「シンの方はさておき、ソフィアはシンをどう思ってるんだ?」

「どうって……」


 続く言葉を失い、言葉を切る。


 大恩があるのは間違いない。“頼んでなどいない”などといった不義理な事は言えない程、世話になっている。聖夜祭の翌日にパンケーキをご馳走したが、その後も結局なんだかんだとかなり面倒を掛けてしまっている。それに、今ここに泊まっているのだって、もしかしたら森をソフィア1人で歩かせないために気遣ったからなのかもしれない。

 ソフィアが彼に対して持っているのは、申し訳ないという後ろめたさと、そしてこれ以上は世話をかけない様にしなければならないという、苦い思いだった。


「別に、もういいじゃない」

「えー……せっかく2人なんだしさ。私も世の中の女子みたいにこういう話題してみたいっていうか」

「……」

「好きなんじゃないのか?」

「…………」


 非難の意を込めて、柳眉を顰めてソフィアはアレクを見やった。だが彼女は笑みを収めて真面目な顔でじっとこちらを見詰め返した。



「――善人、だとは思うわ」


 たっぷり数十秒ほど考えた後、根負けしてようやく出た回答がこれだった。


 ――そう。シンはだ。己の様な厄介者にも嫌な顔せずに付き合い、守ろうとしてくれる。それは彼が神官だからなのか、それなりに長く生きている同郷の先達だからなのか、人一倍世話焼きだからなのかは分からないが。


「だからこそ、出来るだけ早く、距離を置かなくちゃならないと思ってる」

「……そうなのか?」

「ええ」


 キッパリとソフィアは頷いた。


「これ以上近くにいても恩が増えるばかりで、あたしはあの人に何も返せない。それどころか、あの人の幸せを邪魔しかねない。それだけは絶対避けたいのよ」

「逆かもしれないぞ? ソフィアがいる事で、幸せに出来るかもしれないじゃないか」

「無理」

「? 何で?」

「無理なのよ」


 繰り返してから、ソフィアは言葉を飲み込んだ。


 “誰かを守る事”にこだわる……否、まるで執着しているかのようなシン。以前、“結婚したかった唯一の相手と結局は上手く行かなかった”と言っていたが、もしかしたら彼はその相手を守れず……その後悔故に、強い庇護欲を持ってしまうのかもしれない。


 シンは冒険者としての力量も人脈もあり、神殿にも繋がりを持っている。だからこそ、普通の相手であればよほどの事が無い限り、彼は守り切る事が出来るだろう。

 だが、ソフィアの場合は違う。――身体うつわ自体が虚弱で、根本的に造りが甘いのだ。アトリの知人の女医に“永くはもたない”と言われたが、その通り。そもそも自覚もある。常に冷え切っている手足の指先、にも関わらず、繰り返す高熱。不意に全身を襲う虚脱感。睡眠時間をたっぷりとっても拭えない倦怠感。日々暮らしているだけで、身体が限界を訴える事も少なくない。

 それは、シンがどうにかしようしても、どうにもならない事だった。司祭クラスの“神の力の遣い手”の力は“怪我”や“病”といった“本来の身体の状態ではない状態”――つまり“異常”を癒すものだ。ソフィアの様な生まれ持った、あるいは幼少期の生活から来る“素質”を癒せるものではない。

 それは既にシンに伝えたのだが、彼は何がなんでも諦めないと答えた。恐らくその言葉通り、彼の目に触れる場所にソフィアがいる限り、彼はソフィアを何とかして生かし守ろうとするだろう。そして、どうあがいても無駄に終わったとしたら、優しい彼はこんな自分相手でも心を酷く傷つかせ、己の無力さに絶望し、悲しみ、自分を責めるだろう。そんなのは御免被る。


 表情を隠すように俯きながら、抑揚の無い声でソフィアは言った。


「あたしが近くにいると、あの人はいつまで経っても自分の幸せを掴めない。だから近くにはいられない」

「ソフィア」


 思った以上に近い位置から声がして驚いて顔を上げると、目の前にアレクが立っていた。


「ソフィア、あんまり押さえ込むな」

「え……?」

「貴女の中の生命いのちの精霊が辛がってる」


 いつもは晴れ渡った夏の青空の様な彼女の瞳が、今は夜の海の様に濃い青が揺らめいている。彼女の言わんとする事が分からず、ソフィアは困惑した。


「……? いのち……なに?」

「生きていいんだよ、ソフィア」


 被せるように一言一言力を込めながら言い、アレクはソフィアの両肩に手を置いた。


「したい事していいし、言いたい事だって言えばいい。シンから離れたいってなら、それもいいさ。私とキャロルは貴女の味方だ。必要なら協力だってする。けどな、」


 言葉を切り、アレクはソフィアの水色の瞳を覗き込んだ。


「ソフィア。貴女はもっと欲を持っていい。寝坊するくらいゆっくり眠りたいって思え。メシだって、美味いモン食いたいって思え。ちゃんと、生きたいって思え」


 言いながら、アレクは肩に置いていた両腕をソフィアの身体に回し、ぎゅうっと強く抱き締めた。反射的にソフィアは身を固くする。構わず、アレクは言葉を続けた。


「貴女の内側の、生命いのちの精霊に掛けられたかせは、貴女にしか解けないんだよ」

「……?」

「分かるだろう? 貴女の中にある、温かい精霊もの


 抱き締めている温かい腕に困惑しているはずなのに、アレクの声は不思議なほどソフィアの心の奥深くまで沁み込んで来た。彼女の言葉に呼応する様に、ソフィアの胸の内に温もりが広がる。


「…………」

「これが生命いのちの精霊――生きているもの全てに宿る精霊だよ」

「全てに……?」

「ああ。――貴女の中にもずっと、貴女の生命いのちの精霊が息衝いきづいていたんだよ」


 精霊を見る能力は無いソフィアだったが、不思議と己の胸の内側にある温かさは輪郭を感じる事が出来た。自分の中にあって、自分ではない、温かく小さいもの。不思議な感覚にソフィアは思わず、そっと己の胸に手を充てた。

 とたんに、猛烈な睡魔がソフィアを襲った。


「…………っ?」

「っと、大丈夫か?」


 ぐらり、と身体が傾いたソフィアを、アレクが咄嗟に支える。ええ、と答えるつもりが、曖昧に頷くのみとなってしまった。その様子を見て、彼女は僅かに眉をしかめた。


「……ちっと、長話になっちまったな。せっかくの恋話コイバナチャンスだったけど、それはまた今度にしよう」

「……、……」

「ああ、分かってるって! 次は私の番な! 盛大に惚気てやるからカクゴしとけ! ホラ、横になれ」


 くったりとしたソフィアをベッドの中に放り込み掛け布団を掛けると、彼女はそのままあっけなく、意識を失うようにして眠ってしまった。その様子に、アレクの眉間の皺は深まる。



「……なんだ、これは……」


 アレクは成人した15歳から5年間、みっちりと冒険者としてヴルズィア中を駆け回っていた熟練ベテランだ。にも関わらず、感じた事の無い違和感に、思わず呟いた。

 ――おかしい。何かがおかしい。先ほどソフィアの生命いのちの精霊は、アレクの呼びかけとソフィアの心の動きに呼応したはずだ。それが今、既に元の様に小さく弱々しい状態に戻ってしまっている。やはりソフィアが無意識にセーブしてるのだろうか? それとも、何か別の要因があるのだろうか。


 固く瞼を閉じたままのソフィアの寝顔をしばらく見詰めた後、アレクは答えを出せずに小さくかぶりを振り、ソファでこしらえた寝床へと身体を横たえた。

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