第34話 虚像

 以前、ソフィアに「女たらし」と言われた際、シンは「今までに付き合った女性なんて両手の指で収まるくらい」で「真剣に結婚を考えた人は今までに1人しかいない」と答えた。



 ――だが、それは真っ赤な嘘だ。


 否、厳密に言えば、それはシンではなく彼の義兄の話しにあれこれと脚色したものだ。――まぁ、事実ではない以上、嘘は嘘なのだが。



 40年ほど前の事になるが、先妻をなくした後の義兄――ネイの落ち込みようは酷かった。


 だが落ち込んでいる中でも、ネイは生来温和で賢く、更に要領が良く、人を不快にさせることの無い人物だった。それどころか、種族を問わずに楽しませる事の出来る知識や話術も持っており、何より女性を大切にする紳士だった。

 だから、ヴルズィアで生きていた時も、半妖精ハーフエルフであるにも関わらず、“普通に”女性に人気があった。

 現在の妻であるエバも彼にぞっこんで、彼を追いかけるために冒険者になり、更に数年前に彼が先妻との思い出の残るヴルズィアを去ると決めた際には、思いが通じていない段階にも関わらずテイルラットへ彼を追いかけてやって来る程だった。

 その熱意にほだされて……なのか、悪い気はしなかったからなのか、はたまたそこから新たに愛情が生まれたのか……――それは当人同士でないと分からないのだが、その後彼らはテイルラットで婚姻し、今は夫婦で楽しく暮らしている。



 ――その義兄夫婦の馴れ初めはさておき。では何故シンはそんな嘘をついたのか。



 それは、義姉の影響が大きい。



 いつの頃だったか。あれはまだ、シン自身がテイルラットへ転移して間もない頃だから、恐らく4~5年前だろうか。既に冒険者として熟練ベテランの域に達していたシンは、テイルラットへ転移後、狭間の町クレンツァからのんびりと一人旅をしていた。

 その途中、義兄もヴルズィアからこちらに転移して来ており、更に結婚をしたと風の噂で聞いた。すぐに訪ねた先が、ここ、港町クナートだった。

 シンは2人を祝った後、この町の雰囲気が気に入り滞在する事にした。その後は、度々義兄夫婦の家に遊びに行き、この世界の情報交換や他愛のない話しなど、尽きることなく話をした。もちろん、彼ら夫婦の邪魔はしないように、出来る限り気を遣ってはいたが……シンはさほど他人に気を遣う事が得意ではない為、上手く出来ていたかは分からない。

 ただ、特に義兄とはお互い幼い頃からの付き合いなので、異世界での緊張した日々の中で色々気兼ねなく話しが出来るのはありがたかった。



 だがある日。丁度、義兄がいない時に訪ねてしまった日があった。さすがに義姉とはいえ女性一人の屋内に入る事は外聞が悪いであろうと、玄関先で辞そうとするシンを、“すぐに義兄は戻るから”と義姉に無邪気に引き止められ、断りきれずに家の中に通されてしまった。


 その際、



「ウソー!? シン君って、女の子とお付き合いした事無いのぉ?!」


 何の話題だったか、確か、「シン君は結婚しないの?」「もてそうなのに」など、他愛も無い話をされていた時だったか。問われて答えた言葉に、彼女は仰天したように声を上げ、次いで冗談か謙遜と受取ったのか、きゃらきゃらと明るい笑い声を上げた。


「ウソウソ、だってシン君、70歳越えてるもんおかしいよ! 浮いた噂ないなんて絶対ウソだよぉ」

「んー……でも、女の子見ても、付き合いたいな、とか、ずっと傍にいたいな、なんて思えなくて」

「えっ じゃあ、シン君、まさか、おと」

「いや、女の子が好きだよ? ちゃんとかわいいなぁ、って思うくらいはあるよ?」

「そぉゆー時、どうするのぉ? 見てるだけぇ? あ! もしかして、恋人は作らないけどたまに目と目が合った人と一夜の夢ロマンスみたいなのはあるのぉ?」

「いや、無いよ? そんな絵物語や吟遊詩人の詩じゃないんだから……そもそも、僕はそういうの、別にいいかなって思ってるし」

「えーっ なんでなんでーっ?! 意味分かんなぁい!」


 足をジタバタさせながら、幼い義姉は不満の声を上げた。実際、彼女の方がシンよりも年若い半妖精ハーフエルフなのだが。――確か、今年で20代半ばだったか。義兄が誕生日プレゼントに添える花はいつも、彼女の年齢の本数にしているから、彼が「今年は25本だな」と言っていたのを最近聞いたから間違いない。だが、それにしても幼い気がする……主に精神面が。

 義兄の話では、彼女は半妖精ハーフエルフにしては珍しく、両親にそれはもう深い愛情を注がれて育っており、自他共に愛し愛される事が普通と思っているふしがあるらしい。だからこそ、シンが誰かを愛さない事や、誰かから愛されない事が信じられないのかもしれない。……それとも、単に恋愛に当てはめて話をするのが好きなだけなのかもしれないが。


 ――そんな事をシンがぼんやりと考えている間も、義姉は追撃の手を緩めない。


「手を繋ぎたいなーっとか、触りたいなーとか、ちゅーしたいなぁーとかっ ないのぉ?」

「……それ、付き合ってないのにやったら、犯罪だよ? 特に最後」


 思わず苦笑しながら答えると、そんなことないよぉ! と声を上げる。


「思うのは自由だもんっ それに、ぜぇったい、期待してる子だっているってばぁーっ」

「いや、うーん、……そういうのはちょっと分からないかな」


 義姉は薔薇色の話題をどうしても進めたいらしい。何を言っても話しがかみ合わず、少し面倒臭い上、会話を切り上げるタイミングが掴めず、辟易してシンが眉を下げたその時、


「こらこら、あんまり困らせるなよ、エバ」


 苦笑を滲ませた低い声がかかった。いつの間にか帰宅した義兄のネイが部屋のドアを開けて入ってきたのだ。彼はシンよりやや小柄の背丈で、赤茶色の弱いクセ毛は肩下ほどの長さで、髪紐で後ろで結っている優男風の男性だ。


「あっ ネイーっ おっかえりなさぁい!」

「ただいま」


 駆け寄ってきた若妻に軽く唇に触れるだけのキスを交わしてから、ネイはシンに目を向けた。


「シン、エバに捕まってたな」

「あはは……」

「むぅ~ だってぇ シン君、今まで女の子見ても興味持ったことないって言うんだもん」

「おかしいかな」


 エバがネイへ不満を漏らし、シンもネイへ答えを求める。するとネイは苦笑して肩を竦め、シンに対して答えた。


「分からん。俺はお前と大して年が変わらないが、結婚は2度目だし、今まではそれなりに恋人がいたからなぁ」

「そういうものなのかな……」


 前妻を失くした時の、彼の気も狂わんばかりの様子を知るシンは、問うわけでもなく呟く。


「んー、後は、一度人肌を覚えてしまうと、隣に誰もいない夜は寒くてな」


 苦笑しながらネイは頭を掻く。


「前の妻はもちろん忘れられないが、今はエバを愛している。こういうのは、理屈じゃないからな。ただ、俺はこうだが、お前シンは俺とは違っていてもいいと思うぞ」

「えへへぇ エバもネイ、だぁいすき! ちゅっ」

「おっと、こらこら、ははは」


 唐突に目の前で始まった茶番に、思わずシンは遠くを見る。――完全に退席するタイミングを逃した。今までもたまにあったが、タイミングを図るのは非常に難しい。思わず盛大なため息を吐き出しそうになり、何とか飲み込む。少なくとも、テイルラットという異世界でヴルズィア出身の知り合いがこの2人しかいないシンは、彼らの家で話しが出来る事はありがたい事だった。それに、情報交換という意味でも今後も必要だ。だから、見慣れた景色の一部として見ておけば良い。少なくとも、義兄夫婦が幸せなのは間違いないし、良いことだ。……見ていてやや胸焼けがするのだが。それはまぁ、慣れるしかない。


 しばらく窓の外でも眺めて現実逃避をしようかと考えてから、シンはふと思った。


 ――義姉エバが言うには、自分の年で女性経験が無いのはおかしいのだと言う。彼女は極端なのかもしれないが、だが、確かに今まで女性に何も興味を持てない自分はおかしいのかもしれない。

 それでも、迫害されて育った半妖精ハーフエルフにしては、一応はマシなレベルにまでは来ているとは思うのだが。だとしても、同様に育ったネイは今、目の前で再婚した妻と薔薇色の世界を築いているのだから、それは理由にならないのかもしれない。

 そう考えると、もしまた今日の義姉のように、こういう話題を口にしなくてはならなくなった時、“世間一般から見ておかしくない人物”としての回答を、今から何か良い方便を考えておいた方が良いのかもしれない。そうすれば、咄嗟とっさの時にも迷わず口に出せるはずだ。


 ならば。


 目の前に良いお手本がいる。――――義兄ネイだ。彼の女性遍歴ならば、義姉もおかしいとは思っていない。つまり、少なくとも義姉に対する“模範解答”は彼だ。

 だとしたら、ある程度情報を引用して、シンなりの“恋愛関係の問いに対する模範解答”を作り上げておくのはどうだろう。誰かに問われた際に答えても、少なくとも正直にそのまま口にするよりは、“おかしい”と思われないのではなかろうか。


 齢70を越えた男で、それなりに女性と付き合っていた、と考えると人数は……ネイは結構もてていたが自分だと、……10人くらいが妥当か。少し多いかもしれないが、曖昧にそのくらい、という感じで。

 それから、先妻を失って以降妻を取っていない――――これは、妻帯した事がないから、突っ込まれてしまうと答えに詰まるかもしれない。そして何より、神官の自分が婚姻について偽りを口にする事は避けたい。だから、“したいと思った人”くらいで良いだろう。



 そして、ここから



 今までに付き合った女性なんて両手の指で収まる程度


 だけど、


 真剣に結婚を考えた人は今までに1人しかいない



 ――うん、我ながらリアリティ溢れる人物像だ。これなら、誰が聞いてもしっくり来るだろうし、あれこれと詮索せんさくされる面倒も無さそうだ、とシンは己の考え出した模範解答に大いに満足した。



 この日から、シンは事あるごとにこの言葉を“自分自身の事”として口にして来た。彼が考えた通り、聞いた人々はその言葉を信じて疑わず、好意的に受取ってくれた。

 “結婚を考えた恋人との別れ”という点も、現在恋人がいない事に対する解となり、誰も彼もが納得した。シアンなどは「あー、まぁ、気長に次っすね!」と不器用ながらも本気で励ましてくれたくらいだ。


 そして、徐々にこの言葉は違和感なく口に出せる程、しっかりとシンの舌に馴染んでいくのだった。



* * * * * * * * * * * * * * *



 ――――今にして考えると、小賢しい考えだったなぁ、とシンはキッチンでお茶の準備にいそしむソフィアの後姿を眺めながらぼんやりと思った。


 そこへ、明るい声が背後から掛かる。


「お待たせ!」


 少しだけビックリして振り返ると、先ほどのアレクが踏ん反り返って立っていた。そして、その後ろには、深い藤色のガウンコートを着た非常に眉目秀麗な妖精エルフが微笑を浮かべていた。……何故か後頭部を片手でさすってはいるが。

 彼はシンに視線を合わせると笑みを深めてから一礼した。


「お初にお目にかかります。私はキャロル・アーレンビー。彼女の夫です」

「えっ……あ、失礼」


 一瞬固まった後、シンは慌てて立ち上がり、アーレンビー夫婦へ向き直ると丁寧に礼をとった。


「僕はシェルナン・ヴォルフォードと申します。智慧神ティラーダへ仕える神官戦士です。シンとお呼び下さい」

「シンさんですね。どうぞおかけください」


 促され、礼を言って椅子に腰を降ろす。キャロルはアレクに椅子を引いてエスコートし、彼女が座ったのを確認すると自身も座した。それからひっそりと微笑した。


「私が妖精エルフで驚かれている様ですね」

「ソフィアからは、“アレクは結婚している”としか聞いていなかったもので」


 顔に出ていただろうか、と内心焦りつつ極力表情に出さない様に微笑んでみせた。だが、キャロルには筒抜けの様子で、彼は笑みを返しながらほんの僅かに首を傾げた。それを見て、シンは表情を改めて、苦笑を浮かべた。


「――すみません……驚いてしまいました」

「ふふ、構いませんよ。“テイルラットでは珍しい”人間と妖精エルフの夫婦ですからね」

「!」


 今度こそ、取り繕うのを忘れてシンは目を見開いてキャロルを見た。


「そ、れは……」

「ええ。私も彼女も、ヴルズィアの者ですよ」


 “私も彼女も”と彼は言った。その事に、更にシンは目をみはった。たった数言の会話だけで、このキャロルという妖精エルフは、シンがヴルズィア出身と見抜き、且つ自らも同郷である情報を伝えてきたのだ。動揺を隠すように微笑を浮かべたまま、シンは小首を傾げた。


「移住されたんですか?」

「ええ。彼女と婚姻を結ぶ際に」


 にこやかにキャロルは答え、隣のアレクに視線を傾ける。目を合わせたアレクは彼に笑みを返す。甘さだけではない、信頼関係の様な深い絆が、このやりとりだけで分かる気がした。そして悪意が無い事も。

 シンの心の機微に気付いていてもおかしくないはずだが、特に何も触れず、キャロルはゆったりとした微笑を浮かべて説明を続けた。


「私達が子をすと、半妖精ハーフエルフの可能性が高いですからね。私達は家族を愛せる自信がありますが、それでも私達の子どもいわれなき中傷を受けるのは本意ではありませんので」

「既に複数形かよ!?」


 アレクが突っ込む。キャロルは平然と、甘やかな微笑を浮かべて愛妻を見詰めた。


「私はそのつもりですよ?」

「っつーか、来客時にする話しじゃねぇだろバカ!」


 顔を少し赤くしながらも、アレクはキャロルの腹を肘で軽く小突く。その様子に、思わずシンは笑ってしまった。そこへ、ソフィアがティーセットを乗せたワゴンを押しながら部屋に戻ってきた。


「あ、僕も手伝うよ!」

「平気。後は注ぐだけだから」


 椅子から立ち上がろうとするシンを制して、ソフィアは小さく首を横に振った。言葉の通り、ソフィアの押してきたワゴンの上には、準備が殆ど完了しているティーセットがあった。そこから手際よく4つのカップへ紅花茶サフラワーティを注ぐと、独特の香りが部屋の中に広がった。


「おっ そのお茶にしたんだ。私好きなんだよね~ 色が綺麗だから!」

「味じゃないんだ」


 アレクの言葉に、シンが思わずクスリと笑みをこぼす。当然、とばかりにアレクは頷く。


「味、あんましないんだよね。だから、私は断然蜂蜜入れる派!」

「私はこのままでも好きですけどね」

「お前は飲めれば何でも良いじゃん」

「何でもって訳では」


 ポンポンと交わされる会話の応酬に、シンは目を丸くする。だが、ソフィアは慣れているのか、特に突っ込みもせずにそれぞれの前にお茶を供した。


「あまり上手に出来てないかもしれないけど、どうぞ」


 そっけなくソフィアがシンにお茶を勧める。その言葉に、アレクが「謙遜すんなって!」と茶々を入れた。


「キャロルなんか、ソフィアの入れるお茶気に入っちゃって、貴女が帰った後お茶飲む時に寂しがって大変だったんだよ! なぁ?」

「寂しいのは確かですが、お茶というより優秀な助手がいなくなってしまったからですね」

「ああ、そっちもあったか」


 シンが「助手?」と首をかしげると、アレクはソフィアがこの家に滞在していた時に、キャロルの仕事の手伝いもしていた事を明かした。


「共通語の読み書きは問題なく出来ていましたし、古代語の飲み込みも早かったですね。仕事は真面目で丁寧でしたし、一度聞いた事は二度聞く事が無く、先の事を考えて動いてくれましたから……」

「どうせ私はザルだよ」


 わざとらしく口を尖らせてアレクが言うと、キャロルは「サンディはそれが味だから良いんです」とよく分からないフォローをした。それから、


「ソフィアさんは私にとって、助手として得がたい人材だったのですよ」


 と深い微笑を浮かべる。褒められなれていないのか、ソフィアは「そ、そう」ともごもごと言いながら、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。


「へぇ……すごいな。ソフィア、古代語まで読めるようになったの?」


 目を丸くしてシンが彼女の顔を覗き込む。


「よ、めない。ただ、単語のいくつかは形で覚えられるし……同じものが出てきたら分かるでしょう?」

「えっ いや、僕はあんまり……苦手かな。勉強……」

「同志よ!!!」


 勢い良くアレクが立ち上がり、シンに握手を求める。その迫力に驚いて、シンの方も思わず手を出してしまい、テーブルを挟んで2人は握手を交わした。完全にアレクのペースに巻き込まれ、やや混乱しながらもシンは別の話題を口にした。


「? え、えーと……あ、そうだ。そういえば、さっきキャロルさんが仰っていた、“サンディ”って、アレクの事?」

「うん。アレクサンドラって名前だから。でも、冒険者時代は、アレクって名前でずっと過ごしてたから、みんなにはそう呼んでもらってる」

「アレクって男の人の名前だよね」

「うん。私の双子の弟の愛称なんだ。子どもの頃に死んじゃったけどね」


 思わず、シンと――そしてソフィアも「えっ」と驚きの声を漏らした。ソフィアも、彼女が元冒険者とは聞いていたが、“アレク”という名乗りが亡くなった弟のものとは初耳だった。

 聞いてはいけない話題だったのでは、といった微妙な空気がシンとソフィアの間に流れるが、気にした様子も無くアレクはカラリと明るく笑って言葉を続けた。


「だから、私は弟のなりたかった冒険者に、弟の愛称でなった訳なんだけどね! キャロルだけはどうしても“サンディ”って呼ばせろってうるさくて!」

「当然です。私にとっての貴女は“冒険者としてのアレク”ではなく“愛する女性としてのサンディ”ですからね」


 臆面無く惚気じみた言葉を述べるキャロルだが、その表情は至極真面目なものだった。きっとこの言葉は本心からのもので、彼自身、彼女だけを愛すると言う確固たる意志があるのだろう。

 こういう人もいるものなのか、とシンは内心で衝撃を受けた。チラリとソフィアを見ると、彼女は顔を少し赤くして視線を彷徨わせている。相変わらずこういう話題は苦手のようだ。


「おいキャロル! ソフィアが困ってるだろ。やめろ」

「ふふ、分かりました」


 おどけた様にアレクが言い、キャロルはクスリと笑ってウィンクを返す。打てば響くような受け答えだった。羨ましいな、とシンは素直に思った。


「ところで……訪ねて来てくれたのは嬉しいけど、何かあったの?」


 ふと、アレクが小首を傾げる。そこで、ようやくソフィアは当初の目的を思い出したのか、慌てて椅子から立ち上がった。それに合わせてシンがソフィアの手に荷物を手渡す。


「こ、の前……と、その、前。あの……色々、お世話になった、から……あの、これ、お礼。あと、借りてたワンピース……」


 ぎこちない動きで背負い袋から綺麗な模様のついた羊皮紙の束と、濃紺色のワンピースを取り出す。それから、持って来ていた缶入りのビスケットもテーブルの上に置く。


「……ありがとう……ござ、いました」


 言葉はたどたどしいものだったが、丁寧にお辞儀する。最初は目を丸くしていたアレクだったが、すぐに表情を和らげ、続けてふわりと笑顔になる。


「ん、どーいたしまして! ありがとな、ご馳走さん!」


 頭を下げているソフィアの元へ歩み寄り、アレクはぽんぽんとソフィアの頭に手を伸ばした。ソフィアは一瞬身を強張らせたが避けようとはせず、そのままアレクの手はソフィアの頭を優しく数回、ぽんぽん、と撫でた。それからお土産の羊皮紙とお菓子の缶を見て、「すげぇ!」と目を輝かせて喜んだ。

 その様子をシンは温かい眼差しで、そしてキャロルは少し考え込んで見詰めていた。


「……ソフィアさん」


 呼ばれてソフィアは顔を上げてキャロルを見た。きょとんとしてアレクも、そしてシンも彼の方を見る。


「もしご予定が空いていましたら、今日は我が家に泊まって行かれませんか? もちろん、シンさんもご都合が合えば」

「えっ」


 思い掛けない言葉に、ソフィアは困惑した様に声を上げる。


「サンディも貴女が来てくれて喜んでいますし、久しぶりに貴女の料理も頂きたいですからね」

「うん! 喜んでるぞ! それに、せっかくだから今日は私と一緒に寝よう!」

「えっ」


 またお泊り会?! と出そうになった声を、慌ててソフィアは飲み込んだ。それから、そういえば、シンの話しも今日するって言われていた、と思い出し、チラリとシンを見る。

 すると、シンはにっこりと微笑んで小さく頷き、予想外の一言を言い放った。


「僕もソフィアの料理食べたい」

「はぁ?!」


 彼の言葉に呆気に取られたソフィアだったが、更にアレクとキャロルがシンをけしかける。


「なんだ、シンは食べた事ないのか?! 美味いぞ!」

「はい、美味しいですよ。――あぁ、もちろん私はサンディの料理が一番ですが、その次には間違いなく」


 案の定、乗せられたシンが手を上げて宣言した。


「僕も泊まらせて!」

「ちょ、ちょっと……」

「おっし! 決まりだな!」


 仰天するソフィアの言葉を遮り、アレクがポンッと両手を打ち合わせて満面の笑顔で2人を見た。続けてキャロルが嬉しそうに微笑すると、早速、とばかりにソフィアの方を向く。


「では、せっかくですからソフィアさん、少しだけ私の助手に復帰して頂けますか? 学院からの書類が溜まっていまして」

「あ、重いものがあるなら、僕も手伝うよ」

「それは助かります。蔵書が棚に入らなくて、床に積みあがってまして」


 シンを見て、悪戯っぽくキャロルが微笑む。そしてアレクは楽しそうにニカッと笑った。どうやら、アーレンビー夫婦はシンが手伝いを申し出るのは予想済みだったようだ。ソフィアは気付かなかったが、シンはすぐに気付き、そして自分が残り辛く無い様に配慮して取られた行動なのだろうと察して、内心で感謝したのだった。

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