第27話 目に見えないもの

「もう少し、ソフィアと一緒にいたい」



 真摯な眼差しで静かに言うシンに気圧され、ソフィアは頷く事しか出来なかった。

 普段と異なるシンの様子に、何の意図か、と身構えていたにも関わらず、手を引いて連れて行かれた先にあったのは、港町クナートの主要な建物の数々だった。


 港町クナートは、町の中央に十字に大通りがあり、大まかな区画を分けている。中央には商業区。そこから南へ向かうと宿場区になっており、そこに春告鳥フォルタナの翼亭もある。そこから更に南へ行くと豊穣神エルテナ神殿、共同墓地、畑、森、そして郊外へと繋がっている。エルテナ神殿の近辺には孤児院があり、町外れ寄りに貧民区が広がる。

 逆に、北区は戦神ケルノスの神殿を中心に戦士、騎士の宿舎、そしてこの町の海に面する入り口、港がある。切り立った崖の上には灯台があり、毎日夕方から翌朝に掛けて賢者の学院の見習い魔法使い達が交代で灯かりをともしにやって来るのだそうだ。

 東は所謂貴族区だ。見事な庭園を持つ大きな屋敷がいくつもあり、騎士団が定期的に見回りを行っている。高台の上に至高神アウラス神殿があり、更に奥にクナートのある地域の領主の邸宅がある。

 西区へは大きな川に掛かる橋を渡って行く。賢者の学院と、その周辺に賢者や学者の宿舎。智慧神ティラーダの神殿がある。また、町の外へと続く大橋がある。


 ソフィアの手を引きながら、シンは一つ一つ、丁寧に案内をしてくれた。最初こそ「なぜ急に町の案内?」と首をひねっていたソフィアだったが、よくよく考えてみると、南区以外は殆ど立ち入った事が無かった事に気付いた。特に、貴族が多い東区や、学者の多い西区など、用もないのに立ち入る様な雰囲気の場所ではなかった。

 だが、よく考えてみれば、今後何かの仕事で行き来する可能性もある訳で、今日シンから案内をしてもらえたことは非常にソフィアにとって有益だった。足が疲れて棒の様になり、人ごみ……もとい、人の視線に酔って吐き気はあったが、それでも途中からは「この機会を逃したら次に誰かに案内してもらえる事がある? いいえ、ないわ!」と半ば強引に己を奮い立たせ、懸命に地理や建物を記憶する事に注力した。



* * * * * * * * * * * * * * *



「引っ張りまわしてごめんね。疲れたでしょ」


 港近くのベンチに座り、気遣わしげにシンが声を掛けた頃には、日は傾きかけて辺りは茜色に染まっていた。「平気よ」と強がりを言っては見たものの、声に力は入らない。足が痛く、軽く目も回っている。だが、それを気取られたくはない為、ソフィアは不機嫌そうに顔を逸らした。


「今日はもう十分一緒にいたし、後はもう、お開きにしましょ。ここで解散で良いわよね?」

「あ、ちょっと待って。すぐに戻るから!」

「え」


 早く切り上げたいソフィアの言葉をひらりと避けて、シンはベンチから立ち上がる。「ここから動かないでね」と念を押し、ソフィアが反論する前に身を翻して駆けて行った。


「ちょっと、シン……――何なの」


 ベンチの上でシンの駆けて行く方向を見ると、いくつかの露店の灯かりが見えた。その内の一つに彼は駆け込むと、何やら注文し、両手に何かを持って戻ってきた。


「はい、手を出して」

「?」


 言われるがままに手を出すと、温かい小さなカップが手渡された。中には湯気の立つ葡萄色の液体が入っていた。ふわりと果実の良い香りが鼻腔をくすぐる。軽くポマンダーを思い出すが、いい香りだ。手渡されるがままに受取ってしまったソフィアだったが、すぐに戸惑いの声を上げる。


「え……ちょ、っと、何よ」

温果実酒グロッグだよ。果実酒に干した果物やスパイスが入ってるんだ。火を入れてるからお酒の成分は飛んでるはずだよ」

「……べ、別にお酒くらい飲めるけどっ っていうか、そうじゃなくて! 何で急にその……グロ……? っていうのを買ってくるのよ」

「だって、たくさん歩いて身体冷えたでしょ? 最後にもう一ヶ所付き合って欲しい場所があるから、ひと休みしてもらおうと思って」

「はぁ!? まだあるの?!」


 満面の笑みで説明するシンに、思わずソフィアは仰天して突っ込んだ。それから思い切り渋面を作って苦言を呈した。


「ねぇ、もうすぐ日が暮れるわ? さすがにあなたもそろそろ孤児院に帰った方が良いと思う。身体が冷えたなら尚更……」

「僕じゃなくて、ソフィアの話し」


 言いながら、シンの手がソフィアの空いている方の手を握る。ぎょっとして手を引こうとするも、握る手に力が込められてしまい、解く事が出来なかった。


「指先、すごく冷たい。……ショールじゃなくて手袋の方が良かったかな」


 呟くようなシンの言葉が、何だか悲しみがこもっているようで、ソフィアは眉をひそめた。もし仮にそうだとして、何故シンが悲しむ必要があるのか、ソフィアには理解できない。だが、握った手からシンの言葉にならない思いが伝わってくるようで、ソフィアは「いつもの事だから」とだけぼそりと答えた。そのまま取り繕うかのように温果実酒グロッグを少し飲む。――が、想像以上に強い果物の香りと酸味、甘味が口の中から鼻腔にまで広がり、むせそうになった。慌ててシンが握っていた手を解きソフィアの背中をさする。


「! 熱かった? 大丈夫?」

「違う。……っていうか、過保護過ぎ……あなたって、孤児院の子どもにもそんな感じなの?」

「え? うーん……そうでもないよ」

「…………なら、もうちょっと、気をつけた方が良いわよ」


 思わずジト目で忠告するが、どこ吹く風といった態でシンは笑いながら温果実酒グロッグを飲み始めた。


「んー、美味しい。でも、ここの露店は少しスパイスが強いかな」

「? そうなの」

「うん。お店によって全然味が違うよ。夏はあまり売られていないけど、冬は色々な露店が出ているから、飲み比べとか出来ちゃうんだよね」

「へぇ……」

「2人でなら、1つずつ別のお店のを買って、って出来るね」

「ああ、そうね。それだと出費も抑えられるから良さそうね。今度はそうしたら良いわ」

「うん、そうしようね」

「…………あたしはそこには頷かないわよ?」

「えー」

「そういう周囲に誤解を振りまくような事を言わないで、って何回も言ってるわよね、あたし。それともなに? あなたにとってそれは普通なの?」


 ジト目で“女たらし”という疑念――より確信に近い視線をシンに投げかけると、「心外だなぁ」とシンは口を尖らせた。


「僕、ソフィアが思ってるほど女たらしじゃないよ。僕が今までに付き合った女性なんて両手の指で収まるくらいだし、真剣に結婚を考えた人は今までに1人しかいないもの。ね? すごく一途でしょ?」

「……いや、10人近く付き合ったっていうだけで十分すごいと思うけど」


 堂々と、且つあっけらかんと笑いながら言うシンに対し、ソフィアはやや引き攣った顔で身を引きながら、頭痛をこらえるかの様に片手を頭に当てて小さくうなった。ソフィアなど、まともに人と会話した事すら最近の事で、恋人など生きているうちに出来る気がしない。


「――――いえ、えー……まぁ、70歳過ぎてて、なら……少ないの? かしらね」

「そうだよ。少ない方だよ。結婚だって、結局出来なかったもの。僕、ずっと独身だし」


 にこり、と微笑しながら、まるで他人事のように自分の事を話すシンを見て、ソフィアの脳裏に、いつか彼が言っていた言葉が蘇った。



 ――――「でも僕は……無理かな。――もし愛する人を看取ったとしたら、立ち直れる気がしない」



 西区へ続く大橋のたもとの川べりで、シンが言ったあの言葉。もしかしたら、それが彼の言う「真剣に結婚を考えた人」なのかもしれない。義理の兄の話しは別として、シンも彼の義兄同様、もしかしたら人間の女性に恋をし、真剣に結婚を考え、先に彼女が亡くなってしまったか、または同じ時を生きる事が出来ない事に悲観し、――上手く行かずに終わってしまったのかもしれない。



(でも、昔からこのノリだったとしたら、相手の女の人に浮気を疑われた可能性も無きにしも非ず、よね)


 気まずそうに温果実酒グロッグをちびりと飲みながら、シンの横顔を盗み見る。すると丁度シンもソフィアへ視線を向けた様で、カチリと目が合う。嬉しそうにシンは笑顔になるが、ソフィアは何となく呆れ顔で小さく息を吐いた。


「? どうかした?」

「いいえ、なんでも」


 ソフィアが小さなカップに入った温果実酒グロッグを飲み終えるのを見て、シンも残りを飲み干し、カップを2人分持って露店へ返却に行く。戻って来がてら「よし、じゃあ行こう!」とソフィアに声を掛けた。訝しげに小首を傾げると、彼はにっこりと満面の笑みを浮かべた。


「僕のとっておきの場所に案内したいんだ」



* * * * * * * * * * * * * * *



 シンが連れて来たのは、港のすぐ近くに立つ灯台の上だった。本来灯台の入り口は施錠され中に入れないはずだが、扉の蝶番の1つが錆びて外れており、力を入れて押すと人一人が通れる程度の隙間が空くのだと教えてくれた。「内緒だけどね」と笑いながら、シンは灯台の中にソフィアを促す。


 灯台の中は螺旋状の階段になっており、真上には灯かりを点す台と、薄い灰紺色の空が見える。日が翳り始めている時間帯では足元が覚束なく、ソフィアは壁に両手を付け、慎重に階段を登る。シンはソフィアが足を滑らせても受け止められるように気を配りながら、後ろからついて来る。

 しばらく階段を登ると、外へ繋がる扉が見えた。こちらには施錠はされておらず、ドアノブを回すと軋みながらゆっくりと外へ開いた。


「――――っ!」


 突然、びゅう、と強い寒風が吹きつけ、ソフィアは足を取られて後ろに身体が傾いた。が、彼女の背後に待機していたシンが抱き止める。轟々ごうごうと耳元で風が音を立て、ソフィアはシンの腕を振り払うのも忘れて両目をきつく閉じて身を固くした。彼女を抱き止めたまま、シンが後ろ手で入ってきた扉を閉めると、少し吹き付ける風がやわらいだ。


「ソフィア、大丈夫?」


 両腕で壊れ物の様に優しく包みながら、シンが囁くように声を掛ける。ハッとして慌てて身を離すと、ソフィアは不機嫌そうに顔をしかめた。


「へ、平気。急に風が吹いて、驚いただけ。で、なに? ここがあなたの“お気に入りの場所”なの?」


 固い声でまくし立てるが、気にした風でもなくシンはにこりと微笑んだ。


「うん。ここ……というか、あ、ほら、こっち!」


 手を引こうと、シンがソフィアに手を伸ばすが、慌ててソフィアは両手を背中に回して彼の手から遠ざけた。


「いちいち、そういうの、いいってば!」

「えー、残念」


 クスクスと笑いながらも、シンは先導して灯台の外通路を歩き始める。転落防止の手摺りに片手を置き、ソフィアの方へ振り返って微笑した。



「見て、ソフィア」


 促された先に目をやると、海に日が沈んでいくのが見えた。


「……?」


 訝しげに夕陽を、そしてシンの顔を交互に見る。シンは沈み行く夕陽をいとおし気に目を細めて見詰めて黙っている。声を掛けるのがはばかられた為、ソフィアも躊躇ったのち、シンの隣に並ぶと視線を夕陽に向け、海に沈んでいくのを見守った。



 時間にしたらあっという間に、日は海に沈み終えた。


「えーと……沈み終わったみたいね」


 シンの意図が分からず、疑問符を頭上に浮かべながら、ポツリとソフィアが言うと、シンはにこにこと嬉しそうに頷いた。


「うん! すっごく綺麗だったね! あっ ほらほら、次はこっち見てごらん!」

「え、いえ、早く帰らないと、すぐに暗くなるから」

「大丈夫! 帰りは僕が送るから! ほら、こっちこっち!」

「ちょっと!」


 ソフィアが止めても聞く耳を持たず、シンはさっさと灯台の灯かりを挟んで逆方向へ通路を歩き出す。慌ててソフィアが後を追うと、先ほどの海側とは逆――町側に面した手摺りにシンは片手を置いて振り返った。


「ソフィア」


 嬉しさを隠し切れない表情で、シンは手招きをする。ますます意味が分からなくなりながらも、ソフィアは黙って彼の隣まで歩み寄った。


「見て。ゆっくり町に灯かりがともってく。――僕、ここからこの景色を見ると、何だか、見てるだけで心があったかくなるんだ」


 普段よりもやや低い、柔らかなテノール。困惑気味に見上げると、シンは町の灯かりを見詰めたまま心底幸せそうな顔をしていた。


「あの灯かり一つ一つに色んな人がいて、家族がいて、幸せな事も悲しい事も、全部一緒になって、町全体が一つの星空みたいで……僕、ここから町の灯かりを眺めるのが、大好きなんだ」


 独り言の様に言ってから、シンは顔を上げてソフィアに向き直る。


「今日のお礼に、……だけじゃなくて。僕の好きな景色、ソフィアにも見せたかったんだ」


 じっとソフィアを見詰めたまま、静かに言う。どう反応して良いか分からず、ソフィアは視線を彷徨わせ、シンの示した町の灯かりを見やり、そして目を伏せた。じくり、と胸の奥が痛む。なぜ、と自問してすぐに気付く。



(……ああ、そうか)


 そっと目を閉じ、ソフィアは手摺りに両手を置いて俯いた。



「あなたには……この景色は、そんな風に見えるのね」


 ぽつりと呟いたソフィアの言葉に、シンはきょとんと目を丸くする。


「ソフィア?」

「……あたしには、……」


 ただの、灯かり。町に誰かが点したもの。温かみのなど感じない、無機質なもの。


「……こうして、同じ場所に立って、同じ景色を見て、……何だか、ようやく分かった気がする」


 瞼を開き、真っ直ぐに町の灯かりを見詰める。


「あたしとあなたは、違う世界に生きてるんだわ」

「! ソフィア、僕は……」


 小さな声で、だがハッキリと言い切るソフィアに、シンが異論を唱えかける。


「いえ、違うわね」


 シンの言葉を遮る様に、自身の言葉を否定する様に、ポツリと呟く。そして、ソフィアは町の灯かりから目を逸らさずに、静かに言葉を紡ぎ出す。


「みんな……近かったり、遠かったり。重なり合ったりへだたったり。――あたし達だけじゃなくて、それぞれみんな、1つ1つ違う世界があって、……その、個々の世界が、生きている人の分だけあるんだわ」


 シンの“お気に入り”の場所を案内してもらっても、ソフィアの目には何も映らなかった。海に沈む夕陽はただ日が落ちる先が海かそうでないかの違いで、町の灯かりはただの“灯かり”でしかない。シンの世界ではきっと、海に沈む太陽は息を飲むほど美しく、町にともっていく灯かりは心に温もりを与えてくれるのだろう。



(“あたしの世界”からは、遠く離れた“見えない世界”……)


 これが正に、“異世界”と呼ぶべきものなのかもしれない。



 手摺りに両手を置いたまま、ソフィアは俯いて唇を噛んだ。こうして同じ景色を同じ場所で見る事で、シンと自分は同じ景色が見えていないという事を目の当たりにした気がして、やるせない気持ちが込み上げて来る。

 ――と、不意にソフィアの両肩を大きな手が優しく覆った。


「ソフィア」

「!」


 ぎょっとして顔を上げると、笑みを消して真っ直ぐにこちらを見るシンの顔がすぐ近くにあった。両肩に手を置き、身を屈ませてソフィアの瞳を覗き込んでいる。


「僕、馬鹿だからあんまり難しい事はよく分からないけど、確かに、ソフィアの言う通り、みんなそれぞれ違う世界に生きてるのかもしれない。僕とソフィアもそうかもしれない。――でも、遠くなんかない。僕の手はちゃんと、君に届くもの」


 緑碧玉の色の瞳が、町の灯かりを映して宝石の様に揺らめいていた。


「もし仮に、君と僕の世界の距離が遠くなったとしても……僕は追いかけて、何度だって手を伸ばすよ。僕、ソフィアの事、大事だから、守りたいんだ」


 真剣な眼差しに気圧され、思わず後ずさりながら、ソフィアは動揺を隠すように視線を彷徨わせながらキツい声を放つ。


「そ、そんなに父親ぶりたいの?」

「え? ん~……そうだね、父親でも保護者でもいいよ。ソフィアを守るのは変わらないもの」


 相変わらずの“父親”発言に、ソフィアは柳眉をひそめる。いつもの様に、「ばっかじゃないの!」と一蹴しても良かったのだが、シンが真面目に本心からその言葉を言っている事は既に重々承知している為、口に出す事が躊躇われた。そのまま、口ごもり、俯く。


「………。…………あの」

「ん? なんだい?」


 小首を傾げた後、ソフィアの迷いに気付いたのか、シンは急かさずに黙る。


「……あ、……え、と」

「うん」

「あたし……」


 どう言葉にして良いか、分からずに俯くと、シンは「ゆっくりでいいよ」と微笑してソフィアの頭に手を乗せる。思わずびくりと身を竦ませるが、優しく頭を撫でるシンの手を振り払う事は出来なかった。


「……シンの、父親、も、よく……こんな風にしていたの?」

「え? ああ、そうだね。そういわれてみれば。もう随分昔の事だから、今言われて思い出したよ」

「……そう」


 目を細めて懐かしむかのようにシンは頷く。その顔を見て、ソフィアはそっと視線を町の灯かりへ動かした。


「あなたの“父親”は、あなたにとって、……“いい人”なのね」


 言葉の内容とは裏腹に、感情が篭もっていないソフィアの言葉に、シンは訝しげに顔を向ける。


「? ソフィ……」

「あたしね、父親の事は覚えているの」

「え?」


 多分、父親。……そう付け足してから、言葉を切る。それから感情の読み取れない水色の瞳をシンに向ける。


「1~2ヶ月に一度、くらいだったと思うけど。あたしのいた小屋の壁板の隙間から覗いて、ああ、まだ生きてるのか、って。いつもそう言って去ってく人」


 冷静な声音で語られる内容を、頭が理解する事が出来ずに、シンは絶句した。


「まぁ、顔も知らない間に、流行り病で死んでしまったみたいだけど。――つまり、あたしにとっての“父親”って、そういう人なのよ。――いい存在ではなかったけど、でもだからといって、今更“新しい優しいお父さん”が欲しいとは思わないし、子ども時代の記憶をそれで上書きできるとも思ってない。だから、あたしはあなたを“父親”とは思えない。――シンのせいじゃなくて、あたし自身の問題」

「じゃあ父親じゃなくていい!」


 ソフィアが言い終わる前に、シンの声が遮った。


「保護者でも恋人でも何でもいい!」

「いや、恋人とかはないから」

「とにかく僕、ソフィアを守りたい!」

「間に合ってますので遠慮します」

「間に合ってないでしょ! ソフィアの好きな肩書きで良いから、僕の側にいなよ!」

「そういう譲歩が欲しいんじゃない」


 思わずジト目になりながら、ソフィアはシンを軽く睨んだ。



(言うべきか迷った上で、だったけど……失敗したわね)


 苦虫を噛み潰して小さく息を吐いてから、再度真っ直ぐと碧色の瞳を見上げる。


「シン。あたし、同情して欲しくて言った訳じゃないわ。あなたが“父親になりたい”、とか色々……あたしの事を真剣に考えてくれてる、みたいだったから、にべもなく拒否するのは誠意がないと思って、理由を説明しただけよ。あなたの事を“父親”として見るのは、10年前のあたしだったならともかく、今のあたしには無理だし、不要なの」

「うん、それは今説明してもらったから、ちゃんと分かった」


 笑みを消した、どちらかというと無表情に近いシンが静かに頷く。


「でも、ソフィアこそ、誤解してる」

「え?」

「ソフィアの事、守りたいって思ってるのは今に始まったことじゃないし、」


 言いながら、シンはソフィアの小さな手を取って両手で覆う。


「ソフィアを守りたいのだって、君のためじゃなくて僕のためだもの」

「……? 意味が分からない」


 困惑して淡い水色の瞳が揺れる。シンの手の中の彼女の手は小さく繊細で、力を加えたら壊れてしまうのではないか、と本気で思ってしまうほどだった。慎重に、その手をぎゅう、と握り締める。



「――生きて欲しいんだ、ソフィアに」



 万感の思いを込めて、シンはソフィアの瞳を真っ直ぐに見詰めて言った。


「“僕が”ソフィアに生きていて欲しいの」


 揺らめく町の灯かりが2人の髪を揺らす。シンの言葉に何故かおそれを感じ、ソフィアは距離を取ろうとするが、シンの両手が引き止める。強い力で握られている訳ではないはずなのに、振りほどく事ができず、ますます焦って視線を彷徨わせる。


「ソフィア」


 驚くほど静かな、低い声でシンが名を呼び、ソフィアはびくりと肩を震わせた。


「……生きて、ここまで来てくれて……本当にありがとう」


 聞いた事の無い様なシンの声に、ソフィアは彼を見上げたまま硬直した。



「これからは、どうか僕に君を守らせて欲しい」

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