第3話

(3)


 その日突如として起きた惨劇は誰をも不安にさせた。警察が呼ばれ現場検証や全ての人に事情聴取が行われ、ささやかな日常の平和で幸せな日常は儚くも散華した。

 その散華にふさわしい夏目優君の母親の悲鳴はより一層そこに居る全ての人を煉獄の冷たさに凍えさせたに違いない。


 いやぁあああああぁぁあ


 誰もが我が子を無くせば、あのように半狂乱になるだろう。

 彼女は精神を打ちひしがれ、突如失われた幸せを叫ぶことで取り戻したいと思ったにちがいない。庭に飛び出して、彼女は天を仰ぎ見て何度も何度も叫んだ。発狂したと思っても仕方が無かった。

 園児たちの遊戯会は突如として最大の惨劇の場に代わり、悲劇へと変わった。その後に行なわれる予定だった食事会は中止になり、それぞれの子息はうなだれる様に保護者に連れられて家庭へとひっそりと帰って行った。



 僕は妻と共に娘の手を引いて惨劇の場所を後にした。手をつないで歩きながら妻が僕に言う。

「優君のお父さん、今日は来てなかったみたいね」

「そうかい?」

 僕は妻に言う。

「うん、見えなかった」

「そうか」

 そう思うと胸が辛くなる。母親一人であの悲劇を受け止めることなどできようか?

「なんでも、あそこの御夫婦、あまり仲が良くなかったみたいよ」

「二人の仲が?」

 妻はそれ以上何も言わなかったし、それ以上聞こうとはしなかった。結婚した夫婦が全て幸せだとは限らない。それは僕達でもそうだ。娘の手を繋いで歩いている僕達だってこれから先何が起きるかわからない。

 今日のような悲劇に見舞われなくても、幸せを引き裂くものはどこにでも潜んでいるのだ。物理的な場所だけではない、人間の心の中にも潜んでいるのだ。

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