34、モーニングセットの傍ら

 モーニングセットが出るまでのあいだ――どのくらいの長さになるか分からないせいで落ち着かない時間――に、適切な思索なんかできようか? ……とか言ってるといつまでもやらないだろうし、モーニングセットを食べ終えたころには柔らかな眠気が漂って、「思索なんてめんどうなこと、あとでいいや」となるかもしれない。「落ち着かないと一番いい答えが導き出せない」なんて、先延ばし人間のもっともらしい言い訳だ。オバサンに中断されようが、とにかく始めよう。


 僕は……もう結婚の準備はできているか? 美紀とずっと一緒にいたいのか? 心はぜひともそうしたいと思っている。だが、ネックは経済的なところだ。このままの状態でも大丈夫だ。だが美紀には辛いだろう。ゆとりある生活のため、たまには贅沢ぜいたくをするためには、共働きしてもらうしかない。しかしそれありきというのは、結婚を申し込む資格がないだろう。となると、やっぱりもっと収入の良い仕事に転職すべきか。しかし、今からできるかな? 収入が上がったとしても、かなりブラックなとこになっちまいそうだな。で、続かなくて辞めて無職になったら元も子もない……。


「はい、どうぞ」オバサンがモーニングセットを持ってきた。予想通り、僕はビクッと一度体を痙攣けいれんさせ、思索を中断させたオバサンを恨めしく思った。こうなるのがイヤだから思索を躊躇ちゅうちょしたのだが、思索の勢いはついて波に乗っている感じはあったので、「始めておいて良かった」としておこう。目の前にはトースト、サラダ、コーヒー。腕時計を見ると、あれからすでに5分経っていた。僕の思索は大して進んでいなかった。

 パンをかじりながらコーヒーをすすり、思索の続きをしようとしたが、さっきまで何を考えていたかすっかり忘れていた。なんだか自分が、かなり頭の悪い奴に思えてきた。10年前はもう少しいろいろ考えることができていたはずだ。考えることが、今ほど億劫ではなかった。

 もっと前、例えば子どものころは、スイスイ考えることができた。感性も瑞々みずみずしかったし、今思えば日常が輝いていた。あのころと比べると、今は季節感もないし、とにかくドンヨリがデフォルトだ。美紀といるからまだマシなのか? いや、本質的なところで、僕は二十歳ぐらいからずっとドンヨリなのだ。美紀がいるからいいとか悪いではない。下手すると、美紀がいるときに最悪な気分になる可能性もあるし。

 単に歳のせいなのか? やっぱり美紀に救われているのか? でも独りでいることはもともとそんなに苦痛ではない。というより、誰かといることで急に気分が良くなるということはない。美紀といることはかなり心地良いけれど、プレッシャーもあってか、正直ときどき逃げたくなることがある。逃げたくなるなんてことは、他の恋人のときもあった。もしかしたら、そこが僕の異常なところなのかもしれない。本来、心地良さが9割を占めてもいいはずだ。相手が美紀ならなおさらだ。無駄な心配性、ネガティヴ、取り越し苦労……? 中上はどうなんだろう? 考えてみると、今や付き合いのある友人なんて、中上ぐらいしかいないんだな――。


 僕の思索は〈美紀との結婚について〉かられ、自分の否定的側面に焦点を当てることが多くなった。それらはつまり、年月を経て失ったものだ。そして考えるほどに「昔は良かった」という念が強くなってしまう。


 過去について考えてどうする? これからのこと、美紀とのことについて考えなくては。……しかし、これら過去のことをどう認識すればいいだろう? 失ったものについて、何を思えばいいだろう? そこがハッキリしないと、この先に進めない気もした。僕はここ何年もずっと、思索をサボってきたのだ。それがハッキリした。


 ――過去は戻らない。つまりやり直せない。だが失ったものについては、戻らないものもあれば戻るものもある。戻るものは、例えば体力だ。筋トレをすれば、若いころより筋力はつく。心の瑞々みずみずしさだって戻るもののひとつだろう。自分の心にあるネガティヴィティを払いのければいい。ネガティヴィティは、年月を経て積もったちりだ。これをきちんと掃除しよう。

 そもそも瞑想をしている目的のひとつはそれだ。目的を忘れてやっていた。これだとイマイチ効果が上がらないのかな? というか、瞑想中もこんなふうに雑念や脇道に逸れた思考が湧いてきて、集中できていなかった。そりゃあイマイチなわけだ。


 気が付くとトーストは食べ終えていた。サラダを口に運ぶ。


 やっぱり、このあたりをきちんと整理しなければいけない。だいたい僕は、〈スケジュールを立てる〉ということもできなくなっていた。一週間はおろか、その日の予定すら立てられない。その必要性がなかった。資格を取るとか就活するとか、これといった目標もなく、その日暮らしで十分だったからだ。これじゃあ、先を見越す作業をする脳の部位がかなり弱っているに違いない。思索も滞りがちになるわけだ。

 脳の訓練だ。頭の中を整理。向き合うと散らかりすぎていて、どこから手を付ければいいやら、泡を吹くぐらいだ。けど、それでも端っこからやっていくしかない。サラダも食べつくしたし、本格的に思索を始めよう。

――やり直しはできなきても、立て直しはできる!――今、ふと思ったことだけど、これは大きな発見だ。立て直しのためにも思索すべし。ま、美紀がOKじゃなかったら、こんな思索、なんの意味もないんだけど……。そんな残酷なことはありえない! と信じている。

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