33、一時停止

 美紀との付き合いはその後もダラダラと続いた。僕にはその先にコトを進めることができなかった。億劫になってしまうのだ。いざとなると、そこに変化をもたらすことが適切なのか、などと考えはじめ、結局は何もしなかった。

 こんな状態でいつづけるのは良くない。〈適切なのか〉で悩んでしまうなら、適切なのかどうか、一度じっくり考えて結論を出すべきだ。そうしないと、もしこのまま別れた場合、そしてコトを進めること(ハッキリ言えばプロポーズ)が適切だった場合、それをしなかったことを悔やむだろう。それは想像しただけでも苦しい。


 僕は仕事のない日、その日は水曜日だったが、午前中のうちに地下鉄に乗った。少し遠出をして、自分と美紀のことを冷静に見つめなおし、何が一番適切かを見極めようと思った。


 僕は電車を乗り継ぎ、所沢駅で降りた。東京を出るとだいぶ気分が変わる。東京を出ると街にゆとりがあり、自分の心にもゆとりが出る。都心は慢性的に切羽詰まったような気分にさせる。これはもう土地が、ビルだらけという物理的状況がそうさせるのだろう。避けられないんじゃないかと思う。僕は田舎の出なので、そんな環境にはずっと違和感を持ったままだ。これは本来あるべき感覚ではないと、思いつづけている。

 東京育ちの晃子なら、これが普通なのだろう。いつだったか、田舎の親戚の家に泊まって、クルマの音が全然しなくて怖くなったと言っていた。僕にはまったく理解できない。そんな静けさ、願ったり叶ったりじゃないか。晃子だって、静かなところはいいなあなんて言っていたくせに。

 だから、田舎暮らしに憧れてるとかいう都会人の言葉は真に受けないほうがいいだろう。仮に初めのうちは田舎暮らしを喜んでいても、何日かすると違和感を認めざるを得なくなり、苦痛になるだろう。ただしこれはもちろん、全員に当てはまるわけではない。うまく馴染めて、これこそが自分らしい生き方だ、と思える人間もいるだろう。逆に田舎から都会に来て、そう思う人間もいるだろう。僕はどうなのか……それも分からない。田舎も都会も、どちらもイヤだし、どちらにもいいところはある。


 こんなんだから、僕はダメなんだ。優柔不断で決断力がない――あらためて感じた。自分の意見というものがハッキリしていない。というか、自分の意見が自分で分からないというのが問題なのだ。

 あらためて気合を入れ、所沢駅周辺を歩いて、思索に〈適切な〉カフェを見つけ出した。個人経営のダークブラウンが主だった店。やっぱりこういうとこに惹かれる。それだったら、近場にあってよく行っているバイロンでいいじゃないか、と思うかもしれないけれど、たとえ落ち着くとしても、普段行っているところではダメなのだ。ましてやあそこは美紀の香りが漂っている。ちなみに、僕はバイロンの思想にはあんまり共鳴していない。どうでもいいことだけど。


 ゆとりのある店内には、喫茶バイロン以上に今という時代と隔離した雰囲気があった。マジック書きの壁のメニュー、大判のカレンダー、BGMの80年代ポップス。なんだか〈時代に取り残された場所〉という感じがする。おそらく60歳くらいのオバサンが一人で切り盛りしている。カウンターには段ボールの小箱がいくつか置いてあって、客が座ることはとうに想定されていない。フロアにテーブルが6つほどあり、今のところ客は僕のほかに二人。みな一人客だ。


 メニューを見て、11時までのモーニングセットを注文することにした。

「すみません」左手を上げて、オバサンを呼ぶ。

オバサンは「ハイ」と返事をして、つかつかやってくる。パーマをかけたショートヘアに薄く色のついたサングラス、黒いエプロン。

「モーニングセットを、コーヒーで」

「はい。コーヒーはいつにしますか?」

「一緒でお願いします」

「かしこまりました」

 オバサンはほとんど表情を変えず、そのままカウンターの中へ去っていった。あっさりしている。僕は自分の肩に力が入っているのに気付き、〈リラックス、リラックス〉と自分に言い聞かせ、椅子に背をもたせかけて思索を始めた。

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