21、ボールと赤ワインとバグと

 ボウリングは、実際のところ僕もだいたい1年ぶりだったので、初めのうちは美紀にさえ下手だと言われた。狙いすぎてガーターを2回もやってしまった。だが、そのうち調子が出てきて、美紀を感心させることができた。

「わかっただろ。あの端っこのピンを狙ってたから、さっきはガーターになっちゃったんだよ。お前みたいに真ん中ばっかり狙ってのガーターとはワケが違うんだよ」僕は1本だけ残った10番ピンを倒して椅子に腰かけてから、得意気に言った。

「わかったから、ちゃんと投げ方教えてよ!」美紀はボールを拭きながら言った。

「俺のを見てりゃわかるだろ」

「ダメ! ちゃんとここはこうとかきちんと教えないと。教えるって言ったでしょ!」

「いやあ……」

 僕は渋谷に続き、ここでも周りの目を気にしていた。運悪く、両隣のレーンには大学生らしき男女が3~4人ずついたので、美紀とあんまりイチャついて冷ややかな視線を受けたくはなかった。こういうとき、女は気にしないどころか、周りに見せたがるくらいになる。美紀も例外ではなかった。『お前がキレイで色っぽいのは俺も周りも充分わかっているから、控えめにしてくれ』と言いたいのだが、そんなことは当然言えず、自分が控えめにするしかなかった。

「ねえ、どこがおかしいのか言って」

 美紀は右手で持ったボールを鎖骨のあたりにもたせ掛け、左手で支えていた。僕は、美紀の親類か何かのつもりで、『教育的アドヴァイスをしています』とアピールするような態度と表情をつくった。

「まず――」僕は座ったまま、右手の人差し指で、ボールを指さした。「そのボールが、たぶん重すぎる。もうちょっと軽いのにしたほうがいい」

「え~。あとは子ども用みたいなのしかないじゃん!」

「慣れてないんだから、投げやすいボールを使ったほうがフォームも良くなるし、いいんだよ」もっともらしいことが言えたので、また得意気になった。「そのボール戻して、もう一回いいボールを探そう」

 そう言って、僕は美紀を連れていき、ボールを選ばせた。そこは彼らの視線が及びづらいところだったので、美紀の気持ちを満足させるために、少しは恋人らしくした。美紀の手を取って、いくつかボールを持たせ、腕を振り子のように振らせて、しっくり来るものを選ばせた。そのあいだの嬉しそうな美紀を見ると、僕は優しい気持ちになれた。


 それからは美紀も上機嫌で、僕もさっきまでよりも自然体でいられた。両隣の視線も気にならなくなってきた。彼らも僕たちに慣れてきたのだろう。

 そのうち、僕にデジャヴが起きた。こんな感じのゲーム展開、周囲の雰囲気……。帰ってしまった若者に代わって右隣でゲームを始めた老夫婦を、ように思えた。彼らの話していることも、どんなふうに投げて、何本倒すかも、すべて以前見たり聞いたりした覚えがある。だが、それは予知ではなく、見たあとでそう思うだけだった。見たあとなら見たことがあるのは間違いないが、それは過去ではなく今だ。つい今しがた見たものを遠い過去に見たと思ってしまっているのだろう。だが、脳は『ずいぶん前にまったく同じ光景を目にした』と主張する。デジャヴとは、脳のバグなのだろうか? しかしその感覚は毎回10秒程度続いた。その間、次にどんなことが起こるか、確かにわかっているのだ――。

 ゲームを進めながら、(よくわからないけど、これは晃子と美紀がダブっているのが要因なのだろう)と思った。僕は今や、晃子とボウリングしているような感覚で美紀とボウリングしている。そして二人はどことなく似ていた。見た目はそれほど似ていなくても、そのとき感じた僕なりの表現を使えば、〈もともと同じ星の住人だった〉というような似方をしていた。まあ、同じ僕が惹かれる女なのだから、どこかしら似ているのだろう。脳のバグ――というか、僕が少し疲れているのかもしれない。眼精疲労とか、三半規管の乱れとか、ニューロンの異常とか……。ボールがピンを倒す、ガタン、パコンという音があちこちでエコーを効かせて響いている。40を過ぎて少しずつ身体にガタが来はじめると、こんな疲労感や違和感や、つまり『バグ』を抱えながら、普通に振る舞っていかなければならないのかもしれない――。


 結局僕たちは2時間ボウリングをやった。4ゲームだ。当然、僕の圧勝。だが、美紀はとても楽しんでいたし、少しずつ上達していた。ビリヤードをやる前に、僕たちは空腹を感じ、外に出た。正面のビル群は、上半分がオレンジ色に染まっていた。

 今度はマクドナルドではなく、デニーズに入った。一人でいると、下手すれば昼も夜も安く済む同じ店に行くことがあるのだが、さすがに僕もそんな気にはなれなかった。僕は財布に遠慮することなくハンバーグやパスタを食べ、美紀の分もおごった。美紀がオーダーのときに赤ワインを飲みたいと言うので、それに付き合った。赤ワインはハンバーグに合っていたし、贅沢な気分になれた。こういうのはケチらないほうがいいと思った。

 平らげたあとで、残りのワインを飲みながらボウリングの話をしているうちに、僕たちはムードになった。僕もそのときはためらいがなかった。ほとんど酔っていなかった。だが美紀は頬を赤らめ、瞳が潤んでいた。そんな美紀に僕も欲情していたのだ。晃子とだったら、こういう流れにはなりにくい。穏やかで心地良い気分になるだけだ。僕は美紀によって、20代のころのような熱い血に戻りつつあるのかもしれない。そんな変化に血管や皮膚や筋肉が驚き、動揺し、追いつけず、その結果デジャヴという脳のバグを頻発させているのかもしれない。

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